口は災いの元
「おっ、まっえはッ、……お前はいっつもそんなことしか考えられないのかよッ」
「そうや?」驚いたような表情を向けられて、まるでこっちがおかしいかのような印象を与えられる。そんなことがあるはずない。いくら健全な男子とはいえ、24時間365日、頭にピンク色の妄想ばかり抱いているわけがない。そう返すといいかブン太、とまるで子どもをあやすような優しい声が投げかけられる。
「例えばじゃ。立海テニス部の天才、丸井ブン太が試合をしとる。そこに私ブン太くんのファンなんです!邪魔しないから応援してていいですか?なぁんて巨乳でミニスカの女子がきた」
「うん」
「ここはひとつ、天才・丸井ブン太としては妙技のひとつやふたつは決めんとカッコ悪い」
「うんうん、まあ俺は天才だからな」
「いざっ妙技・鉄柱当て!女子がちゃんと見ちょるか確認するためブン太が顔を上げると、風のいたずらでスカートがふわっと。まあ見てしまうね」
「まあ見ちゃうよな」
「そこでピンク色の妄想にとりつかれたブンちゃんの手元が狂ってあらあら、ボールはネットに」
「ダセエ!つか俺で例えんな!」しっかり肩を抱いた仁王の手をようやく振り払う。ひどぉい、裏声で訴えられて鳥肌が立った。
「何?お前いっつもそんな風に俺を見てるわけ?」
「見られたくなかったらシャツをインで着こなすんじゃな」
「最低!最低!二度とお前とダブルス組まねえ!」
「別に俺はダブルスじゃなくても満足やけん」
「……試合もしねえ!」
「まあテニスはさておき、ブン太」
「うっ……」一瞬にして詰め寄られ、ベンチの壁側に追いこまれる。ここまできたらキスもなしで誰が引くかと言わんばかりの目が丸井を見た。最低だ。だってここは部室で今は部活の休憩時間で確かにふたりきりではあるけど誰が来るかわからない状況で。
「キスだけ」
「たりめーだッ」
「キスはOK?」
「……あっ違うッ何もするな!」初めから丸井の主張など聞く気のない仁王は次の瞬間には口を塞いでいた。あまりにも瞬間的な口づけに、文句を言いかけたままの丸井はフリーズしていしまう。それを見て仁王が笑うのが腹立たしい。
「ブンちゃん、恋と言う字を書けますか?」
「ばっ……バカにしてんのか!?」仁王が笑いながら部誌を引き寄せ、書いて、と丸井の前に差し出す。どんな意図かは知らないが、このまま手を出さなければ書けないのだとバカにされるだけだ。狙いがわからないまま恋と書く。──自分の気持ちが恋なのかどうか知らない。それでも、隣にいるのが仁王なだけで世界は変わる。よう見て、また肩に回った手が丸井を引き寄せて恋の字を指した。
「したごころ、やろ?」
「……は?」
「下に心があるから下心。な?恋なんてしょせんそんなもんよ。ってわけで今日ブンちゃんち泊まりにいっていい?」
「……ダジャレかよッ!つか何その流れッ」
「家に誰もおらんのじゃろ?」仁王がさらりと告げた言葉に愕然とする。それはつまり、どういう意味だ?「家に誰もおらん」から「泊まりに」くるというその条件で、その目的がひとつしか思いつかない自分はおかしいのだろうか。
「……いや、あれ嘘、うん。急に行かなくなったんだよ」
「俺にその場しのぎの嘘が通用すると思ってんのかなあブンちゃんは」
「……来て、何すんだよ」
「それはブンちゃんの口から聞きたい」
「死ねッ」
「じゃあしたい」
「……な・に・を!」
「ブン太が泣くようなこと」
「どんだけ性格悪いんだよお前ッ……」
「はかるにも単位がわからんなあ」肩を抱く力は強い。今度は簡単に逃がしてもらえないようだ。一瞬頭に浮かんだデジャブ、……初めてキスをしたときだ。つき合うとも好きとも言ったけど、男とキスってそれどうなの?なんて考えていた丸井から仁王は一瞬で唇を奪っていった。まさか、今回は一瞬と言うわけにはいかないだろうが。もし、万が一、……するなんてことになれば流石に仁王が一方的にしてできることではないだろうと思う。
しかし引っかかるのが、仁王がはっきりとそれを口にしないこと。あとでホラー映画を出されてそれを見たかっただけ、なんて言われてもおかしくない。自分がからかわれていたという仮定を想像すると恥ずかしさに消えたくなる。仁王を喜ばすために辱められるなどまっぴらだ。
「何がしたいのかはっきり言えよ」
「セックス」
「はっきり言い過ぎだろ!」
「どっち」仁王が笑って抱かれた肩から振動が伝わってくる。こいつマジ殺したい。自分の顔が赤くなってるのがわかるような気がする。恋なわけがない。そんな可愛らしいものじゃない。
「嫌なんか」
「い、や、っつか……考えたことねえよ」
「うそつき」確信犯の嫌な笑みを向けられる。考えなかったといえばそれは嘘だ。ただ考えないようにしていた。そこは越えたくない壁で、越えてはいけない壁だと感じて。悩みだしてしまった丸井に呆れて笑い、仁王はこっち向いて、と優しく声をかける。聞いたことのない甘い声。
「ブン太」
そっちを向かされ唇を塞がれる。キスは嫌いじゃない。普段嘘ばかり言う唇を自分が独占して嘘をつかせない瞬間。だけどまだ、触れるだけのキスしかしたことがなかった。今この時までは。
ぬるりと唇を舐めた舌に体が硬直する。そんな丸井もお構いなしに、濡れた唇を味見するように舐られる。反射的に仁王を突き放して彼を見ると、──スイッチが、入ってしまっていた。乱暴なほどの勢いで顔を捕まえられ、口開けて、と静かな声が囁く。再びなすすべもない丸井の唇は塞がれる。さっきと違うのは食べられそうな勢いだ。口腔を侵略せんばかりの舌が丸井の舌を絡めとる。恐怖さえ覚えそうな感覚に背筋が震えた。様子見のためか一度仁王が離れ、放心した丸井を覗き込む。
「ブン太?」
「気持ち悪い……」
「気持ちいいの間違いじゃろ」丸井に時間を与えずにキスは再開した。今度こそ深く探るような動きに怖くなる。時間をかけて歯列をなぞり、合わせた唇の隙間から息をもらすことさえ許さない行為。無意識に仁王にすがっていた手に気づいたけれど離せなかった。どきどきする。これが恋だとでもいうのか。下心、だなんて、仁王はずっとこんなことをしたかったのだろうか。
息が苦しくなってきて、わずかに理性が戻ったときに聞こえたのはドアの音。朦朧とした頭で理解しないまま顔を上げ、やっちゃったと呟いた仁王を見上げれば、彼の視線は自分ではなくドアを向いている。その瞬間に血の気が引いた。ゆっくりドアへ顔を向ければ、おそらく自分もこんな表情をしているのだろうと言った様子のジャッカルが立ち尽くしている。
「ジ……ジャッカル?」
「……真田ぁー!」
「あっバカ!」本人もとっさの判断だったのだろうがそれは的確すぎる。大黒柱に助けを求めるジャッカルを仁王が慌てて部室に引き込んだ。動揺する丸井は何もできず、立ち上がりはしたもののオロオロしているだけだ。
「ジャッカルお前は何も見なかった」
「いいや見たッ」
「見なかったよなッ」
「目に焼き付いたわッ!真田あー!」
「どうしたジャッカル!」近くにいたらしい真田が幸村と共に部室に駆け込んできた。少しでも自分の非をなくしたい仁王はジャッカルを突き放す。一瞬にして状況の変わった部室に、丸井は混乱のため笑みさえ浮かんだ。
「あっお前らこんなところに!」
「休憩終わっても戻らないから探してたんだけど……何してたの?」大黒柱のその土台、幸村の微笑に流石の仁王も口を閉じた。この場合、口を開こうがどうしようが口は災いの元だ。ジャッカルも裁判官を選び、幸村にこうと説明する。一緒に聞いてしまった真田はふたりの関係に気づいていなかったらしく、怒るよりも戸惑いが勝ったようだ。
「……仁王」
「いや、幸村、まずは話し合いから」
「時間が勿体ない」最高にして最強の笑みを持ってして、部長幸村精市様は容赦なく仁王を蹴り倒した。何が起きるのかがわかった丸井は思わずジャッカルにすがりつく。幸村はらしくない素早さで彼は倒れた仁王の両足を掴んだ。
「幸村やめっ……!」
「問答無用」
「あーっ……!」暗転。
*
「おしっこ出るかと思った……」
「お前もう喋るな」
「仁王も遂に幸村の電気按摩を……」ぐったりする仁王が流石に気の毒だと思いつつも、幸村が怖いので丸井は彼に近づけない。説教を引き受けた幸村の代わりに真田は部活へ戻っているが、証人のジャッカルはとばっちりを受けて残されている。
「さて、ブン太」
「!」
「君からはガムでも没収しようかな」
「な、なんで!」
「口が寂しいなら仁王とキスなりなんなりすればいいだろ?」
「……それは嫌。ガムの方がいい」
「ブンちゃん顔が真剣……」
「マジだし」
「ひでえ……」
「まあ話を聞いてると悪いのは仁王みたいだからブン太はいいか」神の言葉に丸井は感謝した。幸村くん大好き、と腕を取ると仁王が恨みがましい視線を向けてくる。
「大好きなんて言われたことない……」
「自業自得だな」
「ジャッカルにもブンちゃんの気持ちいい顔見られてしまったしのー」
「ブッ!」
「仁王、何度だってやるよ」
「やっちゃえ幸村!」
「いやいやもう十分じゃ!これ以上されたら目覚める!」
「全く、反省しないな……」
「これで幸村の電気按摩食らってないのは柳生と柳ぐらいか」
「……えっ、真田も?」
「……ブンちゃんって時々空気読めんなあ」
「えっ?何?」
「さあ部活行こうか。全く無駄な時間を使ったよ。あ、仁王は外周5周してから」
「また俺だけ」
「えっ何だよ、俺だけ知らねーの!?いつどういう状況で真田が幸村怒らすわけ!?」早足で幸村とジャッカルが行ってしまい、丸井は足を踏みならす。そんな面白そうなことを知らなかったなんてどこか悔しい。
「ブン太」
「仁王お前は知ってんの!?」
「今日泊めてくれるなら教えてあげる」
「……って誰が自分の貞操犠牲にしてネタ取るかっての!」
「チッ!いつになったらブンちゃんはさせてくれるんかのう」
「──心の準備ができるまで待てよ」
「……あ、うん」
「何だよその顔」
「いや、そんな反応が返ってくるとは……」
「……な、なんだよ。お前がそんなだと調子狂うだろ」
「やっばい、なんか嬉しい。ブン太、いらんことせんからキスさせて」
「……バッッッカじゃねーの!」正に口は災いの元だ。まるで本当はしたいような言い方。仁王をおいて部室を飛び出す。追いかけてくる気配がしたので急いで幸村に飛びついた。
070728