「どうだ!」
「あーあ……マジで赤にしてもうて。めでたいのう」
「なんだよ、悪いか!」

朝一番の報告に仁王が顔をしかめたのをどついてやる。机に座っていた仁王は後ろに軽く手をついただけだ。それでも不満げに脚を振る。上が引退したら即座に染めてやる、絶対赤!そう言い続けていた丸井の有言実行。赤というよりはピンクだろうか。先輩がいようがいまいが気にしていなかった仁王は気まぐれに色を変えていたが、去年辺りから今の髪色で定着している。あの頃は悪さしとったから変装代わりじゃ、にやりと笑いながらそう言ったのを忘れられない。

「ま、とりあえず真田に一発殴られんしゃい。通過儀礼じゃ」
「一発や二発で退く俺じゃねえやい」
「おとうさーん、お兄ちゃんが不良になった〜」

冷やかしながら仁王が言うとタイミングよく部室に入ってきたのは柳だ。お父さんじゃなくてお姉ちゃんが来た。仁王は無視した柳だが、丸井は見落とそうにも見落とせない。呆れた表情で溜息を吐く。

「おめでたいコンビになったな」
「は?」

柳は黙って仁王を指す。仁王と柳を見比べて、丸井も仁王を指差した。柳が頷くのに一緒に頷き、それから指を自分に向ける。柳が再び頷いた。白と、赤。

「……げえっ!?」
「だからゆっとろーが」
「げっ、ありえねえ!お前近寄るな!」
「後から染めたんはブンちゃんじゃろ〜」
「うっわ、ケチついた……仁王お前今すぐ他の色にしろ!もうそろそろ黒にしたらきっとモテるぜ!」
「俺髪ボロボロやけんもう触る気ないんじゃ」
「嘘つけ!プリンになってんの見たことねーよ!」
「ねえ仁王先輩!柳先輩が姉ちゃんなら誰が母さんなんスか?」
「そりゃ幸村じゃろ」

乱入してきた切原が仁王の返事に笑い出す。邪魔だ、丸井が押すと楽しそうにこっちを見てきた。

「じゃあ俺が末っ子っスね」
「バカか、お前なんかペットだ!ペットのイモリ!」
「ええー!それはないっス!丸井先輩ひどいっ!」
「ブンちゃん俺は?俺は?」
「仁王は近所の危険人物。キノコとか売ってそう」
「うっわ、ブンちゃん容赦ないのう。どんなキノコ?」
「は?」
「なんも考えてなかったならいいわ。あ、お兄ちゃん、お父さん来たけん怒ってもらいんしゃい」

お母さんも一緒の登場だった。覚悟はしていたとは言え、いざ真田を前にすると体が竦む。真田が表情を変えるより早く、丸井は幸村の腕に絡みついた。

「丸井!なんだその頭は!」
「見て見て幸村くん!自分でやった割には天才的だろぃ」
「おはようブン太。自分でやったんだ?綺麗に染まったね」

俺の時は怒ったくせに。丸井の頭を撫でる幸村を不満げに見て、仁王は真田を煽る。しかしお母さんのお気に入りに手を出すのが難しいようだ。
幸村はどうも丸井を可愛がる。客観的には弟や末っ子をというよりはペットを可愛がっているようにしか見えないのだが、丸井が気づかないようなので誰も口にしたことはなかった。

「仁王といい丸井といい、禁止されているだろう!」
「なんだかんだでうちも結構緩いっスからね〜。成績悪くなきゃセンセーもうるさく言わないし」
「そう言えば丸井、お前今週末に補習が入っていたな」

柳の声に丸井が硬直する。すっかり失念していた。そうなんだ、頑張ってね。幸村の優しさは時に残酷だ。

「え、仁王は?」
「俺生徒指導と取引したんじゃ。学年30位内キープしたらなんも言わんって」
「お前ぐらいだな、そんな取引成立できるのは」
「うっそお!?お前俺とどっこいだったじゃん!」
「仁王1年の時はほぼ首位だっただろう」
「去年は3大欲求に忠実に生きたんじゃ。おかげで何度もクマちゃんとデートしたわ」
「……生徒指導って、クマだっけ」
「熊谷先生だ」
「うそお……そうだっけ?」

顔がいいので女子生徒には人気だが、露骨な贔屓をするので男子に支持者はいない教師だ。おまけに立海テニス部出身だとかで、テニス部には妙にうるさい。

「……仁王、まさかとは思うがカンニングなんかしていないだろうな」
「うわっ、そんなに信用ない?……まあ、1年の時はマスターが同じクラスじゃけ、楽やったわ」
「お前!」
「しとらんしとらん。真田は俺を疑いすぎじゃ」
「仁王!俺はお前に魂を売ってもいい!」
「それはちょっと可愛いけど悪魔呼ばわりかい」

仁王の胸元を掴んですがりつく丸井は視線だけで訴える。あ、俺が弱いの知っててそんな顔してやがる。どっちが悪魔だ。相当熊谷が嫌いらしい。仁王が口角を上げた瞬間わずかに体を引きかけたが、しかし留まってじっと見上げてくる。

「みんな熊谷先生嫌いなんだね」
「そら幸村は無縁じゃろ」
「そうでもないよ。部長になったときに声かけられた。うっとうしかったなあ……」
「……ブンちゃん、幸村に付き添ってもらって指導室行きんしゃい」
「幸村くんには迷惑かけたくない!」
「ほーう、ほんじゃほんまに魂売ってもらおうかの」
「ぎゃっ!」

宙に遊んでいた脚で丸井を挟むように捕まえて、緊張していた丸井は悲鳴を上げる。胸を押した手を捕まえて、仁王はレギュラー陣を追い払うように手を振った。

「部室で何する気っスか」
「それはブンちゃん次第」

な?首を傾ける仁王から視線をそらして既に後悔し始めている丸井は幸村を見たが、心配するでもなくいつもの笑顔を返された。自分の赤い髪を見て覚悟を決める。

「いいから赤也もさっさと出てけ!」
「あらブンちゃん積極的」
「ヒッ!」

額に軽いキスが落ちて身を竦める。真田は幸村がキャップを引いたので見なかったようだ。

「では先に朝練に行っておこう」
「丸井先輩後で何されたか教えて下さいね〜」
「ほら真田、行くよ。お前が行かないと始まらない」
「しかし幸村、まだ話は終わってないぞ」
「後にしようよ。レギュラーが揃って遅刻じゃ情けないからね」

幸村に引かれるようにしながら真田も出ていって、部室はふたりきりになる。仁王の脚に捕まったまま、まさかこんな展開を予想だにしていなかった丸井は叫びだしたい気持ちを必死で抑えていた。捕まえられていると距離を取れずに抱きつくような形になってしまう。ブンちゃん、うつむいて前に流れていた髪をわけて、仁王が覗いてくる。驚くほど優しい瞳、だけどこれが本当なのか、丸井にはまだわからない。

「キスさせてくれたらクマちゃんを操れる魔法の呪文、教えちゃる」
「じ、呪文てなんだよ、嘘くせー」
「一言つぶやけばクマちゃんが丸井様ってかしづくような魔法の呪文じゃ。髪だけじゃのうて多少のサボりぐらいには効くのう」
「……キ、キスだけだな」
「ちゃんと口でな」
「ほんとにそれだけだな!」
「そればっかりは信じてもらわんとなあ」
「じっ……じゃあさっさとしろよ!」
「……ブンちゃん別にキスしたいわけじゃないんよな?」
「ちげぇよ!」
「なんでそんな、髪にこだわるん?」
「……教えたらキスしない?」
「する」
「じゃあ言わねえ!」
「ま、ええけど。ラッキーやし」
「ッ、」

再び額に唇が触れて目を閉じる。そのまぶたに、頬に、と続けてキスが落ちて、耐えきれずに顔を逸らすと更に耳に触れた。体が熱くなる。

「かーわいい」
「し、しないのかよ!」
「するに決まっとろー。ブン太、顔上げて」

顎に手を添えられて身構える。──初めてでは、ないのだ。それでもこんなに指先まで緊張する。相手が男だという罪悪感、──男を好きになってしまった罪悪感。触れた瞬間わずかに身を引いたが唇はそのまま押しつけられた。赤く染まった髪に仁王の手が差し込まれて腕に鳥肌が立つ。それでも感じる安心感は、仁王が相手だからだ。こんな優しいキスをされるたびに好きになる気がしてしまう。だからこそ丸井はキスを拒む。これ以上、先へ進むのが怖くて──

 

 

*

 

 

生徒指導室で熊谷とふたり、さっき口に入れたばかりだったガムも出すように言われてしまい丸井は不機嫌極まりなかった。放課後にはすぐに呼び出され、確かに部活には行きたくなかったが感謝できるはずもない。──結局あの後、遅れてきたジャッカルと柳生に見られてしまった。ドアの外でにやにやしていた赤也にも。勢い余って仁王にストレートを決めたら一転して機嫌をそこねてしまったのだ。そんな状況で教えてもらった「魔法の呪文」は、どこまで信憑性があるのだろう。

「丸井、お前明日には髪戻してこいよ」
「……ニオーはいいんスか」
「学業も部活動も疎かにすることがないからな」
「俺だって同じレギュラーなのに」
「自分の成績知ってるのか。仁王といい、今のテニス部は……」
「……」

仁王のキスを思い出した。うつむいたまま視線だけ上げて熊谷の様子を見る。気になってしょうがない。仁王に教えてもらった魔法の呪文。

「……熊谷センセ、若ハゲって大変っスね」
「……何の話だ」
「カツラの手入れって大変なんスか?」
「丸井」
「俺、誰にも言いませんよ」
「……丸井、誰に聞いた」
「認めましたね?あ、別にカマかけたわけじゃないけど一応確認しろって言われてて」
「ま、丸井」
「俺帰っていいっスか?」

前髪の隙間から熊谷の様子を伺う。表情を変えずにはいるが汗をかいているのがわかった。ドアがノックされ、入ってきたのは仁王だ。熊谷がびくりと体を震わせたのを見逃さない。

「おったおった。部活休みになったけん、ブンちゃん一緒帰ろ!」
「マジで休み?何おごってくれんだよ」
「逆じゃろ〜、謝る機会やるんじゃから」
「なんで俺が悪いんだよ。調子乗んな!」
「あっすぐそう言う!お仕置きしたる」
「変態!あ、センセさよなら」
「さいなら〜」

何も言わない熊谷に手を振って指導室を出る。何があったのか知らないが、仁王の機嫌がよくなっているのに安心した。隣を歩く仁王はむしろ機嫌がよすぎて何か企んでいるのかと疑ってしまう。歩きながら丸井の髪をかき分けるように見て、綺麗に染まったの、なんて不意に言われて妙にドキドキした。

「ブンちゃん、魔法の呪文効いたろ?」
「アレほんとに大丈夫なのか?」
「大丈夫大丈夫。4年間効いちょる」
「……数字おかしくね?」
「ちゃんとブンちゃん助けたけん、ご褒美あってもいいと思わんか?」
「……も……もうなんもしねえからな!俺まで脅してんじゃねえよ!」
「これは脅しじゃのうておねだり!」
「可愛く言ってもだめ!」
「ふん、ブンちゃんのケチ」
「仁王?あっ!」

油断した隙に首筋に軽く噛みつかれた。足を止めるとにやにやと嫌な笑みを浮かべて覗き込まれる。

「顔も真っ赤」
「……死ね!」
「髪似合うとるぜ。男前じゃ」
「そりゃ俺だからな!似合うに決まってるだろ!……お前、なんで急に機嫌直ったわけ、ずっとメールも無視してたくせに」
「……うちのクラスでブンちゃんの人気が跳ね上がってたんじゃ。ちょっと不安にもなるじゃろ」
「なんだよそれ」
「ブンちゃんが俺のやって言い触らしたい」
「バーカ!」

まだ顔が赤いのだろう、耳が熱い。それをからかうように仁王が手を取って歩き出す。

「仲のいいことは結構ですが、どこへ行くつもりですか?」

昇降口で知った声がして慌てて手を振り払う。どうも待ちかまえていた様子の柳生が溜息を吐いた。柳生はユニフォーム姿でラケットを手にしている。恐ろしいほど姿勢がいい。

「……ほんっと、邪魔入るのう」
「仁王、お前部活休みって」
「そんな嘘を吐いたんですか。呆れますね、あなたともあろう人がなんとも安っぽい」
「つーことは嘘かよ!あっぶねえ、ふざけんなよお前!」

仁王の尻を蹴りとばし、丸井は不満を露わに離れていく。膨れっ面の仁王に柳生はラケットを差し出した。やる気なくそれを受け取り、柳生の顔を見て嫌そうに溜息を吐く。

「俺携帯のアドレスにブン太の名前入れちゃろうかな」
「心底嫌がられそうですね」
「どうも一通じゃ。うまくいかん」

ぺたぺたと足音をさせながらだらしない姿で仁王は丸井を追いかける。とは言え目的地が同じだけだが。溜息を吐いて柳生もそれについていく。

「一方通行には見えませんけどね……仁王くんのやり方の問題ですよ」
「うるせーい」

 

 

 

070728