目は口ほどにものを言う
「変身ッ!」
「ブン太?」たまたま通りかかった公園、目立つ赤い髪に反射的に呼びかけるとその後ろ姿は硬直した。周りにいたふたりの小さな男の子が首を傾げる。肩を震わせてゆっくりと振り返ったのは確かに丸井だったが、──タイミングが悪かったようだ。かつてないほど負の感情を込められた瞳で睨みつけられ、仁王はとっさに笑顔を向けてみたがそれは逆効果だったらしい。
「……現れたなッ悪の帝王!この俺が地獄まで追い返してやるから覚悟しやがれ!」
「ゲッ、ブンちゃんちょい待ちッ……だあッ」飛びかかってきた丸井に問答無用で回し蹴りを食らい、とっさに逃げたが腕をかすめる。すかさずそばの茂みに突き飛ばされて、倒されたかと思えば丸井が馬乗りになった。但し色気のかけらもなければ力加減さえない。頬を摘まれて両側に強く引っ張られる。
「お・ま・え・は!空気読め!無視していけ!つーか気づくな!」
「いひゃい!」
「ほんとに地獄に落ちちまえペテン野郎!」
「痛いって!何なん?」手を振り払ってふと見た先、丸井の腰に巻かれているのは、変身ベルトというものではなかろうか。額を叩かれて顔を覆う。
「乱暴!」
「大体なんでお前がこんなとこにいんだよッ!」
「いい天気やからブンちゃんに会いたくなって★」
「調子乗んなッ」先週染めたばかりの髪を引っ張ってやると眉をひそめて体を倒してきた。照れなのか怒りなのか、赤くなった耳をかすめて髪の間に手を差し込みながら頭を引き寄せる。瞳が揺れた。どうしてだか大人しいのでそのままキスまで持ち込む。一瞬触れたところで高い声が丸井を呼んで、その瞬間仁王の頬に平手打ちが走った。あまりにも綺麗に決まった攻撃に言葉を失った仁王を置いて、丸井は立ち上がって茂みを出ていく。
「正義は勝ぁつ!今日も悪を倒したぜ!」
「ブンちゃんやったあ!」
「さーそろそろ帰ろうぜぃ、ブンがホットケーキ作ってやる」
「ホットケーキ!」
「ホットケーキ!」浮かれる子どもたちと手をつなぎ、丸井は公園を出て行った。痛みの引かない頬を押さえて、なんか涙出てきた、体を起こした仁王は行き場のない理不尽さを持て余す。なんなんだ。確かに気まぐれで、おまけに強い性格だから扱いにくい。しかし今日ほど行動が読めなかったのは初めてではないだろうか。
(……可愛かったとか思ってしまう俺……)
それでも頬は痛い。練習でもしていたのかと思うほど見事な平手打ちだった。とりあえず一旦茂みからは出るが、元々目的のない散歩だったのでこれからに困る。日差しの眩しい公園は昼時だからなのか誰もいない。ベンチに腰を落とすと鳩が寄ってきて足元をつつきだした。バカなのか賢いのかわからない。
「会えるもんじゃな……」
久しぶりの休みなのに家に親戚が集まっていて、うるさいので飛び出してきたはいいが本当に行く宛もなく、ポケットに押し込んできた財布の中には嫌われ者の二千円札が1枚、なんとなく使うのは気が引ける。だから用事があると言って昨日の部活に出ずに帰った丸井になんとなく会いたくなって足を向けた、それだけだ。本気で会う気なら連絡すればよかったのだから、真実手持ちぶさただっただけなのに。半端なキスのせいで本当に会いたくなる。携帯を手にするとメールが1件、丸井からだった。
*
「入れよ」
「ええの?さっきチビっこ、弟じゃろ。お邪魔します」
「入るんじゃねえか。今昼寝してる」先に中へ入ってしまう丸井を追いかけて、小さな音で童謡が流れているだけの静かな部屋に足を踏み入れた。今はメープルシロップの甘い匂いの充満している部屋には何度か来たことはあったが、こんなに静かなのは初めてだ。座ってろ、言われてソファーに座ると丸井が麦茶を持ってくる。
「草ついてる」
「誰のせいじゃ」
「お前!」仁王の後頭部を触ってゴミを捨てに行く。砂だろうがお菓子のくずだろうがその場に払ってしまうブン太らしくない思ってと見ていると、視線で気づいた丸井はわずかに眉をひそめた。
「俺が朝掃除したんだよ。ばあちゃんがぎっくり腰で今母さんそっち行ってんの」
「ああ、昨日もそれか」
「うん、チビの迎え」隣に座った丸井の距離が何となく近い気がする。どこか違和感を感じつつも何かがわからない。
「休みなのにゲームじゃねえんだな。溜まってるって言ってたじゃん」
「家にうるさいのがわんさか来とってのー、狭い家に一気に集まりよって。頭かたい連中ばっかでな、ゲームなんかしとったら線切られるわ」ふーん、いかにも興味がなさそうな返事があった。開け放したベランダから入る風がレースのカーテンを踊らせる。今日はそんなに風がないように感じていたが、マンションの5階となると多少は変わるようだ。たまにはこんな風にのんびりするのも悪くはない。隣で丸井が麦茶を飲む喉の音も聞こえて、思い出したように仁王も手を伸ばした。
「疲れた」
「子守?」
「うん」肩に丸井の頭が落ちる。さっと緊張したのを緩めて隣を見ると、目を合わせてそのまま離れていった。追いかけるように丸井の髪に触れる。弟たちの世話に奮闘したからなのか少し汗ばんで濡れていた。
「……春に髪染めたとき教えてくれんかったけど、正義の味方だから赤なんじゃな」
「……そうだよ」
「いいお兄ちゃんやの」
「仁王、」名前を呼ぶ声は感情的に震えていた。優しく髪を撫でながら、ゆっくり、ゆっくり、丸井の体をソファーに倒す。戸惑いながらも拒む意志のない瞳を飲み込むように、まぶたに唇を落として倒しきってしまった。丸井が後ろを気にして、顔を上げると隣の部屋にタオルケットからはみ出た4本の脚。唇をなめて、仁王はお構いなしに丸井の口をふさいだ。冷たい唇は一瞬、すぐに熱が移って混ざりあう。離れた唇からかすれた声が漏れて、名前を呼ばれたことに気づいて仁王はキスを繰り返した。
「ブンちゃんを離せ!」
「イッ!」頭にかたい物がぶつかって、仁王はソファーから滑り落ちる。はっとして体を起こした丸井が慌てて立ち上がり、ついでに仁王の手を踏んでいったが気づかなかったようだ。凶器は積み木。仁王は顔を上げて三角形の青い木片を拾う。丸井の脚に弟がすがりついた。もうひとりはまだ寝ているらしい。
「おっ、起きたのか?」
「ブンちゃん大丈夫?」
「え?あ、ああ!お前が守ってくれたから助かったぜぃ、いい子だな心太は」
「どうせ俺は悪い子ぜよ……」
「なんで悪者がうちにいるの?」
「さっきつけられてたみたいだな、大丈夫!ブンが追っ払ってやるからな!」
「ブンちゃん頑張って!」
「よしっかかってこい、悪の帝王!このブン太様が相手だ!」
「……ふっ……はっはっは、笑わせてくれる……お前のような小僧、一瞬でチリにしてくれるわ!」
「勝負だッ表に出ろぃ!」
「望むところ!」
「心太はここで家を守れ、ブンはこいつを倒して帰ってくるからそれまで草太を頼んだぞ!」
「うん!」弟の羨望の眼差しを受けながら、ふたりは逃げるように玄関から飛び出した。ドアを閉めて、その場にしゃがみ込んでしまう。わずかな距離なのに異常な汗をかいた。
「……ブンちゃんのせいで俺完全に悪役ぜよ」
「悪ィ……」
「なんか、親が励んでるの見てしまったこと思い出したわ」
「あ〜〜〜ッ最悪!やっべ、マジ言い触らされたらどうしよう!つか意味わかってんのかな!?トラウマになったりしねえ!?」
「あー」
「やっべえってマジ!あ〜クソッ、最悪!」
「……だってブンちゃん逃げんから」
「俺だってなッ、し、したいときぐらいあるんだよッ!」
「声でかい」手を伸ばして丸井の口を塞ぎ、すぐに顔を寄せてキスをする。バッカやろう、真っ赤になって怒られても迫力がない。さっきのテンションから戻れないのか、耳を塞いで仁王から顔を逸らしてしまう。
「……ブーンちゃん」
「もう帰れよ!」
「なあ、邪魔入ったけど、さっきのってお誘い?」
「ちげえし!」
「フーン……いつになったら心の準備ができるんかねえ」
「うるっせえ!」
「すき」
「……お前、そう言ったら誤魔化せると思ってるだろ」
「誤魔化してるのはブンちゃんじゃろ?」
「……余裕こいてんじゃねーよ!盛ってんならその気にさせてみろ!あっ嘘、その手やめろ!」指の関節を鳴らして手を広げた仁王を慌てて振り払う。仁王の表情がからかっているものだとわかったからまだましだが、心臓は跳ねた。玄関前の階段に座り込み、ドアの前から動けない丸井を振り返った仁王は妙に大人びて見える。余裕な表情。
「あ、そういや平手の分、謝ってもらっとらん」
「う……わ、悪かったよ」
「ブンちゃんからちゅーして」
「……やだ。許さなくていい」
「したい気分は?」
「なくなった!」階下から上がってきたおばさんが迷惑そうに仁王を避けて行く。それをきっかけにふたりは立ち上がったが、さてこれからどうしたものか。
「……あ!わかった、仁王が悪役じゃなくなりゃいいんだよな」
「そういう問題か?」
「たっだいまー!」手を引かれて丸井と部屋に戻る。仁王を見て警戒した弟の頭を撫でて長男は笑った。
「もう大丈夫だぜぃ、こいつは俺が説得したから今日から仲間だ!ジャッカルと同じでなんでも言うこと聞くぜ」
「ほんとに!?お馬さんしてくれる?」
「もっちろん!」
「え、もしもしブンちゃん?」
「飛行機は!?」
「飛行機も台風もストレッチマンもしてくれるぜ」
「ハゲじゃないのに?」
「ハゲじゃないけどジャッカルと一緒だ!なあ仁王!」
「……聞きたいことは色々あるけど、とりあえず、俺子ども苦手なんじゃけど。ストレッチマンって何」
「知らねーの!?うっわ、お前そりゃ非国民だぜぃ」
「知らん」
「うわー。お前ガキのときテレビで何見てたんだよ」どっかにビデオがあった気がする、丸井が探しに行ってしまい、仁王にしてみれば異常に視線の低い人間と残されてしまった。恐る恐る下を見ると、純粋な笑顔を向けられて顔がひきつる。── 一度騙してしまうと洒落にならないから子どもは苦手なのだ。冗談さえ通じないときがある。
「あっ、ニオくんだ!」
「へ?」
「ブンちゃんがいっつも言ってる。……ニオくん悪い人だったの?」
「ブンちゃん翻訳して!」
「何?どうした?」
「ねーこの人ニオくんだよね?前に写真見たもん」
「……あっ!」
「ん?」身をすくませて丸井が顔を真っ赤にする。予想外の反応だ。仁王が戸惑ってしまうほどのうろたえようで、「あ」だとか「う」だとか言いかけるだけで首を振る。
「ブンちゃん?どうした?」
「ななななんっでもねえ!前にな、集合写真撮ったじゃん、あれ見せたことあっただけ!」
「ブンちゃんがゆってたとーり、ニオくんかっこいいね」
「あっ……!」
「……ブンちゃん今日サービスしすぎじゃのう」
「心太ぁ〜……」情けない声を出して丸井は弟を見る。へなへなとしゃがみ込み、頭を抱えて小さくなった兄を心配そうに弟が撫でた。
「ブンちゃんおなかいたい?」
「痛くない……けどやばい……」
「よくやった」仁王が小さい頭を撫でて、丸井はその手の先を睨む。ここまで打ちのめされた丸井も頻繁に見れるものではないと思うと、顔が緩むのを抑えられない。
「やべえ、死にそう」
「死ぬ前に心の準備してな」
「お前それしか考えらんねーのかよ!」丸井の声に答えるように泣き声がして、慌てて隣の部屋へ向かう。怖い夢でも見たらしい末っ子が兄を捜して這い出てきた。
「よしよし草太、どうした?」
弟をあやす兄を見て、真ん中がやや不満そうにしている。その顔が不意に仁王へ向いた。……まさか。
「ねえニオくん」
「じゃあブンちゃんッ俺はそろそろ帰るぜよッ」
「えっ!……なんだよ、何か用でもあんの?」
「え……っと、ブンちゃん?」
「あ……いや、何でも」
「……ブンちゃん」ちょいちょいと指で誘い丸井を立たせる。弟を抱いたまま立ち上がった丸井の額を人差し指でぐっと押してやった。
「いてえ」
「ブン太、俺我慢が続くほど大人じゃないけん、あんまり焦らしたら、プッツン──」
「ご、ごめん」
「さっさと心の準備してな」
「……お前、妙にこだわるな」
「楽しみじゃからな」
「変態……いいよ、帰れ帰れ!」しっしっと追い払われて、さすがに仁王も気を損ねる。丸井の腕の中で弟は再び眠ってしまっていて、結局自分はここでは丸井のそばにいられないのだと思い知った。
「明日は部活来れるんか?」
「いや、多分無理。親父出勤なんだ」
「ふうん。ほんじゃ、また月曜に」
「ニオくん帰っちゃうのー?」
「俺も忙しいんじゃ。じゃあな」
「バイバーイ」子どもの笑顔と丸井の膨れっ面に見送られて仁王は丸井家を後にした。この後味の悪さはなんだろう。
(何がしたかったんじゃ、あいつ)
*
「仁王、お前昨日ブン太んち行ったんだって?」
「んあ?ああ」ジャッカルの問いに上の空で答える。パワーリストを外してはつけてを繰り返し気味悪がられた。
「なんで帰ったんだよ、お陰でまた俺が呼び出されたぜ」
「子守じゃろ、俺子どもは嫌いなんじゃ」
「子守っつーか、まあ子守か?お前得意だろうが」
「はぁ?」
「だから、ブン太の面倒だよ」
「……なんでブンちゃん」
「あいつ親いなくなると誰かいねーと落ち着かねえんだよ。俺遠いからめんどくせえのに」
「……ジャッカル馬やるんか?」
「馬もストレッチマンもしたさ!」
「そのストレッチマンって何なん?」
「えーっ、仁王先輩ストレッチマン知らねーんスか!?非国民だッ」
「ブンちゃんと同じこと言うな」仁王が若干不機嫌なのがわかったのか、切原は大人しく口を閉じる。どいつもこいつもやかましい。
「今日もブン太は休みか。寂しいなあ」
「……ゆきむらぁ、ユッキー、せーちゃん、俺頭痛い」
「おまじないしてあげる。ハイ、痛いの痛いの飛んでいけ〜」
「……幸村のバカ」
「さあ真田がお待ちかねだよ、部活部活。いい天気だよ」追い立てられて他の部員は部室を出ていく。仁王だけがパイプ椅子に座ったまま拗ねていて、幸村があきれて苦笑した。同じようにテニスをしているのに妙にきれいな手に頭を撫でられ、昨日の丸井を思い出す。
「珍しいね、仁王がこんなにまいってるのは」
「まったく、めんどくさいのう」
「恋ってそういうものじゃない?」
「3分間で終わるような、お手軽簡単な恋愛がモットーなんじゃ」
「それはまた……まさかブン太とも3分で終わらせるわけじゃないよね?」
「3分っちゅーわけにはいかんな。これでも精一杯大事にしとるんじゃ」
「そのまま大事にしてあげなよ」
「さぁの、あんまりじらされたら浮気するかも。例えば幸村なんかに」
「笑えないなあ。どうするブン太」
「お前ほんとにろくでなしだな!」突然入ってきた丸井に驚きもせず仁王は黙って丸井を見る。そばの椅子を引っ張ってきてどっかと座り、まっすぐ仁王を見た。まだ制服姿であるから帰る前なのだろう。
「……ブンちゃんが子ども何はわかっとるから何も言わんよ」
「子どもって言うな!俺のほうが年上なんだからな!」
「8ヶ月な」
「……ブン太何してたの?」
「ヒーローごっこ」
「弟と遊んでただけだよ」
「ふーん……あのね、すっごく聞きたくてしょうがなかったことなんだけど聞いてもいい?どこまでいったの?」
「なッ……!」
「や、ごめん気になって」
「ブンちゃんの心の準備ができるまではおあずけー」手のひらを上に向けて仁王は肩をすくめる。バカ!すぐさま丸井の蹴りが飛んで脛を押さえた。あーあ、幸村が あきれた顔をする。
「やられたね、ブン太」
「は?」
「それって、ブン太から言い出さなきゃ進展なしってことじゃない?」
「……!」
「幸村それは伏せとかにゃあ。俺はブンちゃんがしたいって言ってくれるのを楽しみにしとるんじゃから」
「……幸村くん、ちょっと出てて」肩をすくめて部長は出て行った。ふてくされた顔で仁王を見るだけで、丸井は何も言わない。 どうして好きになったのか思い出せない。仁王は最近ふと考える。
恋に落ちた瞬間を探すなら、落ち葉の舞う秋。職員室前の廊下で友人とふざけていたら捕まって、仁王はその場で学年主任の説教を食らっていた。うんざりしてふと見た窓の外、掃除当番らしい丸井が竹箒を緩慢に動かしていた。脱いだセーターを腰に巻きつけ、赤く色づいた楓がその袖の辺りに引っかかっている。談笑しているのをなんとなしに見ていると顔を上げた丸井と目が合って、すぐに状況を理解した彼はバーカ、と一言、声が聞こえたかと思うほど自然に口を開いた。風が舞い上がって丸井たちが集めた葉をかき乱す。
きっとあの一瞬、なぜなら時間が止まった気がしたから。その直後に教師代理の真田の平手が飛んできたのでそれどころではなかったけれど。どうしてあのときだったのか、最近思い出して考える。やっぱり何か不満そうに仁王を睨んでいる丸井はガムを膨らます。しばらくそう繰り返しながら、だんだん睨むのも疲れたのか、大きく溜息を吐いた。いまいち読みきれない。何がしたいのか、どうしてほしいのか、そういうことが全くわからないことが多い。もしかして自分が離れた方がいいのかと思うときもある。それでも実行できないから、心の準備などといいながら引き伸ばしているだけだ。
「……うちの弟、年離れてんじゃん」
丸井が口にして、また一度ガムを膨らます。仁王が黙っているとすぐに続けた。
「だからさ、俺一人っ子だった間が長いんだよ。弟も可愛いから昨日みたいに遊んでやるけどさ、でも面倒見てるときって、俺なんかダメなんだ、すっげー弱気になんの。だってべただけどさ、俺のポジション取られちゃってんだしさ。だから俺、仁王とか、……ジャッカルとかに、甘やかされるとちょっといい気分だよ」
「ジャッカル、ね」
「俺のわがまま聞いてくれるからな」
「わがままの自覚はあるんやね」
「俺そこまでバカじゃねえよ」相変わらずの膨れっ面。自分が面白くない顔をしているせいもあるのだろうが、この状況で笑えない。なんだか妙な雰囲気になってしまった。昨日わずかだがあんなに甘い時間があったのがまるで嘘のように。
「……だから俺は、ニオくんが甘やかしてくれるとすっげー嬉しいんですけどね!」
「……それは、ニオーくんにどんなメリットがあるんでしょうね」何が言いたいのかわからない。すぐ目の前にいるのに手を伸ばすのもはばかられて、ただ目だけを見つめる。いつだったか目つきの悪さを指摘されたことがあるのを思い出したが気にしない。唐突に椅子を倒しそうな勢いで立ち上がった丸井はドアへ向かった。
「ブンちゃーん」
「ぜってー口にしてやらねえよ。バーカ!」飛び出してしまった丸井を追うべきか。それでも丸井の言いたいことがわかってしまって、複雑な気持ちを抱えて足が動かない。絶対、したいって言わせたかったのに、我慢ができない気がしてくる。秋を終え冬が過ぎ、季節は夏になろうとしている。
070728