目から鱗
「脱プリン!」
「丸井先輩染め直したんすね」
「まあ試合前だし?」上機嫌の丸井は朝から会う人会う人に言い続けている。もう何度聞いたかわからないジャッカルは溜息をついた。これから部活で更に人に会うことになるから、今から倍は聞くことになりそうだう。
「あ、そうだ。駅前の美容院行ったんだけどさ、赤也もストパーかけてもらえば?陰毛だってストレートにしてみせますってお姉さん言ってた」
「お前それセクハラだろ!」
「お姉さんから言い出したんだから逆セクハラだろぃ。巨乳だったなあ……シャンプーのときちょっとこう、顔が」
「マジすか、行こうかな」
「うぃーす」仁王と柳生が揃って入ってきた。何か嫌そうに紙を摘んでいるのを柳生が受け取っている。
「丸井くん染め直したんですね」
「うん、昨日美容院行った」
「惜しかったですね、仁王くん」
「いや俺はどっちでも」
「何が?」
「ご存知ないですか?彼のお姉さんは美容師なんですよ。駅前の美容院で働いてます」先ほど仁王から受け取った紙は美容院のチラシらしい。差し出されて見てみると店の名前に覚えがある。
「マジで?俺昨日行ったとこかも。母さんが常連なんだ」
「乳に全てのエネルギー集めた頭の悪い女がおったら姉貴」
「また仁王くんは女性に対してそんな言い方を!」
「いた!つか俺の担当だった!」
「……セクハラされたじゃろ。アホなんじゃあの女」
「君は全く反省しませんね」
「だぁからこうして客寄せしとんじゃ。柳生、お前行ってこい」
「へー、あの人仁王のねーちゃんなんだ。すっげー美人じゃん」
「……俺が詐欺師なんじゃから信用すんな。あっちは金のかかった詐欺じゃ」
「素直じゃありませんね」
「……柳生あいつ嫁に……いやいらん、お前みたいな身内いらん」
「ねーちゃんいいなー!」
「まあちっけえ弟よりは扱いやすいかの」あまり話題に乗り気ではない様子の仁王はそのままのテンションで着替え始める。隣にいた切原がその腹部に広がる痣を見てぎょっとした。それに気づいた仁王が溜息を吐く。
「嫁入り前の女のすることじゃなかろ?あのババァ、本気で蹴りやがる」
「バイオレンスな姉弟喧嘩っすね……」
「……」にこっとしたまま固まった丸井に気づいたのはジャッカルだけだろうか。じゃあ先行くぜぃ、と出て行った丸井に続いて部室を出るときに横目で仁王を見たが、切原に痣を触らせて笑っていた。
「おい丸井、あれお前だろ」
「……だって、俺は初心者だっつってんのに変なことしようとするから」
「聞きたくないから詳しくは言うな。ったく……別に喧嘩してるわけじゃねーんだな?」
「……一応?」
「なんで曖昧なんだよ……まああれだけやりゃ簡単に許してもらえないか」丸井は拗ねた様子でガムを膨らませている。朝からうるさかったのは空元気だったわけだ。男同士と言うだけで面倒なのに、本当に面倒くさいカップルだ。関わり合いになりたくないのに性格上そうもいかない。
「……えーい、うじうじすんのやめ!今日中に許して下さいブン太様って言わせてやる!」
「悪いのお前だろ!?」
*
(そろそろ帰んねーと……)
和室の天井は高い。ベッドではなく布団だからだろうか。いつもマメに畳まれている布団は温かいお日様の匂いがする。仁王はあまり好きではないと言ったから、闇の世界の住人だからしょうがないとふざけて返した。仁王の部屋は同年代に珍しい和室で、小さな縁側のような場所もあって丸井の部屋と比べるとかなり広い。ついでに物が散乱していて汚いがそれはおあいこだ。
来るのは3度目になる。初めのときはみんな一緒で、まだこんな関係になるなんて想像してもいなかった頃。2度目はつい最近、仁王を蹴ったあの日、一昨日だ。 部活が終わって仁王に誘われて、多少の罪悪感もあったからついてきた。怒っている様子はなかったがかと言って機嫌もよくない。ペタペタと触るだけ触ってくるから、思わずこっちから脱いでしまった。(俺ってもしかして一生こういう謝り方しか思いつかねーのかな……)
枕に肘を載せて溜息を吐いた。足をバタバタさせていたら仁王の脚に上から押さえつけられる。鼻歌が聞こえるから、とりあえず機嫌は直ったようだ。仁王のやる気がないからどうにかしてくれと柳生にまで怒られてしまって、そのせいでまた大切なものを失った気がする。
(中学生の間は清い体でいようと思ってたのに……嘘だけど……)
隣でうとうとする仁王の頭を撫でると目を開けて、探るように丸井を見る。絶対俺の方がかっこいいけど、この目はずるい。撫でていた手で目をふさぐ。変態だ。こんなに好きなのにこの男は変態だ。このままではいつか自分まで変態になってしまうのではないだろうかと心配になる。
「……んで、満足?」
「ブン太様最高。想像以上」
「俺の許可なしに目隠しプレイなんてマニアックな想像すんな!」許可してくれんの、笑い出す仁王の頭を叩く。そうしてからこの先に手足が出る性格が悪いのだと後悔した。今は弟たちは小さくて可愛いからそんなことはないが、そのうち手を出すようになるのだろうか不安になる。
「腹、大丈夫か?」
「ん?ああ、ブンちゃんのは」
「はあ?」
「昨日揉めてるとき同じとこ蹴られたんじゃ。あの状態のブン太の蹴りじゃこうまでならんよ。狙って蹴りやがったあのクソババァ……」
「……あれっ?俺させ損?」
「楽しかったぜぃダーリン!」
「楽しむな!真似すんな!」ちゅっと額にキスされた瞬間、外れんばかりの勢いでふすまが開けられた。フリーズするより早く仁王が舌打ちをして丸井の頭を布団に押し込む。何が起きたかわからないが大人しくしておくに越したことはないだろう。
「雅治パンツ貸して。全部洗濯しちゃった」
「知らん!おかんのはけ!」
「やぁよあんなババくさいの」
「ババァやけん丁度いいじゃろ」
「誰がババァだ。あんたらが後で風呂使うだろうからその前に行って来たんじゃない、頭がよくて優しいお姉さまでしょ?」
「気色悪い」
「いいからパンツ貸してよ、一応気を使ってジャージははいたんだから。いつまでお姉さまをノーパンでいさせるつもり?」
「デートなんじゃろ?脱ぐ手間省けるからそのまま行ってきんしゃい」
「デートじゃない、奢ってもらいにいくだけ。焼肉の後にラブホとか空気読めないことしそうなやつだし、対策として男物って有効でしょ」
「今更大事にするもんじゃなし、俺のパンツが可哀想やけんやめて」
「どういう意味よクソガキ」
「まんまじゃまんま」
「ひっどーい!ひどくない!?ねえブンちゃん聞いた?」
「ヒッ!」今まで蚊帳の外だった丸井は完全に耳しか機能していなかったのだが、突然布団が剥がされて思わず声が出る。仁王がすかさず手を払って布団をかけ直したが、丸井はしっかり胸の谷間を見てしまった。否、見えたのは谷間だけではなかったのだが。
「あれ?ブンちゃんじゃなかったっけ?聞き間違い?ブンちゃんってどういう名前なの?あだ名?」
「自分がご無沙汰だからって人の聞くな」
「あれっ、その子こないだ店に来てくれた子じゃん。そんな色の子なかなかいないもん」
「あーもうパンツでもブラでも持って出てけ!」
「ブラ持ってんのかよー変態。今度紹介してね」
「生まれ変わっても嫌じゃ」
「あ、戸外れた。つけといて」
「直さんか!ったく……」布団から出た仁王が裸でふすまを直しにいく。その後ろ姿が妙に間抜けだ。
「……胸が喋ってた……」
「そこがあいつの本体じゃからな」
「……つーかお前誰もいないって言わなかったか!?」
「帰ってきたんじゃろ。締め出したつもりやったのに、あいつまた自分の部屋の窓開けてたに決まってる。いい 年して屋根登るなっての」
「何なんだよ〜……ちょっと泣きそうだよ俺……」
「いやすまん、マジごめん」
「……俺弟は絶対殴んねえ。こんな変態になったら困る」
「どういう納得の仕方を……」
「しかも聞かれた……俺何言った?いや思い出したからいい、言うな」
「そこは言わせてよ」
「絶対言うな。うわ、死にてえ……」死なれたら困る。布団に戻ってきた仁王に抱きしめられる。誤魔化されてやる気はないが、今は何かに縋りたい。
「……仁王」
「何?」
「蹴っていい?」
「いや、さすがにやめて下さい」
「俺このうちもうやだ……俺の心は深く傷ついた。どうしてくれる」
「……そこは、愛で治す」
「マジ帰る」
「もうちょっと!もうちょっとだけ!」
「カラスが鳴くから帰りましょ〜」帰り支度を始めると丸井は早い。仁王も諦めて服を着る。何でお前も、と言いたげな丸井の視線にも耐える。
「送らせて」
「そんなに言うならしょうがねえから荷物持たせてやる」
「言ってない。あ〜……一家の恥……」仁王は仁王で、丸井と違うところにダメージがあるらしい。嘆く丸井と嘆く仁王は並んで家を出る。
「あかん、マジ、泣きそうじゃ」
「……それはこっちのセリフだぜぃ」
070728