「なあ腹減った」
「……」
「におー!におくん!まーくん!まさ!丸井くんはお腹が空きましたー!」

丸井から逃げるように布団に潜り込む仁王からは反応がない。家に誰もいないから、と誘われて、こうして来るのは何度目だろう。帰るのが面倒になってしまって泊まることにしたが、やはり今からでも家に帰ろうかという気がしてきた。

ここの家族はおかしい。以前からしょっちゅう飯を食うのを忘れる、という仁王の発言を疑ってきたが、忘れるも何も、この家には毎日決まった時間に食事を準備する人間がいないという。丸井家ではまずありえない。かーちゃんは何してんだよ!と思わず声を荒げたとき、パチンコと答えられたときは心底同情したほどだ。年の離れた姉がいるが彼女も料理をしないらしい。そもそも家に誰もいないという日が多すぎる。

「仁王!」
「あーもう……台所好きに使え」
「へっ?」
「賞味期限は気をつけんしゃい、ブンちゃんの腹繊細そうじゃけん」
「じ、じゃなくて、どういう意味だよ」
「まんまじゃ。何でも好きに使って作りんしゃい。何があるかしらんけど、ラーメンぐらいあるじゃろ」
「何だよそれ〜!そんなんでいいのかよ!そんでお前はなんも食わねー気かよ」
「疲れた」
「お前なあ……」

呆れながらも丸井の腹が鳴った。あっちの方、適当に指を差して仁王は頭まで布団をかぶる。服を着るのさえ面倒らしい。疲れているのを承知で誘ったのは自分だが、これではまるで愛が足りない。食わねーから疲れるんだ。顔をしかめて適当に服を借り、やむなく台所へ向かう。どうせ非常識な家だ、どうにでもなるだろう。
初めて入った台所は想像とは違いきれいに片づいていた。そう言えば(避けているせいもあるが)いつ来ても彼の母親に会ったことがない代わりに家はいつもきれいに片づけられている。冷蔵庫を開けてみたがなんともコメントしたがい。自分のうちのものと大きさは変わらないのに、これほど内容の少ない冷蔵庫は見たことがなかった。

「あいつほんとにまともなもの食ってねーんじゃ……」

偏食気味だと言うのには気づいていたが、それ以前の問題だ。栄養士の資格を持つ丸井の母は食事だけは手を抜かない。代わりに父親が時折真剣に風呂掃除をしている。考えているとまた腹が鳴って、目についたのはすなずりのパック。何気なく見れば賞味期限は今日になっていて、少し迷ったがどうにか使おうと野菜室も開ける。もう捨ててもいいだろうという干からびた人参にぎょっとしつつ、奇跡的に瑞々しいピーマンを見つけた。ピーマンとすなずりと、あとは味つけの調味料だけ確認し、道具を探す。人のうちの台所に立つ違和感を感じつつも料理を始めた。

(……あいつも食うかな……ピーマンは食わねえか、つーか米ねえのかよこのうちは)

炊飯器はあるがコンセントが抜かれている。基本的にパンでも米でも構わないタイプだが、肉を炒めるのだから米がほしい。先に切ったすなずりをフライパンに落とし、炒めながら少し捜索してみるが冷やご飯もないようだ。米の袋は見つけたが今更炊いても仕方ない。卵があったがこちらは期限がわからないので手を出しにくかった。

こんな家で一体どんな風に仁王は育ったのだろう。家の様子を隠すつもりはないようだが、積極的に話すこともしない。変な家と自分で言うからわかってはいるのだろうが、時々心配になる。仁王に与えられている部屋はこの家で唯一の和室だ。2階があるのに1階に部屋を持っている知り合いは他にはいない。理由を聞くと出入り自由だから、ととんでもない回答だった。仁王の意志ではなく親の考えだと言うからとんでもない。放任主義にもほどがある。
肉に火が通ったところで適当に切ったピーマンを入れて、やはり適当に塩胡椒や醤油を振った。

(換気扇きたねえ……)

やはり人のうちの台所に立つものではない。つーかなんで俺は人んちに泊まりに来て自分で晩飯作ってんの。明らかに空腹を満たすには足りないので、あとで仁王を叩き起こしてファミレスなりコンビニなりおごらせようと決意する。仁王は10分ほど寝ると頭がすっきりするらしいから起こせば起きるだろう。そう思った先に仁王が入ってきた。若干寝ぼけているのか、甚平を羽織ってはいるが紐が結べていない。

「あ、ブンちゃんおった。何してんの〜?」
「何じゃねーよ!お前が好きにしろって言ったんだろ!」
「何それ」
「……皿出せ。あと箸」
「おー、何?うわ、ピーマンなんかうちにあった?」
「あったよ!食う?」
「肉は食う。箸な〜」

寝癖をつけたまま仁王は台所をうろついて、あちこちから箸やら皿やらを集めてきた。テーブルに並べてにこにこしているので呆れてしまう。大皿にフライパンの中身を返すと早速箸が伸びてきた。

「ピーマンを食え!」
「嫌じゃ、気持ち悪い」
「食ったら外行こうぜ、ロイホでおごれ」
「遠いやん。これで十分じゃろ」
「足りねーよ」
「あー米ほしい」

箸を口にくわえたまま仁王が立ち上がり、棚を漁って出てくるのはレトルトのパックだ。なんで米あるのにレトルトがあるんだよ、丸井を無視して仁王はそれを温める。

「お前いつもそんなんなわけ?」
「うん。ブンちゃん料理うまい?」
「こんなん炒めるだけだろうが。薄かったら醤油でもかけろ」
「いやオッケー。ブンちゃん嫁に来て」
「嫌。死んでも嫌」
「じゃあ俺が嫁入りするけん」
「こんな役に立たない嫁はいらねえ。ピーマン食え」
「嫌。プラスチックみたいで気持ち悪い」
「お前野菜で何が食えるわけ?」
「……あ、トウモロコシ」
「微妙だな!」
「玉ねぎ。あ、キャベツも好きじゃ」
「偏食……」
「おかんが嫌いやから食ったことない野菜多いんじゃ。俺学校入って初めて人参食った」
「うげえ!お前よく生きてきたな……」
「失礼やな……これでもブンちゃんに会ってから食べてる方ぜよ」
「それで!?だから机に肘つくなって!」
「はいはい。俺生まれたとき未熟児だったんじゃ」
「は?」
「しばらく保育器おったから口から栄養もらわんで、そうすると飯食わんようになるんじゃと。俺ちっさいとき殴られながら無理やり飯食っとった」
「……お、お前、そういうヘビーな話唐突にすんなよ」
「あっいも!いもは食える。肉じゃがは好き」
「煮物なんか作れるかッ」

ふたりで順調に皿をきれいにしながらバカな話を続ける。仁王は満足気だが、この程度で丸井の腹の虫がおさまるはずがない。一応借りたのだから気を使って皿を洗っていると、後ろからぺったりと仁王が貼りついてきた。髪のにおいをかぐように頭にすりついて、嫌な予感がする。

「は……半端に食ったら余計腹減ったな」
「ブン太」
「これのどこでスイッチオンなわけ!?バカッ」

手が泡だらけなので身をよじるだけにするが、そんなことお構いなしで仁王は首の後ろを噛む。冗談じゃない。仁王の部屋ならまだしも、他人の生活スペースでこんなこと。

「ニオ!」
「ちょっと新婚みたい?」
「冗談じゃねえ!バカやめろって!せ、せめて部屋戻ろうぜ」
「ん〜、どうしようかな〜」
「仁王、んッ」

完全に面白がっているのが気配でわかる。キッと仁王を睨みつけ、力一杯足を踏んだ。このまま流せるとでも思っていたのか、油断しきっていたらしい仁王が怯む。濡れた手にも関わらず頭を殴ってやると仁王は唇を尖らせた。

「おかあちゃんの意地悪」
「お前は親にセクハラすんのか」
「部屋ならええんじゃな?」
「……揚げ足取りやがって」

パッと丸井の手を掴んでその手を洗い流し、濡れたままで部屋へ引っ張っていく。お前の3大欲求偏りすぎ、丸井の文句にも仁王は笑うだけだった。さっきまで抱き合っていた布団に再び倒されて、深く口づけながら仁王が服を脱がしていく。仁王の頭を抱くように手を伸ばしてそれに応えようとしたとき、腹の虫が音を上げる。

「……ブンちゃん」
「俺のせいか!?腹減ったっつってんだろ!」
「このままヤってもどうせまた腹鳴るんじゃろ……」
「それは腹の虫に聞いて」
「あ〜もうええわ……わかった、着替えてロイホでもどこでも行こ。おごるから好きなだけ食って」
「マジで!?」

一気にテンションを上げた丸井に溜息を吐く。3大欲求のバランスが悪いのは丸井だって同じだろうと思ってしまう。シャツをかぶって乱れた髪を直してやった。それで顔を上げた丸井は真顔で仁王を見る。首を傾げて返すと丸井も同様に返してきて、思いがけない可愛さに髪をかき乱して誤魔化した。何すんだバカ、太ももを叩かれて一気に可愛さは消える。表情ひとつでずいぶん印象の変わる顔だと思う。怒ったままの顔で丸井の手が仁王の甚平を直した。結んでから変だと思ったのか、解くと内側の紐も結べていなかったので結び直す。

「ブンちゃん?」
「出るの面倒なんだろ。コンビニで我慢してやるからそこまではつき合えよ」
「……ブンちゃんうちのおかあちゃんより優しいわ」
「甚平でロイホ行けるかよ」
「大好き」

額にキスを落とすと一瞬照れて、バカ、と今度は頭を叩かれた。手は早いが本気なわけではないから笑って返す。

「行こうか」
「うん」

手をつなぐと大人しい。面倒だから縁側からそのまま外へ出ると呆れられるがついてきた。コンビニまでは5分ほど、それまで誰にも会わないならこの手は離されないだろう。すぐ指先が冷える仁王と違い丸井の手は暖かいが、今は濡れていたせいか心地良い冷たさだ。

「ポットあったっけ」
「ポットぐらいあるわい」
「何食おうかな〜」
「運動するからほどほどにな」
「……なんか匂いキツいのにしよう」
「やめて……」

 

 

 

070728