好きな女の話を延々聞かされている。つき合っているわけでもないのにノロケだ。びっくりする。それも、捕まったのが俺ひとりだけって理由で。バカやろう。こんな屈辱的な恋をしたのは初めてだ。

「そんでさーもうすっげーうまいのね、料理もうまいんじゃねえのかな〜」
「裁縫と料理は別じゃろ」
「器用なんだからできるって!わざわざ俺のために一緒に残ってくれたってもう脈アリじゃね!?どさくさに手とか触っちゃったよ俺」
「ふうん……んで、エプロンできたん?」
「完璧!俺始め休みなのに学校こいって言われたとき死にたくなったけど、佐倉とふたりってわかってめっちゃテンションあがったし」

一瞬でも喜んだ自分を恨む。ありえないとわかっていたはずなのに。喋る合間にポテトを着実に口へと放り込んでいく丸井は精密機器か何かのようだ。

今日は部活も休みだったのに朝から暇で家にいた。ワープでもしたような1日で、明日からまた部活が始まると憂鬱に思っていた午後6時、今すぐ駅前マック集合を告げた新着メールは丸井からのものだった。夕食も兼ねるつもりで出てきたらいたのは丸井ただひとりで、集合ってふたりじゃ使わねえ、思ったのにつっこめなかった。正直嬉しくて、感情を隠すのに精一杯で。
丸井は家庭科の補習があったらしく制服姿。テンションが高くなっているので学校指定セーターの袖をまくりあげていた。

「仁王先輩的にはどう?もうこれ俺から告っちゃってオッケー?」
「なんで先輩?」
「またまた、3年の女子とつきあってんだろ?」
「……違う」
「なんで?いっつも一緒に帰ってんじゃん」
「ついてくるだけじゃ、うっとうしい。頭の悪い話ばっかしとる」
「えー、お前それはひでぇよ、その気がないなら期待させるのやめろって」
「……」

自分が膨れっ面をしている自覚はある。それは前の席で相変わらずポテトを食べ続ける丸井の機嫌を少し損ねたらしく、嫌そうな表情にざまあみろと胸中で笑った。ポテトを摘んでやると更に顔をしかめる。

「俺やって、別につきあってもええかと思っとったからほっといたんじゃ」
「じゃあつき合えばいいだろぃ、何がだめなんだよ。可愛いじゃん」
「俺があきらめようとするたびに、その気もないのにちょっかい出してくるアホがおるんじゃあ」
「へ?何それ」
「どうせ俺は一生片思いじゃ」

泣きそうになって顔を伏せる。目を閉じて気持ちを落ち着かせ、丸井を見ると手からポテトを落として仁王を見ていた。目を丸くしたその表情。その片思いの相手が自分だと知ったら、どんな顔になるのだろう。嫌悪の表情しか想像できない。

「片思い!?仁王が!?」
「俺だって人の子じゃけん片思いぐらいするぜよ」
「うっそ!マジで!?お前が迫ったら落ちるだろ?」
「落とす気ないんじゃ、ほっとけ」
「何でだよ、あ、彼氏持ち?お前なら奪えるって」
「違わい」
「えー?あ、先生?人妻?」
「……丸井の中で、俺ってどんなんか聞くの怖いわ」

笑ったつもりだったのに丸井は変な顔をした。笑えなかったのだろう。悔しい。こんな小さなことなのに、こんなにも乱される自分が許せない。どうして言ってしまったのだろう。余計なことを喋った。

「……お前、そんな顔するんだな」
「どんな顔しとる?」
「鏡見ろ」
「見んでもわかるわ」

情けない顔を何度も見た。自分の顔を見ると我に返る。どうする気もないのだからさっさと彼女なり作ってしまえばいいのに、女々しい自分を何度笑ったことか。

「……丸井先輩、俺どうしたらいいんかなあ」
「仁王、」
「俺丸井が好きじゃ」
「え?」
「帰る」

逃げるように店を飛び出した。信じられないことを口にした。全速力で闇雲に走り続ける。どこへ向かっているのかわからないがとにかく走り、無意識にたどり着いたのは学校の前だった。吐き気がする。手が震えている。どうして逃げてしまったんだろう。適当に誤魔化せばよかったのに。
完全に狂わされている。明日でも誤魔化せるだろうか?何でもない顔で挨拶をして、マジになってんじゃねーよって笑って?……そもそも丸井はどう取ったのだろう。それがわからなければどうしようもない。今は何時頃なのかと携帯を探したがポケットにない。心底自分に嫌気が差した。どうして机の上に置いたのだろう。

(死にたい……)

 

 

*

 

 

「におーいる?」
「仁王くん今日来てないよ」
「フーン……」

ポケットの中の仁王の携帯を持て余す。昨日取り残されて呆然としていたら唐突に携帯が鳴り出し、放って置いたがしばらく鳴り続けていた。それが終わってから電源を切ってしまったがよかっただろうか。朝練にも来ていなかったから、どうしたらいいのか持て余す。朝来ないことは仁王にはよくあることだが、今日は学校自体来ていないようだ。――そうされると、昨日のあれをどうしたらいいのかわからない。そんな態度を取られては、まるで本当みたいじゃないか。「好き」だなんて。仁王のことだからからかっているのだろうが、この携帯だけは返したい。芸の細かいことをするやつだと呆れてしまう。 昨日の着信は女の名前だった。
元々仁王とは仲がいいわけではない。昨日はあの時間から呼び出して捕まったのが仁王しかいなかったのでノリでつい呼んでしまったが、途中で帰られると思っていた。確かに帰られはしたが、意味がわからないままだ。ぷくっとガムを膨らませて教室を離れる。仁王とは部活だけのつき合いだから親しい友達なんかもわからない。部室にでも置いておこうかとめ思ったが貴重品なのでためらうところだ。

(うっぜーな……何なんだあいつ)

呼び出した自分のことは棚に上げて、丸井はしかめっ面で廊下を歩く。すれ違った柳が呆れた顔をしたのを見逃さずに引き留める。

「どうした?」
「あ?……あ、お前仁王んちの近くだっけ、これ返しといて」
「何が……携帯?」
「昨日、あー……一緒に飯食ってたら、忘れてったから」
「そうか、わかった。……捕まるかはわからんが」
「あ?」
「帰ってないらしいからな。よくあることだが部活にも出ないのは珍しい」
「……そうなのか?」
「何か?」
「いや……何でもねえよ。じゃあシクヨロ!」

とりあえず厄介なものは手放した。なのにこの落ち着かなさはなんだろう。こういうはっきりしないことは嫌いだ。

「ブン太ー、サッカーやんねー?」
「おー、行く行く!」

クラスメイトと一緒に校舎を飛び出す。仁王が何を考えているのかわからないのは今に始まったことではないのだ。どうせ大したことじゃない。横目で柳が女子に引き留められているのを見た。最近仁王と一緒に帰っているあの先輩だ。名前を知らないのでわからないが、もしかしたら昨日の着信は彼女なのかもしれない。罪作りな男だよなあ、仁王の噂を振り返って思う。大抵は根も葉もない噂らしいが、その判断ができるものは本人しかいない。

「丸井、ちょっと待て」
「あ?」
「昨日会ってたのは何時頃だ?」
「あー、別れたのは7時ぐらいかな」
「……だそうです」

柳が振り返った先の先輩はキッと丸井を睨んだ。涙ぐんだ瞳にうろたえる。

「仁王くんに何て言ったのよ」
「へ?」
「あんたが仁王くんに言ったんでしょ?」
「な……何を?」
「あんたが何か言ったから、昨日仁王くんがわざわざうちに振りにきたのよ」
「俺は何も……あ、いや……思わせぶりなことしてやるなって言っただけで……」
「……あんたのせいで告白もできなかった」

一瞬殴られるかと思ったが、彼女はきびすを返して去っていく。告白もなにもバレバレだったじゃん、つか俺はつきあってると思ってたんだっつの。色々言いたいことはあるが出てこない。殴られる以上のショックだ。なんで俺が怒られんの?悪いの仁王じゃねーの?理不尽さが渦巻く。

「……まあ大体予想はついた」
「な……なんなんだよあいつ!性格ブース!仁王ふって正解だぜぃ!」
「彼女に会ってからどこか行ったってことだな。どこにいるんだか……」
「……仁王見つけたら教えろ、ぶん殴る!あーっクッソーテンションがた落ち!マジむかつく!」
「ブン太ー、やんねえのかよー」
「行く!」

いらついたままクラスメイトを追っていく。なんで自分がこんな思いをしなくてはならないのか。その苛立ちをボールにぶつけるつもりで校舎を飛び出した。

 

 

*

 

 

「すんませーん、センセー?いねえのかよ」

保健室を覗いたが人気がない。擦りむいた膝を見下ろして中へ入る。テニスでも同じだが、テンションでプレイにむらがでるのをどうにかした方がいいと自分でも思う。とりあえず制服を汚さなかったからよしとしよう。痛みに耐えながら消毒をして適当にガーゼを当てる。そうしているとチャイムが鳴って、教室に戻るのが面倒になった。ちらりとベッドを覗くと誰かが寝ていて焦ったが、布団から覗く頭はあの他にはいない髪の色。ジャッと勢いよくカーテンを開け、ベッドで眠る頭を殴りつける。跳ね起きた仁王がこっちを睨みつけたが、丸井を見た瞬間さっと顔を青くした。そんな表情の変化に丸井は気づかずに、バカやろう!ともう一度仁王の頭を叩く。

「お前のせいで俺までお前の彼女に怒られたじゃねーか!ふざけんな!俺のせいにすんじゃねえよっ」
「彼女じゃないって……あいつ、丸井に何か言ったんか」
「俺のせいで仁王がふりにきたってよ!痴話喧嘩に巻き込むんじゃねえ!」
「……そりゃすまんかった。そこまでアホやと思っとらんかったけん。……怪我したん?」
「誰かのせいでサッカー集中できなくて転んだの!」
「ああ……すまん」
「……仁王?」

ようやく仁王の様子がおかしいことに気づく。普段なら二言三言言い返してくるのに、今日は妙に大人しい。丸井とも目を合わせないし、よく見ると目元が赤い気もする。泣いてんの?小さく問えば、寝不足、と帰ってきた。やっぱりこっちは見ない。

「……仁王?」
「……空気読めない」
「ああ!?喧嘩売ってんのか!?買ってやるよ!高値で売りつけてやる」
「あ〜……調子狂う。嘘も出てこん」
「何だよ」
「昨日言ったこと」
「あ?」
「撤回させて」
「……な、」
「何騒いでるの」

戻ってきた養護員が丸井を睨む。ベッドから引き剥がされて、露骨に睨み返した。

「あいつ絶対さぼりだって!」
「体温や顔色まで操れるなんて大した詐欺師ね、将来有望。ほら授業始まってるでしょ、戻りなさい」
「でも!」
「先生、俺も戻る」

ベッドを降りた仁王が出てきて、養護員は彼の額に手を当てる。仁王の仮病には何度だってひっかかるやつがいるのだから、今だってそうに違いない。顔色悪いわよ、と心配されたが仁王は緩く笑うだけだった。相変わらず丸井を見ない。

「気持ち悪いのはなくなった?」
「次数学じゃけ、何か考えとる方がましじゃ」
「無理しないで、気分悪くなったら戻ってきなさいね」
「はーい」

ありがとーございました。棒読みで告げ、仁王は通学鞄を片手に保健室を出て行く。丸井もすぐに後を追った。

「仁王!」
「なんじゃ」
「さっきの、どういう意味だよ!」
「そのまんま」
「撤回って、そんなの、マジみたいな言い方すんなよな」
「……やから、嘘が出てこんのじゃ」
「……なんだよそれ」

カーディガンを掴んで引き止めると仁王は階段の途中で足を止めた。丸井を振り返る瞳はもういつもと同じ、何を考えているのかわからない。肩から滑り落ちた鞄はポケットに入れた手元で止まる。

「忘れて」
「そんな言い方したら、無理」
「俺も忘れる」

もう忘れた。鞄を肩にかけ直し、仁王は丸井の手を掴んでほどく。ためらいも見せずに階段を上がる後ろ姿は、しかしふらついていた。急に膝の痛みを思い出す。意味がわからない。なぜか追うのがためらわれ、階段の下で立ち尽くす。少なくともズボンにつけたキーチェーンの音が消えるまでそうしていた。 ――昨日、仁王はなんと言っただろう。好き、と、聞こえた。周りに聞いていた人間がいたとしても捕まえることなど不可能であるから、確かめるすべは仁王しか持っていない。

「……ありえねー」

例えば気になる子との会話にテンションが上がったり、髪をかきあげる仕草にどきどきしたり、そういう感情を仁王は自分に抱いているのか。抱きしめたいとかキスしたいとか、そういう衝動をあのポーカーフェイスの下に押し込んでいるのだろうか。

「……キモッ!」

ありえない。絶対ありえない。仁王はただ同じテニス部で、適度にノリのいい友人のひとりだ。つき合うとかキスをするとか以前の問題、告白自体がありえない。あんな態度を取られなければ仁王のいつもの冗談だと思えるのに、……冗談なのだろうか?あの切ない表情も、震える声も?仁王相手だとわからない。表情から感情を悟らせない男だ。

(サイッテー……)

昨日来なかったジャッカルのせいだ。あれが悪い。昨日会ったのが仁王でなければよかったのだ。

(神様!仁王が俺をオカズにしてたりしたら奴を殺して下さい!)

 

 

*

 

 

(死にたい……)

昨日から何度思ったことだろう。ふらつく体を支えきれずに立ち止まる。体温計が見あたらなかったのでわからないが、少し熱があるのかもしれない。くしゃみをしてブレザーの上から腕をさする。

「仁王」
「……お、参謀。ちょうどいい、学校まで連れてって」
「どうした」
「熱っぽい」
「まったく、体調が悪いから学校に行くというのもな。セーターは?」
「行方不明。家よりよっぽどよくしてくれるからのう。高い授業料払っとんじゃ、それぐらいしてもらっていいじゃろ」
「授業とは関係ないだろう」

呆れながら隣を歩く柳を見る。一番家が近いのは柳だ。時間を予想して家を出たがビンゴだったらしい。歩き出してふらついた体を柳で支える。

「ああ、そうだ。丸井から」
「……ああ」

突然出てきた名前にどきりとする。差し出された携帯電話を受け取ってポケットに押し込んだ。会うのが嫌なのだろう。――どうして言ってしまったのだろう。感情を隠すぐらいしか取り柄がないというのに、それもできなくなってしまってはアイデンティティの崩壊だ。

「彼女をふったらしいな」
「んー、悪いことした。勢いで何言ったか覚えてない」
「ひどい男だな」
「だまされたぁい、って子もおるぜよ」
「ひどい話だ」
「面倒やけん俺と参謀つき合ってることにせん?」
「勘弁してくれ」
「冷たいのう……」
「ほら真っ直ぐ歩け」
「わー車道側。惚れそう」

ふらつく仁王の外側に回った柳に拍手をする。怪我でもされたら目覚めが悪いからな、柳の言葉に笑う。後ろから自転車のベルが聞こえて、おはようございまーっす、とひとりなのに賑やかな声が通り過ぎようとするのを柳が引き止めた。

「赤也ちょうどいい、こいつを乗せていってくれ」
「えーっ、なんでですかあ」
「体調が悪いんだ」
「えー、赤也のチャリなんか乗ったら酔うわ」
「俺そんなに荒くないっすよ!」
「仁王に借りを作るチャンスだぞ」
「仁王先輩どうぞ!」
「わー、ないない。かと言ってチャリ奪ってこぐ気力もない」

どっこいしょと大人しく荷台にまたがった。借りを作ったつもりはないが感謝する。弦一郎には見つかるなよ、柳のありがたいお言葉を受けて切原の自転車は出発した。

「重ッ……落ちないで下さいよ〜!」
「赤也くんに捕まってても、いいかなあ?」
「キモいんで勘弁して下さい」
「俺もごめんじゃ。おー、楽ちん。今度牛丼おごっちゃる」
「安ッ!それ安くねーっすか!?丸井先輩ほど食わねーっすからもうちょっとレベルあげて下さいよ〜」
「……何じゃ、デートコースがお望みか?ほんなら水族館から喫茶店、夜景に案内してレストランまで全部奢りでエスコートしちゃる。ふたりっきりで、もちろんラブホもつけるぜ」
「牛丼で!」

必死な声に笑う。――丸井の名前が出た一瞬、落ちそうになった。忘れようと決めたのに。
学校手前の心臓破りの坂を前に、流石に切原は自転車を止めた。仁王先輩とカントリーロードは絶対嫌です、素直なセリフに仁王も頷く。自転車を押す切原の肩に体重をかけて歩くと文句は言うが振り払いはしない。何だかんだで優しい後輩だ。

「そんなんじゃ先輩今日も部活休みっすね」
「無理やなあ〜」
「うかうかしてると下からいっぱいきますよ」
「ま、赤也には抜かれたしな、今更」
「向上心がないっすよ〜」
「テニスは上がおるから楽しいんじゃろ」
「……ごもっとも。さっすが仁王先輩」

性格悪そうな顔で笑うな、としみじみ思う。自分が言えることではないだろうという自覚はあるが、思わざるを得ない。切原と話しているとテニスがしたくなる。
体の重さにうんざりしながら校門までたどり着き、保健室まで送ると言う赤也について駐輪場へ向かった。朝練ないのに早く起きちゃったから余裕なんすよね、と笑う切原も大概テニスバカだと思う。彼が立海テニス部にいるおかげで随分と士気が違うのだろう。1年のくせにあの三強を倒してやるなどと本人を前に言ってのけるやつがいるのだ、そこだけ見るといずれは部長候補と考えて間違いない。

「あ、ジャッカル先輩。あのふたりって常にペアっすね」
「……できてるんじゃろ」
「うわっキモッ!」

切原が笑い飛ばすが笑い事ではない。昇降口、叩きたくなるスキンヘッドの隣にはかき乱したくなる丸い頭。切原の声で二人が気づき、丸井がわずかに目を細めるのがわかった。呼吸を整える。

「おはようさん」
「叩くな」
「俺も!」

ジャッカルの頭を叩くと切原が続く。ぺちぺちと繰り返し叩くのを呆れて見ている辺り、本当にお人好しだと思う。これぐらい寛容でなくては丸井とつき合っていられないのだろう。

「……丸井もおはよう。あ、携帯もらった、ありがとう」
「あ、そ」

本当に何もなかったことにするつもりか――丸井の視線が語っているが気づかないふりをする。今脈でも計られたら心の内がばれそうだが、表情だけは作る。自分がどんな顔をしているのかぐらいわかるつもりだ。赤也が自分の体調のことを言い出さないといいのだが。

「なあ仁王、今日小テストあるよなあ?英語」
「ないって!信じろよ!」
「今日水曜か。あるじゃろ、そういやおっさんやっぱりやるって言っとった」
「ほらー!なあ!?」
「知らねーよ!俺持ってきてねーし!死んだ!」
「言ってねーで教室戻ろうぜ、見せてやるから。じゃあな」
「朝からお疲れ」

なぜかどつかれているジャッカルを笑ってふたりを見送る。階段でできた差をうめるために飛び跳ねている丸井に切原が本気で笑っていた。

「仁王先輩はいいんすか?小テスト」
「今まで落としとらんからいけるじゃろ。俺もテキスト忘れたしの」

歩きだすとさっそくよろけて、切原が慌てて腕を取る。いい子いい子と頭を撫でてやるて怒られた。

「ふらふらじゃないっすか。ちゃんと食ってます?」
「やけん食いにいこ」
「もー。あんたレギュラー何すから」

ポケットから出した飴を幾つか押しつけられて思わず吹き出す。生意気だと思えば可愛いことをするやつだ。当の切原は何がおかしかったのかわからないらしく、バカにされたと思ったのか不機嫌になる。

「いやいや、ありがと。赤也は優しいな」
「魔法の飴なんすからねー、大事に食べて下さいよ」
「魔法?」
「丸井先輩が大人しくなる」
「……なるほど」

3年が引退し、今は1年ながらレギュラー確実と言われている切原は部活の中だと同学年より丸井たちの方が仲がいい。仁王なんかよりよっぽど親しい関係だろう。俺も餌づけしたら落とせたかな、終わったことを考えてみるが虚しいだけだ。
保健室についてからもしばらく時間があるからと、保健医も交えて仁王のバッシングが始まった。話題は主に食事のことで、しまいには保健医が自分の昼食を出しかけたほどだ。

「大体あんたは不養生なんすよ。今日だって寒いのにセーターなしで」
「前にどっか消えたんじゃ」
「あー、指定のやつ。あれ絶対盗られたんだって」
「何の話?」
「あのね、前に体育のときに仁王先輩のセーターなくなったんすよ。教室から盗られたの仁王先輩のセーターだけ!絶対ファンの仕業っすよね」
「あらやだ、仁王くんモテるの?」
「モテるんすよ」
「ふうん……それで私物着てたのね。あのカーディガンはどうしたの?昨日まで着てたじゃない」
「……着れんくなったから捨てた」
「えー、もったいねー。俺来年もらおうかと思ってたのに」
「指定を着なさい指定を」
「めっちゃいい色だったのになー」
「まあな……」

――昨日階段で引き留められたとき、うっかり丸井が可愛かったからなんて言えるわけがない。カーディガンを 見るたびに後悔やら衝動やらが押し寄せてきて、とてもじゃないが使えなかった。しかし捨てれるわけでもなく押し入れに投げ込んである。

(女々しい……)
「そろそろ始まるわよ」
「あ、はーい。じゃあ仁王先輩、元気になったら牛丼!」
「うぃー」

ひらひらと手を振って切原を見送る。奢りは感心しないなあ、保健医が苦笑した。ベッドの準備をしてもらい、ブレザーを脱ぎ捨てて潜り込む。

「薬は……って、食べてないのか。ヨーグルト食べる?」
「食べさせて」
「じゃあ寝なさい」
「――なあ先生、恋って面倒じゃな」
「まあ生意気。そういうときは泣きなさい」
「難しい……」
「じゃあ寝ることね」
「赤也に添い寝してもらえばよかった」
「後輩さぼらせないの」

額に冷却シートが貼られて息を吐く。思っているよりは熱が高いのか気持ちがいい。目を閉じて深く呼吸を繰り返す。頭を撫でられて目を開けた。

「誰かあなたを支えてくれる人がいるといいわね」
「……先生みたいな人を聖人って言うんじゃな」
「あら、そうでもないわ。仕事だからね」

仁王をからかって彼女はベッドを離れていく。ここは居心地がいい。保健医というのは案外暇らしく、誰もいないときはお茶など出して話し相手をしてくれる。この賑やかな学校の中でひとりきりの時間があるのは彼女だけではないだろうか。

(先生に惚れた方がましだった……)

 

 

*

 

 

「起きやがれ!」

乱暴に叩き起こされてばちっと目を開ける。しびれる頬を押さえながら見た視線の先、泣き腫らした目をしているのは丸井だ。何が起きたのかわからない仁王をまっすぐ睨みつけて、仁王が体を起こすとどかりとそばの椅子に座る。

「ま……丸井?」
「お前なあ、忘れろっつって忘れられるわけねーだろ!」
「あ、はい。すいません」
「お前のせいで告ってきちゃっただろーが!ふられたし!」
「あ、すいません……え?」
「すっぱりふりやがって、しかも何て言ったと思う!?丸井くん軽そうだからって!軽くねーよ!超真面目じゃん!レギュラーじゃん!一生懸命じゃん!?」
「……うん」
「……お前もバカ!」

なぜか罵られた。困惑する仁王を無視するようにベッドに伏せた丸井の頭を、少し迷ってから撫でる。反応はない。冬場だというのに汗ばんでいる。

「……お前って、俺のどこが好きなの」
「……そうやって、感情を抑えないところ。俺にはできん」
「男だぜぃ」
「知ってる」

丸井が顔を上げる。思わず両手をあげて無罪を主張した。相変わらず鋭い目が、しかし涙で潤んで迫力はない。

「ものっっっすごく大事にしてくれるなら、俺が他に好きな奴できるまでつき合ってやってもいいぜぃ」
「……え?」
「それまでに俺を惚れさせてみろよ。そしたらお前のもんになってやる」
「……丸井、ヤケじゃろ」
「……佐倉、なんつったと思う?よりにもよって仁王くんが好き、だって!どう考えてもお前の方が俺より軽く見えるだろうが!あの女頭悪いんじゃねえの!?」

さっきから丸井の声はでかいが誰もいないのだろうか。興奮した様子で容赦なくベッドを叩いてくる。

「……まあ、佐倉は前の彼女と半年続いたの知っとるけん、そういう意味じゃろ」
「……お前彼女いたっけ?」
「もう1年前じゃ」
「……俺最長2ヵ月」
「有名な喧嘩別れのおまけつきで」
「なんだよそれーッ!あっちが悪いんだし!軽くねーよ!俺はテニスと恋愛は真面目にすんだよ!」
「しとるなあ」
「ありえない。絶対ありえない。腹立つ!いいか、これは復讐だ。お前俺とつきあえよ、俺とつき合ってりゃ佐倉とはつき合わねえだろ」
「逆恨み……」
「あん!?」
「……もうちょっと落ち着いてからまたきんしゃい。喜んでいいのかわからん」
「喜べよ」
「俺とキスできるか?」
「……あー……」

しっかり正面から見て言うと少しは冷静になったらしい。そのうち仁王から視線を外してうつむいた。コート上での丸井とはまるで違う。あんなに頼りがいのある彼が泣いたり怒ったり、幼い子どものようだ。

「俺はそれでも嬉しいよ、大事にはできんけど」
「……例えば」
「俺も健康な男子ですから」
「風邪っぴき……」
「……俺が弱ってて感謝せい丸井、ただのサボりだったらそんなこと言うお前なんかベッドに引きずり込んで黙らせてる」
「……」
「甘えるな。俺やって、真面目に恋愛しとるんじゃ」
「……何で俺なんか好きになるんだよ。もったいねー」
「さあな。神様にでも、聞いて」
「……俺神様にお前を殺してくれって頼んだぜぃ」
「あー、それで死にそうなんか」
「食わねーせいだろ。……つーかっ、忘れろとか言うなら始めから言うなよ!もう男に告られたとか一生忘れらんねえ、超めんどくせーし!お前俺がどんだけ悩んだかわかってんの!?」
「はいはい……あ、」

ふと思い出してポケットを探る。切原にもらった飴が出てきて、それを丸井に渡すとほとんど無意識のように口に入れた。確かに魔法の飴だ。わずかながら声は大人しくなる。

「そもそもお前ホモなの?それとも俺が女みたいって思ってるわけ?」
「こんな男らしいのに」
「だろ?じゃあホモなの?あ、でも彼女いたのか」
「俺だってわからん。男を好きになるとは思わんかった」
「でも、俺なの」
「そう」
「それほんとに俺なの、ジャッカルとかじゃなくて?」
「じゃなくて、丸井ブン太」

飴をかみ砕く音がする。当たって砕けろとはきっとこんな軽い音がするに違いない。質問が尽きたらしくようやく口を閉じたはいいが、じっと無言で見つめられるのも困る。飴の甘い匂いが気になった。こいつほんとに引きずり込んでやろうか、体は朝よりは軽い。

「お前、そんなとこにほくろあったっけ」
「……昔から」
「ふーん」

そんなところを見ていたのか。もしかして髪型を変えたりしたら気づいてもらえないのではないだろうか。若干不安が拭えない。まじまじと仁王を見つめる丸井に居心地が悪くなるが、逃げたくはなかった。今がチャンスであることはわかっている。飴をもうひとつ渡してみるが、今度は受け取っただけだ。くしゅんと一度くしゃみをしたので、どこかに仁王のブレザーがあると教えると素直に取りに行く。自分の分はどうしたのか知らないが、大方告白する前に脱いで腕まくりでもして行ったのだろう。妙なところで男らしい。

「そういや、お前は寒くねえの」
「そんなに」
「つかカーディガンは?あれ色きれいだったじゃん、似合ってた」
「……丸井、どうしたん?」
「黙ってろよ。好きになろうとしてんだから」

一瞬で体が硬直した。はっきりものを喋る丸井の声は聞き取りやすすぎて、それでも耳を疑う。

「すぐは無理だけどきっとそのうち好きになるよ、お前が嘘吐いてるようには見えないからさ。俺お前がどんな風に恋愛するのか気になる。お前が俺のせいで困るのちょっと見てえし」
「……」
「でも多分、キスするとか気持ち悪いけど」
「え〜……はあ、……嫌われんかったら、それでいいわ」
「あ、ちょっとそれ可愛い」

まあ元気出せよ。誰のせいかわかっているのだろうか、頭を軽く叩かれるので俺はジャッカルじゃないと言ってやる。お気に召したのか、無防備な笑顔を向けた丸井は正直言って可愛い。調子に乗ってやがる。

「あっ!」
「今度は何じゃ?」
「今お前とつき合ったらクリスマス一緒じゃん!なしなし、ありえない。やっぱりなしだな」
「……何それひっどい!傷ついた!」

真顔で言ってのける丸井に戦慄する。俺様もここまでくると相手にならない。人の恋心を踏みにじって!泣きそうなのを誤魔化しながら布団を被って背を向けた。キモい、と声が追いかけてきた気がするが聞こえなかったことにする。いくら何でもひどい。布団の中でふてくされて嘆きながら、反省と後悔を繰り返す。こんなはずじゃなかった。死ぬまで隠しておくつもりだった。きっとそのためにペテン師とあだ名されてきたのだと思っていたのに。

丸井が大人しいのに気づいたとき、がばっと布団がはがされる。何事かと振り返りかけた頭を押さえつけられ、首の痛みに呻く間に背中のスペースに丸井が無理やり潜り込んできた。ぎょっとするどころの騒ぎではない。

「丸井!」
「他のベッド冷てえんだよ」
「お前人の話聞いてるか!?」
「俺の言うこと聞いてろよ、好きになるかもしんねえだろ」
「……脅しじゃ」

卑怯だ。だって手に入るならば自分のものにしたい。狭いベッドにふたりで並び、落ちそうなのか丸井の手は背中を掴んでいる。勘弁してほしい。

「丸井」
「俺だってなあ、そりゃ佐倉は胸でかいし可愛いし始めは見た目しか見てなかったよ。でもちゃんと好きだったんだぜぃ」
「……知ってる」
「俺だって傷ついてんだ。お前の傷なんか知るかよ」

額を押しつけられた背中が熱い。意識しなければ呼吸を忘れそうだ。ベッドから落とすことは簡単なのに、できるわけがない。自分が出たいところだが掴まれていてそうもいかなかった。心臓が痛い。

(殺す気だ)

 

 

*

 

 

「すまんのー帰りまで」
「いっちばん高いメニューにします」
「おう。じゃあな」
「明日はゆっくり休んで下さいよ。じゃあまたー」

手を振って切原は自転車を飛ばして帰っていく。気づいたら眠っていた丸井を置いて帰ってきたので少し怖いが、これぐらいは許されるだろう。我慢しただけ誉めてほしい。

「ただいまー」
「雅治っ!」
「うっお」

帰るなり父親が飛びついてくる。勢いでよろけた仁王を盾に、父親は小さくなる。顔を上げると母親が立っている。笑顔だがこれは怒りの表情だ。

「雅治くん、それちょうだい」
「……何したん?」
「携帯見せろって言ってるだけ」
「おっさん……」

仁王の後ろで怯える父親を見て確信する。遺伝子だ。この不毛な恋愛は絶対遺伝子のせいに違いない。

「……親父が悪い」
「あっ雅治の裏切り者!」

憎しみを込めて父親を引き渡す。母親が頭を撫でて、一応誉められたらしい。 ――どうしよう。熱い体を持て余し、とにかく寝るために部屋へ向かう。

(丸井が俺のことを好きになったら、死んでしまう)

 

 

 

070807