「焼けたのう」
「んー」

パワーリストを外した手首を見ながらぼんやり答える。年中つけているから日焼け跡が消えることはないのだが、夏はやはりその境がくっきりする。それは部員全員に言えることで、目立たないのはジャッカルぐらいだ。日常では入浴するときと寝るときぐらいしか外さないから問題はない。真田などは寝るときもつけていそうだ。あとは仁王に外されたとき、ぐらいだろう。丸井は気にしないが腕が重いと外される。

日焼け跡をなぞるように仁王の指が手首に回る。長い指だ。今日の屋上には誰もいないのでふたりとも油断しきっている。影に隠れてふたりで貼りつくように寄り添って、おまけにこうして手を取ったり気まぐれにキスをしたりしていては人が見れば関係は一発でわかるだろう。

「……つーか、なんで勝手に盛り上がってんの?」
「いやー、なんかブンちゃんとのんびりするの久しぶりじゃろ」
「しばらく大会大会って言ってたしな〜……」

王者立海が、関東大会で負けた。ダブルスで出場した丸井も仁王も勝ったのだがシングルスが全滅、丸井が入部してからレギュラーがそんな無様な試合をしたのを見たことがない。それぞれ思うところはあるようだが、丸井は疑いようもなく勝つものだと思っていた何も知らない奴らにバカにされるのだけは我慢できなかった。ついさっきも危うく喧嘩をしかけ、そこを仁王にさらわれてきたのだ。仁王が来なければ殴っていたかもしれない。

「……ブンちゃんがそんなに怒るんやったら、俺も負けたかったぜよ」
「バカか!情けないこと言ってんじゃねえよ!」
「だってブンちゃんずっと怒っとる。仁王くんの勝利をほめてくれてもいいじゃろ」
「あのなあ……まあお前にしてはよく勝ったけど。力はあるくせにお前やる気ないんだよな」
「あの試合は柳生のお披露目があったからのー」
「決勝でやったってことは全国じゃやんねーの?」
「どっちでしょう」

秘密、のジェスチャーに笑い返しながらも肩を叩く。柳生と仁王の入れ替わり。作戦を聞いたときはありえねえと笑ったが、実際試合で使ってみると効果はあった。初めに見破ったのは柳で、柳生のレーザービームの威力がない、と問いつめれば正体は仁王だったらしい。それ以降仁王は柳に徹底して柳生になるためのメニューを与えられていたから、柳生に演技指導をしたのも、もしかしたら柳かもしれない。

「……お前ほんとに仁王?」
「試してみるか?」

ぐいと手首を引いて丸井を引き寄せ、様子を伺うように掴んだ手首に唇を当てる。その挑戦的な瞳にぞくっと背筋が震えた。どうしてこんな男を好きになったのかわからない。いい加減で不真面目で、要領よく何でもそつなくこなしてしまうくせに妙に子どもっぽいところを垣間見せる。それがどこまで計算なのか、丸井には全くわからない。

「ブンちゃん次何?」
「音楽」
「行きたい?」
「行きたくない」
「俺といたい?」
「それはどうでもいい」

仁王の顔は笑っていた。いつまでも見上げてくるだけでまどろっこしい。自由な手でぶら下がっているだけのネクタイを引き、無理やりキスをする。すぐに舌が絡んできて、手首が離されないのをくすぐったく思いながら貪るようにそれに応えた。仁王のキスは気持ちいい。

(他の人知ってる訳じゃねーけど)
「ブン太」
「……すき」
「俺も」

膝の上に乗りあがって、仁王のネクタイを緩めながら再び唇を合わせる。こっちへ伸びてきた仁王の手を振り払うと不満げに押し返された。口開けろ、丸井の言葉の返事はお口にチャック、のジェスチャーだ。

「仁王」
「キスだけなんて都合の良いこと言わんよな?」
「どうだか」

ネクタイを外してしまい、露わにした首に唇を寄せる。汗ばんだ肌をなめて鎖骨に思い切り強く噛みついた。ちらりと見上げた仁王は眉を寄せて緩く丸井を押し返し、しばらく視線を合わせてから手を伸ばしてくる。赤い髪の間に指をくぐらせ、不適に笑う唇を奪った。熱い舌に応えるように抱き返す。

仁王のキスが好きだ。キスのときに頭を抱く手が好きだ。好きなものがどんどん増えていく。小2の頃出会ったテニスは一生ものになること間違いなしで、物心ついた頃から身近にあった甘いお菓子もきっと一生手放さない。この先もし、考えたくないことだけれど仮定として、仁王と呪い殺したくなるようなひどい別れ方をしたとしてもこのときの気持ちはなくならないだろうと強く思った。取られたおもちゃを取り返そうとするように仁王の舌を追う。熱くて柔らかい、別の生き物のような。キスに集中しかけると仁王の手が伸びてきてシャツの下を滑り、それを突き放して振り払う。

「んっ、触んな」
「……ブン太」
「キスがいい」
「なんで。痛くせんよ」
「セックスすると気持ちよすぎて頭おかしくなる」
「何かご不満が?」
「お前が誰だかわかんなくなる」
「……ほう」
「つーか、仁王じゃなくても多分気持ちいいから別に」
「ちょっ……ヒドッ!何それ!?」
「新しい愛の形」
「それはひどい。仁王くんにメリットがない」
「なんで」
「ブン太がエロいから大変なことになっちゅう」
「頑張れ。……あっ!音楽テストだ!」
「はあっ!?」
「やっべ、じゃあな!」

仁王のネクタイを投げ捨てて、空の弁当箱とパワーリストを掴んで丸井が屋上から飛び出した。一瞬のできごとに、仁王はさっきまで恋人がいたはずの空を見たまま硬直している。

「……ないわ〜……」

わざとやっているとしか思えない。その場に崩れて仁王はネクタイを握り締める。ひどい仕打ちだ、あれだけ盛り上げておいてまさかの逃走。あの食欲をもう少しこっちへ向けてくれればいいのに。 好きになったのは正にそういうところであるのだから、もしかしたら自分はマゾなのかもしれない。バカやろうと罵倒されるのを期待してからかってしまうのもそのせいなのか。
冷たいコンクリートに寝そべって空を見上げると見事な晴天、テニス日和。ひとりでサボっていても時間の無駄だ。屋上を出て、ネクタイを結び直しながら教室へ向かう。締まりすぎてしまったネクタイを緩めながら考えるのは、ささやかな復讐計画。

 

 

*

 

 

「ちーっす!」

丸井が部室に入ると大抵の部員は揃っていた。さっさと着替えろよと呼び出されて遅れたことを知っているジャッカルにからかわれる。話をしながら着替えていると誰かの肘が当たり、すみません、と謝ったのは柳生だ。シャツを脱いだまま大丈夫ですか、と聞いてくるのを思わず見つめる。

「あれ……お前」
「そういや仁王先輩来ないんすか?」
「学校には来てただろ?」
「ジャッカル何言ってんの?仁王いるじゃん」
「は?そっちは柳生だろ」

丸井のセリフに被せてジャッカルが笑う。なぁに言ってんすか、切原もジャッカル側だ。丸井が言い返そうとしたときに仁王が部室に入ってきた。切原が挨拶するのにピヨッと返している。

「心外ですね。私はもう2度とあんな試合をするつもりはありませんよ。私のどこが仁王くんに見えると言うのです」
「どこって、……あれ?」

自分はどこを見てこの柳生を仁王だと判断したのだろう。目の前の柳生と着替え始めた仁王を見比べる。全くいつもと同じであるのに、それでも柳生が仁王に見える。見られているのが居心地が悪かったのか、柳生は手早く着替えていった。

「先に行ってますよ」

時間を見れば真田副部長がいらいらし始める頃だ。支度のできているものは部室を出て行き、残ったのは丸井と仁王だけになる。納得がいかずふてくされている丸井より仁王の方が早く着替えを終えた。お先、と出ていこうとしたのを捕まえて、しかめっ面で仁王を見る。

「どうしたん?」
「口閉じろ」

伸び上がって一瞬だけの軽いキスをする。離れて見た仁王は目を丸くしていて、それを観察するがデータがないのでよくわからない。

「……まあいっか。柳生が大人しくキスさせるわけねーもんな」
「……」
「……仁王?」

身動きを取らない仁王をのぞき込むと、宙を見つめたまま赤くなったり青くなったりしている。はっと思い当たり胸ぐらを掴んでユニフォームを引っ張った。

「……やっぱりテメー柳生か!」

着替えの途中だったが構わずに部室を飛び出して、1年を手伝ってボールの準備をしている柳生、の姿をした男を捕まえる。まだ言ってんのかよ、ジャッカルが呆れた表情をしたが気にしない。柳生の胸元を引いて鎖骨を指さす。

「やっぱテメー仁王じゃねえか!」
「何?……歯形ァ?」

後ろから覗いたジャッカルが気の抜けた声を出す。柳生、もとい仁王がぎょっとして丸井を見た。

「俺を騙そうとはいい度胸だな!ふざけんなよ!」
「ま、待った、ブンちゃんブレイク!」
「うるせーっ!歯ァ食いしばれ!」
「ちょっ、ブン太!落ち着け!」
「邪魔すんなハゲ!」

ジャッカルが丸井を押さえた間に仁王は少し距離を置く。外した眼鏡を胸元にかけて、歯形を見ようとするが見れるものではない。

「なんだよ歯形って」
「俺が噛んだんだよ」
「お前なあ……仁王は食えねえよ」
「こんな不味そうなもん誰が食うか!」
「どうしたの?」

幸村が寄ってきたが丸井はそれどころではない。一直線に仁王を睨む。話を聞ける様子ではなさそうなので仁王が簡単に説明し、幸村は仁王の襟を引く。

「……歯形っていうか、キスマークだね」
「えっ」

丸井がぴたりと動きを止めた。どういうこと?幸村がふたりを見比べて、ジャッカルが手を離すと丸井がずるずるとしゃがみこむ。頭を抱えた隙間から見える耳は真っ赤だ。溜息を吐いて仁王は髪をかき乱す。

「どういうことだ?」
「……お宅ののブン太くんとおつき合いをさせていただいておりいます」
「あーーーーッ!」

耳を押さえて丸井が叫ぶ。今までずっと隠し通してきたのに、どうして今更こんなうっかりをやらかすのだろう。やばいマジ死にたい。知っていたのはジャッカルと柳生だけで、他のメンバーには仲がいい程度にしか考えられていなかった自信はある。柳ぐらいは気づいていたかもしれない。しかし、それにしてはあまりにもお粗末な結果だ。涙さえにじんでくる。

「……清く正しくなさそうな顔をしてるなあ」

幸村の言葉が最悪だと思ったのは初めてだ。とりあえず、とジャッカルに手を貸され、部室までみんなで戻る。まだ柳生がうろたえていて、仁王が不審そうにそれを見た。

「柳生、ばれたからもういいぜよ。眼鏡も返す」
「ああ、はい……」
「柳生?」
「……あ、ごめん柳生」

丸井が顔を出すと柳生が身構える。ブンちゃんいじめたん?仁王の視線に少し困った。柳生は口にしそうにないので、仕方なく顔を逸らして小さくつぶやく。

「なんて?」
「……だから、キスしちゃった」
「……ブンちゃん?」
「だ、だって柳生なら避けると思ったんだよ……」
「……どっち怒ったらええんかわからん」
「柳生はふたりのこと知ってたの?」
「は……はい、仁王くんが覚えておけと」
「お前ばれたって言わなかったか?自分でゆってんじゃん!」
「ジャッカルは?」
「俺は見ちまっただけだ。こいつら今まで隠せてたのが不思議なぐらいあちこちでいちゃついてるぜ」
「ふうん……気づかなかったな。ブン太が仁王のこと好きなのは気づいてたけど」
「えっ」
「だってわかりやすいよ。一緒にいるところ増えたしね。……ちょっと話したら出るから、ふたりは先に部活行ってて」

ジャッカルと柳生を追い出して、幸村はふたりを見る。流石の仁王もばつが悪そうに視線を泳がし、丸井は真っ赤になってしゃがみ込んでいる。

「……別にね、幸せならいいんだ。今日みたいに部活に持ち込まなければ」
「すんません……」
「仁王のせいだ……」
「ブンちゃんのせいじゃろ、いたいけな仁王くんを弄んでからに」
「誰がいたいけなんだよ!」
「ブン太、なんで女子のマネージャーがいないかは知ってるよね」
「……知ってる」
「こうなっちゃ意味ないよね。ねえ仁王?」
「……こないだ勝ったんは俺らのダブルスだけじゃろ」
「なるほど、その通りだ。ブン太、部活出るならちゃんと着替えて」
「う、うん」

ロッカーへ向かう丸井を見ながら、幸村は指で仁王を呼んだ。 近くに寄ると真剣な顔を向けられる。幸村は丸井をペットのように可愛がっていたから、ある意味で一番知られたくない人だった。隠し通せると思っていたわけではないが、こんな形になるとは。丸井とつき合っていると飽きることがない。

「いつからつき合ってるの?」
「冬からです。初デートは初詣でした」
「全然気づかなかった……」
「始めは俺の片思いでしたので、丸井くんをごまかしながらつき合っていたものですから」
「騙してないだろうね」
「それは幸村様に誓ってありません」
「清く正しいつき合いではないんだ」
「手順は違えておりません」
「……そうか。まあいいや、安泰なら」

落ち着かない丸井が様子をうかがっているのに気づき、幸村はそっちに笑いかける。仁王はしっしっとあしらわれてしまったのでラケットを肩に部室を出て行った。息を吐いて幸村を見る。

「……幸村くん」
「何?」
「俺、気持ち悪い?」
「なんで?」
「……だって俺、始めは仁王も気持ち悪かった。ホモとか、授業でやったりもするけど普通にキモいとか思ってたし」
「俺、親戚にいるんだよね、そういう人」
「……そうなんだ、……俺、ほんとはジャッカルも柳生も気持ち悪いと思ってんじゃないかって、思うんだけど、でも仁王が好きなんだよ。あるじゃん、好きだって言われたら意識しちゃって好きになるの」
「うん」
「でも仁王もそのうち俺のこと気持ち悪くなるんじゃねえかなって思うんだけど、なんか……俺ばっかりすげー好きになってってる」
「……うん」
「……気持ち悪くない?」
「気持ち悪くないよ。可愛い」

頭を撫でてやると照れたように笑って幸村を見た。不安げに喋っているよりはそっちの方がずっといい。幸村がいつもと変わらないからか丸井も安心したようだ。

「……仁王にはそういうこと言わないでしょ」
「い、言えねーよ!」
「それもそうか。よし、練習行こう。真田に怒られちゃう」

先行ってて、丸井を追い出して幸村はひとり部室に残る。指先を見ると震えていた。ドアの音に振り返ると、仁王が静かに入ってくる。

「……恨むよ」
「や、勘弁して」
「ずるいなあ……俺も、好きなのに。好きになりかけてた、の方が正しいか」
「幸村……」
「邪魔しないから、気にしないで。ブン太が苦しむなら、しない」
「幸村が本気出したら、簡単に奪われそうじゃ」
「しないよ、ほんとに。まだテニスも本調子でやれない身だからね、恋なんて疲れることしてる余裕ないよ」
「ずるいなそれ」

仁王が溜息を吐く。珍しい表情だ。

「――さて、真田に報告してこよう」
「えっ?」
「あの頭のかたい男がなんて言うか楽しみだなあ」
「鬼かお前は」
「……じゃあついで」

油断しきった仁王の頬に素早く平手を当てる。一瞬の出来事に目を丸くしながらも頬を押さえた仁王が妙におかしい。あのポーカーフェイスが。

「な、何事?」
「なんかムカついた」
「ユッキーそんなバイオレンスだっけ!?」

ただ笑って返し、仁王を置いて部室を出る。少し離れたところにいた丸井が慌てて逃げ出した。仕方がないな、苦笑して気づかなかったふりをする。幸村が離れてから丸井が部室へ戻っていった。

「に……仁王、大丈夫か?」
「……ブンちゃんまだ行ってなかったん?」
「だって気になって……うわ」
「……やっぱわかるか?」
「真っ赤」

頬に触れた丸井の指先は冷たい。腫れた頬にそれが気持ちよくて目を閉じる。

「幸村くん、なんて?」
「……ブンちゃんは幸せ者じゃな。あんな強い味方がおるんじゃ」

頬に触れている手を取り、何を思ったか仁王がパワーリストを外す。何をするのかといきなり手首に噛みつかれた。ぎょっとして痛みを感じなかったのは一瞬で、ズキズキする痛みに仁王の頭を叩く。

「なに、すんだよッ」
「見えないところに」

パワーリストを丸井に押しつけて、頭を撫でて仁王が部室を出て行った。残された丸井は手首を掴んで立ち尽くす。バカじゃないのか。まだ痛い手首を見るとそこだけ白い肌にくっきり歯形が残っている。どんどん余裕がなくなる。時間が経つにつれじわじわと、強く抱き締めたくなる。――行かなくては。パワーリストをつけ直して部室を出た。そこだけが妙に熱い。いつだって追いつめられて崖っぷち、結局は罠にかかって落っこちる。

テニスをしている仁王が見たい。丸井は焦って走り出した。

 

 

 

070807