馬鹿につける薬はない
「……なんかお前最近、可愛くなった?」
「は?」
「いややっぱり目の錯覚だわ」クラスメイトは机に座ってスナック菓子を頬張る丸井から目を反らす。何だよ、追求されてもその姿を見るとこれ以上何も言えない。
「あ、でもあたしも思った。時々丸井くん可愛いって言うか、きれい」
「……いや、こんな男前捕まえて、失礼な」一瞬ドキリとした。――女役に回ってたら女々しくなる、なんてことあるのだろうか。自分としては男前すぎるぐらいに思っているのだが、どうも周りの評価と噛み合わない。
「例えば、俺のどの辺が可愛いっての?」
「どこと言われてもな」
「ん〜、何て言うの?すごい色っぽい一瞬があるよね」
「色っぽい……俺男なんだけど」
「男の人でも色っぽいって言うよ」
「フーン……なんかカマっぽくね?」
「セクシーな人って格好いいよ」
「ね、あ、ほら仁王くんとか!」きゃーっとハートを散らして女子がわく。苦手らしい男子が顔をしかめる隣で、ふうん、と適当に相づちを打った。普段のあいつがセクシーなら、ヤってる最中の仁王見たらお前らそれだけで妊娠するぜ、よっぽど言ってやろうかと思ったが流石にとどまる。最近忘れていたが、仁王は一応女受けする形をしている。1年のバレンタインは素直に羨ましがったが、つき合いだした今年は複雑だった。
「ブーンちゃーんっ、教科書貸ぁしてん、英語英語!柳生持ってなかったんじゃ」
「仁王」噂をすれば何とやら、窓からひょっこり現れたのは当の詐欺師。女子がにわかに色めき立つのが少し面白くない。
「俺今日英語ない」
「あ、あたし持ってるよ!」
「嘘。持ってる」スナック菓子の袋を隣に渡し、机に戻って取りに行く。仁王が笑っているのだろうと予想できたが気づかないことにする。戻ってきて窓に寄り、乱暴に扱うのでぼろぼろになっている教科書を仁王に押しつけた。にやにやしている頬をひっぱたく。
「ひのい。あにすんの」
「うるせえ」
「まあ、また美味しそうな口しよって」仁王が口元を拭うが膨れっ面を向ける。その指を舐めるのでその手も叩き落とした。わざとなのか天然なのかわからないからたちが悪い。
「今仁王くんの話してたんだよ〜」
「ん?何で?」
「ニオーくんがセクシー!なんだとよ」
「俺?」
「ね、仁王くん彼女いないの?」
「あー、おるおる。こぉんなきれいな体のラインした網タイツの似合う子」
「ラケットじゃん!」
「今はテニスじゃな」
「もったいなーい!」
「……だって。ブンちゃん俺とつき合う?」
「……」こいつ最低。半眼で睨んでやると人の良さそうな笑顔を作ってこっちを見てきた。どういう意味なのか知らないが女子が手を取り合って見守っているのが面白くない。
「……ニオーくんせっくす乱暴そうだからイヤー」
「ちゃぁんと優しくするって!」
「何の話してんだよテメーら!きっしょ!」
「あ、俺山田でもいいぜよ」
「ぜってー嫌!」
「ひっでぇの。んじゃブンちゃん、愛してるぜ」ちゅっとウインクつきで投げキッスを残し、手を振って仁王は戻っていく。バカがいるぞバカが!背中に向かって吐き捨てた。
「仲いいね〜」
「べっつに?あいつみんなにあんなもんじゃん?」
「テニス部仲いいなあ」
「……へっ、どーせ男前度低いですよ」
「丸井くんポッキーあげるから拗ねないで!」
「拗ねてねーけどもらう!」
「仁王くんかっこいいなあ……前よりかっこよくなってない?」
「思った!」
「「そうかぁ〜?」」
「ひがむなよ山田〜」
「俺の方がかっこいい」
「丸井くんのかっこよさは仁王くんのかっこよさとまた違うよね」
「なんかかっこいいって言うか、大人だよね〜」
「……大人ぁ?……」真実を知らないというのは恐ろしい。あれはピロートークの最中に屁をこいて笑い飛ばしたかと思えば、いたしている真っ最中に電話に出るような男だ。時々赤ちゃん言葉も喋る。時々ミニ四駆もいじってる。
「……俺も、素直に仁王をかっこいいと思ってた頃もあったんだけどなぁ」
「今はどうして?」
「なんか、……バカにしか見えない」欲望だけに忠実なくせによく飼い慣らされた忠犬は、丸井の前で腹を出す。
*
「仁王くん教科書間に合った?」
「セーフ!今日の分のノート見せてくれん?」
「はいっ」差し出されたノートを受け取ってウインクを送る。もう!と照れた反応が返ってくるが、最近習得したばかりで使ってみたいだけだ。丸井の教科書を開くと意外なことに行間や余白にびっちりとメモがされている。最後の方のメモが少ないのはまだ予習段階だからだろう。以前ノートがすかすかだと言っていたのはこういうわけか。
「やっぱりいけそうじゃから返す」
「わ、すごい。柳生くんの?」
「あいつの教科書はラインしかないぜよ。丸井の」
「あ、丸井くんかあ。丸井くんかっこいいよね〜」
「……ブンちゃん?可愛いじゃなくて?」
「可愛いんだけどなんか男らしいじゃん?仲いいんだね、知らなかった」
「まあテニス部じゃけんそれなりに」書き込みの字は汚いと言ってしまえる。確かにこんなところはやたらと男らしい。言われてみれば動作も大胆かつ豪快で、驚かすことを得意とする自分の方が驚かされることもしばしばだ。先日開けたばかりの2リットルのペットボトルをラッパ飲みしていたのを思い出す。
「最近ずっと男らしくなったよね、弟できたからかな。あ、あたしマンション一緒だから小学校から知ってるんだ」
「ほう」
「自分のキャラわかってるから、今年のバレンタインなんかにやにやしてたもんね」
「あれはどっちかっつとおひねり」
「あはは!そうそう、廊下で倒立してた!」一緒に笑いながらそうか、と思い当たる。食欲にも忠実だが性欲にもとことん忠実な丸井の姿を知っているのは自分だけ。もっとも、丸井曰わくそうしたのは仁王だと言うが、堂々と調教されたと宣言されたようで少し面白かった。ぱたぱたと尻尾を振って構え構えと近づいて、そのくせふっと気分を変える。ムードを作って迫っても腹の虫ひとつでぶち壊し、腹が減ったと噛みつかれ、情事の後に色気のない歯形が残っていることもしばしばだが、甘えるのばかりがうまい。テンションが上がってくるとキス魔になることも、他の誰が知り得るのか。
「仁王!」
「ブンちゃん?」教室に駆け込んできた丸井は仁王を見つけるなり教科書を奪い返す。目を丸くする仁王を後目に、あるページを開いたかと思うとそれをすぐさま縦に破った。紙の裂ける音に時間が止まる。
「よし」
「ブ……、ブンちゃん?」
「あ、俺の教科書天才的だろぃ。レンタル料に帰ってからミスド集合な」
「いや、今のは?」
「……何でもねえよッ」ページを丸めてポケットに押し込み、それだけ言い捨てて丸井は教室を出て行く。一瞬の突風だった。
「……変なとこで男らしいよね。豆腐的な男前だけど」
「つーか、……バカなんじゃろ」
*
持ち帰りにしてうち行こう、下心が見え隠れする仁王の言葉に頷いたのは、肯定してしまうことになるのだろう。ドーナツを平らげているとそばに寄ってきた仁王の目だけでスイッチオンなのはわかったが、誤魔化してやり過ごそうとするのにべたりと貼りついてきた。先祖は絶対軟体動物、ねちょっとしたやつ。自分の毛先で丸井の首をくすぐってくるのを叩き落とす。邪魔するな、と言ってみるが、雑誌のクロスワードを解いているのはもちろんわざとだ。
「ブーンちゃーん、まーくんとも遊んでくだちゃい」
「総理の息子の名前ってなんだっけ」
「ブンちゃん」
「うぜぇ〜」のしかかってくる仁王に顔をしかめて、そのままずるずると倒れこむ。ブンちゃんブンちゃんと繰り返しながら首筋に吸いついてくる仁王を押し返そうとする手を捕まえられた。指先を舐められて視線だけ合わせる。にやりと笑われて、もちろんわかっていてついてきたのだから嫌なわけではない。しかしこの態度に妙に腹が立つ。赤い舌を覗かせて指先を噛む、挑戦的な目をしているくせに声は甘い。
「ブンちゃんの指甘い。おいしそう」
「うるせえな」
「ブンちゃんだいしゅき!」
「キモイからそれやめろ!」頭を叩いてやるがそれにも怯まず、ベルトを外し始めた仁王にぎょっとする。思わず頭を叩いて中断させると嫌な笑みを向けられた。確かに久しぶりではあるのだ。幸村の入院で今まで以上に部活の志気が上がり、練習もハードになってお互いそれどころではなかった。前をくつろげてまだ萎えているものを取り出し、仁王は笑っている。
「黙っとくからおしゃぶりちょうだい。あ、でもミルクが出るんか」
「うわキッモ!引く、ドン引き!」
「あんまりまーくん傷つけるとだだこねるぜよ」
「……あーもう、好きにしろよ」
「いただきます」
「よくできました!」皮肉を言っても動じない。女子にこいつを見せてやりたい、頭を抱えてくすぐったさに近い快感を受け入れながら考える。あの幸せな彼女たちの頭では、有閑マダムに可愛がられる仁王は想像できてもこんな仁王は想像できないのだろう。幼い弟たちよりずっと子どもっぽく、それでやることばかりが大人だからたちが悪い。
いきなりの愛撫でも体は反応していく。それを楽しむように仁王の舌が這い、熱をあおっていくのに他の箇所を触ろうとはしない。服さえ脱がさないつもりのようだ。快感のばれる息を殺し、仁王の髪を掴んで引っ張る。ようやく離れた仁王は口元を拭って丸井を見た。「何?」
「変態!」
「それ言うために邪魔したん?」
「お前ってさー、よく見ると不細工だよな。ヤってるときの顔特に」
「……」
「雰囲気だけだよな、さすが詐欺師」
「……誉め言葉としてとっとく」
「何でだよ」
「美人は3日で飽きる」
「ポジティブすぎるなお前」
「ものっすごい勢いで傷口削られたからそれ以上やめて」
「あ、言われたことあるんだ」
「うるちゃい」
「元カノ?」
「うるちゃい」
「ふーん……」にやりと笑う丸井とは対照的に仁王は嫌な顔をした。大丈夫だってどんなお前でも好きだから!笑いながら言うと更に眉間のしわを深くする。
「デリカシーがない……」
「お前に言われたくねえよ」
「傷ついたぜよ」
「別にお前の顔に惚れたわけじゃねーんだから」
「ずるいのう」
「代われよ。可愛がってやる」
「その前にキスがしたい」
「……ん」差し出されたのは唇の代わりのカフェオレ。本当にひどい子だ、口にはしないが表情で丸井もわかっただろうに、手を引こうとはしない。カップを受け取って残りを全部流し込み、乱暴に机に戻してすぐさま唇を奪った。カフェオレやドーナツのせいで言葉通りの甘いキス。
「お前ってバカだよな」
「ブン太に言われたくない」黙らせるつもりで丸井のズボンを引くとポケットから何か零れた。何気なく手にとって広げてみると、昼間丸井が破った教科書のページだ。気づいた丸井がさっと奪っていくが、それでも一瞬見えてしまったもの。
「……ちょっとブンちゃん、なんで人間がみんな俺になってんの」
「……柳生も混じってんだろ」
「これは喜んでいーんかねえ?」
「……キッチリ返してくれんなら喜ばせてやらあ」馬鹿だなあこいつ、お互いそう思っていることなど思いもよらず、仕切りなおしの甘いキスを。
070813