5

 

「……それから来てないんすか?」
「来てねえ」
「……結婚しちゃえばいいのに」

抱いた赤ん坊に指を掴まれ、笑顔を向けながら切原がつぶやく。聞かなかったふりをしてお前学校は、と言えば、罰が悪そうに苦笑した。退院の日、急用で実家に帰った母の代わりにジャッカルが迎えに来たが、おまけのように切原がついてきている。確かにまだ首の据わらない赤ん坊ふたりをいっぺんに抱きかかえられるわけもなく、手があるのは正直助かる。しかし丸井は視線を外す切原を睨みつけて溜息をついた。ジャッカルの運転する車が出発する。抱きたいようでそわそわしているが着くまで我慢だ。

「――じゃあ、俺にするとか」
「卒業してから言え。バカなんだからしっかり勉強しろよ。お前と結婚するぐらいならジャッカルとする」
「お前みたいなわがままなやつはごめんだぜ」
「失礼なハゲだな。なあハル、こいつに言われたくねえよな」
「しかしふたりも大変じゃねえか?」
「寝つきはいいし金だけの問題かな。一応今まで通り在宅の仕事回してもらえるみたいだし」
「ほんとに大丈夫かあ?困ったらいつでも呼べよ」
「無職だもんな」
「呼ばれても行ってやんねー」
「下っ端自衛官なんか簡単に呼び出せるかよ」
「気持ちの問題だろそこは」
「そっちがハルくんでこっちがフミくんでしたっけ?」
「そう」
「……なんか女の子みたいな名前っすね」
「うん、失敗した」
「失敗って。……おっきくなったらどっちかお嫁に下さい」
「バカにはやらねえ!」

丸井の代わりにジャッカルが叫び、車内が笑いに包まれる。切原ひとりが膨れっ面をした。ハルのママもジャッカルパパも意地悪だ、と赤ん坊に同意を求めるが、そっちはフミだ、と丸井がまた笑う。

「誰か携帯震えてるぞ」
「俺電池切れてる。赤也?」
「携帯どこやったっけ」
「助手席」
「とって下さいよ」
「取れねえよ!」
「まあいいや」

しばらく放っておくと止まったが、代わりにジャッカルの携帯が鳴り出した。おそらく偶然ではないだろう、仕方なくポケットから引き抜いた携帯を後ろへ渡す。

「真面目だな〜お前。……なんだ、仁王じゃん。もしもーし」
『……』
「おい、どうした?仁王だろ?」
『……ブン太?』
「この俺様の美声がわからねえか」
『びっくりした……幻聴かと思った』
「ああ」

ジャッカルの携帯だと言うことを一瞬で忘れていた。気を取り直し、ジャッカルは運転中、と告げる。

『今どこ?』
「んー、もう家つく。今コンビニ過ぎた。あっハゲ!コンビニ寄れっつってただろうが!」
「あ、そうか」
「戻れ。んで、仁王は何?」
『……』

なんとなく言いたいことはわかるが言ってやらない。隣の切原がなぜか緊張している。

『……家行くわ』
「あ、じゃあ食いもん買ってこい!お前作れ!ジャッカルコンビニいいわ、さっさと帰ろうぜ」
「お前っ……双子は俺が育ててやる!」
「無駄だな。あの母さんが育てて俺になったんだぜ」

じゃあ後で、と絶句している仁王を無視して電話を切る。気の毒に、と呟くのは苦労人ジャッカルだ。――俺が悪い訳じゃない。あんな話をした後ふらりと帰り、それ以降連絡を寄越さなかったような男に優しくなんてできない。
家に着き、荷物を(ジャッカルが)下ろしている頃に仁王がビニール袋を下げてやってきた。緊張したのを押し隠し、息子を抱いたまま声をかける。小さな目をきょろきょろさせながら自分を見つめる赤ん坊に仁王が数歩引いた。

「……赤也、ベビーベッドできたか?」
「うっす」
「よし。お前もふたりの顔ぐらい見ろ」
「あ……当たり前じゃ。見に来たんじゃけん」
「あ、そーなの」

入れば、と言われて仁王はようやくのろのろと靴を脱いだ。なんでこんなに気が重いのだろう。入って目が合ったジャッカルが苦笑しながらビニール袋を受け取った。組み立てたベビーベッドにフミを降ろし、切原が見下ろしている。丸井にあごで示され、不満げに仁王を見て出ていった。

「今更何の用だ?」
「……何って、ブン太があんなこと言うから指輪探しとったんじゃ。あのブス、ブン太んちあさって盗んでやがった」
「うちにおいてたのかよ」
「だって俺鍵かけるの忘れるけん」
「あー……」

ハルを降ろしたブン太の手を取り、いつかのように指輪を渡す。ぐっと顔を強ばらせた仁王を見て、ただ迷った。今ここで拒否すれば、仁王はもう自分のものにならないだろう。ラストチャンスであることはよくわかる。それでも頭をちらつくのはあの女のことであったり、双子のことであったり。これは母性というものなのか?自分を後回しにするようなたちではない。
――逃げているのだろうか。本当は、子どもがほしいなんて思いもしなかった。殺すことはできないと思っただけで生む決意をした。お前だって子どもなんていらなかったはずだろう?丸井が迷っているのが仁王にも伝わったのだろう。目を反らさずに見つめられる。ブン太、仁王が名前を呼び、――応えたのは小さな声。丸井ははっとしてベビーベッドを見た。仁王も続いて視線を落とす。やっぱり人間のように思えなくて怯んでしまうが、どっちがどっち、と聞いた声にも反応し、仁王を見ながら声を上げる。笑い声、なのだろうか。

「……仁王の声覚えてんだな」
「え、」
「こいつら俺の声にはちょっとだけ反応すんだよ。腹の中って水だから、声って伝わってんだと。こっちがフミで、ハル。一応上がハル」

恐る恐る手を伸ばし、頬に触れる手を見る。ふたり分の無垢な瞳に見つめられて居心地が悪そうだ。

「……誕生日のプレゼントもやってねえしなあ」
「!」
「しょうがねえから結婚ぐらいしてやるか」

なあハル、手を伸ばす息子に指を差しだし、笑いかける。そんな丸井の横顔を見て、仁王は息を飲んだ。少し会わない間に表情が変わっている。後れを取ったと思いはするが、それどころではない。――今、なんと言われたのだろう。脳の回転速度が遅い。

「ほんっとにムードのねえカップルだな……」

部屋の入り口からジャッカルが顔を出し、電話、と丸井に携帯を差し出す。受けとると母親からだった。用件を終えたジャッカルは不機嫌な表情の仁王に笑いかける。

「なあ、あれ何作るつもりなんだ?」
「……お好み焼き」
「あー!作っていい?」
「……お前も邪魔すんなハゲッ!」
「うん着いた着いた。あ、母さん俺やっぱ結婚するわ。――ッ……文句は後で聞きます〜。じゃあな!ジャッカル飯作って、仁王はこっち」
「何でだよ」
「ガキ抱かせる」
「!」

仁王が体を強ばらせたのがわかった。意地の悪い丸井の笑顔に戦慄する。頑張れ、効果のない励ましを残し、ジャッカルは部屋を出ていった。どうせ避けられる道ではない。

「ムカつく」

台所に入ると切原が膨れっ面で着いてきた。キャベツと包丁を出してやると黙って切り出す。

「お前にゃブン太の世話はできねえよ」
「仁王先輩だって持て余してるじゃないっすか!」
「金の力でカバーだろ」
「……ジャッカル先輩性格悪くなりましたね」
「強くなったと言え」

赤ん坊がぐずる声を聞きながら、それを消すようにキャベツの芯をざっくりと切る。自分の仕事に子守が含まれているのだと気づき、豚肉のパックを開ける手を止めて、昔から変わらない天パの髪をぐしゃぐしゃと乱しながら頭を撫でてやった。鼻水をすする音が聞こえる。

「最悪」
「何が?」
「こんな終わり」
「……あいつに惚れたのが運の尽きだな」
「クソッ……」
「一緒にブラジル行くかー?」
「行かねー。別れるまで待ってやる」
「お前も仁王も、なんでそんなにあいつがいいんだか」
「そんなの俺だってわかんねーっすよ」

本能があの人を欲している。すぐそばに。いつでもここに。この隣に。そうでなければこの涙の理由がわからない。

「気の毒な人生だな」
「ジャッカル先輩に言われたくねーっす」
「俺は解放されたんだ。さっさと飯にしねーとうるさいぞ」
「うっす」
「触るのは俺じゃなくてこっち!」

寝室から飛んでくる声にふたりで絶句する。赤ん坊の鳴き声も続いて聞こえ、ジャッカルが頭を抱えた。恨めしげに部屋の方を睨む切原が心底気の毒だ。

「――ほっといてふたりで何か食いに行くか」
「おごりっすか?」
「……たくましいな」
「無謀な恋愛してますから」
「可哀想な奴」
「でも帰るのもムカつくんで食って帰ります」
「そうしろ、仁王の金だ」

 

 

*

 

 

「ん……」
「……どうしよう、ダッセェ」

口先だけでそう言いながら、ベッドに倒した丸井を逃がす気はない。丸井の方にも逃げる気がないので仁王の首に手を回す。久しぶりの口づけを慎重に。手を取って、そこに指輪があるか確認すると笑われた。

「もう出て行かねえよ、死ぬ思いで生んでんだ」
「あんだけふられちゃ不安にもなるぜよ」
「お前に信用されなきゃおしまいだな」
「ちょっと黙っとれ」

キスで口を塞いで、そうしながら服を脱がしていく。――まるでそのタイミングを見計らったように、泣き声が聞こえてくる。顔を上げた仁王は丸井にジェスチャーで追い払われた。

「ほんっまに邪魔しかせんのう……」
「いいからさっさとどけよ、じゃねえともうひとり……あー……」

手遅れ。不協和音に頭を抱え、仁王を押し返して丸井がベッドを降りる。膨れっ面の仁王は引っ張られて大合唱のベビーベッドに向かった。

「どうしたー、飯はさっきやったろ」
「ブンちゃんそっくりじゃの」
「どういう意味だよ!」

丸井が片方を抱き上げて仁王に押しつける。髪を引っ張られて顔をしかめた仁王を笑い、彼がもうひとりを抱いた。すでに落ち着きかけているということは、何でもないのだろうか。抱き慣れない仁王は苦戦する。

「これどっち」
「ハル」
「なんでわかるんじゃ」
「なんとなく」
「アバウトじゃな」
「足の裏にでも名前書いとくか?」
「そうして」

髪を離してくれない手に困った。それでも仁王の声に反応して小さな手が動くのが少し嬉しい。これが確かなつながりなのだと思う。どうあがいても、彼らが血を分けた存在であることは間違いない。元々は他人も同然の丸井より近しいのだ。

「結局何で泣いたんだこいつら。おしめも濡れてねえしな〜。そっちか?」
「……俺無理じゃからな」
「それぐらいしろ。俺が急にいなくなったらどうする」
「ジャッカル呼ぶ」
「そんな最低な父親とは離婚します」
「……ずるい」
「ぺっと脱がすだけだって。……こいつも違うな、なんだ?」
「お母ちゃん取られそうで泣いたんじゃろ」
「じゃあ原因はお前か」
「どうせいつも悪役じゃ」

泣き叫びはしていないがまだぐずる双子を抱いたまま丸井に顔を寄せる。唇が触れ合った瞬間髪を強く引っ張られ、丸井が笑いだした。唇を尖らせて拗ねる仁王もおもしろかったらしい。

「もう嫌じゃ」
「先は長いぞ」
「あ〜もう……失敗じゃあ……」
「失敗って言うな」

うとうととして目を閉じた息子の額にキスを落とし、抱き直して優しくその寝顔を見つめている丸井の表情は見たことがある。長い間独り占めしてきたあの笑みを、こいつらは1年足らずで手に入れてしまった。憎らしいことだ。

「……ブーンちゃん」
「……俺3人も子守しなきゃなんねーのかよ」

寝ついた子を降ろし、まだ仁王で遊んでいる方を受け取りながら丸井は嫌そうな顔をした。それでも可愛い子にはすぐ笑顔を向けて、仁王の膨れっ面も天才的にスルーだ。そっちがその気なら構わない。黙ってベッドに戻り、頭まで布団を被る。小さく歌う声を聞きながら、どう歌ってもロックは子守歌には向かない、と思った。――子育てなんて自分にできるわけがない。この手に抱くだけで精一杯だ。

「まさはる」
「……知らーん」

拗ねんなよ、笑いながら丸井が布団に潜り込んできた。わざわざ足元から入ってきて、布団の中で目を合わせて笑う。それが心底楽しげでうんざりした。

「いいことしてやろうか」
「どんなこと?」
「まあ見てろ」

仁王のベルトに手をかけて、こっちを見上げながらゆっくりファスナーをおろす。仁王が笑ったのを見たのだろう、やはりにやりと口角を上げた。取り出したものを撫でて先端に吸いつく。そのまま先をくわえて舌を押しつけて、熱を引き出すことを狙いに動かされて奥歯を噛んだ。

「はっ、そうじゃな。……溜まってんのはお前も一緒か。なあブン?」
「……ちょっと黙ってろ」
「はいよ」

口を閉じて快感に集中する。確実に責め立てられて体を熱くしながら、丸井の髪を撫でた。――やっと自分のものに、なったのだろうか?また朝になったらいなくなっていたらどうしよう、と脳裏をよぎる。

 

 

*

 

 

「おはよう」
「……今何時」
「9時」

ガバッと仁王が体を起こす。おはよう、と赤ん坊を抱いた丸井がそばで笑っている。何から言えばいいのだろう――一瞬の間に頭をフル回転させ、結局おはよう、と返して携帯を手にした。そのまま会社へ電話をかける。

「――あ、もしもし?仁王です。すいませんが今日休みもらえますか、昨日の夜から熱が出て……ああそうかもしれません、俺裸で寝る派なんで。嘘です。はい、連絡遅くなってすいません、起きれなくて……いや、いいっす、悪化しそうなんで。また夜にいっぺん連絡するんで。はーいすいません、失礼します」
「うそつき」
「……目覚まし止めたじゃろ」
「こいつが先に起きて泣いたんだよ」
「寝室分けろ」
「お前が出ていけ」
「……今日は会議もないからええわ」
「久しぶりだな、お前の仮病も」
「もうガキじゃないけん、嘘ばっかついとれんわ」
「お前は見習うなよ〜」
「それどっち」
「フミ」
「おはようクソガキ」
「ちったあ父親らしくしろよ」
「もう少し奥様らしくてもいいじゃろ」
「……おはようダーリン」

ちゅっと投げキッスを決めて、丸井は部屋を出ていく。飯が冷めるぜぃ、飛んできた声はいつも通りだ。

「……ブンちゃん、せっかく休んだしデートせん?」
「じゃあベビーカー買いに行こうぜぃ」
「……」

一瞬にしてふたつのこぶの存在を忘れていた。久しぶりにふたりでゆっくりとした時間を過ごせると思ったのに。あと色々いるもんあるんだよなあ、とぶつぶつ並べる声を聞きながら、再び布団に潜り込んだ。何年経てば子どもは大きくなるのだろう。何してんだよ、戻ってきた丸いがのしかかってくる。

「キャンセルするなら今のうちだぜ。こぶつきでも赤也が買い取ってくれるってよ」
「……こぶはいらんけどブン太はほしい。誰にもやらん。絶対離さん。好きじゃ」

体を返して丸井をベッドに押さえつけ、そのまま強く抱きしめる。笑い声を奪って口を塞いだ。仁王、と呼んだ唇が、雅治と言い直す。そんなことが妙に嬉しい。

「デートしようぜ。車出せよ」
「どこ行きたいんじゃ」
「実家」
「……」
「キッチリ挨拶してもらわないとな」
「……マジ?」
「たりめーだ」

口先勝負は得意だろ、とキスをもらう。しかしとても頑張る気にはなれない。どうしてこの夫婦から丸井が生まれたのか不思議になるほど大人しくて真面目な夫婦で、常識的とは言いがたい両親の元で育った仁王にしてみれば鬼門だ。渋っている仁王を丸井が笑った。

「親に話しちまえばもう俺が出て行かないって思えるだろ?」
「……俺かっこ悪い……」
「俺もう何年もお前がかっこいいなんて思ってねえよ。かっこいいって言われたいならバカ女のところに行ってこい」
「嫌じゃ。そんな言葉いらん。ブン太がいい。ブン太だったら何でもいい。こぶつきでも我慢する」
「じゃあ今日はベビーカー買いに行って実家だな」
「……憂鬱じゃあ〜」
「愛してやるから頑張れよ」

ささやかな甘い時間はか細い泣き声で中断された。デジャブ、仁王が頭を抱える。あと何度こんなことを繰り返すのだろう。先が見えなくてうんざりする。それでも、ベビーベッドへ向かう丸井を見ながら溜息をついた。いつか自分の子どもだと愛しく思えるのだろうか。今はまだ、丸井の子どもだという思いが強い。子どもをあやす声を聞きながら仕方なくベッドを降りる。

「金下ろしてこんと。ベビーカーって幾らぐらいするもんなん?」
「あー、5万ありゃ」
「……は?」
「あ、でも双子用ってどうなんだ?」
「……ブンちゃん、俺は幾ら下ろしてきたらええんじゃ?」
「まあとりあえず、金かかるから覚悟しとけよ」

 

 

 

070920