※じゃっっっかんのエロス
鬼に金棒
「丸井先輩」
「……拾え」
「え?」
「ボタン拾えって言ってんだよ、さっさとしろ」行為の余韻も何も一切なく、冷たい声で丸井は一言そう言った。勢いで弾き飛ばしたボタンを探し、丸井のそばへ戻る。今まで抱き締めていたのは本当にこの人だろうか。恋人のようにとはいかなかったけれど、確かな快感を共有したのは。ボタンのないシャツを羽織って丸井は立ち上がる。手首に絡まるネクタイをポケットに押し込み、血の混じった唾を吐いた。痛みに顔をしかめたのは一瞬、青い顔をした切原を更に睨みつける。
「着いてこい」
「ま……丸井先輩」
「触んな」強姦魔。叩きつけられた一言に切原は完全に硬直する。縛られていた手首をさすりながら歩き出す丸井の背中を呆然と見つめている切原に遅いと罵声が飛んだ。
「――あ、そのお粗末なもんはきっちりしまってこいよ」
最悪の笑顔を向けられた。向かった先は部室、切原の知らないうちにレギュラー陣が何人か集められている。
「柳、これボタンつけて」
シャツとボタンを柳に押し付け、丸井は切原に正座を命じて床を指した。――何が起こるのかわかっているのはほとんどいないだろう。しかし満身創痍のふたりに何があったのかは、丸井の体を見ればわかるはずだ。ロッカーから引っ張り出したTシャツに着替える丸井に仁王が近づく。
「ブンちゃんどったの」 「……お前もう少し怒ってくんない?」
「ま、丸井先輩……」
「おら赤也、自分が何したか先輩たちに懺悔しな。ジャッカル薬箱取って、手首真っ赤になってる」
「げっ」顔を歪める切原に気づいても丸井はこっちを見ない。――自分がしたことぐらいわかっている。しかし、これは。顔を上げると幸村がいて、呆れた顔をしていた。
「ほら赤也くん、言ってごらん。先輩縛り上げてレイプしましたってさ」
「ブン太、その辺に」
「わかってるか?お前人に言えないようなことしたんだぜぃ。ここで一言謝りゃ許してやるよ。ああ、あとクリーニング代な」
「丸井先輩……」
「謝れないなら別にいいぜぃ。一生お前を軽蔑するだけだ」手首にガーゼを当て、ジャッカルに包帯を巻かせながら丸井は冷たく突き放す。――ついさっき。数時間前までの日常が完全に壊れてしまった。満足していたはずの日常を、壊したのは、
「赤也」
仁王がそばに立つ。見上げた視線の先は無表情だった。
「人のもの取ったら『ごめんなさい』、だろ?」
どうして丸井はこんなに意地悪なのだろう。俺はただ、好きなだけなのに――
*
くすぐり合いの延長でムキになって本気で手を出し、最終的に押し倒した丸井にまたがって両脇をくすぐって、丸井がその日一番の大きな笑い声を上げた。暴れるのを押さえつけて、これでもかと涙が出るまで続ける。ほとんど悲鳴みたいな声に満足してようやく手を離し、悶えながら涙を拭いまだ笑っている丸井を見た。――この人はこういうスキンシップを嫌がらない。だからどこかで期待する。先輩も俺に触られたいんじゃないか、って。
「――丸井先輩」
「な、なんだよ、もうやんなよ」
「すき」ようやく言えた一言。たったふたつの音なのに、何ヶ月も温めてきた。そのまま両手を顔のそばにつくと目を丸くした丸井がいる。濡れた瞳の目に浮かぶのは単純な驚きだ。
「好きです」
「……赤也」
「丸井先輩が好きです!」
「お前、俺と仁王がつき合ってるの知ってたっけ?」
「……は?」
「あ、知らないよな。じゃあ何でそんな冗談」
「冗談じゃない」
「……赤也」
「俺はあんたが好きだ」丸井が言葉を失う。好きだと何度も繰り返すのは簡単だけど、それじゃこの人に届かないのはよくわかった。今はそれよりも。
「仁王先輩とつき合ってるって、どういうことっすか?」
「……そのまんまだよ」
「……」胸ぐらを掴んで顔を寄せる。逃げかけた丸井にかっとなってそのまま乱暴に唇を押しつけた。がちんと歯のぶつかる音がする。
「ッ、バカ!」
「何なんすかそれ、俺だけ除け者?」
「ちげえよ、後輩は知らないだけで、って何してんだ!」
「うるさい」
「赤也!」
「男同士なのに?つき合ってんすか?」
「……そうだよ」
「何?キスとかしたり、すんの?」
「そーですよ!お前みたいに乱暴じゃないやつ!」次の瞬間には彼の頬に平手を当てていた。舌打ちを聞きながら力任せにシャツを引っ張るとボタンが飛んでいく。流石に怯んだ丸井のネクタイを引き抜いて、抵抗する間を与えずに手首を縛り上げた。丸井の顔が歪む。俺の 目は多分、充血しているのだろう。そう思ったのは一瞬。丸井が泣いていたかどうかはわからない。
*
沈黙の後丸井は部室を出て行った。仁王だけがそれを追いかける。幸村に椅子に座らされ、切原は頭を抱えた。
「――俺だけ知らなかったんすか?俺だけ除け者で?」
「……それは違う。あのふたりは色々あったんだよ」
「色々ってなんだよ!」
「もともとブン太も仁王もレギュラーなんかじゃなかったんだよ。どういう経緯かまでは知らないけど、1年の頃隠れてつき合ってたのを先輩に見つかってね。――ひどいこともされてた。言わないから、推測でしかないけど」
「俺たちだって、あの頃は否定してたよな」
「ジャッカルはそのせいで今もあの調子なんだよね」
「よけいなこと言うなよ」
「どれだけ練習したのか知らないがあるときから強くなって、レギュラーをほとんど倒してしまった。主に丸井がだけどな」丸井に押しつけられたシャツにボタンを付け終え、確認しながら柳も口を挟む。
「進級するころには周りに認めさせていた。特に後輩には絶対関係が漏れないように、気を使って」
「先輩にホモがいるなんて嫌だろ、なんて言うんだもん。泣きそうになったよ」
「仁王は赤也の気持ちに気づいて心配していたが、今はどういう気持ちなんだろうな」
「……なんだよ、そんなこと、俺の知ったこっちゃねえ……」
「……赤也。今は他の部員はほとんど忘れている。別れたことにしているから。知ってるのは俺たちぐらいだ。 それも、柳がいなきゃ気づかなかっただろうね」
「赤也だって気づかなかったのだろう?男同士でつき合うのは簡単じゃない。あのふたりが一緒にいるのを、どれぐらい見たことがある?」
「……何言われたって好きなんだよ!」涙がにじんで切原は顔を覆う。今は、あの冷たい表情の丸井しか思い出せない。その気じゃないなら期待させるな、あんなにもよがったくせに。俺の手の中でイったくせに。
「――赤也はまだまだ子どもだね」
「子ども扱いすんな!」
「赤也、ブン太はお前がしたようなこと、1年のときもされてんだぜ」ぐいと胸ぐらを掴まれる。顔を上げさせたジャッカルに浮かぶのは怒りだった。この男がこんな顔をするのを見たことがない。先輩たちにいじられてボロボロで!声を荒げたジャッカルを初めて見た。柳が止めなければジャッカルに殴られていたかもしれない。
「柳」
「赤也を責めても仕方ないだろ」
「……でも俺は、あんなブン太をもう見たくない」
*
「ブン太は?」
「来てるよ」仁王に嫌そうな顔を向けてジャッカルは教室を出ていく。少し様子を伺い、仁王も教室を離れた。クラスメイトと話す様子はいつもと変わらないが、流石に朝練には出ていなかった。もうひとり、朝練に出ていなかった人間を捕まえに階段を上る。2年の教室をのぞき込み、切原を見つけて近くの生徒に呼んでもらうと、仁王を見て顔を強ばらせた。こっちの方はいつも通りとはいかないらしい。
「……なんすか」
「説教」笑顔らしきものを向けて告げるとクラスメイトが切原をからかって笑う。そっちには笑いかけ、切原を置いて歩き出す。振り返らないが着いてきてはいるだろう。向かう先は昨日の現場。近づいてからようやく切原を振り返ると歩みは遅い。今まで仲良く昼食を食べていた屋上の隅、昨日丸井が吐いた血が乾いて残っているのを見ると、それを知ってか知らずか仁王の足がそれを踏んだ。
「先に言っとくぞ赤也、俺はブン太みたいに優しくない」
「……あの人のどこが優しいってんですか」
「……バカはバカじゃな。ブン太が哀れじゃ」顔を上げて見る仁王は切原に哀れみの表情を向けている。舌打ちをすると一瞬その眉が歪んだ。
「俺が悪いんすか?思わせぶりなあの人だって悪い」
「天然じゃからな。でもお前のしたことは強姦じゃろ」
「……チッ」
「せっかくうまくいってたんに……ここまで来てもブン太は傷つくのか」俺が好きになんてなったから。仁王のこんな弱い声は初めて聞く。この人はどうやって丸井と接していたのだろう。同じ部員としてジャッカルや柳生と同じように丸井と接していた様子しか思い出せない。恋する視線の片鱗を見た記憶もない。感情を、押し殺して2年も?丸井に恋をする自分に気づかれないほど徹底して、気持ちを押さえつけていたとでも言うのか。そんなバカなこと、笑い話だ。俺の方がきっと。
「――お前の方がブン太を幸せにできるならくれてやった。でももう取り返しが着かない」
「……へえ?そりゃそうっすよ、自分が襲われたって悲劇ぶってさらして、それで今まで通りになんて虫が良すぎる」
「バカじゃな。ブン太が理由もなくそんなことするか」
「……理由?」
「ブン太がああしなかったらどうしてた?怯えて誰にも話すなって震えたら?脅して自分のものにした?」
「……したんじゃないっすかね。俺はあの人が憎いけど、今でも欲しいよ」
「お前はほんとにバカじゃな。テニスと両立しようなんて虫が良すぎる」
「……テニスとは関係ない」
「プロになるんじゃろうが」――バカじゃないのか。こいつらはそんなことを考えていたのか。うんざりして仁王を見る。表情はまだ変わらない。
「赤也。俺たちはお前に期待しとるんじゃ」
じゃっと足元の細かい砂利を鳴らし、仁王はゆっくり近づいてくる。ただそれを見つめ、目の前に立った仁王を見上げた。その瞬間首を掴まれフェンスに押しつけられる。派手に鳴ったはずのフェンスの音が遠い。息を止める手を振り払おうと暴れた切原を止めたのは、股間に当てられた手のひらだった。
「使いものにならなくしてやろうか」
脳に滑り込む低音に血の気が引く。誰かが屋上に飛び込んできて首もとの手が緩み、すぐに抜け出してしゃがみこんだ。ブン太、どこか呆けた声で仁王がつぶやく。
「何やってんだよ!」
「……怒るなってのが無理じゃろ」むせている切原を見下ろし、仁王はそれを蹴り飛ばす。やめろと丸井は口では言うが近寄ってはこない。いいから、声が震えている。
「――強がったっていいことないぜよ。俺だって怖いくせに」
「大丈夫」
「ブン太」賑やかな声が屋上に入ってきて、仁王がさっと逃げ出した。給水塔の裏に隠れた仁王を目で追って、それから丸井は目を伏せた。そんな動作にも腹が立つ。全然関係ない他人が切原たちから離れたところに腰を下ろした。舌打ちをする切原に、丸井が近づいてきて手を差し出した。偽善者。吐き捨てると困ったように、弱々しく笑う。どうしてこんな。
「俺鈍感なんだよ。ごめんな気づかなくて」
「謝るな」
「……誰が相手でもケツ振って気持ちよくなるような俺でも、いいんだとよ。俺も大概だけど仁王もバカだよな」
「なんで仁王先輩なんすか」
「知らねえよ」
「そんなん納得できねえ」
「……優しく抱いてくれるから、とでも言えば満足か?」顔を歪めて丸井は屋上を出て行く。……ふたりでいる時間なんて見たことがない。それは今のようにさっと仁王が逃げるからだろうか。どうしてそこまでして。
チャイムが鳴って授業開始を知る。それを承知で着いてきたのは自分だから、それはどうでもいい。その場に四肢を広げて寝転がる。――昨日ここで無理矢理抱いた。相手の気持ちはお構いなしに押さえつけて。気持ちよかった。あの行為の確かな快感を、忘れることはないだろう。傷ついた声も、受け入れた体も。こんなにも愛しいのに、無理やり奪ったのに、それでもまだ自分のものにならない。影がかかり、目を開けるより早く投げ出した腕を踏まれた。肘の上に軽く乗せられただけの足。仁王が冷ややかに切原を見下ろしている。「……折るんすか」
「いいこと教えちゃる。俺とブン太」
「ブン太」
「……」
「それがあんたのやり方か」
「……そうじゃ」笑いもしないで仁王はことばをこぼす。ぞくりと背筋に走ったものは恐怖なのだろうか。ためらいなくこの足に力を込めることができる男だと知っている。――丸井と呼ばない。ジャッカルや幸村だって丸井のことを名前で呼ぶが、仁王が名前で呼ぶのは丸井だけだ。ジャッカルと切原の場合とはまた違う。
「……俺とブン太は高等部に進むまでじゃ。もうやめにする」
「は?」
「弱点にしかならんからの」
「イッツ……」体重がかけられて肘の骨がコンクリートに当たって痛い。それを避けるために思わず肩を捻る。俺はテニスが好きだ、仁王の声は冷静だ。
「高等部行っても真剣にやるつもりじゃ。そのために、邪魔じゃろ?」
「……そんなもんなんすか?あんたの思いって」
「ちゃんと話し合った結果じゃ。もうちょっとやったのに、――お前のせいで手放せなくなりそうじゃ。……腕ぐらいじゃ済まんぞ」
「……」
「……よかったか?ブン太。いいだろ?俺だけじゃのうて先輩らにもいじられとうからな。触ったら嫌がってても感じてるじゃろ?」
「それが?」
「それが一番ブン太を傷つける」柔い傷口に爪を立てるように。
*
ゆっくり足を広げさせてから顔を見る。両手で顔を覆ってしまっているが赤い耳が見えた。傷ついた場所を指先で撫でると両脚が震える。
「見るなッ……」
「何で?ほら、立ってる」
「いや、あっ!」舌を這わすと体を反らせて快感を受けた。太ももを撫でながら解すように舐めて舌を差し込むと声にならない声が漏れて、そのまま立ち上がったペニスに吸いつく。抵抗するのは声だけで、丸井の手は今は緩く仁王の髪を掴んでいる程度だ。
「気持ちよかったら、ちゃんと言い」
「ふあ、におっ……はあっ」
「こんなに」
「やだぁっ……!」
「……痛そうじゃな」体を震わせる丸井の体を返し、脚を閉じさせてその間に立ち上がった自分のものを押し込む。丸井のものと触れ合って、か細い悲鳴が聞こえた。そのまま腰を振って高ぶったものをすり合わせる。
「に、仁王ッ……あ、あっ……」
「ん、いい?」
「違うッ、や……やだ」
「嫌?何で?」
「い……いれてッ……!」
「……ブン太はほんまに好きやね」
「あっ……ちょうだい」
「俺でええの?」
「意地悪、すんなよッ……!」
「可愛い。赤也にもおねだりしたん?」
「してないッ」
「ほんまかのう」
「あ、あっ……あ!いたっ……」
「痛いだけ?」
「ッ……仁王ッ」抱きしめた丸井の体に汗とも涙ともわからないものが落ちる。回した手で腹を撫でながら、背中、肩、首と噛みついた。やだ、とうわごとのようにつぶやきながら首を振る丸井が泣き出している。先走りをこぼす自身に指を這わすと背中を反らせた。食べてしまえたらいいのに。つらさも悲しさも、丸井ごと。
鬼の金棒は武器じゃない。手に入れてしまうと自分が弱くなるばかりで、弱点にしかならなかった。熱い体を抱いて高めて、こんな行為が持つ意味もわからないのに。
071006