多分こいつも俺のこと好きなんだろうな、とは思う。そういうことはあるものだ。こうやってふたりでなんとなく帰りたくなくて公園に寄り道して、だらだら話している時間が長くなってきたら確実に。
つきあおうかと一言言ってしまえば確かなものになるだけで、ふたりで遊びに行くしお互いの家にも行くし、距離の近さも笑顔の違いもわかる。いつキスをしてもおかしくないような空気になったことだってあるが、どうしてもそうならないのは、お互い男だからと言うしかない。一歩先へ進めないには十分すぎる理由だ。このもどかしい関係に、どうすれば決着がつくのだろう。

「腹減ってきたなあ」
「そろそろ帰るけ?」
「仁王なんか持ってねえの?」
「ないのう」
「今何時?」
「もうすぐ7時じゃな」
「……帰るか」

隣の丸井が立ち上がり、仕方ないと言った様子で溜息をついた。昨日遅くまでこうしていたら近所の交番から回ってきた警官に注意されてしまった。派手な頭の組み合わせだから目を付けられていても不思議はない。明日もまた会うのに別れが惜しいのは、これはやはり恋だ。好きだと伝えたら、丸井はどう答えるのだろう。

「仁王?」
「いや、帰ろう」

立ち上がって歩きだした丸井に続く。何となく足元を見て歩いていると丸井にぶつかった。どうしたのかと丸井の視線を追えば、整っているとは言い難いツツジの向こう、ダンボールに入った子猫と目が合う。目やにをつけた大きな目がふたりを捉え、その小さな体に不釣り合いなほど意外に大きな声で鳴いた。

「……仁王聞いたか?昨日、子猫をビルから落とした奴がいるって話」
「聞いた。確かこの近くよな」
「兄弟かな」
「さあのう」

垣根の隙間から丸井が側へ向かうので着いていく。しゃがみこんで子猫のふわふわした毛並みを撫でる丸井の横顔に見とれた。

「うちマンションだからなー」
「この辺マンションばっかじゃけん、難しいじゃろな」
「……可哀想なやつ」

誰かが牛乳をやったような痕跡がある。しかしその誰かにも飼う意志はないのだろう。カラスの鳴き声が聞こえた。明日まで、いるかな。丸井の呟きが空しい。眉をひそめてすり寄る子猫を撫でる丸井が愛しく思える辺り、さっさと告白してしまえばいいような気がする。しかし今の関係がベストなのではないかと思いもするのでなかなか切り出せない。泣き出しそうな丸井を見ているとどうにかしたくなる。明日になってこの子猫がいなければ、と思うと自分もぞっとした。

「……うちで、飼う?」
「え?仁王んち猫大丈夫?」
「俺の部屋で、こっそり」
「……大丈夫か?そんなの」
「うち昼間誰もおらんし、飼い主探す間ぐらいなら」

自分がバカだとしか思えない。動物は苦手だし世話なんて考えられないと思うのに、そうすれば丸井が安心することはわかっている。それだけの理由でそんな慈善事業、我ながら陳腐だ。……ほら、そうして笑うから。針金みたいな子猫を片手に乗せて、胸に寄せて歩き出す。セーターに爪をひっかけて懸命にしがみつく小さな生き物を、隣を歩く丸井がのぞき込んだ。

「サンキュー」
「……ま、ブンちゃんほど食費のかかるやつちゃうしな」

 

 

*

 

 

「ネコ、どう?」

抑えた声で聞いてくる、その声だとか距離だとかに一瞬動揺する。わかっとんのかなあ、呆れながらもやっぱり声を落とし、とりあえず今日は帰る、と答えた。

「結局親にはバレたけど、俺の部屋から出さないのとひと月だけって条件で」
「じゃあひと月以内に飼い主見つけろってことか」
「うん。ま、とりあえず今日はラケット忘れたことにして帰るけん、適当に言っといて」
「うん……俺も、終わったらお前んち行っていい?」
「待っとる」

不安げな表情に笑いかける。自分が押しつけたようになってしまったので気にしているのだろう。あながち間違いではないから仁王も何も言わない。クソ真面目なパートナーや頭のかたい副部長に見つかる前に校舎を抜けて、子猫を残した部屋へ向かう。どうしたらいいものかさっぱりわからなかったので、押し入れのものを出してそこに閉じこめてきた。可哀想な気もしたが変な隙間に入られても困る。

流石に早足で家へ向かい、玄関からは走るようにして部屋に飛び込んで押し入れを開けた。広いスペースに置いた段ボールの中で、寝ぼけたような鳴き声がする。ここから出なかったのなら心配することはなかった。気づいてようやく鞄を降ろしてブレザーを脱ぐ。何だかんだで自分も小動物には勝てないらしい。
人の気配に敏感で、段ボールを引っかく音に混じって呼ぶ声がする。引っ張りだした箱から子猫を抱き上げると細い四肢でしがみつき、体に合わない大きな瞳で仁王を見上げてくる。足が濡れているのは牛乳らしく、顔をしかめて袖をあげた。

「あ……餌か」

昨日弟が試行錯誤していたが、結局どうしたのだろう。段ボールには牛乳の入った小さな器があるだけだ。ここに足を突っ込んだらしい。猫の足を拭い、肩に乗せて部屋を出る。無人のリビングへ向かい、冷蔵庫にかけられたホワイトボードを見た。弟の字で、餌は俺が用意するからマサは何もするな、と伝言がある。生まれてから一緒にいるだけあって、やはり自分をよく理解しているなと苦笑した。耳元で猫が鳴く。

「餌はまだじゃと。もう帰るじゃろ」

猫に話しかけた自分に一瞬ぎょっとした。小動物とは恐ろしい。呼び鈴が部屋に響いたが、面倒なので居留守を決め込んで猫を広げて腹を撫でたりしていたが、何度も鳴るので渋々猫を片手に玄関へ向かった。セールスだったらキレてやろう、と外見を活用して過去に何度か使った手口を思い、猫がいては迫力に欠けるか、と考え直す。しかしドアの向こうに立っていたのは丸井だった。驚く仁王を見た後猫に視線を移して表情を緩める。

「どうしたん?」
「来ちゃった、なんか落ち着かなくて」
「あー……まあ、入り」
「お邪魔します」

靴を脱いだ丸井がやっぱり猫を見ているので差し出した。それを両手に乗せて笑う丸井の方が仁王にとってはよっぽど魅力的で、心臓を押さえて部屋へ向かう。

「こんなに小さかったっけ」
「そいつで毛が長いからでかく見えるんじゃ。あ、ブレザー脱いだ方がいいぜ」
「……もう遅い」

ブレザーについた猫の毛に丸井が顔をしかめた。部屋を指差して丸井を先に行かせ、棚を漁って食料を探す。いつものことだから慣れたものだ。ペットボトルとスナック菓子を手に自室へ戻ると、正座の膝に猫を載せた丸井が仁王を見上げた。どうやらそこで寝ついてしまって身動きが取れなくなったらしい。

「適当に降ろしたれ」
「可哀想だろ」
「平気じゃ」

膝から持ち上げて姉が猫用に提供したブランケットに落とす。目を覚ました子猫はすぐにその場に丸くなって目を閉じた。ブレザーを脱いで丸井はうつ伏せになり、猫を覗き込む。

「……ちいせえなあ」

細い尻尾をつまみ上げると目を開けたが、欠伸をしてまた眠る。寝子とはよく言ったものだ。持て余した菓子類をそばに置いて、仁王も隣に寝転がる。仰向けに見るのは丸井の横顔。

「ブン太」
「んー?こいつさあ、お前んちでずっと飼えねえの?」
「親父が嫌いなんじゃ」
「そっかー。お前がいるなら毎日だって来るのに」
「ブン太」
「何?」
「こっち向いて」
「何だよ……」

視線を落とした丸井が怯んだ。自分はどんな風に丸井の目に写っているのだろう。――好きだと言うならいつだろう。顔をそらされそうな気配に体を起こし、顔を寄せると硬直する。もう少し進むと丸井がゆっくり唇を噛んだ。

「ブン太」
「……にお、」

ふたりを邪魔したのは帰宅の声だった。ただいまと叫ぶ声は弟のものだ。

「マサ帰ってんだろー?すぐ行くからー」
「……りょーかい!」

怒鳴るように返し、体を倒して大の字になる。ぱっと丸井は体を起こして、焦るように立ち上がった。

「帰るな、俺」
「……そうけ」
「また、来るな」

猫を撫でたのを横目で見て、ひらひらと手を振るだけで丸井を見送った。入れ替わるようになった弟がよかったの?と聞いてくる。誰のせいだと言ってやりたい。

「病院で聞いてきたらさー、いっぺん連れてこいって。でも多分食べれるって言ってた」
「あーそう」
「サンプルくれたからやってみる」

ただいま、と甘い声で猫に挨拶した弟を見て、どいつも似たようなものだと思う。寝ているのをお構いなしに抱き上げて、もがくのを笑っていた。深い溜息を落とす。

「だから動物なんか嫌いなんじゃ……」
「こいつ飼えないのかなー」
「無理じゃろ。親父の説得できるなら知らんけど」
「無理かなー」
「猫は壁で爪研ぐから嫌なんじゃと」
「ボロい家なのに」
「……つか、そんだけ言うならお前の部屋で世話せい」
「やだよ、金魚いるもん」
「あー……」
「ねーちゃんは服あるからやだって、拾ってきたんだからマサの部屋だよ」

またしても溜息が出る。さっさと飼い主を見つけてしまわなければ面倒だ。……おまけに、丸井に変な警戒を与えてしまったかもしれない。絶対に、嫌われてはいないはずなのだが。

「……猫の手は役に立たんのう」

 

 

*

 

 

次の日は真田の説教から始まった。うんざりしながら聞き流していると部室に入ってきた丸井と目が合う。しかしすぐにそらされてしまった。どう逃げたのか知らないが、彼に昨日のお咎めはないらしい。理不尽だ。

「仁王!聞いているのか!」
「ハイハイ、聞いとるわ。でかい声ださんといて」
「反省しないやつだなお前は」
「学習はするぜよ。次はもっとうまくやる」
「仁王ッ!」
「もう十分じゃろ」

まだ言い足りないらしい真田の前から逃げ出し、仁王は着替え始める。今日は真面目にやるのだとわかり、真田も一旦は黙ることにしたようだ。ちらりと丸井を見ると再び目が合って、ダッセー、と小声で笑われる。今まで通りにすることにしたらしい。

「ブンちゃんは昨日どうやって逃げたん?」
「何のことだよ、俺は昨日歯医者行ったんだぜぃ」
「はーん……」

仁王は使いすぎて使えなくなった手口だ。猫は?と小声で聞いてくる丸井を見る。昨日のことを忘れたわけではないだろうから見事なポーカーフェイスだ。

「弟が今日からテストじゃけん早いんじゃ。帰って世話するって」
「そっか。うちも今日は朝練だけだよな?」
「さあ、そうやった?」

仁王の記憶では今日まであるつもりだったが、柳生や柳に聞いてみるとそのようだ。ならば昨日ぐらい放っておけばよかった。真田を怒らせただけ損をした。

「なあ、今日も行っていい?」
「……ええよ」

学習したのかしないのか。丸井を横目に見ながらシャツを脱ぎ捨てる。支度を終えた柳生が呆れてそれを拾い、ブレザーと共にハンガーにかけていた。お前は俺のおかんか、口にすると君を生んだ覚えはありませんね早く着替えたまえ、と面白くもないリアクション。丸井に視線を戻すとジャージ襟を直しながらロッカーを閉めたところだった。

「……おかんじゃないなら嫁じゃな」
「君のような亭主を持つと苦労するでしょうね」
「お前みたいな神経質のSよりましじゃ」

くしゃみをひとつしてユニフォームを被る。仁王くんにだけは言われたくありませんよ、と嫌味を忘れない紳士は先に部室を出て行く。相方を捕まえた丸井もラケット片手に外へ行くのが見えた。ジャージのファスナーを上まで上げて、仁王も部室を後にする。待っていた柳生から投げられたボールを受け取り、試しに聞いてみた。

「お前んち、猫とかいらんか」
「猫ですか?」
「拾ったんじゃ」
「さあ……どうでしょう。聞いてはみます」
「頼むわ」
「……お疲れですか?」
「……部屋に出しとったら夜中にうろつくんじゃ。潰しそうで安眠できん」
「立って寝ないで下さいよ」

 

 

*

 

 

トイレを借りて戻ってくると、腹の上に子猫を載せたまま仁王は眠ってしまっていた。子猫の子守で疲れたと言っていたのを冷やかしたが本当だったらしい。そばにしゃがみ込んで仁王の上で昼寝を決め込んだ猫をつつくと耳を震わせるだけの抵抗だった。視線を仁王に移すと何やら顔をしかめている。
――昨日、キスをしそうになった。それは自惚れでもなく確かだと思う。嫌われているはずがないし、丸井を特別扱いしていることぐらいはわかる。自分だって嫌いじゃない、いや、これは恋だ。それはわかっている。どうしようもない恋をしたなとは思う。眉を寄せて仁王を覗き込み、寝ているのを確認して顔を寄せる。どきどきする。みんなと一緒にいるときとは違うこの思いに初めて気づいた時には終わりだと思った。それでもそばにいると相手の気持ちも察することができて、今は居心地がいい。一言、好きだとさえ言えば、完全に自分のものになるのだろうか。

緩やかな寝息を塞ぐように、薄く開いた口に一瞬だけ唇を触れさせる。じわりと汗がにじんで体が熱くなった。仁王の隣に同じように体を倒す。身動きをして滑り落ちてきた猫を掴んで自分の腹に移した。よたよたと胸まで歩いてくる手足がくすぐったい。

「ずるい」

びくっと体が震えて猫が落ちた。仁王の影がかかり、眠そうな目が見下ろしてくる。におう、口を開けたが声にならない。

「ずるいのう、ブンちゃんは」

顔のそばに両手を突かれて硬直する。唇が乾くのを感じた。ゆっくりと時間をかけて仁王の顔が寄ってきた。ごくんとのどを鳴らすとわずかに止まったが、すぐに動き出す。一瞬唇が触れた後ためらうように一度離れ、それからぴたりと合わせられる。乾いた感触に身をかたくして、目もきつく閉じてしまう。柔らかい舌に唇を舐められて思わず押し返した。

「におう」
「……言わせようと思っとったのに」

溜息混じりの言葉の後、額を合わせるように覗き込まれた。伸ばした髪が頬をくすぐる。しばらくそうして見つめ合い、ブン太、仁王が口を開いた。続く言葉を待つ丸井の足に何かが触れる。

「……あっ!」
「あ?」
「ちょっ……こら!」

仁王を押し返して丸井は慌てて体を起こした。膨れっ面で仁王が見ると、立ち上がった丸井のズボンの裾から子猫が転がり落ちる。

「焦ったぁ〜」
「……ほんっま役に立たん猫じゃのう……」

すねてその場に伏せてしまった仁王の背中を見て、丸井は黙って猫を抱き上げる。――確かに、こいつが邪魔しなければどうにかなっていた。多分悪くはなっていない。だけど今更言うタイミングも失ってしまったような気がする。しかし今を逃すとどうなるのだろう。緊張しながらも仁王のそばに座り、朝よりはへたってしまっている髪を引っ張る。わずかに腕の間から覗いたのは恨めしげな目で、手の中の猫を持て余した。

「……聞いてやるから続き言えよ」
「ブンちゃんは言うことない?」
「お前が言うなら考えてやる」
「……ずるいのう」

仁王は腕の中に顔を戻してしまい、丸井は時間を持て余して猫を撫でる。手のひらから降りた猫が仁王の腕の隙間に鼻をつっこみ、しかしすぐにふいと離れていく。ブランケットで丸くなる猫を見てから、小さな声で仁王を呼んだ。気だるげに顔を上げた仁王が指先で丸井を呼ぶ。近い距離を更に詰めて、ほとんど真下に仁王を見た。

「好きじゃ」

主張するように猫が鳴いた。思わずにやりと笑うと不機嫌な表情を返される。

「俺も」

 

 

*

 

 

猫がもらわれていくのを一番寂しがったのは仁王、ではなく弟だった。柳生の知り合いにちょうど探している人がいるということで、届けに行くと言うとついてきたほどだ。
思えば猫がいなければ何も変わっていなかったのかもしれない。ベッドでまどろむ丸井の手を取ると薄く目を開けて仁王を見た。猫絡みで何度か部活を抜けたせいで最近の真田は機嫌が悪く、今日も鬼のように厳しかった。癖でつい仁王のうちまで来てしまった丸井も疲れきっている。ごめんと呟くのは眠りかけていることに対してだろう。それを塞ぐようにして柔らかい唇に触れた。何度か軽く繰り返して様子を見ながら、強く押しつけるようなキスをする。

「仁王」
「眠い?」
「ちょっと」
「起きて」
「……仁王」
「ブン太がいいなら」

優しい瞳が丸井を見下ろしている。髪をすく手が気持ちよくて目を閉じると眠ってしまいそうになり、迷った。

「……うん」
「どっち」
「しようか」

手を伸ばして仁王を引き寄せ、緩く抱きしめる。邪魔をする猫もいない。

「ただいまーっ!」
「「……」」

抱き合うふたりの耳に飛び込むのは弟の声。丸井さん来てるんだよねー、飛んでくる声は靴を見たからだろう。今回通いつめた丸井は仁王と違い猫に熱心であったので、主に世話をしていた弟とも随分親しくなった。懐かれていると言ってもいい。ドタバタと足音がして、丸井は慌てて仁王を押し返して起き上がる。さっと髪を直しているとノックとほぼ同時にドアが開けられた。

「こんにちは丸井さん!……マサ寝てんの?」
「み……みたいだぜ」
「お客さんほって?ひどいやつ」

ベッドに転がったままの仁王は弟に見えない角度で恨めしげに丸井を見ている。ひきつる笑いを隠しながら、丸井は仁王に布団を被せた。ゲームしない?と誘う弟に引っ張られて丸井が部屋を出て行ったあと、顔を出した仁王はドアを睨みつけた。父親を説得して猫を飼おう。弟がかかりきりになるのなら猫でも犬でもなんだっていい。ようやく堂々と触れられるのに。しばらく布団の中でふてくされ、階下からの賑やかな声に仁王は部屋を飛び出した。

 

 

071020