一寸先は闇
「何……?」
昨日よりぐっと冷え込んだ12月4日、周りのうっとうしい声を適当に流しつつたどり着いた教室。机の上に、真っ白な箱が置かれている。クラスメイトも不審そうにそれを取り巻いていて、仁王は席を数えてそれが自分の席であることを確認した。さて、どうするか。心当たりがないわけではない。少なくともテニス部の誰かの仕業だろう。今日は誕生日だ。楽しみにしててね、と笑った幸村が脳裏によみがえる。悪い顔をしていた。これが幸村の仕業だとすると、ここで開けるのは得策ではない。しかし幸村にとってはここで開けるのがベストということになるのだろう。
「なぁにぐずぐずしてんの。さっさと開けちゃって」
「ブン太?」振り返るとぷくりとガムを膨らませ、丸井が立っている。ポケットに手を突っ込んでやる気のなさそうに見えるが、ガムで隠れた口元はにやりと笑っていた。
「これ、ブンちゃんの仕業?」
「仕業ってお前ね。誕生日オメデトー仁王クン!」
「わーアリガト!帰って開けるわ」
「今開けろよ〜無添加のナマモノなんだから」
「まさか冬眠中のカエルを掘り出し……」
「するかッ」せっかちな丸井がさっと蓋を持ち上げた。周りから歓声が上がり、仁王も口笛を吹いて応える。そこにあるのは手作りのケーキだ。露骨に手作りとわかるそれは、真っ白な生クリームをまんべんなく塗りたくり、飾りは一切ない代わりにチョコレートで『Happy Birthday from B』、とバランス悪く書いてある。どうせ入れるならto NもしくはMだろう、と心中突っ込みながら丸井を振り返って拍手を送った。
「お見事!さっすがブンちゃんじゃ」
「食ってから言えよ」
「いや、満腹じゃけん後にするぜよ」
「何?俺の愛情が受け取れねえの?」
「そんなこと言っ」わしっと後頭部を掴まれた、ことを理解するより早く、仁王の顔は一直線にケーキに押しつけられていた。ゆっくり顔を上げると鼻先からクリームが落ちる。背後でイエーイ!と丸井とハイタッチをしているのは、見なくともわかる、幸村だ。
「仁王、誕生日おめでとう!」
「……幸村」
「ブン太とふたりで絶対これはやりたい、って言ってたんだよね」
「ねー」
「どう?お味は」
「……」最悪、と言えば殴られるのだろう。やばい泣きたくなってきた。15回目の誕生日をもう一度やり直したい。むしろこのまま死にたい。唇を舐めて甘さに溜息をつく。丸井ひとりならどうにでもするのに、幸村が加わっては最強タッグだ。もしかしたら柳が角度計算でもしているかもしれない。
「いや〜、ほんとはフルーツぎっしり敷き詰めようと思ってたんだけどそれじゃつまんねーじゃん?」
「ブン太ぐっじょぶ!」
「イエーイ!」お父さんお母さん、彼が俺の好きな男です。紹介したらきっと喜ぶだろう。黙って立ち上がりトイレへ向かう。担任とすれ違ったが、真っ正面から向かってやると同情した顔を見せ、ハンカチを貸してくれた。
「幸村か」
「まあ7割は」真面目な問題児を苦手とする教師は多い。いっそお前の方が扱いやすい、と言われたことがある。トイレの手前でチャイムが鳴ったが平気だろう。パタパタと足音がしたかと思えば、丸井が追いかけてきている。
「あっ間に合った!」
「まだ何か?」
「いや、もったいねーから食ってやろうと思って」
「……何を」
「お前」言うが早いが手を取って、丸井に個室に連れ込まれる。座れよ、と言われて諦めた。蓋の閉まった便器に腰掛け、丸井を見上げると笑っている。なんで好きになったのかしらん、初歩的なことを悩みだした仁王をお構いなしに、丸井が鼻を舐めた。満足そうに唇を舐め、今度はキスが降ってくる。こんな顔じゃなければ形勢逆転させるのは簡単だが、今は笑われるのがオチだろう。
「おいしそう」
「……もー好きにして」
*
悲惨な姿になったケーキは担任の手によって丁重に保管されていた。食べ物を粗末にすると丸井に怒られれので、責任持って食べてもらおうと屋上へ持って上がる。昼食時の屋上は意外と人が少ない。と言うのは、時によってテニス部が占拠していることが多いからだろう。今日はまだ丸井しか来ていなかった。売店に一番近い教室ということもあるのだろうが、丸井は大抵一番乗りだ。弁当持ちにも関わらず売店で買い足してくるのが、仁王から見れば信じられない。時には抜きですませてしまう仁王こそ、丸井にとっては信じられないらしいが。
「よう」
「……それ何」
「ケーキの残り!」
「……そうけ」本日の昼食は、タッパーに入った生クリームと食パンらしい。さすがに一斤はないが、随分大胆なランチだ。仁王が手にしたケーキに目を留め、分けてやるよ、と生クリームを塗り直している。表面のほとんどは仁王の顔に、もとい丸井の腹に消えていたが、塗り直すとそれなりに破損個所も隠せた。
「たっぷり味わえ!」
「……ブン太」
「何?」
「ありがとう。俺生まれてきてよかったと思っとおよ、ブン太に会えてよかった」
「な、なんだよいきなり」
「ブン太、キスがしたい。目、閉じて」
「や……やなこった!」仁王の真意が探りきれずに丸井は顔を背けたが、その耳は赤い。すっと耳元に手を伸ばし、びくりとした体を促すように正面を向かせる。ゆっくり仁王を見上げた目元に拒絶はない。もう一度名前を呼ぶと、赤い顔のまま目を閉じた。照れつつも少し上を向いたその様子が可愛らしくて、本当にキスがしたくなる。しかし仁王はケーキを持ち上げた。優しく抱くように丸井の後頭部に手を回し、――後は一気に押しつける。しばらく冬の風を感じ、仁王は手を離して丸井からケーキを遠ざけた。うつむいたままの丸井は身動きをしない。
「おいしそうになったのう」
「……テメェ……」
「プリッ」丸井を無視して学食からとってきたフォークで被害の少ないとこからケーキを食べ始める。焼き加減も申し分ないが、ワンホールも食べられる気はしなかった。ようやく顔を上げた丸井を見て笑う。
「何すんだよ!」
「お返しじゃ」
「やったの俺じゃなくて幸村くんだろ!」
「共犯者も同罪ナリ。それに、クリームまみれの幸村なんて見ても面白くないからの」仁王のときほど派手ではないのは、やはりクリームの量が違うからだろう。唇を舐めたのを追うように、仁王も顔を寄せて舌を這わす。そうして生クリームを舐めとりながら、徐々に丸井を押し倒した。
「……何、したいの」
「……あんだけ舐められまくって、まさかお預けとは思わんかったぜよ」
「我慢した方がうまくなるだろ?」
「我慢は嫌いじゃ」足の間に割って入り、体を倒して覗き込む。いざ、と丸井の制服に手をかけた途端、まるで制するかのように腹の虫が鳴いた。もちろん丸井の腹に巣食っている、燃費の悪いやつが、だ。そのまま丸井の腹に頭を落とし、嘆きの言葉を呟く。
「あーゴメンゴメン、ヤるなら先に食っときゃよかった」
「ありえん」
「食ってからする?」丸井が携帯を取り出したのは人払いのためだろう。ちらりと昼食を眺めて、仁王は溜息をつく。あんな甘ったるい昼食の後で、運動なんてしたら吐くかもしれない。そのままの体勢でいると耳をつけた丸井の腹から、再度催促の声がした。
「……夜でええ」
「わかった。お前んち?」
「どっちでも。もうヤれたらいい」
「最低だなお前、誕生日だから許してやるけどよ。ヤんねーならどけ」
「俺って世界一不幸な美少年……」
「ふかしてろ」丸井が顔を洗いに屋上を出て行った。思っていたほど怒られなかったのは意外だが、ある程度予想していたのかもしれない。手持ちぶさたにケーキをつついてみるが、だんだん食べ物に見えなくなってきた。そうしているうちに切原が来て、広げられたランチにひっ、と声を上げて一歩引く。
「何の祭りっスか」
「俺の聖誕祭じゃ」
「悪魔記念日か……」
「コラ」誰が悪魔だ。よりにもよって切原には言われたくないし、何より幸村よりはよっぽど天使的ではないか、と心中ごちる。やっぱりここでしたね、と現れたのは柳生で、バカ丁寧にお誕生日おめでとうございます、とプレゼントを渡される。
「……それにしても、随分なパーティーですね。丸井くんは喜びそうですが」
「お前も参加せい」
「残念ですが先約があるもので、失礼します」ぴんと背筋を張って出ていく柳生の背中に黙って手を振った。いつだか柳生になりすましたとき、レーザービームよりあの姿勢に手こずった。柳に背中に定規を差し込まれたことは一生忘れないかもしれない。
「あ、赤也おーっす」
「うっす」
「あれ、久しぶり」戻ってきた丸井におまけがついている。仁王の誕生日を演出した幸村が、ランチメニューを見て笑った。
「ごちそうだね」
「そーですねー」
「ね、今日仁王の誕生日祝いにさ、焼き肉食べに行かない?」
「行きたい!ちょう行きたい!」仁王が答える前に丸井が挙手で幸村に迫った。そのあと仁王に気づき、一瞬真顔を見せたがすぐに笑っている。
「行こうぜ仁王!」
「幸村わざとじゃろ。盗聴器でも仕掛けとらんか?地獄耳なんか?姿消せるんか?」
「ふふっ、何の話?」
「ところでこれケーキ?っスよね?何でこんなことになってんスか?」切原の疑問に先輩3人は顔を見合わせた。ある意味で、三強と呼ばれるこの3人。次の瞬間には丸井と仁王が切原を押さえつけ、幸村がケーキに生クリームを塗り直す。何?何スか!?よくないことが起こることはわかるのか、暴れるがさすがにふたりがかりで捕まえられては切原も抜け出せない。
「せーの!」
――今年一番の笑顔だった。切原の次の言葉はそれだった。3回ほどそのことばを繰り返し、幸村が笑い転げる。
「真田!真田呼ぼう!」
「ジャッカルも!」きゃっきゃっと背景に花を散らせながら携帯を手にするふたりを見ながら、切原はおもむろに鏡を取り出した。自分の顔を眺めて呆然としている。切原を離し、仁王は勢いで頬に飛んできたクリームを拭った。丸井には飛んでいないのに。まるで計算したかのようだ。
「……俺、無性に柳生に会いたい」
「あ、何となくわかるっス」すごい誕生日っスね。仁王が既に『祝いの儀式』を済ませているのだと悟った切原はしみじみ呟く。仁王は空を仰いだ。快晴だ。
「俺は今、誕生日を楽しみにしていなかったことに、喜びを噛みしめる」
「……お疲れ様です」
071209