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朝だよ!母さん困ってんだろ!」
「ッ……るせえな!」
「イッタ……母さん!ハルが!」

フミの泣きそうな声にブン太が頭を抱えた。起き出してはんてんを羽織る仁王が騒ぎに肩をすくめる。

「もうイヤ……」
「何事?」
「あいつら最近喧嘩ばっかなんだよ……おら!どうでもいいからさっさと起きやがれ!知らねえぞ!」
「よっしゃ、お父様が起こしてきちゃろ」

いそいそと子ども部屋へ向かう仁王の背中を見遣り、ブン太はキッチンの椅子に座ってココアをすする。……もういい年になっているから甘いものを控えよう、と思った間はわずかだった。こうも騒がしくてはストレスがたまるばかりだ。これならまだ小さい頃の方がどれだけ楽だったことか。男の子は大変よ、しかもあんたの子なら。母がついた溜息の意味を今身をもって実感している。
小学校3年生、今ぐらいが一番騒がしいと知人などは言うが、自分を振り返り、ついでに最近ますます似てきた息子たちを考えると高校を出たってやかましそうだ。確かに塾で働いていた頃、これぐらいの年代の、特に男子が手に負えなかった記憶がある。子ども部屋からの悲鳴に耳を貸さず、先に逃げてきたフミに朝食を出した。朝から不景気な膨れっ面だ。

「ハルがどうしたって?」
「枕投げた!」
「……あっそ」
「でも起きないハルが悪いんじゃん!」
「ハイハイそうだな。……おいマサ!トラウマはつくんなよ!」
「今日は父さんいるんだね」
「おう、まあほっとけ。俺は仕事だから、夕方には帰るけど」
「わかった」
「寄るなっ変態!母さん!この人キモい!」
「ハルの半分はその変態でできてんだぜ」
「やだー!」
「えらい嫌われたもんじゃのう。ほら時間なくなるぜよ」

本当は朝食はゆっくり採らせたいのに最近ずっとばたばたしている。溜息の尽きないブン太を仁王が抱き締めると子どもたちからブーイングがあがった。

「ええじゃろ普段お前らに貸しとるんじゃけん。たまには補給せんとやっとれんわい」
「貸し借りすんな。……お前ら何のんびりしてんだよ!時間!」
「「あっ!」」

争うように飛び出していく双子に改めて溜息をつく。仁王を引きはがす気力もないまま見送って、これからが不安になる。あんな調子で大丈夫なのだろうか。今までどうにか抑えて本当に悪いことをしたときにしか手を出したことはない。しかしああも毎日朝から騒がしいと叩いて済ませたくなる。

「ブン太?」
「疲れる……」
「あんま無理せんときよ、仕事平気か?」
「いや、出てる方が楽しいしな」
「あいつらなんでピリピリしとるんじゃ」
「……なんか、好きなやつが同じっぽい」
「あー……青春やの」
「言わないからわかんねーけど。昔はなんでもかーちゃんかーちゃんって教えてくれたのになあ」
「俺はブン太が取られる心配がなくなって安心やけどね」
「アホか」
「なんとでも」
「……お前に癒される日が来るとは思わなかったぜ」

仕草でキスをねだると過剰なサービスつきで返ってくる。抱き締めて、

「雅治」
「……何?」
「代われ」
「無理」

 

 

 

*

 

 

結婚する前に勤めていた学習塾でブン太が再び働きだしたのは、双子が3年生になり、夏休みが明けた2学期からだった。広い年齢に対応している塾なので昔から利用しているという昼間に時間のある学生の質問などに対応することもあるが、夕食の支度があるので4時まで、指導をすることはほとんどない。
課題作成や添削などを今日もいつものようにこなし、やっぱり動かないとだめだと実感する。家庭に入り家事をするのは苦痛ではなかったが、少なくとも高校までは真剣なテニスプレイヤーだったのだ。幸村と離れた途端、団体でのテニスに興味がなくなったのには、自分のことながら流石にあきれた。やめたわけではなかったが張り合いがないものは楽しくない。
妊娠中になまってしまったこともあり、今はほんのお遊びでしかテニスをやらなくなった。久しぶりにしたくなってくる。教えようという気があったわけではないが、周りにいるのが切原、真田に幸村では、双子も自然とテニスを選んでいるようだ。サッカー野球柔道と今までかじってみて、楽しかったのはテニスらしい。指導者と合わなかったということもあるのだろう、自分を見ているようでよくわかる。

「ブン太くん、4時だよ」
「あ、はーい」
「今日もご苦労さん」
「えーっと……採点あと3枚だから終わらせて帰りまっす」
「アリガトー。はい、お裾分けだヨ」
「わっ!塾長大好き!」

差し出された肉まんの箱に初老の塾長に抱きついた。これで夕食までのつなぎができる。両親のよけいなところばかり似てきた息子たちは年々食欲が増してきているのだ。尤も、食欲に関してはどちらに似ても問題だ。エンゲル計数的には仁王に似てくれた方が助かるのだろうが丸井には何も言えない。

「あのね、丸井くん、相談なんだけど」
「何?」

ブン太はこの紳士が好きだった。教育に対する情熱を押しつけるわけではないのに周りを巻き込んでしまう雰囲気、学生時代かけずり回っても就職の決まらなかったときに拾ってくれたのが、自分も大学受験のときにお世話になったこの人だ。今も10時から4時と言うわがままな時間で雇ってくれて感謝している。その彼が頼みごとをというのなら、断る理由があるはずもない。

「ちょっとね、来週、夜も来てくれないかな。連れがね、手術することになったんだよ」
「あ……やっぱり、」
「うん、まあね、どうせするならさっさとしちゃいましょうって。先生が夜しか空いてないみたいでね、でも受験生の子もいるだろ、休みにくくて。鍵締め任せたいんだ」
「……帰って旦那に相談してみる、あいつ多分休めるから」
「ごめんね、ブン太くんしっかりしてるから頼っちゃうよ」
「俺だってお世話になってるんだから恩返しぐらいさせろよ。いつ?あ、ってことは今入院してんだ?」
「そうだねえ、暇そうだよ。手術は来週の水曜日」
「早く言えよなー。水曜日だけでいいの?前後は?……いや、まあいいや。休めそうだったら火水木旦那に休ませるから、塾長は休んでいいよ」
「大丈夫?」
「大丈夫。休ませるったって夕方に戻っててくれればいいんだし」
「ごめんね、まだ小さいのに」
「小さいっつっても小3だぜ……うるさいの何の」
「ああ、それか連れてきてくれても構わないよ」
「うーん……じゃあマサが休めなかったらそうする。だから塾長は奥さんのとこ行ってよ」
「ありがとう」

素直に礼を言われるのも妙な気分だ。今まで受けた恩は計り知れない。詳しくは言わないので聞かないが、妻の体調が、と言い出したのはブン太が復職するよりも前だ。入院するかもしれないと漏らしたのはひと月ほど前だろうか。双子ができたとき、あの仁王との結婚に踏み切れたのも彼ら夫婦の絆を知っていたからと言うのも理由のひとつだ。
確かに手術は喜ばしいことではないがどこか幸せな気持ちで、仁王をいたわってやろう、と帰路につく。ただいまの声に応えたのは仁王の情けないおかえりだった。

「ブンちゃーん、俺の塩辛は?」
「……やっぱ連れてくか……」
「何が?なあ塩辛!無性に欲しいんじゃ」
「冷蔵庫のはなくなってんのか。野菜室は?」
「ありがと愛してる!」
「安い愛だな」

部屋へ上がると双子の部屋を覗いて声をかける。ゲームをしているふたりにお土産の肉まんを見せるとやっと振り返った。ゲームを切るまで食べさせないことを告げてから台所に戻ると、目的のものを発掘した仁王がほくほくしながら冷蔵庫からビールを取り出している。

「あのさ仁王、来週休み取れる?休みっつか、夕方から家にいてくれればいいんだけど。火水木」
「なんかあんの?」
「塾長の奥さんが手術するんだって。夜も出てくれないかって言われてさ」
「ふーん……火曜は外されんけど水曜は休める。木曜は元々休みじゃ」
「マジ?じゃあ火曜か。母さんでも呼ぼうかな」
「……ブン太、俺な、春から異動かも」
「へえ。あっ、もしかして給料減る!?」
「減りはせんが。でも多分、ほとんど家でできるんじゃ。やけん、もしブン太が働きたいっちゅーんならちゃんと交渉するし」
「……いや……いいや、お前が家事もしてくれるってんなら別だけど」
「無理じゃな」
「でもお前が家にいるのは嬉しいよ」
「……またかわいいこと言って」
「30も越えた男にかわいいって言うな。まあ俺は永遠の15歳だけどな」
「母さん肉まん!」
「俺は肉まんじゃねえ!自分たちでチンしろ」

ブン太が溜息をついたどさくさに仁王が抱き締めてくる。子どもの前でいちゃつくなよー!とハルが冷やかして目を隠した。フミが笑いながら皿に肉まんを出していく。

「阿呆、久しぶりの本人なんじゃ、ハグぐらいさせえ」
「ちゅーは?」
「お前らのおらんとこでするわい」
「……ごめんなあ?アホな親父で」
「どういう意味じゃ」

いつまで経っても子どもが3人、だ。なんだか妙に疲れてしまう。これから夕食の支度をするのかと思うと煩わしく、ブン太はされるがままだった仁王の首に手を回した。わずかに期待した顔を見る。

「雅治」
「なんじゃ」
「せっかく久しぶりに4人でメシなんだからさ、どっか食いに行かねえ?」
「……運転手は?」
「俺がするからどっか行こうぜ」
「さんせーい!」
「賛成賛成!」

肉まんにかぶりつきながら双子も挙手をして、仁王はそっくりな母子を見比べて溜息をつく。

「……どこ行きたいんじゃ」
「よっしゃ!ハルフミ何がいい?」
「「ラーメン!」」
「……食に関して手を抜いてきたつもりはねえんだけどな……」
「すまん……俺が昼間食ったせいじゃ……」

 

 

*

 

 

火曜日、結局双子を連れて仕事に出ることにした。今から塾へ行かせる気はなかったが、気に入ったら気に入ったでまた考えればいい。自分は事務業だが体験と言う形で3年生のクラスに任せることにした。夕方一度抜けて迎えにいくことにして、昨日からみっちり嫌がられるまで言い聞かせておいたのに。――帰ってみれば、怒鳴り声にすすり泣きの混じる演奏会だ。
玄関で靴を脱ぐ間もなく打ちのめされて、ブン太はその場にしゃがみ込む。昼間からわけのわからない宗教じみたセールスが来て追い払うのに必死だったのだ。スクールバスがおかしいというから修理の連絡したり話をしたりしたのだ。今日に限って忙しかったというのに、更に。力なく靴を脱いで中へ入ると、床に散らばったジグソーパズルの真ん中でハルが仁王立ちをして、正面に立ったフミがそれを睨み返しはしているが泣きっ面ではどうしようもない。

「あっ、かーちゃん!」
「なんだよ、どうした……」
「もうすぐ母ちゃん迎えにくるから片づけろって言ってんのに、フミがやめなかったんだぜ」
「……フミは。何か言えよ」
「……」

ふたりの性格の違いが一番露わになるのはこんなときだ。ハルは何が何でも自分が正しいと胸を張って主張する。ジグソーパズルは先日仁王とフミがふたりで買い物に言ったときに買ってもらっていたもので、フミだけずるいと散々ハルにわがままを言われたことを思い出す。ハルはパズルに興味はないはずだが、ほとんど同じようにものを与えてきたので子どもたちの間では思いがけない衝撃だったらしい。フミはフミで、涙を拭ってうつむいている。自分が悪いこともわかってはいるが理不尽で、それでも何も言い返せない。優しいのはいいことだが、このままで大丈夫なのかと心配になる。

「お前は言うことないのかよ」
「……」

思わず溜息が出る。我が子ながら正直今までつき合ったことのないタイプで、どうすればいいのかわからない。

「ハルも!どんな理由があったって人のものを勝手に壊していいわけねえだろ!ちゃんと謝れ!」
「えー!だって!」
「フミは反論しろ!言われっぱなしになってんじゃねえよ!」
「なっ……んで、俺を怒るの」
「ちゃんと自分でしゃべれって言ってんだよ!」

どのみち自分が有利と見たのか、ハルはにやにやしている。早く行かなければならないと言うのに、どうしてこうも厄介ごとが続くのだろう。俺厄年だっけ?頭を抱えたくなるがそれどころではない。

「あ〜……もう知らん!」
「え?」
「そんな膨れっ面連れていけるわけねえだろ!留守番してろ!」
「母ちゃん!」
「ふたりで話し合って仲直りしろ、なんでもかんでも母ちゃん呼ぶな!」

呆然とする双子を残し、鍵をかけて車に戻る。いらだちの勢いに任せて発進し、塾へ戻った。授業の体験にきた親子が待っていて、慌てて対応に向かう。本当なら双子も一緒に連れていくはずだったのに。それぞれのクラスで授業が始まり、ようやく机に落ち着いて溜息をつく。今更血の気が引いていくのがわかった。

「……最悪……」

遂にやってしまった。仁王は手を出しそうだからと言って昔からあまり子守をしなかったが、ブン太だって同じだ。年の離れた弟の面倒を見ていたときとは勝手が違う。溜息をつき、時計を見る。夕食は準備していたから食べてるはずだ。火元なんかは小さいときから言い続けているから大丈夫だろうとは思う。
個人経営ながらも小学生から高校生まで利用のあるこの塾は遅くまでやっている。仁王の帰りとどっちが早いだろう。今から戻る時間はない。机に伏せて考え込み、頼れる人物を探す。ジャッカルは転勤してから随分会っていない。切原は未だに頼りないし、そもそも家庭のある人に頼むのは気が引ける。携帯のアドレス帳を見ながらうんざりした。どうしてこうなるのだろう。

「母親塾とかねえのかな〜……」

どうすればよかったのだろう。尽きない溜息を飲み込み、思い当たった人物に電話をかけた。

 

 

 

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080113