※時をかける少女の話を知らないと通じません
時は金なり
未来人に恋をするのと男に恋をするのはどっちがましなんだろう。切原のベッドを占領したままぼんやりと終盤にさしかかった映画を見て考える。俺よくわかんないんすけどぉー、床に座った切原が、仰け反るように体を反らせて頭をベッドに預けた。上目がちに丸井を見る目はくるくるとしていて、なんだかつつきたくなってチョキを作った手を浮かべると慌てて離れていく。立ち上がってベッドの縁に腰を下ろし、切原はテレビを指さした。
「要するに、テレポートとは違うんすよね」
「テレポートってのは場所だけなんじゃねえの?ドラゴンボールの瞬間移動みたいなんだろ」
「ああ!んじゃあタイム・リープってのはどういう仕組みなんすか」
「俺だってSFなんか知らねえよ、柳生に聞け!」
「柳生先輩に聞くとマニアックすぎてわかんねえんすよ」先週見逃したドラマを見るはずだったのに、俺はどうして時をかけてしまった少女のこっぱずかしい恋愛模様をSFを交えて展開しているアニメ映画を見ているのだろう。頬杖をついて画面を見ながら溜息をつく。全く便利な能力だ。あれが自分にあれば、とりあえず先週に戻ってドラマを見るのに。
切原がビデオに撮ったからと言っていたから来たのだが、昨日放送していたこの映画を上から撮ったようだ。帰ってきたら姉貴シメますんで!とできもしないことを言った切原を怒る気力もない。つけたビデオをそのままに、なんとなく見ていたらもう終わりが近そうだ。ヒロインが食い意地を見せるたびに、にやにやする切原を何度殴っただろう。「ちゅーか、未来人てこんなかっこいーんすかね」
「さあ……」
「なんかちょっと仁王先輩っぽくないですか?」
「……死ね」
「何でっすか!」今その名前を出すのは最悪だった。……いっそ仁王が未来人であればいいのに。俺の記憶を消して、未来にでもどこにでも帰りやがれ。不機嫌になった丸井に喧嘩中とでも思ったのか、切原は肩を潜めて再び画面に視線を戻した。
「……もし過去に戻れるなら、いつからやり直しますか」
「……俺?」
「そう。丸井先輩なら」
「お前は?」
「……関東大会」小さくつぶやいた声は、それでもタイミングよく静かになった映画に合わせたようにはっきりと聞こえた。関東大会。それはきっと、一生忘れないだろう。記憶のすみに追いやられることがあったとしても、必ずふとした瞬間に思い出す。
「……バカだな、あれでいいんだぜ。お前なんか負けたって構わない要員だったんだからさ」
「ひっでー!」
「ありゃ異常だ。柳も真田もあんな負け方したんだぜ?」
「俺なんか自分の試合はっきり覚えてないっすよ」
「知らねー」
「そりゃ丸井先輩は勝ちましたもんね」
「……ダッセェ試合だよなあ」噛んでいたガムを膨らまし、さりげなく喋る口をふさぐ。エンディングが流れ出して切原はようやくビデオを止めて巻き戻しを始めた。ゲームでもします?聞いてくる切原を見て、どうもいじめたくなって髪をかき乱してやる。
「うぜー!もう帰って!」
「またまたぁ、寂しいくせに」
「ありえねーっす。ちょうありえない」
「俺が過去に戻れるならドラマ見るっつーの」
「う……すんません……」
「ま、用事も済んだし帰るわ」
「すーいーまーせーんー」ふてくされる切原を笑ってやって、夕食の支度をしている母親に挨拶して切原の家を出た。一緒に夕食をと言う誘いは魅力的だったが、今はそんな気分ではない。小さなことではあるが胸に引っかかるものがあり、いつ崩れるかわからなかった。
仁王が好きだと気づいたのは女に興味がないのだと気づくのと同時だった。小学生の頃からいつも近くにいる友人は男だったが、あの頃はそんなものだと思っていた。丸井の通っていた学校では男子と女子はほとんど二分した存在であったからわからなかったのかもしれない。それでも仁王に出会ってから、自分の一番近くにいた友人に親しい女友達ができたときのあの衝動は嫉妬だったのだと気づいた。計り知れないショックだった。俺はホモなのだと、誰に言えようか。
仁王に惚れたのはほとんど一目惚れだ。初対面にも関わらずブン太、と呼んできたあの声が、完全に自分をとらえた。もしかしたら自分で選んだはずのテニス部も仁王のそばにいたいがためだったのかもしれないと思ってしまう。少なくとも、レギュラーの座を掴むために必死だったのは、先にレギュラーになった仁王がまるで目の前の人参のように見えていたからだ。
だから普段は近づかない。ジャッカルとつるんで切原にかまって、時々仁王とふざける。ふたりにはならないようにする。ふとした瞬間に自分が恋をしていることを思い出してしまうから、できるだけバカなことをしている。――過去に戻れるなら?ならば、告白してから過去に戻る。なかったことにする。傷つくのは自分だけだ。好きだと一言、素直に言えたら、どんなに嬉しいだろう。
(未来人になりたい)
時は嫌になるほど平等で、止まらない分丸井の思いも高めていく。見返りはいらない、好かれたいわけじゃない、好きと一言言ってしまえたら。
*
教室に入った瞬間に誰かにぶつかった。強くぶつかったわけではなくどちらも歩みはゆっくりとしていたので痛くもない。ただ額に何か触れたのがくすぐったかった。悪い、と何気なく顔を上げて息を飲む。目の前に流れる銀髪は、
「あらブンちゃんごめんちゃい。ちゅーしてもうた」
「は……?」
「おでこにちゅー」仁王は笑って丸井の額をつついた。その後ろでクラスメイトがハプニングを笑っている。……笑え、もしくは怒れ!ここがそういう場面だと、自分の役どころはわかっている。なのに指先までびりびりと走る恋の毒が丸井を痺れさせたかのように、唇が震えただけで身動きが取れない。やばい、だめだ、動けよ!ぐっと拳を握りしめ、爪を手のひらに食い込ませる。
「ふっ……ざけんな!チビで悪かったな!」
「ちっちゃくて丸くてかわいいなんて誰も言っとらんじゃろ」
「バカ!」だん!と足を踏みならすとクラスメイトが沸く。でも喜ばせるためにしたわけじゃない、自分の体を無理やり動かしただけだ。震える息を吐いて体を返す。
「どこ行くん?」
「顔洗ってきます。嘘つきがうつったら困りますから」
「えー、俺バイキンみたいじゃ」
「似たようなもんだろ」その場から逃げ出し、トイレに向かう。一番奥の個室に入り、鍵をかけるまでは機械的に体が動いた。――あの一瞬は何だったのだろう。何のための時間だったのかわからない。自分に仁王が触れた。ふざけて笑い合うときに体を叩くようなわけでもなく、試合をした後に握手をするのでもなく。手じゃない。普段触れることのない唇だ。あの一瞬だけを停止させたら、まるで恋人同士のようではないかと夢想する。ありえない。ありえないことだ。
よくわからないままに涙がこぼれて、余計に混乱をあおる。勘弁してくれ。仁王があの怪しい言葉で、実は自分は未来人なのだと告げて目の前からいなくなればいいのにと思う。好きな人がいなくなればいいと思うなど、なんと虚しい恋愛だろう。時々触れる一瞬を大事にしてきただけなのに、自分の欲を知った。今体に渦巻くものは、はっきりとした欲望だった。抱きしめられたい。額ではなく唇に欲しい。本当に触れたのだろうか?感触も残っていない丸井にはわからない。それでも知ってしまえば、もうダメだ。
――チャイムが鳴る前に戻らなければ、仁王はなんと思うだろう。さっきの演技でばれていないだろうか。仁王のことだからわからない。簡単に見透かされているのかもしれない。もしかしたら、今までの演技も。屋上に行かなくてよかったと思う。飛び出していたかもしれない。昨日制服のスカートを翻し、時を操った彼女のように。(俺がやったら死ぬけど……)
結局ぐずぐずしているうちに授業が始まってしまった。ドアに寄りかかって、乾きかけた涙を拭う。ビデオを守れなかった切原を恨む。キスをしたなどとうそぶく仁王が悪い。心にもないことを思っても虚しいだけだ。時間が流れるのに合わせるように思いは募っていく。具合が悪いとでも言って帰ろうか。今ならきっと信じてもらえる顔をしてるだろう。逃げられなくとも今日ぐらいは仁王に会いたくない。
普通の恋愛ならよかった。一分一秒を喜べるような、そんな恋がしたかった。無駄な時間を過ごすようでいたたまれない。恋をしているだけなのに。
080301