千里の道も一歩から
例え俺がいつスカウトされてもおかしくないほどのビジュアルを持ちCDを出せばたちまちオリコン入り確実の美声でありかつ天才的にテニスがうまくていつかコート上のプリンスなんて呼ばれる日が来るかもしれないような、つまり丸井ブン太と言う人間がとても素晴らしい人物であったとしても、毎年来る4月20日をエクセレントに過ごせるわけじゃない。だからたまたま忘れてしまった英語のノートのせいで、まるで俺が宿題をしてこなかったかのように先生に嫌味を言われたって不思議はないと言うことになる。
なんたって今日が特別な日になるのは、15年前の今日この日に生まれた俺と、俺にプレゼントを渡そうと普段は木の影から見守ってくれている女子ぐらいだから。……そう、言い聞かせてみたってイラつくのは変わらない。あーもうマジダリィ、帰りてえ。帰ったら帰ったで真田がうるせえしあいつ部長でもないくせにガミガミしやがって、2年のリーダーは幸村くんだろぃ。朝イチの授業でケチがついて、机に伏せたままになっていたらクラスの誰かがドンマイ、と頭を叩いていった。ついてない。心底ついてない。英語のノートひとつでこんなに傷つく俺はデリケートなんだから、ドンマイなんて簡単な慰めじゃ顔を上げる価値もない。誰か優しく丸井くんは悪くないよ!って言ってくれないかな。谷間があると尚よし。
うだうだしているうちに次の国語が始まった。起立の号令にも立たないままだったのは、この教師がそんなことを気にするタイプではないからだ。国語なんて勉強しなくたって点取れるからいいんだよ。教科書も出さないで寝てやろう、と体勢を整える。でも眠気はなくて、目を閉じてるけど耳にだらだらと教師の声が入ってきた。
あー、朝からエネルギーを消費したら腹が減ってきた。朝練のときにジャッカルがくれた誕生日プレゼントは多分お菓子なんだけど、流石に授業中に出すわけにはいかない。とか思ってるうちに体が先に反応して腹が鳴った。これぐらいだと周りに聞こえてるかもしんない。最低だ。寝てるふりを決め込んでいると腕の隙間に何かがねじ込まれた。顔を上げると仁王がのぞき込んでいて硬直する。……俺の隣は仁王じゃなかったはずだ。お食べ、と仁王が呟くように言って、更にわけがわからなくなる。クエスチョンマークに襲われている俺をそのままに、前を向いた仁王は手の中に隠していた飴を取り出して素早く口に放り込んだ。見れば俺の腕の隙間にも飴がねじ込まれている。ママの味を歌ったキャンディと仁王がミスマッチで、混乱は増すばかりだ。俺の視線に気づいた仁王がいらんの、とまたささやいたから、黙って飴を握る。教師が黒板を向いている隙に仁王のように口に入れた。空腹が抑えられればいいけど、余計腹減りそうだ。
仁王がよくわからないやつなのは今に始まったことじゃない。同じテニス部だからこそ交流はあるけど、そうじゃなかったらもっとわけのわからないやつだっただろう。宇宙人じゃないのか、と柳に聞いたことがあるぐらいだ。あの柳がおそらく人間だ、と曖昧に答えたぐらいだから、どれだけ変かわかるだろう。
一年のときから目を引くやつで、みんなと同じように体験入部していたかと思えば正式な入部になった途端今みたいに髪を脱色してきた。あのときからずっと白にこだわってるから今では伸ばしている毛先は痛みまくっている。染めた理由を聞いたら「目立つと思って」。その方言だけで目立ってたのにと多分誰もがつっこんだはずだ。
それでいてテニススタイルも自由奔放。攻めるだけのテニスをしたかと思えば守りに徹したり、柳みたいにデータを取ったりわざと負けたりする。真田みたいな頭のカタいやつらからすれば理解不能だろう。俺だってわかんねーけど。俺は密かに仁王を気に入っていた。2年になって同じクラスになったから、もうちょっと仲良くなれたらいいなと思ったりしている。今までは部活で話すだけのつき合いだったけど、一緒に遊びに行ったりしたい。憧れとでもいうんだろうか。仁王は俺の知らない世界を知ってる。同じ世界にいるのに、他の誰とも違うものを見ている。
「……お前、なんでそこにいんの」
「内職したいんじゃと」仁王が視線を後ろに流したので目で追った。そういえば仁王の席は今、窓側一番後ろの特等席。確かに国語は前の方のやつしか当てないから安全だ。口の中で飴を転がして仁王を見る。いつもだらしなく歩いているせいか猫背だと思ってたけど、座ってる姿を見るとそうでもない。
「ブン太って変な名前」
「……変なやつに言われたくねえよ」
「ええよ、羨ましいわ。俺なんぞ桜坂と一緒じゃ」
「桜坂?」
「福山」
「……ああ」アレか。そんなセリフが飛び出すとは思ってなかったから思わず吹き出してしまった。慌てて前を見たが教師は気づいていない。俺の反応がお気に召さなかったのか、仁王はわずかに眉をひそめてこっちを見た。なんだ、案外ガキっぽいんだ。なんだか安心してしまう。結局立ってるところは同じなんだ。
大きなあくびをした横顔を見て、俺もあくびをした。うつったの、と仁王が笑った顔が笑顔と言うより緩んだと言った感じで、隙を見た気分になる。ぐず、と鼻を鳴らしたかと思えば派手にくしゃみをして、流石の教師も大丈夫かあ、とくしゃみの主を捜した。「あ〜」
「大丈夫か?」
「風邪ひいた……」
「風邪?お前が?」
「……なんか含みがあるの……」じっと見られて口ごもると、しばらく待って仁王は笑った。からかわれたのだとわかって眉をつり上げると、また飴が差し出される。チッ、簡単に扱えると思ったら大間違いだぜぃ。もらうけど。
ぽつぽつと部活のことや教師のことを話しているうちに授業は終わった。そこでこいつは隣の席じゃないことを思い出して、ちょっと寂しくなる。席を立った仁王を伏せたまま見上げると、また飴をくれた。なんか餌づけされてないか俺。「……仁王」
「なん」
「俺今日誕生日なの」
「あら、そうなん?じゃあプレゼント」ポケットから取り出した飴の大袋を見せて、そうかと思えば俺の頭の上でひっくり返した。飴がコツコツと頭に当たって何気に痛い。ていうかほとんど下に落ちたし。
「安いー」
「えー、安ないよ200円」
「ていうか拾え」けらけら笑って仁王はそばに落ちているのを拾い、飴を取り出したと思えば俺の口に押し込んだ。不意に唇に触れた指先に、どうしてだかわからないほど動揺する。包み紙を広げた仁王が笑ってそれを見せてきた。
「10ペコ」
「……何それ」
「知らんの、紙に10個、切れずにペコちゃんがあると……」
「あると?」
「……なんやっけ」
「何だよそれ」まあ四つ葉のクローバーみたいなもんじゃ、とごまかして、仁王は自分の席に戻っていった。なんだあいつ。机に残された包み紙が何なのかわからないまま、俺はどうしてだか捨てられなかった。 実は少し気づいている。この気持ちは、ただの憧れじゃないんじゃないかって。
*
一年かけて仁王を好きになった自分はばからしいと思う。年末には俺はメロメロにやられてしまっていたので仁王の誕生日もお祝いした。なんかすげー空回ってた気がして思い出すのも恥ずかしいけど、喜んでもらえたみたいだからよかった。相手が男のせいかまるで乙女のような恋をしていて、格好悪さに頭を抱えたくなるときもある。
例えば、隣に座る仁王をぼんやりと眺めてるときとか。死んでんのかと思うほどぐったりとして、朝からずっと寝ている仁王は少し憎らしかった。どこの誰とだか知らないけど、朝まで遊んでいたらしい。健全な中学生のすることじゃねえよ。仁王の行動範囲は広くて、俺もクラスの誰もが知らないような種類の知り合いがいる。姉貴の知り合い、なんてへらへら笑って言ったけど、その姉貴の知り合いって人は知り合いの弟をべったり抱きしめるのが趣味なんでしょうか。そんな嫌がらせにしか見えない写メを見せられても恋する乙女のハートは張り裂けるように痛むばかりで、完全に乙女じゃない俺のブロークンハートはその写真に呪いの言葉を送る。具体的には消えろブス、とか。
昼休みだというのにこの騒がしい教室で眠り続けられるってのもすごいと思う。3年に上がってからも同じクラスで浮かれていたのに、進級してから仁王はばたばたと忙しそうに遊び回っている。新学期、あんなにクラス分けを見るのに緊張したのは生まれて初めてだった。仁王雅治の名前を同じクラスに見つけたときの気持ちは、お前にはわかんないんだろうな。
無性に腹が立ってぴくりともしない仁王の椅子を思い切り蹴る。びくっと体を強ばらせた仁王はゆっくり頭を上げた。まだ夢心地のうつろな目がこっちを見る。「おはよー雅治クン!」
「うー……今……いつ……」
「昼休み」
「ああ……」がしがしと頭をかいて仁王はあくびをかみ殺す。クラスに慣れた頃に担任が提案した席替えは、きっと神様からのプレゼントだったのだ。俺普段の行いがいいもんね、仁王みたいに夜遊びしないし家の手伝いもするし。窓側で後ろでおまけに隣には仁王!おまけなんてもんじゃない、これがメインディッシュだ。うっかり好きだぜなんてぽろりと言ってしまわんばかりの距離で、しかも仁王はやたら寝てるから見放題。
……ほんとは見てるよりも話したいけど、最近の仁王は遊んでるときの話しかしないから聞きたくない。ペテン師だなんて柳生が言ってたけど、ちったぁそれらしく俺ぐらい騙したらどうなの。観察力がどうだと柳が解説してたけど、それだったらテニスだけじゃなくてもう少し俺にも関心を払ってほしい。そしたら俺がどんなにお前が好きか、少しはわかるだろ!少なくとも甘い香水の匂いをさせて近づいてきたりできなくなるはずなのに!「……よう食うのー」
「俺はお前が腹減らない方が不思議だ。光合成でもしてんの?」
「そうそう。やけん窓側代わって」
「やだね」好きだからって簡単に言うこと聞いてやったりしない。報われないのはわかってるから、健気に思うなんてできないし。
「やばいほんま眠い。部活まで寝る」
「お前何しに学校来てんだよ」
「え〜?ブンちゃんに会いに来とるんじゃ。優しくしてね」
「寝てるやつがよく言うぜ」
「だってあの女わざわざ人起こして喋るんじゃ〜生理中だからだめだけど〜って誰がお前に童貞ささぐかっちゅー話よ」
「お前童貞なの」
「そうじゃ、婿に行くまで守るんじゃ」
「まともにリードできなくて離婚だな」
「え〜っかわいがってよブンちゃん。裸エプロンで写メまでならしちゃる」
「いらねえよそんなグロ画像」けらけら笑う仁王に反して俺は思わず黙り込んだ。ただの友達ならこんなばかな話でもだらだら続けられるけど、思いが邪魔して口ごもる。仁王も気づいたみたいでしまったという顔をした。今までこうしたことは何度かあって、俺が強ばるたびに仁王に申し訳なさそうな顔をさせている。そのせいか少しずつ女だとか恋愛だとかの話題は減ってきた。
俺だって仁王が好きなわけだけど、だからって別にセックスしたいとか思ってない。ていうか男同士ってどうやんの、ナニをどうすればセックスなの。でも抱きしめたいとかキスしたいとかは思う。だから仁王に絡む女も仁王の恋の話も俺は断然拒否する。不毛な恋愛をしていても楽しくない。こんな戯れが本気だったらいいのに。俺だって裸エプロンで写メまでならしてやる。いや嘘。むしろ絶対見られたくない。でもどうしてもと頼まれたらするかもしれない。
「なあブンちゃん飴やるから席貸して〜」
「……は?」
「姉貴が禁煙するっちゅーて飴買い込んどるんじゃ」どうかこれで、よろしくお願いします。ポケットから出したものを俺の手の中に押し込み、仁王は手を合わせる。ひよひよと揺れる寝癖に目を奪われた。神様メイクミラクル、俺を殺す気だ。
「ブンちゃん?ほれ全部やるぜよ」
机にばらまかれた飴の音に泣きそうになった。意味がわからない。タイミングよく去年のように飴を持ってるし。これはどういう意味だ?この程度だからあきらめろってこと?それとも運命的な何か?
何も求めてないふりをしながらうっかり顔を出した本音に叱咤をして息を飲む。呆けている俺を無視して仁王は飴の包みを開けてあーん、と差し出してくる。無意識に口を開けるとコロンと飴が入れられて、仁王がにこりと笑った。好きな顔過ぎてやばい。「はい交渉成立じゃ!」
たっちしてくださーい、と立ち上がった仁王に腕を引かれ、大人しく立ち上がってしまう。そこではっとして腕を振り払い、その腕を組んで仁王を睨んだ。
「ちょっと安すぎるんじゃねーの、それが物を頼む態度かよ」
「頼むって、ぽかぽか陽気で光合成したいんじゃ」
「え〜」
「今日の帰りに好きなもんおごっちゃる。1000円までな」
「……マジで?」
「丸井くんヒドーイ、俺が嘘ついたこと、あった?」
「何度も」
「今日はマジじゃ。丸井くんが言ってたパフェでもええよ」
「……ほんとだな?」
「ほんまやって。やけんちょっと、そっちで寝かして」しぶしぶと言った様子を装って席を譲ると嬉しそうににこりと笑って体を入れ替え、俺の席に座るが早いかすぐに顔を伏せて寝る体勢。俺が今何を思ってるかなんて、いくらお前でもわかんないんだろう。なあお前いい加減にしろよ。また蹴り飛ばしてやりたくなったけど、話したら泣きそうでやめた。やばい俺キモい。末期だ。
なあそれってデートじゃん。そう思ったって悪くないだろ?俺がずっと行きたいと言ってるのはひとりで入るのははばかられるファンシーな店で、他のやつらがついてくるとは思えない。だったら俺と仁王のふたりになるわけで、仁王が思ってなくても俺にはデートになる。
口の中に広がる飴の甘さが俺を動揺させた。受け入れられているような気分になって、そんなはずがないのに。仁王の席に座って、春の日差しできらきら光る頭を眺めた。なんて幸せそうな頭だ。いっそ恨めしい。
机に残った飴の包み紙を開いてみた。描かれたキャラクターを数えてみるけど、8つしかない。なあ仁王、お前何で知らねえの。俺去年教えてやっただろ。……今日は俺の誕生日なのに。忘れてるくせに今年も仁王がくれるのは飴で、ぎゅっと胸が苦しくなる。仁王の世界は広すぎて、仁王にとっては俺なんて広い世界の隅にちょんと立っているだけの存在なんだろうか。
ばからしいことに、このとき初めて不毛な恋愛をしていると気がついた。知っているつもりになってきたけど、ちゃんと意味がわかった。どんなに願ったって願うだけで、好きだと言えないくせに気づいてほしくて気づかれたくない。机にまかれた飴を拾ってなんとなく並べてみる。
これ以上好きになったらどうなるんだろう。少しずつ好きになっていって、俺はパンクするかもしれない。ああ、やだな。長い恋になりそうだ。
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