災い転じて福と為す 4
ひとりででかけるとなるともう前回の記憶がない。出不精なので通信で学習していたが、そのうち数日ある講座さえ行かずにいたらそのうち柳が迎えに来るようになった。その柳のうちの前に立ち、呼び鈴を慣らす。連絡もせずに来たがいるだろうか。幸村が重病にしても、まさか24時間手術するわけにはいかないだろう。そう待たず門前のブラウザに柳の顔が現れる。
「よお」
「仁王か、珍しいな。明日は槍が降るぞ」
「槍は降らんじゃろ」
「そういう例えだ。何事か知らんが入ってこい」音もなく開いたドアをくぐり、中へ入る。すぐそこに男が控えていて、無表情とピシッと伸びた背筋が何とも言えない威圧感を与えてきた。睨まれた気がしていぶかしげに見ると軽く目を伏せ、低い声でご案内します、と言った。兵隊のような歩き方でロボットだと気づく。柳が言っていたのはこれのことか。後ろを着いていき、案内された部屋で柳は書類を繰っていた。いらっしゃいと仁王に告げた後、ロボットに顔を向ける。
「ありがとう弦一郎、お茶を頼む」
「かしこまりました」45度の角度でお辞儀をし、弦一郎と呼ばれたロボットは部屋を出ていく。ふうん、その背中を見て仁王はうなづいた。柳のいる机に背を向けて寄りかかって息を吐く。
「あれが家事ロボットの現状か」
「あれでも最上級だ」
「何で人間だってことを隠してブン太をうちに送った?」
「……お前ならロボットに無茶をさせない。仮に気づいても通報なんて面倒なことはしない。それから、お前が変わるのも期待した」
「まんまと参謀の手のひらで踊ったわけじゃな」
「予想より早かったがな。音楽はまだ終わっていない」
「こないだの嵐でな、ブン太が雷を怖がったんじゃ。転けてすりむいてたからわかった。そうでもなきゃ俺は延々とステップ踏んどったよ」
「ゴキブリの次は雷か。そればかりは仕方ないな」ノックに柳が応え、弦一郎が湯のみの乗った盆を片手に入ってきた。仁王がそばの客用の机にいないことに困ったらしく硬直している。
「やれやれ……弦一郎、こっちにふたつとも置いてくれ」
「かしこまりました」きびきびと柳の机に湯のみをふたつ並べ、弦一郎はまたお辞儀を残して出ていく。どうもだめだな、柳が溜息をついた。
「真面目すぎるというか、臨機応変に動くのが難しいようでな。教えればきっちり覚えるんだが」
「ふーん……ちこっといじったろか?あれもA.I.じゃろ」
「いや、いいよ。あれはあれで慣れたらかわいいものだ」
「そうけ。……ロボットは、そんくらいでええんじゃ。お互いに領域から出たらあかんよ、そんなんで相容れるなんて無理やし」
「それで、何をしに来たんだ?仕事はもう少しかかりそうだが」
「ええんじゃ、済んだ。普通のロボット見たかっただけ、比呂士の参考にな」
「そうか」
「あれは柳が作ったんか?」
「いや、昔からの友人だ。試作と言っていたが大した出来だろう。仁王教授には劣るかもしれないがな」
「フン……教授もマスターも、返還済みじゃ」お茶を手にして口にする。冷めるのを待たずとも飲めるちょうどいい温度で、何度入れてもこの味だろう。きっとそれがロボットのいいところだ。ブン太が入れるお茶のように毎回違いがあるのが、人間のいいところになる。
「さて……夕食が待っとるから帰るか。何も言わずに出てきたんじゃ、帰ったらなんて言うかのう」
「怒られる確率100%だな」
「何、かわいいもんよ。あ、そうそう、最後に」
「何だ?」
「幸村、どうじゃ」
「……経過次第だ。今のところ問題はない」
「わかった。ありがとう」やはり無表情の弦一郎に見送られながら柳のうちを後にする。いつの間にか夕方になっていて、久しぶりに見るオレンジの空は目に染みた。幸村の回復が確認できたら仁王に先に連絡をくれるように頼んできたが、柳はどうするのだろう。
*
電話を切って、修理中の比呂士を振り返った。一旦中断し、部屋を出る。向かうのは台所に近い、ブン太に与えた部屋だ。やはり物置になっていたが、家中を一掃したときに空いたので使わせている。ノックもせずに開けてやるとアイロンを片手に振り返った。こんなところでも仕事をしていたのか。ブン太の部屋になってから入っていないこの場所にはベッドとハンガーラック、アイロンとミシンと物ばかりがでかい。好きなものを持ち込んでいいと言ったのに、結局家のことばかりか。仕事をさせていると、ブン太が「人間」になることはないかもしれない。
「どうしたんだよ。腹でも減った?」
「アイロン、切って」
「あ、うん」
「で、こっち来て」アイロンを台に置き、ブン太は不思議そうにしながらも寄ってくる。その手を取って抱きしめるとブン太はうろたえ、押し返そうと手を伸ばした。それを捕まえて強く引き寄せる。
「ブン太」
「仁王、どうした?」
「ブン太」
「何だよ」
「なあ、ブン太」
「……仁王」ブン太の声が震えた。顔を寄せると身をかたくする。もう一度名前を呼ぶと顔をそらされ、目を閉じた。何だよ、小さな声は頼りない。
「ブン太」
「仁王、やめろ」
「ブン太」
「ッ……や、やめろよ……」仁王に向いた視線を逃さないよう、額を近づけた。泣きそうになっている丸い瞳に仁王が映る。震える唇は何度も開いたが、結局言葉をつむがなかった。促すように名前を呼ぶ。
「ブン太」
「……仁王、俺」
「ブン太」
「……誰かに抱きしめられたの、あのときが」終わりを待たずに唇を合わせた。ブン太は体をこわばらせ、それでも仁王の服を強く掴む。応えるように抱きしめる手に力を込めて、離した唇が息を吸うのを待ってもう一度触れた。
「やだよ仁王、こんなの、俺」
「あかん?」
「俺っ、こんなことされたら」
「やめんよ」
「んっ!」汗ばんだ首筋に歯を立てる。そのまま舌を這わせて吸いついた。ブン太の反応を見ながらそれを繰り返す。
「ブン太」 「何だよ、なんか言えよッ……」
「……好きだよ」
「あっ!?」かあっと顔を真っ赤にしたブン太に愛しさを覚えて、首に残したキスマークを舐めた。エプロンのリボンをほどいてやると更に顔を赤くする。
「仁王!」
「脱いで。脱がし方わからんから」
「に、仁王」
「今すぐ、ブン太がいい」
*
ブン太が目を覚ますとベッドに仁王はいなかった。軋む体に顔をしかめながら体を起こし、とろりと足の間に流れてきたものにぎょっとする。思わず手をやると仁王が吐き出した精液が手を汚し、顔が熱くなった。……あんなことを。あの雷の夜、初めて人の体温を知った。あたたかい体はブン太の恐怖を和らげ、初めてもらった自分のベッドよりも幸せな場所があるのだとブン太に知らしめた。
昨夜の仁王は熱かった。吐く息も触れる唇も、穿たれた欲も。よくわからないまま、壊れてしまうのではないかとずっと思っていた。体は熱くて涙は止まらない。痛みとそれを塗り替える初めての感覚。人が壊れたら、誰が修理するのだろう。「……仁王?」
どうしてそばにいないのだろう、もうずっと離れないような気がしたのに。ただの思いこみなのだろうか。胸騒ぎがして裸のまま部屋を飛び出す。部屋にも風呂場にも仁王の姿はなく、それどころか比呂士さえいない。比呂士が寝かされていたはずの部屋は空っぽで、ブン太はその場に座り込んだ。
誰もいない。ひとりになるなんて考えたことなかった。否――幸村の病気がわかったときに、ひとりになる恐怖を覚えた。あのときの感覚がよみがえり、体を襲う。鳥肌の立つ腕を抱きしめてうつむいた。比呂士の修理が終わったのだろうか。もしかしたら、もうブン太は不要になったのかもしれない。でも仁王は、確かに好きだと、言ったのに。 電話の呼び出し音に飛び上がった。反射的に体が動いて対応する。「はいッ」
「ブン太か?」
「あ、柳……どうしよう、仁王がいない」
「大丈夫だ、仁王はうちにいる。迎えにきてくれないか」
「え?なんで柳んとこに……」
「説明はこっちでする。慌てず気をつけて来い」
「う、うん……」困惑しながらも通話が途切れたので、ブン太はとりあえず着替えに戻った。いつでも何か起きたときにブン太は置いてきぼりで、「ロボット」として当然なのかもしれないが悲しくなる。知らぬ間に入院していた幸村も、本人から病気について語られたわけではない。一番側にいるはずなのに。
仁王に会いたいのに足取りは重く、柳のうちへ着くのが遅くなってしまった。出迎えたのは以前にも見たことのあるロボットだ。彼を見たとき、自分はロボットを演じきれていなかったのだとわかった。
「いらっしゃい」
「柳……」
「仁王はそこだ」指さされたソファーの向こうに回り込むと、四肢を投げ出して仁王は眠っていた。そばに膝をついて思わずすがりつく。
「昨日の夜中に突然押しかけてきたんだ。一晩中作業していて寝てないから起こさないでやってくれ」
「あ、うん」寝顔は何度か見たが、よだれまで垂らしているのは初めて見る。一緒にいたのは短い間だが、その間に仁王は何度か黙っていなくなった。しかし夜中にいなくなったのは初めてで、一体何があったのか不安になる。
「ブン太」
優しい声にゆっくり顔を上げた。部屋に入ってきたのは、ずっと会いたかった――
「幸村!」
「ごめんねブン太」駆け寄るブン太を抱き止めたのは間違いなく幸村だ。少し痩せたようだが変わらない笑顔を向けられて泣きそうになる。幸村もこんなにあたたかい。長く一緒にいるが触れ合ったのは初めてだ。
「手術は……?」
「成功!ちょっと早いけど退院してきちゃった。うかうかしてられないからね。まあ……仁王にブン太を取られちゃうのは予想外だったけど」ブン太を抱きしめたまま幸村は一緒に仁王のそばへ行き、ペシンと頭を叩いた。ぎょっとするブン太をおいてもう一度叩くと仁王の眉間にしわが寄り、ゆっくりと目が開けられる。
「ブン太」
「全く、どんなやつかと思えばこんな優男。ほんとにブン太を幸せにできるんだろうね」
「……ああ、お前さんが幸村か。なんじゃ、俺とそう変わらん優男じゃの」
「ゆ、幸村、どういう……」
「ブン太、おいで」仁王が手を広げてブン太を呼び、思わず幸村を離れて仁王に抱きつく。昨日感じた体温がそこにあった。耳元で仁王が笑っている。
「大丈夫か?しんどくない?」
「何が?」
「……しんどかったんは俺の方か。鈍っとるのう……」
「で、仁王、約束は?」
「当然。お前さんも俺のかわいい比呂士を大事にしたってな」
「そりゃね、これから頑張ってもらわないといけないから」
「柳センセ、体できたか?」
「ああ、つながったから大丈夫だろう」仁王が体を起こし、視線を向けた方を見ると比呂士が椅子に座らされていた。幸村が近づいて顔をのぞき込み、声をかけるとゆっくり顔を上げる。
「おはようございます」
「おはよう比呂士、今日から頑張ってもらうよ」
「はい」
「……比呂士、直ったのか?」
「多分、な。長く起動させとかんとわからんが」自分の知らないところでいろんなことが起きている。ロボットではなくても、結局は家事をする使用人に違いはないから仕方ないのかもしれない。膝の上に抱き直され、仁王が笑って見上げてくる。
「ブン太、幸村がブン太を俺にくれるって。ブン太はどうしたい?」
「えっ!」
「別にブン太がいらないわけじゃないよ。手放したくないぐらい。だからブン太が決めて」幸村を見ると呆れたように笑っている。今更ながら仁王に抱きしめられていることが恥ずかしくなってきた。幸村が頭を撫でて、ゆっくりとした仕草に思わず目を閉じる。ああ、一度だけ、抗されたことがあった。
「ごめんね、優しくできなくて。俺がブン太に優しくすれば家の中で辛くなるだけだから」
「ううん、わかってる」
「抱きしめてもらえる場所は、嬉しいだろ?」
「……でも」
「あのね、話したことなかったけど、俺は今ブン太が人として住めるようにするための仕事をしてる。結婚だって、できるようにね」
「えっ!」
「この天才・仁王教授が作った比呂士に手伝ってもらえばすぐだよ。仁王のうちで待ってな」
「幸村」
「ブン太も幸せになっていいんだよ」笑う幸村に背を押されるように、ブン太は仁王を見る。やはり笑顔で受け入れてくれる仁王の手が、あたたかく背中を撫でた。
「……俺、ほんとに仁王といれるの?」
「そう。好きだよ」
「仁王……!」強く抱きしめると幸村が笑った。さあ、と切り替えるように手を叩いてブン太から離れていく。
「柳、比呂士に支障があったらすぐ連絡する。仁王にもね!セックスの最中でも飛んできてよ!」
「約束はできんのう」
「じゃあ押し掛ける。……じゃあねブン太、また」優しい声が別れを告げた。振り返ると幸村は手を振り、比呂士と連れ立って部屋を出ていく。廊下に控えていたロボットが見送るのが見えた。比呂士を見送った仁王が困ったような顔をしている。それを見ていると気づいて笑い、頬を撫でてくる。
「寂しい?」
「……よくわかんない」仁王のキスをもらって答える。後ろで柳が咳払いをした。
「帰ろうブン太、腹減った」
「……何がいい?」
「ブン太が好きなものでいいよ。好きなように。すぐにブン太はなんでも好きなことできるようになる」
「……俺は、まだわかんない」
「ま、ぼちぼちな」今は手に入れた温もりだけを、手放さないように。
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