罪を憎んで人を憎まず 2
テスト後に始まった関東大会で、立海は負けた。あの日以来丸井は荒れていた。ささいなことにいらついているのがよくわかり、ちょっとした爆弾だった。間違って触れれば周りを巻き込んで爆発する地雷を抱えた丸井が、泊まりに来いと言ったときに警戒しなかったと言えば嘘になる。ただ単純に誘われたことも嬉しかった。そばにいる人物として自分を選んでもらえたこと。そんなことを思いながら、わざわざ仁王の足の間に入り込んで背もたれ代わりにしながらゲームをしている丸井を緩く抱きしめていた。
「負けた」
「ブン太さんちょっとタイミング遅いよ」
「るせーなー、わかってんだよ」リトライする丸井だがあまり苛立ちはないらしい。と言うのももう5度目で、さっきまでは怒っていた。そろそろ同じ会話を見るのに飽きてしまったようだった。
「……なあ仁王、お前見てるだけで楽しい?」
「楽しいよ。ブン太は表情ころころ変わるし」
「俺かよ」
「だって俺これクリアしたし」
「クッソ〜……」丸井はボタン連打で会話を飛ばしながら、さっさと戦闘へ持ち込んでいった。ようやく戦いのシーンになったが丸井はやる気なく両手を垂らし、溜息をついた。
「ブン太、ボコられとるよ」
「あのさ、お前さ」
「何?」
「……まあいいや」コントローラーを手放し、どうしたのかと思えば体をひねってこっちを見上げてきた。丸い瞳に浮かぶのは不満げな色で、首を傾げて見せるとハッと息を吐いた。笑ったようだ。自嘲のあとに顔を寄せられてやっと意味がわかった。触れた唇は濡れていた。ぞくりと鳥肌が立った。思わず逃げようと引いた体を丸井はそのまま押したので、勢いづいて後ろに倒れてしまった。頭を床に強くぶつけ、その痛みを受けて思考が飛んだ。気づけば腹に乗り上がった丸井のキスは続けられていて、触れるだけだったものがそっと下唇を吸った。閉じられない丸井の目が怖かった。何を狙っているのか、ぎらぎらとして責めるようだった。
「……丸井?」
「お前さ」
「ブン太ー!」
「……ああ、もう」部屋に飛び込んできた声に舌打ちをして、丸井は立ち上がった。じっと表情をうかがった後、部屋を出ていった。まだ鳥肌が引かなかった。天井を見たまま考える。丸井があんな態度をとる理由がわからない。確かに立海は関東で負けた。幸村不在の今、必ず勝つと約束したにも関わらず。しかし丸井の不機嫌の理由がまさかそれだけだとは考えられなくて、思い出せる限りの事項を上げては却下を繰り返した。あんな表情は見たことがなかったし、さっきのキスの意味もわからなかった。
「ニオー、親出てった」
「え?」戻ってきた丸井はドアを開けながら言った。床に転がったまま見上げたら、丸井はおかしそうに笑った。さっきまでの様子はなく、そのことに戸惑った。勘違いだったのだろうか。
「言わなかったっけ、今日みんな婆ちゃんち行くんだよ。俺は部活あるからさ」
「言ってたか……?」
「まあとにかくさ、いねえから。あったかいうちに飯食っちまおうぜ」
「うん」
「あ、ゲーム消して」言われた通りゲームとテレビの電源を切り、丸井に続いて部屋を出た。急に家の中が静かになった気がして少し居心地が悪かった。夕食の席での丸井は饒舌で、最近は不機嫌故に口数も減っていたので懐かしいほどだった。
「いーね、また行こうぜ」
「結局デートもできとらんしの」
「遊んでねえなー。つーかそもそもお前とふたりってのがあんまなかったな」
「休みもみんなでテニスしとったしの。幸村のしごきがな……」
「……つうか、休みにテニスしようって言っててさ、幸村くん呼んだのお前じゃん」
「ん?そうやっけ?」
「そうだよ」目が鋭く細められた、ように思えたのは一瞬で、きゅうと唇が上がって笑顔が浮かんだ。忘れっぽいなお前、いたずらっ子のように笑う丸井に笑い返した。少しずつ日常とずれていく感覚、この違和感は何だ。探ろうと気を張りつめるせいか丸井もときどき仁王に首を傾げた。丸井が片づける間に風呂へ行き、丸井も上がるのを待ってゲームの続きをした。何かをやり直すように同じ体勢で、2度目で敵を倒してしまうと丸井は記録をして電源を切った。静かになった部屋で、寄りかかってくる丸井は風呂上がりであたたかかった。溜息のような呼吸にどきりとした。探せ、
「仁王」
「何?」
「赤也に彼女できたんだって」
「へえ、あいつに」
「なんか言い触らしまくってた。浮かれすぎて真田に殴られてた」
「ああ、こないだのかの。俺が部室入ったら赤也がぶーたれてた」
「そう、一瞬であのテンション。まあ、ウザかったのは確かだけど」
「やかましくなるんかねえ……」考えるだけでうんざりした。あのお調子者のことだから、嬉しくて何でもぺらぺらと喋りそうだ。思春期の猿が考えるようなことはたかが知れていて、何か勘違いしているようなので相談でも持ち込んでこられるかもしれない。なんて面倒な。女など。ゲームの電源を切っただけでただ暗闇だけを映すテレビの画面に丸井が映っていた。静かな部屋でそれに気づいて、違和感が更に大きくなった。何か言いたいことがあるのだろう、ぐらいのことはわかった。それをどう聞けばいいのか、言うのを待つのがいいのか、判断しかねた。
「仁王」
「何?」
「寝ようか」
「もう?あ、でももう11時前か。丸井いっつも寝るの早いよな」
「眠くなるんだよ。寝よ寝よ。客用出してないけどいいよな一緒で」
「俺のベッドよりましじゃろ」先にベッドに潜っていく丸井を笑い、電気を消しに立った。紐を2回引き、行こうとすると全部、と声があった。
「全部消して」
「全部?」
「全部」真っ暗にしてベッドへ向かうとつまづいた。笑う丸井とベッドに入って布団を上げた。丸井が小さくなってくっついてきたので背中に手を回した。温もりを抱きしめて眠りについた。誰かと一緒にいてこんなに安心できるのは丸井だけかもしれなかった。久しぶりの気持ちよい眠りは、夜中に引き上げられるように意識を浮上させられた。何が起きているのかよくわからない。体にかかる重みと正体不明の感触に怪奇現象かと考えたのは一瞬だった。下半身の疼きには覚えがある。そこに這う未知の感触に全身が粟立ち、正体を見極めようと起き上がろうとした体は何かにつなぎ止められた。真っ暗で何もわからなかった。裸の肌の上を毛がくすぐり、濡れたものが這っていた。声を上げると、体を襲う何かはぴたりと動きを止めた。じっとして様子をうかがうとぎしりとベッドが軋み、動いたそれはカーテンが開けられると同時に正体を現した。窓の外で一晩中ついている街灯で浮かび上がったのは、丸井だ。はあ、と息を吐いて前髪をかきあげた。腕に遮られた顔がこっちを見た。笑ったような気がした、思う間に丸井は着ていたシャツを脱ぎ捨てた。
「丸井……?」
「起きちゃった。思ったより早かったなあ」体を屈めた丸井は視線を落とし、そうかと思えば体を倒して乳首に舌を這わせた。体が跳ねたのを笑った。気づけば自分の服もまくり上げられていて、そうしながら丸井が手を伸ばす下半身もさらされているのに気づいた。立ち上がった自身に触れるのは丸井の手だったのだろうか。
「ん……」
「ま……丸井!何してッ」
「するんだよ、今から」
「丸井!」やめさせようとしたが両手がつながれているとわかった。まとめて何かの紐でベッドの足かどこかに結びつけられていた。足も同様だ。赤い髪で腹を撫でながら唇は肌をついばんで移動していた。ぞくぞくと足下から這い上がってくるのは、肉体だけはそれと知っている、快感。頭は嫌悪を訴え、冷や汗が背中を流れた。焦るばかりで何もできずにいる間に丸井の舌は緩く握った性器にたどり着いた。熱い舌が触れた瞬間、頭の中が真っ白になって声を上げた。少しの間舌が止まった。
「やめろ!」
「……仁王、お前さ、舐めてんのか?」
「丸井……?」丸井はゆらりと体を起こした。跨いだ体を見下ろしてきた瞳は濡れていた。少ない明かりで光る目がまっすぐ見下ろして、冷たい指先が胸を撫でた。近い唇がゆっくり動いた。確認するように、一音ずつはっきりと落とされた。
「におう」
「何……」
「俺のこと、好きって言ったよな」
「言った、好きだよ」
「……俺もだよ。お前のことばっか考えてる」腹に触れる丸井のものも立ち上がっていた。熱に惑わされて何も考えられなかった。丸井が薄く笑い、ひらめいた手のひらが頬を軽く叩いた。後からくる痛みに更に混乱させられた。これは、何が起きているのか。
「お前さあ、甘いこと言ってムード作るだけ作って、ほったらかしてさ。俺を何だと思ってるわけ」
「だから、何の話かわからん」
「……俺をペットか何かと勘違いしてんのか?可愛がるけど夜はゲージでひとりで寝なさいって?俺から仕掛けた2回のキスで、俺は何回お前のこと思いながらオナニーしなきゃなんないわけ?それとも男となんて気持ち悪くてセックスなんかできねえってか」
「違う」
「違うよな、ほら、立ったじゃん。ガタガタ言わずに大人しくしてろよ、突っ込まれてやるから。……女がいいってんならお前がしてほしいように喘いでやるよ、もう、さあ。俺なりふり構ってらんないんだよ、お前がほしくてしょうがないわけ、わかる?」萎えかけていた性器に丸井の指が触れた。確実に感じる部分を刺激されて顔をしかめると、見下ろしたまま丸井は笑った。いつもの明るい笑みとは全く違う、卑屈な笑いだ。こんな顔を見たことがなかった。こんな表情をするなんて知らなかった。
「お前の好きってなんなの」
「丸井」
「かわいいねって頭撫でて、それで終わりじゃねえだろ?男なんだからよ」
「やめろ」
「何で?ヤなの?だったら泊まりにきたり抱きしめたりすんじゃねえよ!」胸を叩かれて息をつめた。むせたのも構わずそのまま爪を立てられた。憎しみさえ浮かんだ目が怖かった。
「セックスって、だって、男同士じゃろ」
「……やっぱり男は気持ち悪いってか?」
「違う」
「お前は俺とセックスしたいって一度も思わなかったのかよ!」
「丸井、俺は」
「いいから黙ってろよ、俺とりあえず、したいんだよ」汗ばんで貼りつく髪をまたかきあげ、丸井は体を震わせて深く息を吐いた。笑い声は楽しそうには聞こえなかった。
「俺も好きだよ。あんなキスじゃ、足んねえよ」
「……わ……わかった、丸井、わかった。……ほどいて。ちゃんと、抱かせて」
「え?……うん!」この夜初めて見せた明るい笑顔にどきりとした。あんな顔をさせていたのは自分だ。身を乗り出した丸井が手の拘束を解いた。体を起こすと抱きつかれて、自分の震えに気づかれないように強く抱き返した。ずっとわからなかった違和感のわけをようやく理解した。丸井はずっと、欲情していたのだ。熱を持て余し、何もしない男に腹を立てながら。
「……ごめんな。俺、……ああ、その……大事に、してやりたくて」
「ううん、お前が優しいのはわかってる。でも俺、そんなに柔じゃないから、さ」
「そうやね」
「仁王」
「……うん」抱きしめたままキスを受け入れた。歯列を割る舌に鳥肌が立った。ぬるりとした他人の感触。それでも応えてみせた自分はどうしようもないばかだ。これからセックスをしようとしている。そんな自分が気持ち悪かった。急かすように、舌を絡ませながら丸井は残った布を取り払った。唇を離して笑い、丸井の高ぶりが腹部に触れた。
「……でも、丸井」
「ブン太」
「え?」
「名前がいい。呼んで」
「……ブン太」
「うん」首筋を這う舌に身震いした。吸いついて残した跡を見て丸井は満足そうに笑った。得意のペテンが役に立っても嬉しくなかった。
「……どうしたらいいかわからん」
「……俺がやる」離れた丸井は足元にしゃがみ込み、所在なく垂れていた性器を手にした。ゆるゆると手の中で揺らされる感覚に委ねていると、先端があたたかいもので包まれた。はっと驚いて腰を引くが足はまだ拘束されたままだった。
「丸井」
「ン、」
「丸井、それは」
「名前」
「ッ……ブン太!」
「……ん、大人しくしてろって、言ったろ」
「ブン太ッ……」――結局何をされてももう立たなかった。緊張したなどと嘯きながら丸井の射精に手を貸して、その夜は裸で抱き合って眠った。否、眠ったのは丸井だけだ。快感を受け入れる無防備な様子と、少し残念そうな丸井の表情とを思い出して眠れなかった。避けてきたせいで無知だったのか、男同士でもセックスが成り立つというその事実に頭がくらくらした。何度も好きだとささやき、自分にもそれを求めた丸井が姉と重なった。汗ばんで乱れた髪も過ぎる快感に歪む唇も。腕の中の丸井はまだ好きな人で、一緒にいるときの幸福感は他の誰とも感じなかった。そのことが、丸井も同じではなかった、それだけだ。しかし、離れる理由には十分な。朝、はにかんで笑う丸井には夜の様子は全く見られなくて、こんなにも健全な笑顔をあんな風に歪めた快感といいものが更に恐ろしくなった。
「おはよう」
丸井のキスが落ちた。もう、何をしても丸井を傷つけるだろうと確信があった。現象としての勃起を処理したことはあっても快感のかけらが嫌悪感に押しつぶされて消える。家に帰って試した自慰もむなしい結果だった。
「好きです」
しばらく放心が続き、隙ができていたのだろうか。校舎裏でサボっていると告白された。全国大会へ向けて厳しく練習する中で、疲れていたせいもあるのかもしれない。この忙しさが過ぎれば時間ができる。いずれ丸井とセックスをやり直す時間ができるだろう。
「もうやめてくれ」
「え?」
「恋愛なんざごめんじゃ」失恋中だと噂が流れ出し、面倒でほうっておいた。勝手に作られる想い人の像は様々で、女は嫌いだと周りに言っていても信じてもらえないのは人柄なのか時代なのか、とにかくうんざりしていた。その噂のせいでなだめた丸井がまた女がいいのかと言いだし、少し面倒だった。ぎらぎらした目を見たくなくてときどき避けた。
「仁王、今日は?」
「……うん、どうじゃろなあ……」丸井が時々、盛った。そうとしか表現できない自分も、無駄だとわかってくれない丸井も、揃ってばかだと思った。何度やっても何をされても立たないものは立たなくて、そのたびに丸井を怒らせ、時には泣いた。
「……男が気持ち悪いなら言えよ」
「ちゃうよ。……あんな、ブン太」少しずつ、少しずつ。ずれていく。うなだれた丸井の肩に布団を被せて頭を抱えた。太股を叩く反動で涙が落ちたのが見えて、優しくすればいいのか触れない方がいいのか、考えている間に膝に丸井が崩れてきた。甘えるような仕草で、ぐす、と鼻を鳴らす彼が愛しい。望むことならなんでもしてあげたいと、今でも思うのに、自分は無力だ。そっと頭を撫でてやるのが精一杯で、丸井が何を考えているのかまでいつも考えつかなかった。
「なあ、何なの?」
「……前にな、姉貴がセックスしとるん、見たことがあるんじゃ」
「え?」
「何かもう……気持ち悪うて」
「何が?」
「……セックスが。あんなみっともない姿さらして、その後平然と飯食って」
「お前」
「え?」
「俺のことそんな風に見てたわけ?」
「ブン太じゃないよ、姉貴が」
「同じことだろ、俺がみっともない姿さらしてひとりでお前相手に興奮してんの、気持ち悪いって見てたわけだろ!」
「違うって」
「どう違うんだよ!」キッとつり上がった目がまっすぐ睨んできた。そんなことを考えたことはなかった。どちらかと言えば自分のことばかりで、あんなに理性をなくすようなことは考えただけでも絶えられなかった。丸井の怒りについていけずに、きっと間抜けな顔をしていたのだろう。もういい、丸井は小さくつぶやいて冷たい目を向けた。喜怒哀楽、様々に表情が変わるものだな、などと思っていた。勝ち気な瞳、自信の証の赤い髪。猫のようなしなやかな肢体はきれいだと思ったと、今告げても怒られるだけだろうと目を伏せた。幸せだった温もりは手元を離れて、――あの日から、触れていない。
「仁王ー!飲んでねえじゃん!」
「勘弁してよ車なんやし」
「マジで?俺送って」
「お前さんはすぐリバースするからお断りじゃ」絡んでくる元クラスメイトを引き剥がし、静かに飲んでいる女子のグループ側に移動する。加わるつもりではなかったが、覚えてる?と声をかけられてそれに応えた。中学のクラスメイトとはいえ案外覚えているものだなと思う。もう5年も前のことになるのか。成人式で連絡先を集めまくった幹事が開いた同窓会は思ったよりも参加者が多く、近くだったので来てみただけだが賑やかで楽しいものだった。会いたかった人は、来ていなかったけれど。烏龍茶で口を濡らし、許可をもらって煙草を取り出す。元テニス部の連中といるときは現役がいるので控えているが、会う回数が減ったせいですっかり癖になってしまった。それだけじゃなく、口寂しいのかもしれない。話す相手も、キスをする相手も、誰でもいいわけじゃない。
「なんか仁王くんが煙草吸ってんの、似合うよね」
「そうけ〜?おっさんじゃろ」
「セクシーって言うか、中学のときも大人っぽかったけど」
「大学でももてるんじゃない?彼女は?」
「おらんおらん。俺見た目だけじゃけん、中身知ったら離れてくんじゃ」
「自分で言った!」ほろ酔いの彼女たちはけらけらと笑う。かわいらしいものだ。高校を卒業してからまともに会ってない丸井は、今笑えているだろうか。丸井に彼女ができたのは、中学を卒業する前だ。
「まだ俺のこと、好き?」
事実があったことを確認するように、どんな気持ちで聞いたのだろう。好きだよ、今でも。他の誰も好きになれなかったという方が正しいのかもしれない。別れてからもっと好きになった。真摯に彼女とつきあう姿を見るのは少しさみしかったけれど。
「嘘ばっかり!ペテン師健在だね。絶対彼女いるでしょ」
「おらんって。おっさんやし〜インポやし〜」
「何それ!」
「やーもう、頼りない息子でねえ」縛って襲ったのは丸井だけだった。女は賢い。巧みに誘い込みふたりになって、行為になだれ込むけれどこっちが立たないとなると早々に諦める。……丸井は来ないのだろうか。どう成長したのか知りたい。あの頃感じていたのは思春期の潔癖で、今なら丸井に誘われれば興奮するに違いないのに。実際何度か夢に見た挙げ句に夢精した。ひどく後味の悪い夢になった。
「テニス部の人たちどうしてるの?丸井くん今日来てないね」
「……さあ、幸村たちは今日本におらんしのう」
「丸井くんと仲よかったよね」
「いちゃいちゃしてた感じ!」
「……なんじゃそら」よく見ているものだなと思う。少なくとも教室では普通に友人として接していたつもりではあるし、卒業が近くなった頃には完全に避けられていた。会いたいと思うのに勇気がない。連絡先は知っているのに。
「よう仁王!」
背中を叩かれて振り返る。タイミングでもはかったように、そこには丸井が立っていた。面白いことを隙なく探す瞳が俺を見てぱちぱちと瞬きをした。俺の目の前に丸井がいた。抱きしめたくなってびりびりとする指先を握る。久しぶりに会った丸井は何も変わらない。前に会ったのは幸村を見送りに空港へ行ったときだろうか。そのあとみんなで飯に、という話になったが、どうしたらいいのかわからず抜けて帰った。あのときは無性に乱暴な気分で、傷つけてでも丸井を抱きたかったから、それを避けるために。似合うから、と昔から変えない赤い髪、変わらない態度。大切なものはなくして気づくなんて、笑えない言葉だ。俺の前に、丸井がいる。
「何だその顔。つかなんでお前女に囲まれて飲んでんの、嫌味なやつ」
「丸井くんお久しぶりー」
「おー、久しぶりー!田野だっけ」
「曖昧なんだ!」女子と一緒に笑う丸井は誰かが頼んでいたビールをかっぱらい、話の中に加わった。俺を見る目に迷いがない。ああ、また置いていかれてしまったのだと、苦笑を漏らす。少し離れた場所でひとりで煙草を揺らしていると、丸井がジョッキを置いて寄ってきた。目ざといな、と思う。
「んで仁王、インポ直った?童貞卒業した?」
「無事ヤラハタ迎えました」
「うわ〜引く、ドン引き。そのビジュアルで童貞とかマジないから」
「嫁に行くまで大事にとっとくわ」
「ばかか」
「せやね。……俺、抜けるわ」
「俺が今来たのにー?お前車だっつーから送ってもらおうと思ったのに」
「勘弁してよ、泣きそうやもん」
「なんで?」
「好きだよ」俺がぽろりとこぼすと丸井は絶句した。ブン太、と呼んでいたのはわずかな間。他の誰にもなれない大切な人だったのに、向き合えなかった。子どもだったのだと言い訳するつもりはないけれど、それでも、俺はまだ丸井が好きだった。許されるならつぐないをしたいと思うほど。……つぐないじゃない、やり直したい。取りすがって俺のものにしたい。
「……お前……ばかじゃねえの、何年前だよ」
「思う」
「つーかキモい!」
「知ってる。追い打ちかけんでよ、死にたいわ」
「……俺、今、彼女いるから」
「そっか。幸せ?」
「うん」
「ならいいよ」丸井の前では素直になってしまうのはなぜだろう。情けない自分を笑い、渡しといて、と会費を預けたのを最後の会話に、店を出た。夜風は冷たくて人肌が恋しくなる。車の前で2本吸って、あきらめた。終わらない恋をしている。変なドラマよりよっぽど純愛じゃないか、車に乗り込んで発進させた。家に帰って飲み直しだ。姉が旦那と来ているからどうせあっちも宴会だろう。あの時と違う男は優しそうだ。丸井を抱きしめなかったのを後悔しながら、丸井が出てきてくれることを願った自分が気持ち悪いと思った。
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