えろくはない

 

「今日、先輩んち行っても大丈夫すか」
「え?うちはいつでも大丈夫やで?」
「やなくて、セックスしに行っても大丈夫ですか?って意味」
「ッ……」

未だにこの人は財前が純情無垢な少年であると思っているのではないか、という気になるときがある。財前の口から露骨な単語が飛び出すと、今のように顔を真っ赤にするのだ。純情じゃないのは謙也も同じだというのに。謙也は辺りをはばかるようにきょろきょろとして、ぼそりと親はおらん、と呟く。

「学会。慎也は追い出す」
「ほんなら泊まりに行きます」
「うん」

まったく、そんな期待した顔を今見せられても困るというのに。我慢できなくなったら責任を取らせてやる。そうやって喜ぶから、素直にかわいらしく抱かれてやるなんてできないのだ。 あっさりと兄に切り捨てられた弟がいても別に構わないのだが、謙也にしてみれば財前が弟にちょっかい出すのが気に食わないらしい。以前一番ひどいことは先輩にしかせえへんよ、とかわいこぶって言ってみたら満足げであったが、それでも嫌なものは嫌、というのが謙也の主張だ。

「あ、せや、ほなこれ先輩んち置いといて下さい」
「おー、了解」

謙也に手渡したのは、放課後の部室でもらった誕生日ケーキだ。ワンホールだが甘いもの好きなら余裕で食べてしまえそうな大きさで、それに半ば強引にろうそくが14本ささっていた。さしたはいいが結局火がなかったと言うオチで、マッチを求めて謙也が理科準備室まで走ったがさすがに施錠されていたのだ。しかしおかげで部員は歌うタイミングをなくしたので財前にしてみればありがたい結果だった。以前誰かの誕生日をやったときはその場で切り分けてみんなで食べたが、今日は早く帰りたがる財前を察してか、白石が丸ごと差し出したのを遠慮なくもらってきた。

「ほんなら、また迎えにくるわ、準備できたら携帯鳴らして」
「そーします。ほなまた後で」

少し名残惜しそうな顔を見せた謙也も、ケーキの箱を片手に自転車をこぎ始めた。まさか自分に恋人とふたりっきりで誕生日を過ごす日が来るとは。自分でその状況を作った割にはうまくいきすぎて笑えてくる。 踵を返して家に入ると、玄関で甥っ子が絵本を広げていた。音に気づいて顔を上げ、財前を見るなり飛びついてくる。

「光!」
「なんや、どした」
「おたんじょうびおめれと!」
「ああ……」

財前が家を出る頃はまだ寝ていたのだ。まだまだ誕生日が楽しい時期の甥っ子は、他の誰かの誕生日も嬉しいらしい。わざわざそれを言うために玄関で待っていたのだろうか。頭を撫でるとにこにこして、光かえってきたで〜、と部屋の奥へ向かっていくのでそれについていく。

「ただいま」
「お帰りなさい。今日も彼氏は家の真ん前まで送ってくれはったん?」
「また行く」
「迎えに来てもらうの間違いやろ」

兄嫁はけらけら笑い、息子を抱き上げる。義理の弟が同性とつき合っていると知っても、この人はまったく動じなかった。よき理解者になってしまったのは便利だが、少々複雑な気がしないでもない。

「光のケーキ買ってこんで正解やったねえ」
「光どっかいくん?ケーキは?」
「光は仲良しの子ぉにお祝いしてもらうんやって。明日はうちでケーキ食べや」
「……ま、瞬がケーキ食べたいんやったらしゃーないしな」

甥の楽しみにはケーキも含まれているのだ。その機会を無闇に奪うような真似は財前も望んでいない。 着替えるために部屋へ向かい、泊まるなら着替えがいるか、と少し迷う。どうせ出かけるつもりは一切ない上、どのみち明日の午後は部活がある。結局面倒になって手ぶらで部屋を出た。謙也には先にメールを入れておいたので、リビングで一服している間にチャイムが鳴った。財前が動かないので義姉が立ち上がる。

「光ー、謙也くん」
「飲んだらー」

ちらりと玄関に目をやると謙也はまだ制服姿だ。もしかして近くで時間をつぶしていたのだろうか。

「謙也くん帰っとらんの?」
「や、荷物置きに帰りました。でも光がいつ呼ぶかわからんから」
「……着替えもせんかったわけね」

振り返ってこっちを見た彼女の頭には恐らく「忠犬」の二文字が浮かんでいるのだろう。冷えた麦茶を飲みきって玄関へ向かった。

「泊まってくるからおかんらにも言うといて」
「え〜、お姉ちゃんそんなんよう言わんわぁ」
「誰も詳細話せとは言うてへん」
「あっ、お姉ちゃんいかがわしいもんとかプレゼントにした方がよかったかなぁ」
「ねーちゃん、瞬聞いとるから」

時々血がつながっているのは兄の方ではなく嫁の方だと勘違いされることがあるのは、絶対このテンションのせいだ。俺こんなんちゃうのにな、眉をひそめてサンダルをはく。

「ほな、今日の主役借りますわ」
「返さんでいいで」
「え〜?本気にしますよ?」
「先輩顔キモい」

ほっとくと長引きそうなやり取りにじれて先にドアを開けて出た。夏の日差しは夕方になってもきつく、目を細めて慣れるのを待つと謙也が慌てて飛び出してくる。

「あっつい」
「クーラー入れてきたしはよ帰ろ」

ぐずぐずしとったのは先輩やん、一言添えるとぎくりとして、すぐに自転車にまたがる。黙ってその後ろに乗ると、一声かけて謙也はペダルを踏んだ。 謙也の家まではそう遠くない。おまけに謙也の足で走るのだから、財前がすねたふりでだんまりを決め込んだところで大した効果は期待できなかった。頬に当たる生ぬるい風に顔をしかめている間についてしまう。自転車を片づける後ろ姿を見ていると汗をかいているのがわかる。抱きついてやればよかったなんて思いながら謙也を待ち、一緒に中へ入った。

「やばい、俺めっちゃくさない?」
「汗くさい」
「シャワー浴びてっていい?すぐ戻るわ。リビングクーラー効いとるし待っとって」
「ん」

もう慣れた忍足家の廊下を歩き、無人のリビングに入る。ひやりとした空気に目を細め、ソファーに座った。今日は誕生日を祝ってもらったというのにいまいち実感がない。しかしそれは毎年のことで、誕生日を境に急に成長するわけではなく、変化を感じないからだろう。それでも誕生日の夜を他の家で過ごすことには少し身構える。誰もいないときに泊まるのは久しぶりだ。暇つぶしに新聞を広げて眺めていると足音がして、振り返るとそこには謙也の弟が立っている。財前を見ておびえた表情を浮かべたので、わざと意地悪く笑って見せた。

「い……いらっしゃい……」
「……慎也くん、俺今日誕生日やねん」
「あ、はい、兄貴が言うてました」
「で?」
「へ?」
「なんか言うことないん?」
「え、あ、おめでとうございます……?」
「おーきに」
「えーと……あの……ご、ごゆっくり……」
「慎也くん」
「……はい」
「彼女にちゃんと先輩に挨拶せえって言うといて」
「……ざ……財前先輩以外にはちゃんと挨拶するんですけど、ね……?」

引きつった笑みを見せた彼は後ずさりを始める。とって食おうと思っているわけではないがここまでわかりやすいリアクションを取られては、口から飛び出すのはからかいばかりだ。顔は謙也と似ているわけではないが面影がある。黒髪を金にすればもう少し似て見えるのではないかと思っているが、平和に暮らしたいとときどきぼやく弟は兄と違って優等生だ。 謙也の足音を機会に慎也は素早くリビングを飛び出した。廊下で兄に捕まり、光に悪さしてへんやろな、と絡まれて逆や!と声を上げている。筒抜けだと気づいているのだろうか。さっさと出てけ、弟にそんなことを言いながら、謙也が中に入ってくる。

「光ー、慎也に悪さしたんか」
「悪さなんかしとらんわー。するんやったら謙也先輩にするし」
「あほ」

にやにやしながら罵倒の言葉を口にされても、意味は意味通りにならない。髪を乾かす間も惜しんできた謙也は財前の隣におさまり、やっぱりにやにやしている。

「慎也くんは?」
「友達んとこ泊まりに行くって」
「おってもよかったのに」
「嫌やわ」
「奥手な慎也くんにこうするんや、って実践で教えたったらええのにー」
「ないわー。つうか、それで慎也が俺みたいになったら困るし」
「どうなったら困んの」
「光に惚れたら」
「俺ハーレムやん」
「ぜっっったいそんなんさせん!」
「えー」
「光が俺以外にかまっとったら泣きそうやもん」
「えー、じゃあ泣かしたい」
「やめてや」

緩んでいた口元がへの字をかき、これを演技ではなく真剣にしている謙也にこちらがにやにやしてしまう。ケーキ食べる、と言えばさっと立ち上がって駆け足で台所へ向かった。財前のうちより広いとは言え、走るほどの距離ではないので戻ってくるのは早い。 部員のみんなで用意してくれたケーキはろうそくの穴だらけだったが何の問題もない。謙也が持ってきたフォークは1本だったが財前も何も言わなかった。財前がケーキを食べ始めるのを、謙也は隣でにこにこして見つめている。そうかと思えば不意に眉をハの字に下げ、なぁ、と情けない声を出した。

「ほんまにプレゼント、何もいらんの?」
「今欲しいの何もないんで。iPODはおとんがくれたし、PSPもじいちゃんくれたし」
「でも俺も光になんかあげたい」
「ほんなら、なんか欲しいもんできたら言いますわ」
「え〜、それってなんかちゃうやん!誕生日に渡すから誕生日プレゼントなんやろ!」
「……じゃああんたが考えて」
「えっ」
「俺に何あげたいん?」
「……お……俺、とか?」
「……くれるん?」
「あげる!超あげる!」
「あほ」

身を乗り出した謙也に思わず吹き出して、へらっと笑った表情に思わずつられそうになる。先輩はもう俺のもんやと思っとったけど、つぶやくように返せば、えっ、と声を漏らしてにやりと口元を緩めた。だらしない顔だ。

「先輩、目ぇつぶって」
「えっ」
「期待しなや」

フォークを置いて体を謙也に向ける。謙也は光を見たあと、口の端を引き締めて目を閉じた。その表情に満足して、謙也の後頭部に手を回す。まだ湿った髪が指を濡らしたがささいなことだ。余った手でケーキをそのまま持ち上げる。プレゼントには、ラッピングが必要だ。

「光ちょっと待って、俺今嫌な予感したんやけど」
「口閉じや」

謙也に抵抗の隙を与えず、無防備な顔にケーキを押しつける。確かな感触に満足して力が緩み、反射で謙也が逃げたせいで支えをなくしたケーキはずるりと謙也の胸元に落ちた。あーあ、と声に出すと謙也の肩がびくりとする。その目はかたく閉じられ、何か言いたげにぱくぱくする甘そうな唇を見ながら苺を拾って食べた。

「……光様、何これ」
「ラッピング?」
「つうかトッピング……」
「じゃあそれ」
「じゃあって」
「黙って」

ぐっと大人しくなった謙也の膝に乗り上がって、頬を舐めた。舌でまつげを撫でるとまぶたが震える。恐る恐る目を開けた謙也のまつげの付け根はまだ白い。

「あのう……」
「じっとしといて下さいね」
「やっぱり……」

不満げな唇に吸いついて、生クリームを舐めとってからキスをし直す。謙也の舌からは逃げて、フォークを持ち直して落ちたスポンジをつついた。期待なのか緊張なのか、体をかたくしている謙也を無視して原形をとどめていないケーキを食べる。見覚えのある真っ青のTシャツはあまり食欲を持たせる色ではないが、今は気にならない。

「……うまい?」
「うん」
「白石と小春が買いに行ってんで、オサムちゃんに車出させて」
「ふうん」
「……そ、そういや小春になんかもらっとったな、なんやったん?」
「ペン」
「なんや小春っぽいな」

柔らかいスポンジは噛まずとも溶けるようで、生クリームと混じって体を癒す。昼間の暑さなどなかったかのような冷房の風があるだけで、こんな甘さも受け入れられるから人間は現金だ。一口分謙也に突き出せば戸惑うので、無理に口に押し込む。

「……うまいな」
「うん」
「……あ……え〜と、あれは?家でお祝いとかせえへんの?」
「……明日」
「へえ、」

うらがえった声で相槌を打つ謙也の胸をフォークで突いてやる。きもいねんさっきから、わざと怒った表情で謙也を見るとだって、と唇をとがらせた。

「そんなとこにおるのにさわったあかんとか、ないわ」

膝の上に乗った程度で興奮されて、自分のせいにされてしまった。何度もしたことなのに今更そんなリアクションをされても逆に驚いてしまう。それともこの後に期待してのことなのか。意地悪したくなる、ささやくように漏らすとびくりと肩を揺らした。

「俺がもらったプレゼントどうしようと、俺の勝手やないですか」
「せやけど」 「暇なら俺でも見ときぃや」
「ちんこ立つやん?」
「許したるから立たしとき」
「遅刻したみたいに言わんといてや。……フォークで乳首つつかんといて」
「ケーキ食べ終わったらこっち食べるやん?」
「意味わからん……!」

胸を突いたフォークで唇をつつく。あほちゃう、うろたえる謙也の鼻先をついばみ、顔についた生クリームを舐めとった。頬を吸って顔をきれいにしていく。

「ひ……光……」
「もうちょっと待っとき」
「サイテーや……」
「俺がこんなに喜んどるんやから満足やろ?」
「……早よ食べて」
「どっちを?」
「どっちも!」
「ヘンタイや」

謙也を笑ってケーキを食べる。今度は唇を噛んで黙り込んだ謙也を見ながら、財前も黙ってフォークを運ぶ。ちらちらとケーキや財前を見ては顔を逸らす謙也に、時々思い出したようにキスをしてやった。

「……立つ」
「ほんまや」
「触らんといて下さい!」
「触られたないん?」
「……」

ジャージの上から股間を押さえつけるように触れると眉をひそめた。発情した体は隠せない。

「せぇんぱい、」
「……触って下さい」
「ええ子にしとったらな」
「すぐそういうこと言うやろ……」
「何で俺何もしとらんのに興奮しとるんっすか」
「何か食うとる光エロいんやもん」
「……あんた俺に奢るんそんな理由なんすか」
「ち、ちゃうわアホ!俺はお前に財布使わすほど甲斐性ない男ちゃうで!」
「甲斐性て。あんたかわいいな、好きやけど」
「ええからはよ食べて!あとひと口!」

シャツにべっとりとついた生クリームにまで執着はない。スポンジの最後の一切れを口にすると、待ってましたとばかりに謙也がTシャツを脱ぎ捨てて顔を拭った。すかさず抱きしめようとしてくるので、裸の胸にフォークを突きつける。

「がっつきすぎ」
「光にひどいことしたないねん!頼むから素直にヤらして!」
「どんだけ切羽詰まってんすか」
「光様!」
「俺の誕生日やのに?……しゃーないなぁ先輩は〜」
「光っ」
「……脱がして」

謙也の手がフォークを奪う。それを机に投げてすぐ、シャツをまくられてそれに従った。より近くなるように座り直して謙也の胸に手のひらを這わす。

「あんたシャワー浴びたんちゃうの。汗でベタベタやん」
「……光もちょっと立っとる」
「好きな男が自分に欲情しとったら、そら興奮するやろ」
「光」
「今日は気分ええし、あんたの好きに抱かれたってもええよ?」

 

 

*

 

 

目が覚めた財前を迎えたのは蝉の鳴き声だった。薄明るい朝に目を細め、時間を確認するとまだ4時過ぎだ。こんな早朝から恋を歌うのは、寝る間を惜しんでいるからとしか思えない。 隣の謙也はなぜかしかめっ面で眠っている。体を起こして散らかった謙也の部屋を見渡し、のどの渇きを思う。謙也の顔をのぞき込んで眉間のしわをそっとのばした。

「謙也先輩」

思いがけず甘い声が出て少し焦る。しかし謙也は睡眠によってレアな声を聞き逃し、もう絶対聞かせたらん、思いながら頬をひっぱたいた。

「ん……光?」
「朝」
「おはよー……って、4時て、朝やけど」

のそりと体を起こして財前の隣に並び、目をこする。

「どしたん」
「……俺も昆虫と同レベルってことか……」
「ん?」
「なんでも」
「こんな時間でも暑いなー」
「……ねえ謙也先輩」
「んー?」
「俺二十歳ぐらいになったら誕生日に欲しいもんがあるんやけど」
「二十歳……って、えらい先やな」
「くれる?」
「……怖いんやけど」
「くれへんの?」
「……何が欲しいねん」
「あんたの通帳と印鑑と、忍足姓」

ひっ、と息を飲んで謙也はフリーズする。もう少しかわいこぶってやればよかったか、思い直して腕をとるとはっとした。じわりと顔を赤くして謙也は顔を覆い隠す。

「なんでそういうこと言うねん……」
「嫌なん?」
「ちゃうわ!プロポーズやん!」
「せやな」
「俺に先に言わしてや!」
「18の誕生日のときでもええですよ」
「めっちゃ金勘定してまうからやめて……」

あかん、何か恥ずかしい!体を小さくする謙也にそのまま抱きついてベッドに押さえつける。

「謙也せぇんぱい、返事は?」
「あげる!もうなんでもあげる!だからちょっとそっとしといて!」
「部活あんねんからあんまにやにやせんときや」
「無理……!死んだ!俺死んだ!」
「先輩、のど乾いた」
「……何か取ってきます!」

立ち上がった謙也はふらふらと部屋を出ていく。寝癖のついた後頭部を見送って思わず溜息をついた。

「恥ずかしいのはこっちやっちゅーねん」

朝の暑さは体の火照りを錯覚させて、謙也が戻ってきたらとりあえず押し倒そう、そんなことを思いながらベッ ドに沈み込んだ。

 

 

 

090723