※大学生
わたしがだれよりいちばん
「小春ちゃーん!ノート見せて!」
「……先週の金曜5限、ね?」
「そう!」
「ハイ、コピー済み」
「ありがとー!小春大好き!」
「ハイハイ」お礼に、と差し出されたお菓子を受け取り、苦笑しながら隣に座った女友達を見る。最近お気に入りの若手芸人がいるだとかで、この友人はいつも忙しそうにしている。
もう自分はしばらくお笑いと離れてしまっている気がする。 元々笑いを尊重する校風に合わせてキャラを作り上げていた中学時代と違い、相方とは別れた高校では素直にテニスと勉強をしていた。昔のキャラをなくしすぎずやりすぎず、そんなことをしていたら、大学に入った今でも女友達の方が多い。なんやかんやゆうて男友達は中学の時のチームメイトばかりやなあ、とぼんやり思いながら、お礼に受け取ったお菓子を開けて隣にも差し出した。「ねえ聞いてよ小春」
「何?」
「あたし名前覚えてもらっててん!」
「あら、おめでとぉ。通い詰めた甲斐があったじゃない」
「いつもおーきに、美里ちゃん、やって!やって!わー!」
「ほんまに好きなんやねえ……」
「初めはイケメンやしおもろいからファンやってんけどさー、このままやとほんまに惚れそうやわ。押したら彼女とかなれんかな」
「その芸人さんの態度はどうなん?満更でもなさそう?」
「んー、それは微妙……はっきりは言わんけど好きな人おるっぽいしな。でもその割にもてるけど誰にも手ェ出さんし、あんまり過激な子相手やと写真断ったりもしてはるし」
「ほんなら難しいんちゃうの」
「えーっ、応援してや小春!」
「だってそんなに売れとらんお笑い芸人やろ?小春さんはお勧めできません」
「えー」これは嫉妬なのか意地悪なのか、自分でも区別がつかない。ぱちぱちと忙しそうに動く彼女のまつげを眺めて溜息をつく。もっと早く、言ってしまえば楽だったのかもしれないのに。そうしなかったのは、仲介役をするなんて絶対に嫌だったからだ。
「あー!あたし一氏ユウジの嫁になるー!」
その男はアタシ一筋やで、と言う機会を失って、もう何か月経つのだろう。
*
「小春っ、ごめん待たせた」
「ええよ、今日も稽古やろ?」
「そそ。俺今やったらオサムちゃんの声真似完璧にできる」
「オサムちゃんの声真似して誰がおもろいねん」
「やんなあ」けらけら笑うユウジの笑みは昔から変わらない。小春にすべてを許し、包み込んで無意識に取り込もうとしてくる。さっさとこの笑顔に陥落していれば、成人するまでこんな関係を引っ張らずに済んだかもしれない。
ユウジと会うのは久しぶりのような気がしていたが、実際会ってみるとよく知った姿だった。但し自分が最近見ていたユウジの姿は女の子と写った写真ばかりで、今自分が隣にいるのが不思議に思えてくる。
「小春と飯行くんも久しぶりやなー」
「ユウくん忙しいからね」
「俺は小春のためやったらいつでも時間つくんで」
「今は自分のために使いなさい。何食べる?」
「飲む?」
「また送っていくのごめんやで」
「まあいつものとこ行こや。その前にお不動さん行ってもええ?」こっちからがいい、とわざわざ回り込んで、ユウジは細い道を選んだ。店と店の間の小道はライトアップされて幻想的なほどで、何となく縦に並んで歩く。ユウジの背中は昔と変わらない。中学の時は女子にキモいだのウザいだの言われとったのにな、昔を思い出してばかりなのは、そろそろ区切りをつけたいからだろうか。自分が大人になったってことかしら、
「小春は最近どうや?」
「相変わらずよ。ユウくんの方こそどうなんよ」
「ぼちぼち仕事とれるようになってきたでー」キラキラした小道を抜けてたどりつくのは、毎日のように通い詰めたお不動さんだ。苔むした姿に安心する。勝てますように、と毎日のように願った日々が懐かしく思い出されて、久しぶりに他のメンバーに会いたくなる。高校でもテニスをしていたのに、思い出すのは中学時代のことばかりだ。器用にテニスをこなしても恋愛には不器用な奴らばかりで、何度ここで誰かの幸せを願っただろう。お賽銭を投げていざ手を合わせれば、今は何を思えばいいのかわからない。
「ほな行こかー」
背後で女の子がこっちの様子をうかがっているのが見えたが、ユウジは気にしていない様子で小春を振り返った。もうそんな状況に慣れているのだろうか。たまに会うと行く場所はもうほとんど決まっていて、以前ユウジがアルバイトとして働いていた居酒屋へ向かう。店のドアを押すといらっしゃいませより早く久しぶり、と挨拶をされ、ユウジは苦笑して厨房を見た。
「なんやー、ユウジまた男連れかー」
「あほぬかせ、デート中じゃ!」笑い飛ばして店の奥の席を選ぶユウジについていく。他の誰かとここに来ることがあるのだろうか、昔はそんなことを思わなかったのに。メニューを見て相槌を打つふりをしてユウジを見る。屈託のない笑顔を見ていると自分が悪役になった気分だ。どうしてユウジが無条件に自分を好きで言い続けるなんて思えたんだろう。
「あ、ワイン飲みたい」
「小春が飲むんやったら俺もー」
「酔わんといてよ」
「一杯だけ!」まず、と前菜とお酒だけ頼み、一旦メニューを閉じる。にこにこしているユウジは何も悪くないはずだ。
「忙しそうやけどちゃんと食べてんの?」
「まあ最近外食ばっかやなあ」
「もー、無理にひとり暮らししとらんと実家帰りや」
「家でネタ考えんのなんか恥ずい」
「ユウくんのネタ出しやかましいからね……」
「はは、部室でよう白石に怒られたな」
「なんやえらい昔のことのような気になるわ」
「そうか?俺小春とおるとあっちゅー間に時間すぎんねん。いつでも中学生気分やで」
「あほう、はよ大人になりや」
「お酒が飲みたいので大人になります」運ばれてきたグラスで乾杯をして口を潤し、喉が渇いていたことに気づいた。長い付き合いのユウジと会って緊張するなんて。会うたびに近況の報告のほとんどは先に女友達から知らされているものが多く、仕事に対して、夢に対して、本当に自分を偽ることなく向き合っているのだろう。
話し出すと乗ってきて箸も酒もすすみ、一杯だけなんて約束はいつものように破られる。いつだか、他の誰かにユウジは人前ではほとんど酒はやらないと聞いてから小春はそれを止めないことにした。以前は感じていた優越感が、今は少し疎ましい。「そういや、謙也くんはまた忙しくなったみたいよ」
「はあ?あいつこれ以上稼いでどないすんねん」
「なんや家庭教師の人気、口コミで広がって少しずつ生徒増えとるらしいわ。これから夏休みやし短期で増やすみたい」
「はー、ようやるわ。まあ愛する妻とかわいい子どもがおったら、謙也やなくても頑張るわな」
「最近会うた?」
「全然やな。こないだ偶然金太郎と会うたぐらい。千夏さん一緒やった」
「今一緒に住もうって迫られてんねんて」
「ほんっま金太郎のくせに生意気やな。どうする?千夏さんと金太郎が結婚したら、金太郎が小春のお兄ちゃんやで」
「ほんまになー、大したお兄ちゃんやわ」グラスの結露が手を濡らす。もうそろそろ帰った方がいい頃だ。それでもつい会話を続けてしまって後悔する。
「ユウくんもはよ面倒見てくれる人見つけときや」
「あほか、俺には小春だけやん」へらっと表情を崩すユウジにくらくらとめまいがした気がした。ユウジはいつまでこんなことを口にするのだろう。いつしか真剣味を帯びるようになったユウジの言葉を、信じていないわけじゃない。
「なあ小春」
「何よ」
「俺らってつき合っとるんかな」酔ってるときにそれを聞くのは、卑怯だ。
*
「小春ー、お茶して帰らん?」
「何か話?」
「や、別に。暇やから」
「夜は姉と会うから梅田やったらええけど」
「梅田ー、梅田かぁー」
「前言っとった紅茶のお店連れてこか?」
「あ、行く!」さっと荷物を手にして立ちあがった彼女はすぐに立ち上がる。女をエスコートするなら白石と違った意味で完璧にできる気がする、と苦笑して、小春も続いて教室を出た。
「あ、そういえば昨日の夜電話くれとったやんな、出られんでごめん。何やったん?」
「あー、別に。無性に一氏ユウジの話したなっただけ」
「……そう。ま、今からでも聞くわよ」電話に出ていればユウジの声を聞かせてやれたかも、と考える自分は意地が悪いだろうか。いい加減言わなあかんかな、
「あ」
隣を歩いていた友人が足を止め、忘れ物?と声をかけた小春を無視して次の瞬間走り出す。
「ユウくん!」
「……は?」彼女の向かった先、正門の前に立つのは確かにユウジで、声をかけられて彼女に笑いかけた。なんや、美里ちゃん、ちゃんと学校行っとったんやー、なんて冗談が妙に近くで聞こえる。
「えー、ユウくんどうしたん?」
「ちょっと用あって」
「何ー?」
「これゆうてええんかなこれ……学祭打ち合わせや。出るん先輩やけど、俺アッシーで来てん」
「えー!えー!!ほんま?ユウくんは出えへんの?」
「俺かて出たいけどなー」
「じゃあ今先輩待ちなん?」
「や、先輩ら偉い人らと飲みに行った。俺は別の人待ち」
「え……誰?」次の瞬間ユウジの顔が緩んで、うわー、あいつやりやがった、やってもた、あのやろう、ユウジがこっちを見る。
「こはる!」
「ユウジのあほッ」
「えっなんでっ!?」
「あーもう、ほんま……何しとんの」
「えー、だって俺免許取ってから小春乗せたことないやん。借り物の車やけど小春とドライブしたなってー」
「そういうことやなくて、あんたそのしまりのない顔どうにかせえ!」
「だって嬉しいやん」
「……さいっあく……」いつもならあれだけ酔ったユウジは大抵記憶をなくしているのだ。だから大丈夫だと、うっかりしていた自分も悪い。しかしここまでの影響は予想以上だ。
「……美里ちゃん、ごめん」
ぽかんとしていた友人ははっとして小春を見た。もう何を言っても傷つける気がする。
「アタシこいつと知り合いやってん」
「彼氏やってゆうてや」
「一氏は黙っとけ」
「あい……」
「ごめんな、言い出すタイミング掴めんで……」ユウジと小春を見比べて、彼女は茫然としている。しばらく硬直した後、はっとして小春の手を取った。
「ごめん!アタシめっちゃ嫌な女やん!彼氏が他の女と写ってる写真見せられたりして嫌やったやろ!?ごめんな!?」
「美里ちゃん」
「小春は優しいから言われへんかってんな、ごめん!」
「いや、黙っとったアタシが悪いねん。美里ちゃんは謝らんでええよ」
「ええことないわ!うわーほんっまごめん!もうお茶とかええわ、今日はユウくんと帰り!な!あたしは邪魔せんと帰るわ、また改めて謝る!あたしユウくんなんかより小春のが大事やし!」
「美里ちゃん……!」
「ユウくん小春泣かしたら許さんからな!?」
「なっ、泣かすか!」じっとりとユウジを睨んだ後、明日、と小春の手を強く握り、友人は帰っていく。取り残された小春は何となく気まずく、ちらりとユウジを見た。
「……ファンひとり減ったやん」
「ええよ。俺ファンより小春のが大事やもん」
「……うっざ……」
「ドライブ行けへんのー?」
「……しゃーないから行ったるわ」先約だった姉にはあとで謝っておこう。ふたりの関係を知る姉なら許してくれるはずだ。いい友人を持ったことに感謝しながら、ユウジの後ろをついていく。
090810