胡蝶の夢 2
「最近仁王先輩と仲いいんすか?」
「……そうかあ?」切原の質問の意図が分からずに変な声が出る。何が言いたい。久しぶりに顔を出さないかと幸村に誘われて、本当に久しぶりにラケットを握った。厳密には一度仁王の部屋で握らされたがあまり思い出したくない。変態、とお互いを罵り合った記憶がある。久しぶりに袖を通したジャージに指先まですっぽり手を隠した。このまま暖かくなっていけば卒業だ。
「なんでいきなり」
「こないだ駅で見かけたっすよ、ふたりでどこ行ったんすか」
「見間違いじゃねーの。あ、でも偶然会ったことはあるぜ、俺は渋谷であいつは秋葉原」
「えー、俺アキバ行ったことない」今度連れてってもらおう、のんきな切原に適当に相槌を打った。やはり見つかるものだなと思わず舌打ちをする。次からは待ち合わせも目的地にしようと心に決めた。――服は仁王が持ってきて、駅のトイレなんかで適当に着替えて人混みに出る。帰りのトイレだったり戻ってから仁王の家に直行したり、どこかしらで仁王に抱かれる。そんな『デート』をもう何度したのだろう。仁王先輩、切原の声に顔を上げると気のない足取りで彼が近づいてくる。切原に目をやったのは一瞬で、何してんの、と丸井を見た。
「たまにはテニスしたくなるんだよ」
「勉強もしとらんのに?」
「してますー」
「仁王先輩アキバに何しに行くんすか?」仁王は何のことかわからないという表情を見せたがそれは一瞬で、そこは頭の回転は早い男であるからすぐにメイドカフェ、と返した。適当に喋る男だなあと自分のことは棚に上げて思う。コート上のペテン師、の名も今では懐かしくなってしまったが、コートを出てもペテン師であることを丸井は身を持って知っている。俺も行きたいと仁王に絡んでいる切原を置いて立ち上がり、ラケットを手に幸村のいるコートへ向かっていく。
「丸井」
「んあ?」
「いつまでおるん」
「……さあ、多分終わりまで。何で?」
「別に」へらっと笑った仁王はいつも通りだ。だから意味はなかったのだろうと、気にせずに幸村に試合を持ちかける。気づけば仁王はいなくなっていた。だから、
「丸井!一緒帰ろ!」
仁王が身軽に階段を飛び降りて丸井の隣に並んだときは心底驚いた。ぎょっとして仁王を見たまま昇降口で立ち尽くしていると、どうした?と首を傾げられる。こっちが聞きたい。
「近藤たちと賭富豪やってたんじゃ。なんかおごっちゃる」
「マジで?じゃああんまん」
「えーよ。コンビニ寄ろ」
「あ、待って幸村くん」
「……いらんわそんなおまけ」
「は?ちょっ、仁王!」ガラスのドアを振り返った丸井の手を掴み、お構いなしに仁王は歩き出した。それどころか今にも走り出しそうな速度だ。何が起きているのかさっぱりわからないが、幸村と喧嘩でもしているのだろうか。教室に忘れたマフラーを取りに行った幸村に待っていると言った手前、先に帰るわけにはいかない。しかし丸井は仁王を止める術を知らなかった。
「待てよ、仁王!何がしたいんだよッ」
「何?」仁王が急に足を止めたのでその背中にぶつかった。ベタすぎ、自分で思いながら鼻をさする。振り返った仁王の目が真剣で、どうしたらいいのかわからなくなる。
「お前とすることなんかセックスだけじゃろ」
「仁王!」
「後でうちに来い」丸井の手を捨てて仁王は歩き出す。今までだって理不尽なことばかりだった。しかしいつも以上についていけない。理解もできない。なんなんだ、思わず口に出して呟き、仁王が戻ってくる気配もないので昇降口に帰った。ちょうど丸井を探していた幸村を捕まえた。
「どうしたの?」
「ちょっと。帰ろ、疲れた」
「……仁王と何かあった?」
「ないよ?」笑顔を向けると幸村も困った様子で笑って返す。彼を心配させたくはないが、どう言えばいいのかわからない。腹減ったし早く帰ろうぜ、と空腹を訴えると幸村は声を上げて笑った。寒いしね、マフラーを巻きながら踏み出す幸村の隣を歩く。空腹が満たせるのはいつだろう。
幸村の話に相槌を打ちながら、仁王のことを考える。こんな関係になるまえはただの友達だった。チームメイトとは言え、深く踏み込まない、浅く広くつき合っていた友人のひとり。確かにその頃と比べれば、仲良くなっただの何かあったのかだのと聞かれるのもわかる。もうあんな適度な関係には戻れまい。――戻りたいと思っているわけではない。しかし長くても残り高校生活ぐらいで終わる関係だろうと感じる。お互いの汚いところを見せ合って、舐めたり噛んだり罵ったりしながら、長く続くわけがない。好きでもない相手と。
今仁王がいなくなれば俺はほっとするんだろうな、死ねと罵ったあとに時々思う。どうせ抱かれるのなら苦痛よりも快感を求める方がいいに決まっているから積極的に動きはする。俺はいつか女を抱くことができるんだろうかと自問する日もある。「でもなんでわざわざ引退させるのかな。どうせみんな一緒に進学するのに」
「まあストレートの進学率100%じゃねえもんな」
「外部進学者だけ引退すればいいのに。俺まだやり足りないよ。入院してた時間がもったいない」
「幸村くん……」
「高校って、中学ほど部活に集中できない気がするんだ」
「うーん、まあ勉強もなあ。大学受験もすぐだっつーし」
「それもあるし、俺は恋がしたい」幸村の発言に顔を覗き込む。相当ひどい顔をしていたのか、俺は本気だよ、とすねられた。幸村が恋を。確かに彼とはその手の話をしたことがない。この通り、きれいな顔をしてバカ騒ぎもしない、勉強もできてテニス部部長ともなればモテるはずだ。バレンタインのときにその片鱗を見た。でも彼女を作らなかった幸村が。
「なんで?」
「……だって、手術前、麻酔で眠る前に頭に浮かんだのが真田だったんだ。気持ち悪い」
「……」
「でもそれって、俺からテニスをとったら何も残らないみたいじゃない?だから嫌だ」
「あー……まあそうなるのか?」
「丸井は好きな人、いる?」
「……そうなんだよなー、好きな奴もいないと毎日に潤いがないんだよなー」女の服が着たいからと言って男が好きなわけではないし、つき合うなら女とがいい。好きな人でもいれば仁王との関係もまた違うものになっただろう。週末のたびに男とデートってありえねえしな、溜息をつきたくなる現実だ。
「じゃあね、また明日」
「バイバーイ」幸村と別れて歩きだし、無意識に家の近くまで来てしまった。今から仁王のうちへ行くのは面倒くさい。しかし様子がおかしかったから、行った方がいいような気がする。ラケットも邪魔だったので一度家に戻り、着替えてから自転車で仁王のうちへ向かった。このうちへ来ると仁王の一人暮らしかと思うほど、他に誰も見かけない。頻繁に来てるように思っても、家族を見たことがなかった。やはり出迎えたのは仁王で、私服の丸井を見て顔をしかめる。
「遅い。帰れ」
「はあ?勝手なこと言うなよ」
「邪魔が入った」視線を落とした仁王にならって足元を見る。か弱いヒールのパンプスが並んでいて、部屋の奥から聞こえた甲高い笑い声に納得した。――そりゃそうか。こいつだってモテるんだし。ただ女に興味はないのだろうと勝手に思いこんでいたが、よく考えてみれば仁王に彼女がいた時期もある。――足が入ればこんな靴もはいてみたい。手触りの良さそうな素材でちょこんとついた小さなリボン。
「女子にひどいことするなよ」
「ひどいことは丸井用においとくから安心しんしゃい」
「できねーよ。じゃあな」ドアを離れて自転車をまたぐ。何気なくドアを振り返れば、しかめっ面の仁王がまだそこにいる。どうしてあんなに機嫌が悪いのかわからないが、いつもは口を縫いつけてやりたくなるほどにやにやしている男がにこりともしなかった。嫌いな女なら入れなければいいのに、仁王らしくもない。
まあ俺には関係ないか、と走り出し、ついでにコンビニに寄って食べ損ねたあんまんを買って帰る。家に帰るとちょうど自分あての電話があったようで、母親に急かされて靴を脱ぎ捨てた。坂本さんって女の子!小声で伝えてくる母親は興奮している。色気のない生活で悪かったな、視線で返して受話器を受け取った。もしこの日仁王に会っていなければ、こうはならなかったのかもしれない。
*
「あ、そうだ。俺坂本とつき合うことになった」
仁王ががばっと体を起こす。その勢いでベッドから落ちそうになったのを仁王が捕まえた。思いがけない反応で、顔をのぞき込まれて正気か?と聞かれる。
「――お前、こんなんでよく女とつき合う気になるな。坂本は丸井が変態って知ってんの?」
「言うわけねーだろ」
「ふうん、いいけど。――終わりにはせんよ」
「……わかってるよ、うわっ!」頭を掴まれてベッドに押しつけられる。いきなり何だよ、顔を上げると目の前にあるのはさっきまで丸井の中に入っていたもの。まさか、そのまま仁王を見上げると、妙に優しい笑顔を浮かべて丸井の髪を撫でてくる。賢い丸井ならわかるじゃろ?抵抗を許さないこの声は何度も聞いた。
「舐めて」
「……いや、つーか」
「ん?」求められている行為はわかる。しかしいつもされるがままで、こんなことはしたことがなければされたこともない。躊躇していると仁王の指が唇をこじ開け、反射的に口を開くとそこに押し込まれた。不愉快な味が舌に触れ、逃れようにも頭を押さえつけられている。
「丸井、お前弱みが増えたってわかっとらんじゃろ」
「あ?」
「坂本にバラしたらどうなるかの」
「……」変態、だ。結局言われるがままに続けて出されて、雰囲気に酔って興奮して変態呼ばわりされた。喉に水を流し込んでいると仁王の手が下半身に伸びる。違和感に視線を落とせば、立ち上がりかけたものを掴んでリボンを巻き付けていた。慌てて押し返そうとしたが逆に突き返され、手から落ちたペットボトルが倒れて水がこぼれる。それをベッドサイドに避けたあと、丸井を押さえつけて仁王が乱暴に熱をねじ込んだ。
「イッ……てぇ、何すんだッ!つか復活はええよッ」
「立ってる」
「ッ……」うつ伏せになって尻だけを持ち上げた格好で、腰から滑ってきた仁王の手が中心を握った。リボンが貼りついている感覚、同時に熱をあおるように指先が動く。後ろに穿たれた熱は緩やかに出し入れされて、丸井は歯を食いしばった。屈辱だ。そう思うのに、自分では快感を止められない。
「にお、お前なんか、変ッ……あっ!」
「はは、すっげ。丸井わかる?ここ」
「あっ、あ……やめッ、んっ!イタッ……」食い込むリボンを外そうとする手に仁王の手が重なり、腰を揺さぶる動きが早くなる。わけのわからない快感に堪えきれない。
「やだ、仁王ッ……い、イくっ……!」
「誰がイかすか」
「まって、やだッ……あ、あ、ッ!」シーツと肌の間に腕を入れて、仁王の指先が胸を探る。嫌だダメだと否定しながら、丸井は顔を覆った。涙が止まらない。過ぎる快感に頭がおかしくなりそうだ。
「待ってッ……ああっ!あっ……!?」
「イった?」震えた体に覆い被さった仁王が耳元で笑う。意地悪な手が握る丸井の性器はまだ先走りを漏らすばかりで、でも今確かに感覚が。丸井の動揺をあざ笑うかのように仁王が再び動き出した。声が抑えられない。
「出さんとイったろ。女みたい」
「やだ、取って……!ッあ!」
「嫌じゃ。何回イけるかの……」
「におうッ……!」激しい音楽が流れ出してふたりの動きが止まる。携帯、丸井が発した声にならない声を聞き取って仁王が舌打ちをした。すぐに行為を再開されて背中が反る。
「今日、帰らんでええんじゃろ?――それどころじゃないかッ」
「ンあっ!も……もう、やだぁ……」
「泣いとんの?かわいい」
「ッ……へんたい!」仁王の動きが一層激しくなって、頭を押さえつけられて限界が近いことを知る。熱い吐息混じりに名前を呼ばれた後、丸井の中に熱が吐き出された。同じタイミングで丸井も絶頂を迎えたのに、やはり縛られていて熱を吐き出すことはない。ずるりと引き抜かれたものと一緒に精液が流れてくる、その感覚にも感じるのに。変態、何度だって言ってやる。仁王は笑うだけだ。
「お前に言われたくねえよ、この淫乱」
「違うッ」
「リボン似合うぜ。好きじゃろ?」
「こんなの嫌だ、」シーツに突っ伏して堪えきれずに涙を流す。何度も仁王に泣かされた。そのたびに二度とこんなことをと思うのに快感に流されるのは、自分が淫乱だからとでも言うのか。変態だと。丸井にはお構いなしに、仁王の指がリボンをなぞって快感が悔しさを塗り替える。見なくとも彼が笑っていることはわかった。
「イきたい?」
「におうッ」
「――淫乱だって認めろよ」堕ちてこい。悪魔の囁きは最悪の選択肢しか用意しない。首を振って泣きじゃくる。いつの間にか携帯は止まっていたけれど、かろうじて残っている理性がさっきの着信は彼女からだとわかっていた。仁王もわかっているのだろう。どうしてこんな仕打ちを。
「……お前、最近変だ」
「……マンネリでも飽きるじゃろ?」ようやくリボンが外されたかと思えば高ぶったものを仁王が口に含んだ。跳ねた足を押さえつけて先端を舌が這い、頭の中が真っ白になって熱が弾ける。仁王が軽くむせて、顔を上げると口を押さえて顔をしかめていた。
「まっず」
「……だから、さっき言ったろ」舌打ちをして仁王は立ち上がり、部屋を出る途中で丸井の鞄から携帯を取り出す。ディスプレイを覗いて鼻で笑い、丸井に投げて出て行った。手のひらに落ちた携帯に精液がついていて、今度は丸井が顔をしかめる。シーツで拭ってそれを見ると、やはり着信は坂本から。溜息をついてベッドに伏せた。
――好きだというわけではない。可愛いなとは思っていたし、まだ好きじゃなくてもいいと言われてつき合うことにした。電話越しの告白も緊張が伝わってきて可愛いと思った。(つうか、比較対象が仁王……ごめん坂本……)
息が落ち着いているのを確認し、電話をかけ直す。携帯は持っていなかったが、つき合うことになってすぐ買ったと聞いた。こういういじらしさが恋には大切だと思う。どこかの変態とは比べものにならない。
「……あ、坂本?ワリィ寝てた。うんだいじょーぶ、日曜だろ?どうだった?……マジ?厳しいなお前んち。じゃあ近場で、」
戻ってきた仁王が丸井に気づいた。咳払いをして声を出そうとする素振りを見せるので枕を投げつけた。何をしでかすかわからない。目を離さずにいると重いペットボトルを投げつけられる。
「イテッ」
『どうしたの?』
「何でもない!ごめん、親に呼ばれたから切るわ。また明日決めようぜ」
『うん、じゃあまた明日』
「じゃあな!」切った瞬間仁王がベッドに飛び込んでくる。丸井をひっくり返して携帯を奪った後、すでに切れているのを見て投げ捨てた。
「仁王!」
「デートの相談?よかったのう、俺と予行演習してて」
「ありがとよ!」すねた丸井に仁王が笑う。さっき投げたペットボトルを丸井に渡して隣に座った。改めて謝罪のメールを送る丸井の手元を覗き込んで寄りかかってくる。重さに体が傾いた。
「どこ行くん?映画も行ったし水族館も遊園地も俺と行ったな」
「お前が連れてったんだろうが。つーかお前物の扱い悪すぎ!何でもかんでも投げるなよ」
「丸井とか?」
「……俺は物じゃねえだろ」
「俺のものじゃろ。俺が解放するまで手の上で踊るんじゃから」
「そんな風に思ってたわけ?」
「そうじゃ?違うけ?」
「……お前って、最低だな」
「誉め言葉?」
「ポジティブにもほどがあるぜぃ」
「お前わかっとらんじゃろう。俺は別に、バレたって構わんぜ」
「は?」
「俺が女嫌いってことぐらいちょっかい出してきたやつなら知っとおし、失うほど友達もおらんしの。……言い触らしてやろうか?丸井が女装趣味の変態だって」
「やめろ」丸井をベッドに倒してまっすぐ見下ろしてくる。その目に迷いが見えた気がしたのは一瞬で、まばたきの間にいつもの強気な視線になっていた。ぐいと両手であごを掴まれて、警戒した次の瞬間には口を塞がれる。――キスは今までしたことがない。抵抗を許さず舌が入り込んでくる。
「にっ……仁王!」
「あーあ」
「何がだよ!」
「しちゃった」
「んっ」更に深く口づけられる。舌を絡め取られて唾液が混ざり合い、唇の端からこぼれた。むちゃくちゃだと思うのに気持ちがいい。
「……絶対変」
「関係ないじゃろ」ぱっと丸井を手放して、さっさと帰れば、などと言う。むっとして手つかずのペットボトルを投げ返すと簡単に受け止め、嫌そうな顔で丸井を見た。給食に嫌いな物が出たような、そんな顔。
「お前は俺だけのおもちゃでおればいいんじゃ」
070916