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「むっかつく……」
「え?」
「や、なんでも」

昇降口で坂本が靴を履くのを待っていると、ガラスの向こうを見慣れた頭が通り過ぎた。ちらりと横目で丸井たちを見て、子どものように顔をしかめて離れていく。あの日からしばらく『お呼び』はない。飽きたのなら構わないが、あの日の様子ではそんなわけでもなさそうだ。

「お待たせ、帰ろ」
「おう。本屋寄っていい?」
「うん」

バイバーイ、友人に手を振る坂本を待って歩き出す。丸井に彼女ができたという話はすぐに広まっていて、いいとも悪いとも言えない居心地だ。しかしふたりで歩いていても騒がれないので楽ではある。本屋で出会った友人とも普通に挨拶を交わした。

「何買うの?」
「ジャンプ」
「あ、私あっち見とく」

女性誌のコーナーを指差す坂本に頷く。昨日買いそびれたジャンプを手に会計を済まし、彼女のそばに向かった。一緒に雑誌をのぞき込むと冬真っ盛りの季節より一歩前進した、冬より春の方が近いピンナップ。もう春物出てんのか、呟くと坂本が顔を上げる。

「今度買い物行こうよ」
「おう。どこ好き?あ、オリーブ冬のワンピース可愛いの出てるよな。坂本似合いそう」
「……丸井くんって詳しい?」
「え、あ、いや、あの……母さんが結構好きで、買い物ついていったりするから」
「そうなんだ。……私服でデート、したことないね」
「そうだなあ、こないだの流れたし」
「どうせなら冬休みの前に告白すればよかった。丸井くんクリスマスとかどうしてたの?」
「クリスマス……友達とバカ騒ぎしてた」

正しくは仁王とセックスをしていた。男とふたりでクリスマスとかありえねえと騒いだせいで、逆にイブも含めて2日間拘束されていた。あまり思い出したくはない。彼女ができてもサンタコスプレなんて強要しないと誓ったあの日は記憶に新しい。仁王は変態だ。

「バレンタインは期待しててね!」
「マジで?言ったな?」

そんな季節か。雑誌の特集をめくりながら、これがいい、と難易度の高そうな物を指さしてからかった。去年のバレンタインはテニス部効果で随分いい目を見た。ふとそのことを思い出したらしい坂本が丸井を見上げる。その視線にことばを詰まらせる。

「……もしかしてアレ?他の人からはもらわない方がいい感じ?」
「……別に、いいけど。本命はやだな」
「俺去年も義理ばっかだったぜぃ」
「……あるの!あったの!」
「は?」
「……少なくともあたしのは本命だったもん」
「……お前かわいーなー」

彼女の顔をのぞき込むと少し赤い。ずっと前から、とは聞いたが、1年も片思いされていたとは知らなかった。――ならば去年ノリでつき合ってすぐに別れてしまった彼女のことを、坂本はどう思ったのだろう。いつか聞いてみようと思いながら、顔を上げた先にいた女性が着ているコートが目に留まる。やっぱりリボンベルトは可愛い、思った瞬間仁王の言葉が頭をよぎる。変態、

「丸井くん?」
「いや、行こうぜ」

仁王を最低だと思う。しかしそれ以上に、今の自分の方が最低なのではないだろうか。雑誌を戻して隣を歩き出す彼女の手を取れないのは、罪悪感のせいかもしれない。はっきりと仁王を拒絶できないのは、しないのは、丸井の趣味を許す人間だからだ。嫌われているのかどうかまでは知らないが、少なくともつき合ってくれてはいる。尤も、仁王にとって重要なのは丸井の体なのかもしれないが。

「寒いね」
「春は遠いなあ」
「丸井くんはそのまま進学なんだよね」
「うん。坂本は?」
「あたしも。またテニスやるの?」
「そのつもり。――やっぱ冬の間遊んどくか。土曜はピアノなんだっけ」
「うん」
「どこならオッケー出るの?」
「丸井くん遠くで遊びすぎだよ。しょっちゅう東京まで行けないよ」
「あー……」

仁王とつき合っていたせいで感覚がずれている。知り合いに会わないところ、目立たない人混みを選ぶと適度な距離の東京になる。

「――丸井くん、背伸びた?」
「あ、うん。俺引退してからも筋トレ続けてたら今更体できてきてんの。おかげで」
「ん?」
「……ジーパン短くてよ」

おかげで女の服が似合わなくなってきて。

 

 

*

 

 

「飽きたな」
「……」

空になったシェイクのカップをもてあそぶ丸井を見て、仁王は何も言わず窓の外に目を向けた。ミニスカートにブーツの足を組んで、その爪先で仁王の足を蹴る。涼しい顔で丸井を見返して、仁王はアイスティーを口にする。

「何が」
「もう行くとこない。金もない」
「ディズニーランド?」
「なんで彼女できたのにテメェと行かなきゃなんねぇんだよ」
「呼び出してほいほいついてきた奴が言うセリフが」
「お前も呼ぶなら準備しとけよー、サプライズとかサプライズとかー」
「わがままじゃの、文句言うな」
「ぶー」
「俺はお前に会いたかっただけなんじゃ」
「キモい!」

膨れっ面でかっこつける仁王を見て、しばらくすると仁王はまた窓の外を見た。そんなものよりは俺を見た方が楽しいに決まっているのに。溜息をついて、そして丸井は笑った。仁王、再び足でつついて注意を引けば、嫌そうな顔でこっちを見る。

「はい!遅くなったけどバレンタインチョコ!」

精一杯の可愛らしさを装って、ラッピングされたその箱を差し出した。仁王が目を丸くして硬直したのがわかって、うまくいったことを笑ってそれを仁王の手に押しつける。予想以上の驚きぶりに嬉しくなった。仁王を出し抜くなど簡単にできることではない。

「ビビった!?まー何?お礼?何だかんだでお前にエスコート習ったみたいなもんだし、授業料!いらないなら俺が食うし」
「丸井、行くぜ」
「へ?」
「立ちんしゃい、移動じゃ」

贈り物を無造作に鞄に押し込み、仁王が丸井の手を取って立ち上がる。慌ててダウンジャケットを掴んで仁王についていった。テーブルの合間を縫ってファーストフード店を出て、仁王はどこかを目標に迷いなく歩いている。

「どこ行くんだよ」
「ラブホ」
「ッ、はあ!?」
「サプライズ返しじゃ。だいじょーぶ、入れるとこリサーチ済みじゃけん」
「そういう問題じゃなくて!」

手を振り払うと仁王は立ち止まって丸井を見る。寒いと言うくせにかさの高い冬服は嫌いらしい仁王のジャケットは、暖かそうには見えない。センスが悪いわけではないが自分のルックスを自覚している仁王は服装にもそう気を使わず、今日などは学校指定のマフラーと言う体たらくだと言うのに、わずかに眉をひそめて丸井を振り返るその姿は妙に絵になる。だからこうして自分が女の服を着ているとき、仁王と歩くのは楽しかった。可愛いカップル、なんて声がして上機嫌で手をつないだこともある。セックスだってするのだから、あとはお互いの気持ちさえあればカップルに間違いない。しかしその決定的な部分がないのが自分たちの関係だと思う。

「仁王?」
「着いてこんと帰れんぜ」
「あっ!」

コインロッカーの鍵を一度宙に投げ、再びポケットに押し込んで仁王が歩き出す。丸井が着てきた服は邪魔なのでロッカーに入れてある。その鍵を持たせていたのを忘れていた。仕方なく少し後ろを着いていくが、次第に周りの様子が変わってきて仁王に追いついて手を取った。仁王はちらりと丸井を見る。

「や……やめない?」
「やめない」
「仁王!」

今まで立ち入ったことのないこの一帯は少し怖い。中学生には許されない雰囲気だが、仁王はお構いなしに歩いていく。不意に仁王が立ち止まり、次の瞬間にはそばの建物に引き込まれた。心臓が落ち着かずに早くなる。

「丸井」
「あ……」

完全に異世界だった。連れて行かれた部屋で思考はショートする。イメージ通りのわかりやすいラブホテル、部屋の入り口で硬直していると仁王がジャケットを脱ぎ捨てた。その音に敏感に反応する丸井の手を取って引き寄せる。

「丸井」
「に……仁王」
「……もうこんなこと、今日で終わりじゃ」
「え?」
「やりたいことはお前さんのエロい体で大体させてもらったしの。彼女がおるなんざうっといだけじゃ。それに自分でもわかっとるじゃろ、冬服じゃけん女の格好できるって」
「……それは、わかってるよ」

流石に薄着になってまで続けられるとは思っていない。遅れてやってきた成長期が恨めしいばかりだ。

「今日で終わりじゃけん」

それが思いがけず優しい声で、丸井は思わず頷いた。仁王が苦笑する。――どうしてそんな、表情をするのだろう。こっちまで切なくなるような、どこか辛そうな。行為はキスから始まった。信じられないぐらい優しいキス。思い出したのはバレンタインの日に彼女とした初めてのキスのことで、しかしいつもと違うベッドに押しつけられた瞬間に忘れていた。

 

 

*

 

 

好きになるはずじゃなかった。湯船に浸かって溜息をついた。浴室に持ち込んだチョコレートの箱を掲げてみて、濡れた手で包装を破る。ガラス越しにベッドから丸井がこっちを見ているのを知りながらも視線は向けず、背を向けて箱を開けた。小さいチョコレートが4つほどころっと入っているだけの安物だ。それはわかっている。ひとつを口に押し込むとそれは部屋の温度で少し溶けていて、指先にチョコレートがつく。嫌になるほど甘いチョコレートを口の中で溶かして、もう一生チョコレートなんて食べたくないと思った。

――好きになるはずじゃなかった。好きになるはずじゃなかった。溜息と一緒に泣きそうになって、もうひとつ口に運ぶ。こんなのは俺じゃない。嫉妬に狂うのもヤキモチを妬くのも俺じゃない。抱いても丸井は手に入らない。ひどくしても優しくしても、丸井が今見ているのは可愛い彼女だ。ふたりの仲を壊すことはきっと簡単だろう。そうまでしてほしいものではない、と自分に言い訳をして抑え込む。……そんなわけがない。何を犠牲にしたって自分のものにしたい。
残りのふたつも口に放り込む。甘すぎて吐き気さえしそうだ。空箱を後ろに投げ捨てて、肩まで湯に浸かる。ぺたりと足音がして、丸井が入ってきた。

「俺も入る」
「……男とふたりで風呂なんざぞっとするわい」
「お前が言うなよ」

丸井がくしゃみをしたので仕方なく場所を空けてやった。散らばったゴミを横目に見ながら丸井が入ってくる。珍しそうに内装を眺めているのを見ると何度だって溜息がこぼれた。バカ。鈍感。変態。罵倒を並べてみても、全部自分のことのようにしか思えなかった。

「……坂本とどこまで行ったん?」
「キスしただけ。俺はお前みたいに変態じゃないから大事にすんの!」
「あっそう!なんかあるならレクチャーしちゃるぜ、お世話になった穴やけん」
「穴言うな!いいよお前変態だから」
「変態とセックスしてりゃお前も変態じゃ」
「もー否定しません」
「……変態ついでに抱いてく?」
「は?」
「俺を」
「俺が、仁王を?」
「そう。将来役に立つかもよ」
「……いや、いい。なんか気持ち悪い」
「あっそう」

言いながら丸井を引き寄せる仁王に彼はわずかに眉をひそめた。厄介な弟を持ったような気分だと言われたことがある。弟がこんなことするか、と笑い飛ばした。いっそ兄弟ならば手放さなかったのに。お湯の中で手を伸ばして丸井の下腹部を撫でる。――その目が、期待しているのでなければ何なのだ。笑いながら性器を握り込むと丸井は一度名前を呼んだだけだった。
夢中になって首にすがりつく丸井がこのままくびり殺してくれればいいのに。熱い吐息を絡めて舌に歯を立て、溶けきった声が名前を呼ぶ。

「呼ぶな!」
「ッ……?」
「名前呼ぶな。喋るな。声も出すな。……大人しくしてろ」

耐えられない。

 

 

*

 

 

気づけば携帯に着信が満載で、門限などとっくの昔に過ぎていて丸井は慌てた。行為の後でけだるい体を叱咤して、仁王を引きずってホテルを飛び出す。コインロッカーで荷物を出している間に、先帰る、と仁王は帰ってしまった。確かに帰りをずらしていたのはいつものことだが、様子がおかしいのだけが気にかかった。どうしたんだろう。具合が悪いようには見えなかったし、熱がないのは抱き合っていたのだからわかる。トイレで着替えながら母親からの着信に舌打ちをした。

「あっ……」

脱いだ服を鞄に押し込みながら、思わず声が出る。――しまった。いつも丸井が着ていた女物は仁王が持って帰っていた。鞄を持て余しながら鳴り続けていた携帯に出る。

「わかってる!今帰るから……マッハだよ!走ってるよ!駅着いた!」

仕方なく自分の鞄に無理やり押し込んだ。近いうちにどうにかして仁王に返さなくてはならない。仁王がもうしないと言うのなら自分にとっても終わりであるから、捨ててしまってもいいのだろうと頭をよぎる。しかしそれはできない。
家に帰ると鬼の形相の母親から外出禁止令が下された。仁王とのデートに慣れるにつれてずるずると時間が長くなっていたから余計効いたのだろう。仁王のアドバイス通りシャンプーは使わなくてよかったと思った。しかしそれとこれとは別問題で、仁王が丸井の門限を知らないはずがない。あの野郎、夕食抜きまで言い渡されて、部屋で隠し持っていたお菓子を漁りながら文句を言ってやろうと仁王に電話をかけた、が。

「……なんで着拒?」

携帯を見つめて呆然とする。嫌われるようなことを何かしたのだろうか。元より好かれていると思っていたわけではないが、こんなに突然どうしたというのか。クエスチョンを浮かべていると切原から電話がかかってくる。

「何だよ」
『うっわ嫌そう。先輩明日部活来ませんー?真田先輩が来るらしいんすよ、怖すぎる。一緒に怒られて下さい』
「なんで怒られる前提なんだよ!俺今それどころじゃねえの」
『あー、デートっすか?』
「いや……まあ、そんなもん」
『いいなぁ。あ、そういや知ってます?今仁王先輩に好きな人がいるって話!』
「……はあ?あいつに!?」
『そう!部活来ないか誘ったら、しんどいから嫌って言われて、恋わずらいって!』
「仁王の言うことなんか信用できるかよ」

口ではそう返しながらも納得する。相手が男だか女だか知らないが、まるでセフレのように丸井を抱いているよりは片思いの方がよほど健全だ。仁王のことだから、こっちの蹴りをつけたならすぐに落としにかかるだろう。きっとそのうち噂が流れる。恋わずらいだと抜かすなら、丸井がそう心配することもない。話が長くなりそうなのでまた明日、と電話を切った。部活ならば母親もダメだとは言わないだろう。ジャッカルも一緒だとか言えばいい。念のためメールを送っておくと、先に切原から誘いがあったらしい。今お前に連絡しようと思ってた、の字面に笑う。引退してからは落ち着いているものの、ジャッカルこそまるで丸井の彼氏のようだとよく言われていた。人がよすぎるのだろう。仁王とは大違いだ。

(……なんか俺、仁王のこと好きみてえじゃん)

携帯を握りしめて天井を仰ぐ。――んなわけがあるか。すぐに嫌気がさして携帯を放り出し、母親の機嫌をうかがいに行く。
パフスリーブやミニスカートに憧れても、リボンモチーフやベビーピンクに心を惹かれても、女の心は最後までわからなかった。仁王のエスコートには感心しただけだし、少女漫画なんて読めるものではないと今でも思っている。これからきっと落ち着くだろう。仁王と遊んでいたおかげで、見ているだけでも満足できるようになった。

「おかあさまー、風呂は入ってもいいですか?」
「……何しててこんなに遅くなったの」
「北村が失恋してさー、歌い明かそうぜってカラオケ行ってたらうっかり」
「……」
「あ……あと、明日、部活行く……」

疑いの視線を向けられながらも口にしてみる。しばらく冷たい視線を向けられた後、2ヵ月間外出禁止、と誓約書を書かされた。

「ん……!?2ヵ月って春休みも!?」
「当たり前でしょ」
「うっそ、ありえない!坂本とディズニーランド行くって言ったじゃん!」
「あっ、あんたまさか女の子を遅い時間まで連れ回してないでしょうね!?」
「それはない!」
「自業自得!最近は男だろうが女だろうが、若かろうが年寄りだろうが関係なく刺されたりするんだから!どれだけ心配したと思ってるの!」
「すいません……」
「……お風呂入ってさっさと寝なさい」
「ウッス」

着替えを取りに部屋へ戻る。思い出して鞄からブーツとスカートを取り出して、どうしようかと眉をひそめる。親は部屋に入りはするが勝手に開けるのは半物置の押入ぐらいで、他の場所に押し込んでしまえば見つかることは多分ない。しかし問題は、スカートが少し汚れているということで。まさか洗濯物と一緒に出すわけにもいかない。

(風呂で手荒い?部屋干し?)

母親から急かす声が飛んできて、慌ててベッドに押し込んだ。一瞬感じたデジャブはいつの記憶だろう。2度目の風呂へ向かいながら考える。

 

 

 

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