石の上にも三年 3
結局状況を変えないまま時は過ぎた。家族に散々心配かけても、そもそも仁王の印象がよくなかったので全面的な反対もされなかった。情けないことだと思うのに、仁王が不満そうにしていたのは一生忘れないだろう。人を見るのはうまいくせに自分を見れない癖は年々悪くなっている気がする。
「ヒモ」
「人聞きの悪い。俺金は一切請求してねーんだぜぃ」呆れた顔の幸村は溜息をついた。頑固だね、とこりた様子で頬杖をつく。
「……仁王はなんて?」
「……まだ言ってない」
「あのね、結婚してないったって認知してもらっててちゃんと面倒見てくれるって言ってるんでしょ?そういうことは言わないと」
「わかってるよ……でもあいつすぐ金の話すんだもん。高給取りは流石だな」新聞を取りに行ったついでにソファーに座った丸井の隣に移動して、幸村は丸井の腹を撫でる。いい加減大人しくしてろとと職場で言われて休暇となった丸井だが、暇を持て余しているようでこうして何度か呼び出された。そのたびに説教している気がするが、本音では本人たちが言うのならいいと思っている。しかし最良だとは思えずにいた。
「すごいね。ブン太は今ひとりじゃないんだ」
「……まあな。これで仁王いなくても上等だろ」
「またそんな。仁王は最近どうしてるの?」
「……さあ?最近ほんとに会ってない。3週間ぐらい?連絡も来てねーもん、浮気でもしてんじゃねーの」
「いいの?そんなんで」
「だから結婚しなかったんだよ。こうなると思った。あいつ今多分、任された企画やってるはずなんだよ。仕事の邪魔もしたくねえしな」
「変なとこばっかり大人になって。もっと甘えたって罰当たんないよ?」
「俺仁王より幸村くんに甘えたいなあ。冷蔵庫にケーキ入ってんの」
「ハイハイ、取ってきますから奥様はじっとしてて」
「幸村くん大好きー!」
「飲み物は?紅茶があるね」
「飲みたかったら淹れて」
「じゃあ遠慮なく」
「相手が幸村くんなら迷わず結婚迫ったのにな」
「……どうして仁王じゃダメなの?」お湯を注ぐ音を聞きながら、流していただけのテレビの電源を切る。目立つ腹を撫でて溜息をついた。
「どっちがいい?って聞いて、答えてくれればいいのに」
「と言うことは結婚が嫌ってわけじゃないんだ?」
「そりゃな、稼ぎ頭がいる方が楽だし」
「そんな理由?」
「……まさかこの年まで一緒にいるとは思ってなかったんだよ。忙しくなってたからどうせそのうち別れるんじゃないかってどこかで思っててさ、あいつモテるし」
「ブン太だってモテるんだろ?」
「ガキにな。……やっぱさ、気持ちって変わるじゃん。ガキの頃は少し会えないだけで不安になったりしたけど、今会えなくても平気なんだよ。このまま会わなかったら自然消滅ってやつなのかな」
「……ブン太は昔からそうだよね」熱い紅茶とケーキを持って幸村が戻ってくる。どういう意味かわからずに首を傾げると、昔から変わらない人当たりのいい笑顔を向けられた。彼から見れば自分は子どもなのだろう。年は同じでも兄のような感覚だ。結局テニスでは勝ったことがない。
「我慢しちゃうんじゃない?それらしい理由を見つけるから余計にさ」
「……引き留めるのヤなんだよ、あいつまた転勤断ったみてーだし」
「実家に帰らないのは仁王が来れなくなるから、なのに?」
「……会えるなら会いてーんだよ」
「わがままだね」
「昔からな。知ってるだろ?」
「よく知ってる」笑いながら紅茶を口にする幸村と目を合わせて笑いながら、丸井もケーキに手を伸ばした。――自分でもどうしたらいいのかわからない。結婚してしまうのは簡単だろうが色々と面倒くさいし、何より今までほとんど意地になって仁王をはねのけていたので折れるのも嫌だ。
「……幸村くんは?結婚。もう3年つき合ってんだろ」
「まあ子どもはできないように気をつけてますから、きっかけがなかなかね」
「うっわ、ムカつく」
「はは、俺は一緒になる気はないって言ってあるんだ」
「なんで?」
「再発の可能性、ゼロじゃないから」
「……そっか」
「嫌なんだよね。俺がひとりで嫌なだけなんだけど、多分耐えられないよ」
「……俺もさあ、今別に結婚したってそんなに変わらないと思うんだよ。普通に飯ふたり分作るしほとんど泊まってくし。でも例えば仁王がボケて下の世話までしなきゃなんねーってなっても一緒にいれるかどうかってのがわかんない」
「また大層な人生設計だね」
「だって結婚するってそういうことだろ?」
「うーん……」
「仁王禿げそうだしな〜」
「禿げそうだね〜」チャイムが鳴って幸村が立ちかける。それを制して丸井が立った。少しは動かねえと、と笑いながら玄関へ向かう。ケーキなど食べていながら、医者に体重が増えすぎだと言われたのも事実だ。そう思いながらドアを開けると見慣れた男、話題の仁王が久しぶり、と立っている。
「なんだお前か」
「ヒドッ!ブンちゃん最近扱いひどすぎ!」
「はいはい、何の用ですか。新聞なら間に合ってます」
「ケーキつけるからそこを何とか!」
「……残念ながらケーキも間に合ってんだ」
「うっそ」
「昨日ジャッカルが持ってきた」
「ジャッコー……間の悪い……」
「それはお前だ」まあしょうがねえから入れてやるよ、大きくドアを開けてやると仁王は不満げながら入ってきて、玄関で立ち止まって丸井の腹を撫でた。大きくなったのう、と口にする様子はまるで他人事のようで、やっぱり結婚などしていなくて正解だと思った。
「予定日いつやっけ」
「クリスマス」
「ああ、そうそう」
「12月入ったら母さんがうち来るって」
「何それ?泊まるん?」
「うん。初め実家帰ろうかと思ってたんだけどこっちの病院の方がいいかって話になって、身の回り大変だろうからって」
「そんなん俺が来れへんじゃろ」
「俺に会いたいなら我慢して来たらいいだろうが」ふんと鼻で笑い、仁王の手からケーキの箱を奪って先に中に入る。会話が聞こえていたのだろう、幸村がソファーに伏せて笑っていた。丸井の両親の前では仁王が小さくなると言う話を以前したときと同じ反応だ。ケーキの箱を覗いて、一瞬迷って冷蔵庫に入れる。流石に今日はやめておこう。
「おう幸村か。……笑いすぎ!」
「だって〜……あーおかしい。ほんとに評判悪いんだね」
「全部ブンのせいじゃ、嘘ばっか吹き込んでフォローもせん」
「何か飲むなら自分で入れろよ」
「はいはい」丸井が戻ってきたので幸村は体を起こす。頭をかきながら台所に立つ仁王を見てまだ笑っていた。
「お邪魔になりそうだから帰ろうかな」
「別にいいって、今あいつ禁欲中だし。あ、違うんだっけー、浮気中の間違いー?」
「だから未遂じゃゆうとろう!」
「どうだか」
「何があったの?」
「医者に聞いたら負担かかるからえっちはしない方がって言われて、禁欲言い渡したらこいつソッコー浮気してやんの」
「わっサイテー!」
「未遂じゃ未遂!」
「相手の女がバカじゃなかったらバレなかったのになー仁王」
「面白そうだね」
「ある意味な。うちに女から電話かかってきたんだぜ、仁王さん縛るのはやめて下さいーなんつって。自分の魅力で仁王メロメロにしてから言えっつの」
「俺はブンちゃんにメロメロなので浮気なんてしません!」
「ラブホで脱ぎゃ立派な浮気だ」
「酔ってなきゃ入らんわ……」
「酔ってたんだ……」台所から出てきて向かいに座り、コーヒーをすすりながら仁王は窓の外を見る。幸村は呆れた視線で仁王を見た。仁王が酒に弱いのは周知の事実だ。一見言動もはっきりしているからわからないが、朝になれば記憶は飛んでいる。そんな彼が未遂を主張しても信用できないだろう。
「んで、何しに来たんだ色男」
「……ほんっま腹立つのう。幸村からも何か言ってくれ、労る気持ちがどこにもない」
「無理はないんじゃないかな」
「俺の味方がおらんのう……」
「2対1じゃズルかった?ほんとにそろそろ帰るよ。俺もデートがあるんだ」
「あ、ごめん呼び出して」
「ううん、楽しかった。また遊びに来るよ」見送りを断って幸村が帰っていく。ふたりきりになり、久しぶりに姿を見る仁王をじっと見た。社会に出てからも髪の色は相変わらずで、一度さっぱり切った髪をまた学生の頃のように伸ばしかけている。
「……なんね」
「別に。急にどうしたんだよ」
「仕事でキャンセルが出ての、時間空いたんじゃ。しばらく会ってなかったから俺の顔が見たいじゃろうと思って」
「そうでも」
「……」
「暇だからいいけど」しかめっ面で隣に移ってきた仁王を見る。屈んで丸井の腹に口を寄せ、おーい、と声をかけるのを聞くといい父親になりそうに見えるのに。思わず溜息をつく。
「早く生まれりゃいいのにのう」
「なんでだよ」
「邪魔じゃ」
「……お前サイテー」
「親父のために早く生まれて来いよー」
「お前なんか父親じゃねえ!俺の息子に近寄るな!」
「男なん?」
「らしいぜ」
「ふうん。俺に似んかったらいいの」
「全くだぜぃ。お前何も用がねえなら飯作ってけ」
「えー」
「それぐらいしやがれ、役立たず」
「じゃあキスぐらいさせんしゃい」
「やなこった」言いながらキスを甘受する。――平気な顔で会いに来やがって。あの日女からの電話を受けた丸井がどんな思いだったと思っているのだろう。プロポーズを受けないからと言って別れたいわけじゃない。そう言っているはずなのに。
しょうがない、と立ち上がった仁王は台所へ向かう。そのままソファーに体を倒して天井を睨んだ。――思いは変わらないけれど、いさぎよく別れた方がいいのだろうか。元々引き留めるのが嫌で指輪を受け取らなかったのだ。電話の女とも真剣ならば、キッチリ別れてみせるのに。幸せだったと、子どもに言える自信はある。「ブン、何が食べたい?」
「……何があんの」
「お前んちの冷蔵庫じゃろうが」
「北京ダッグ」
「入っとらん」物音がしだしたから好きに作り出したようだ。ソファーに横になったまま顔を覆う。うかつにも視界が緩んだのをごまかすために。自分ひとりで考えているだけなのに悲しい。自覚はないが精神的に不安定ではあるのだろう。仁王のくしゃみが聞こえた。
「そうじゃ、ブン太。俺11月の終わりからまた海外出張で1週間ほどおらんけん」
「ふーん、お忙しいこと。……そうだ、母さんに聞けって言われたんだ。お前出産立ち会いとかしたい?」
「はあ?」
「連絡しなきゃなんねーからって」
「……わざわざ仕事抜けてまでは行かん。空いとったら行く」
「……言っとく」そんなんだから丸井の家族に受け入れられないのだ。薄情に見えるがそれ以上に人間関係での面倒事が嫌いなだけだ。気を使うということができない自覚があるからそれを選択するのに、悪い方へしかいかない。
「……何作ってんの」
「野菜炒め」
「お前何年経ってもそれしかできねえな」
070920