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「ジャッカルくん」
「……仁王?」

職場を出て一歩、仕事帰りなのかスーツ姿になぜかサングラスをかけた仁王が車にもたれかかって立っていた。胡散臭いにもほどがある。俺が近づくとよけいカタギには見えないんだろうな、そう思いながらも仁王が指先だけでちょいちょいと呼ぶので仕方なくそばへ寄った。
どうした、と聞くより早く車の中に突き飛ばされ、突然の事態に反応するより早く仁王が運転席に滑り込む。ジャッカルが顔を上げると目の前には幼い子どもがふたり、丸い頭を叩いて歓声を上げた。

「仁王っ!?」
「許せジャッカル」
「どういう意味だよっ」
「もう限界じゃ!」
「は?」

 

 

*

 

 

『マサ?』
「……どうしたブンちゃん、朝より声ひどくなっとぉぜ」

仕事中にブン太からかかってきた電話は非常事態であるから極力出るようにしている。今朝風邪気味だと言っていたブン太だが、電話越しのせいもあるだろうがいつもの元気がない。病院行ったんか、と聞くとこれから、と返ってくる。

『そんでさー、お前早く帰れる?』
「送るか?」
『違う。双子迎えに行って』
「……は?」
『幼稚園』
「……俺が?」
『うん。あ、タクシー来た。じゃあ任せたから』

反論を許さず電波は遮断される。携帯を握ったまま硬直していると社長と目が合い、彼女は笑って時計と仁王を見比べてタイムカードを押してくれた。理解のありすぎる上司というのも考え物だ。

「家族は大事に。行ってらっしゃい、車貸すわよ」
「ご親切にどうもこの地獄耳」
「取り柄ですから」

食えない女社長はヒールの足音も高らかに、会社の車のキーを仁王のそばまで持ってくる。生憎片づいてしまった仕事の書類と交換にそれを受け取り、盛大に溜息をついた。

「嘘じゃ〜……この俺が幼稚園にお迎えって……」
「また一歩立派な父親に近づくわね」
「ありえん……」
「車は明日返してくれればいいわよ」
「……社長代わりに」
「やぁよ」
「……麻理ちゃーん」
「嫌ですよぉ!子持ちになんて見られたくないです!」
「嘘〜……このナリで?俺が?幼稚園?」
「あきらめて行ってらっしゃい」

しばらく悩んだ後、どのみち選択肢がないことを悟り仁王は立ち上がる。社長や電話番の女の子の声援を受け、引きつった笑いを残して会社を後にした。今から車で行けばちょうどいい時間だろう。記憶の怪しい幼稚園の場所を思い出しながら、仕方なしに車に乗り込んだ。

普段は基本的にどんな格好でもかまわない職場だが、今日は取引先と用があったのでスーツ姿だ。髪の色は中学の頃から一貫して変えておらず、一度切った髪もまた半端に伸びている。そんななりでスーツを着ると完全にホストだとバイトの女の子は大喜びだ。だからよっぽど砕けた関係でない限り、仁王が取引先の人間と会うことはない。
いっそのこと一度帰って着替えようかとさえ思ったが、どんな格好でも父親に見えないことに変わりはないだろうと思い直す。誰かの忘れ物らしいサングラスが車内に残っていて、それをかけてミラーを覗くとあまり洒落にならない姿の自分がいた。

幼稚園のそばまできて、もう何年も緊張などしたことないというのに脈が乱れるのがわかる。しかし車を止めたままでは完全に不審者だ。覚悟を決めて幼稚園の低い門へ向かう。同じように子どもを迎えに来たらしいお母さんの視線もこの際無視だ。妙に見られると思えばサングラスをかけたままだったのを思い出し、慌てて外してポケットにしまった。
――あいつら何組だっけ?広いグランドに設置されている遊具で遊ぶ子どもたちの中にいないかと探してみるが、みんな同じに見えてよくわからない。そのうち建物から園長らしい男性が覗いているのに気づいて、とにかく近づいていく。確かチューリップ組か何かだ。赤だったことは間違いない。教室の前にいた保育士が慌てて立ち上がって身構える。

「な、何か」
「あ〜……仁王、です。迎えに」
「あ、仁王さん?あの……」
「いつものは、ちょっと」
「……」
「……父親、です」
「あっ、すみません!」
「イエ……」

ブン太にいいみやげ話ができた。情けなくなりながら保育士が子どもを呼んでくるのを待つ。

「とーちゃん!」
「とーちゃんだ!」
「とーちゃんだ!」
「ハイハイ……交互にしゃべるなやかましい」
「かーちゃんは?」
「なんでとーちゃんなの?」
「お仕事はー?」
「……先生はどうやってこいつら相手にしとるんですか?」
「えーっと……」

苦笑するということは、やはりプロにも手に負えないものなのだ。こいつらを大人しくさせることができるのは母親であるブン太だけではないだろうか。他にあるとしたらお菓子とテレビぐらいなものだ。
せんせーさよーなら!と元気すぎる声に顔をしかめて、仁王は先に歩き出す。もう二度と幼稚園になど来たくない。足元にまとわりつく息子たちに溜息をつき、久しぶりに煙草が吸いたくなった。寝煙草が多いので散々ブン太に怒られ、ついに禁煙させられてしまったのだが、やはり時々欲しくなる。

「車だー」
「誰の車?うちのじゃないよ」
「買ったの?」
「字が書いてあるー」
「ドライブしようよ!」
「いいからとっとと乗れ!」

チビを後部座席に押し込み、ドアを閉めて溜息をつく。寄りかかったドアの向こう側ではしゃぐ双子を殴りたくなった。一度手を出すと制御がきかない気がして、それで今まで子育てにもろくに手を貸さなかったのだ。深呼吸をして、覚悟を決めて運転席に乗り込む。やかましい騒ぎ声に耳をふさぎたいところだが、奥歯を噛んで時計を見た。無理やり口角を上げてエンジンをかける。

「お前ら静かにしてろ、飛ばすけん」
「どこ行くのー?」
「お前らの大っ好きな、ジャッカルを迎えに行くぜよ」

 

 

*

 

 

「帰ったぜー」
「おかえりー!」
「おかえりなさい!」

病院までブン太を迎えに行った仁王が戻ったようだ。玄関まで迎えに出た双子は、父に支えられてようやく立つ母親の様子に一瞬怯む。追いかけてきたジャッカルが道を開けさせて、低く唸るブン太に溜息をついて仁王が彼を抱き上げた。抵抗する気力もないブン太は子どもたちを見下ろして緩く微笑む。

「ごめんなぁ迎えに行けなくて」
「かーちゃん大丈夫……?」
「病院行ってきたから大丈夫だ。うつったら大変だから近づくなよ」
「かーちゃん……」

仁王が寝室まで運ぶのを見送ってたたずむ双子をジャッカルが撫でた。かーちゃんは風邪だから、とさっき説明をされたが予想以上にブン太が辛そうで戸惑う。

「ジャッカル、かーちゃん大丈夫?」
「かーちゃんが大丈夫って言ってただろ。早く治るように静かにしとこうな」
「うん……」
「かーちゃんの部屋行っちゃだめ?」
「だめじゃ」

戻ってきた仁王が呆れている。かーちゃんがくるなって言ったじゃろ、どちらかわかっていないのだろうが双子の片方を撫で、もうちょっと面倒見とって、とジャッカルを見た。彼らに振り回されるのは慣れているから、頷いて時計を見る。

「10時までなら」
「頼んだ。今から粥だけ作るけん、お前らもなんか食うなら適当に作りんしゃい」
「食えるのか?」
「ブン太が食うって」
「恐ろしい食欲だな……」
「食わんと薬飲めんからじゃと」

キッチンに引っ込む仁王を見送りながら溜息をつく。色々なことがあったが、結局このふたりでくっつくのが一番具合がよかったのだろう。ブン太はともかく仁王を見てると特にそう思う。ブン太以外が彼を手懐けて家庭に落ち着かせるなど想像もできない。父親レベルはまだ低いにせよ、双子から聞くに迎えには行ったようだから上出来だ。

「ジャッカル〜」
「ダメだって、かーちゃん怒ったらこえぇだろ」
「でも心配だよ」
「じゃあジャッカル見てきて!」
「……わかった、待ってろよ」

四つの瞳に訴えられては勝てない。自分だって仁王と大して変わらないだろう。いや、自分の子ではないからこそ甘やかすことができるのかもしれない。ハルとフミを順に撫で、ブン太の寝る寝室へ入った。ベッドの上から視線だけ投げかけてきたブン太は多分息子を先に探したのだろう、ジャッカルひとりだと知って体の力を抜いたのがわかった。

「大丈夫か?ハルフミ心配してるぜ」
「あいつらにうつったらめんどくせーんだよ、ふたり一緒でも順番でも」
「確かに」
「悪いな、仁王が」
「今更だろ。仁王に任せてる方が怖いしな」

熱いのか、頬を紅潮させたブン太は憂い顔だ。双子を生んで3年、いまだに仁王があの調子で心配なのはわかる。実際今回もジャッカルを頼ってきた。

「どうにかなんねーもんかな」
「仕事で家にいなきゃよけいに難しいだろうな、元々あいつ子ども嫌いだし」
「参るぜ、考えたくねーけど俺が死んだらどーすんだ」
「……俺が面倒見てやるよ」

ジャッカルー!双子の呼ぶ声に反応してほとんど反射的に部屋を出る。ブン太がどんな顔をしたのかわからなかった。かーちゃんどうだった?心配そうな彼らに笑いかける。優しい双子は誰に似たのだろう。ブン太にも仁王にも似なければいいのに、と思ってしまう。どうしてこんな可愛い子が苦手なのか、ジャッカルには仁王の気持ちがわからない。押しつけるつもりはないが、いくら仕事があるとは言えある程度は一緒に生活しているはずなのに。

「大丈夫、しんどそうだけどいつもの強いかーちゃんだ。今かーちゃんは風邪菌と戦ってるから、お前らも邪魔しないようにな」
「うん!」
「とーちゃんは?」
「は?」
「とーちゃんは大丈夫?うつらない?」

――なんて優しい子なのだろう。思わず涙腺が緩みそうになる。フミの頭を撫でてやりながら、とーちゃんもジャッカルも大人だから大丈夫だ、と答えた。

「お前らはまだ小さいから風邪菌と戦うのは大変だからな」
「俺もう3歳だよ」
「風邪菌は3歳より強いんだ。だから早くおっきくなれるように飯食おうぜ、作るからあっちで遊んでろ」
「はぁーい」

膨れっ面のハルをフミが引いて、ふたりは子ども部屋に向かう。キッチンに入ったジャッカルと入れ替わりに、仁王が粥を手に呆れた顔をして出てきた。

「お前転職した方がええんじゃなか?」
「そうかもな」

眉を寄せたどこか情けない表情で仁王はブン太の元へ向かう。あれが父親か。まだみんなでテニスをしていた頃、仁王だけは父親にしたくないと話したことがあるのを思い出した。あれを言い出したのは誰だったか忘れてしまったが、あのとき逆に一番父親にしたいのが自分だった記憶がある。怒らなさそうだから、という理由で。どっちにしろ情けないことにかわりはないかもしれない。

 

 

 

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071121