飴と鞭 1
「冬なんて嫌いじゃ……」
それはコンビニに登場する中華まんとおでんを心待ちにしている丸井に対する嫌味にしか聞こえなかったが、不機嫌そうに尖った口に大根を押しつけてやった。熱いと文句を言いながらもそれにかぶりつく仁王を見ていると、小鳥に餌をやっている気分になる。否、そんなに可愛らしいものではない。禁忌の森を探検し、拾ってきた卵が孵化したらドラゴンだった、みたいな、手放すタイミングを失って持て余している生き物だ。
知り合って3年目ともなればもう恒例のこと、仁王が寒いと言い出すと冬が来る。仁王に言わせれば秋は存在しない。首元にしっかり巻かれた学校指定のマフラーは、部員の誰よりもくたびれている。
「あかん、無理じゃ、帰る」
「あのなあ、ここまで出てきたんだから行くぞ」
「寒い……ので帰りましょう!」
「……ハイハイ、行きますよー」Uターンした仁王のマフラーを掴み、そのまま引っ張って学校へ向かう。歩きながら食べようと思っていたおでんはお預けだ。ブンちゃぁんと甘えた声を出して逆に丸井のマフラーを掴んだ仁王は、外気に負けてすぐに手をポケットに戻した。情けない。なんだかんだで部活へ行ってしまえばまじめにやるから、学校に着くまでの辛抱だ。
「大体もう引退やっちゅーんに、なんで休みの日に部活行かないかんのじゃ」
「どーせエスカレーターじゃん、休んだって体鈍るだけだろ。アルバム委員が写真撮るとか言ってたし」
「最悪。もう帰る」
「寝癖は着いたら直してやるって」
「な、ブンちゃん。カラオケ行かん?」
「ハイハイ帰りにな」
「……ブンちゃんのイジワル。可愛い恋人がこんなに嫌がっとんのに!ドS!」
「誰が可愛いって?」全く――仁王を家から引きずり出して、もう何度目の溜息だろう。捨てていきたいところだが、以前さも当然のように寒いから、という理由で出てこなかったことがある。後でしっかり真田の制裁を受けてはいたが、反省が見られないので幸村に連れてくるよう頼まれてしまったのだ。ああ、おでんが冷めていく。これほど儚いものは真夏のかき氷以外にあるのだろうか。
「腹減った……」
「おでん食ったらええやん」
「……手離したら逃げるだろ」
「チッ」
「か〜わいくね〜!」寒がりのくせにコートは嫌い、と下に着込むので、心なしかガッチリして見える。寒い、と腕に巻きついてくるのがうっとうしい。更に首元に鼻をつっこんでくるので歩きにくくて仕方がない。
「……ブンちゃん」
「何だよ」
「わざわざ行くんじゃから、ごほうびはもらえるんじゃろうな」
「……あのな」とにかく仁王を引っ張って学校へ向かい、部室に入ると幸村が拍手で出迎えた。いつも通りの満面の笑みだが、こっちは笑い事ではない。
「あか〜ん寒〜い。幸村、今すぐ春にしてくれ」
「仁王は俺を何だと思ってるのかな?」
「着替えぐらいはひとりでしろよ!ったく……おでん冷めたじゃねえか」
「ブン太、ご苦労様。ありがとう」
「仁王係作ってさ〜、当番制にしねえ?」
「アホー。真田が呼びに来て誰が大人しく出ていくんじゃ」
「自分で言うなよ」
「仁王を脱がすことができるのって、北風でも太陽でもなくてブン太なんだからすごいよね」幸村の隣に座っておでんを食べ始める。お疲れ様、と幸村が撫でてくれるのが少し嬉しい。仁王など捨てて乗り換えたい気分だ。どういう手段を使ったのかは知らないが、仁王が幸村と一緒に顧問から手に入れてきた電気ストーブの前を陣取って着替えている仁王を見て溜息をついた。隣の幸村と見比べてどうだろう。情けないにもほどがある。冬はこの様だし、夏は夏で泳げないときた。年中遊び甲斐のない男だ。
寒い寒いとつぶやきながらジャージのファスナーを一番上まで上げた仁王の姿にあきれてしまう。後ろの髪を一旦ほどき、何をするのかと見ているといつもより高い位置で結び直している。更にマフラーを巻いて後ろで結んでいた。新しい防寒らしい。
「……真田に怒鳴られるぜぃ。めんどくせぇからあいつの機嫌悪くすんなよ」
「寒いもんは寒いんじゃ」
「……もうお前、おでんになっちゃえばいいのに」
「ブンちゃんが食べてくれるんやったらそれもよか」
「やだ、まずそう」仁王から顔を背けてはんぺんにかぶりつく。柳生がマフラーを外させようとしたが、ぴしりと手を叩かれていた。変に大人びているくせに、どうでもいいことばかりが子どもっぽい。そのせいで思わず弟の面倒を見るようなつもりで構ってしまうが、冷静になってみれば自分よりでかい立派な男だ。真田ほどではないが、あとは成人するだけの男だというのに。
そうしているうちに真田が部室に入ってくる。ストーブの前で丸くなっている仁王を見るなり、カッと眉をつり上げた。「仁王ッ!」
「おーやかましい。そんなにカッカしとると可愛い彼女に嫌われるぜよ」
「なっ、何の話だ!」
「えっ真田彼女できたのっ!?」
「マジっすか?副部長に!?」
「ほう、先日一緒にいた彼女か?」
「柳までっ……違う!そうではない!今は関係ないだろう!」
「ピヨッ」食らいついた幸村が切原とともに真田を捕まえてしまったので、仁王は振り返ってVサインを向けてくる。抜かりのない奴だぜ、呆れた丸井のそばにストーブごと移ってきて、何故か誇らしげに笑っている。
「お前こだわりがわかんねーよ。コートはダサいから嫌っていう癖に、ジャージにマフラーはアリなわけ?」
「これはアリじゃろ。たまごちょーらい」
「大根やったろ」
「たまごくれたら頑張れるかも」
「安いなお前。これは俺のエネルギーなの」
「たまご〜」
「柳、こいつうざいんだけど」
「丸井がたまごをやって大人しくなる確率、58%というところか」
「低ッ!リスク高ェ」
「ほうっておいて大人しくなる確率は3%だ」
「外に放り出しゃ大人しくなるさ」
「……なるほど」
「ブン太の鬼!」
「俺のこと好きなんだろぃ?」
「……むっかつく」
「ブン太ー!真田の彼女見に行こう!」
「行く行く!ごっそーさん!」
「だから彼女などではない!やめてくれ幸村!」
「あ、柳、アップ始めといて、俺たち終わらせて戻るから」
「わかった。さ、仁王も弦一郎も立て。行くぞ」
「幸村ぁ〜!」
「寒い……」
*
「しゃーねえからちゃちゃっと終わらすぜ!」
「お〜!」
「……おいコラ」威勢がいいのは返事だけで、丸井の部屋でも絨毯に座り込み、やっぱりストーブに張りついている仁王の頭を叩く。なんとなく魂胆が読めてきた。自分の部屋の暖房器具が壊れただとか灯油が切れただとか、きっとその程度の理由で丸井の部屋を主張したのだろう。さすがにプツンときて、ブレザーとカッターシャツはさっと脱ぎ捨て仁王のマフラーを引っ張る。結局部活の間も手放さなかったそれを捨て、正面を向かせて同様の勢いで仁王を脱がしていく。何か言いかけた仁王も膨れっ面の丸井を見て口を閉じた。
玉ねぎを連想しながらブレザー、セーター、カッターシャツ、その下のTシャツも脱がしてしまう。ようやくすっきりした。フン、と思わず鼻で笑うとからかう口調でえっち、などと呟かれる。突き飛ばして絨毯に押し倒してまたがった。まだ冷たかった絨毯に押しつけられて仁王から悲鳴が上がるのを無視し、むき出しの肌を撫でると鳥肌が立つのがわかる。
「乳首立ってんぜ」
「……ブン太の手が冷たいんじゃ」
「暖めろよ」胸にキスを落とし、少しずつ上へ向かいながら繰り返す。諦め混じりの吐息を聞きながら、仁王の手が丸井の手を包んだ。ストーブに暖められて暖かい手が丸井の体温と混じる。
「……そういやお前もうすぐ誕生日じゃん、どっか行こうぜ。部活休みだったはずだし」
「ん〜?どっか行きたいとこあるん?」
「クリスマス仕様であちこちライトアップされてんじゃん、見にいかね?」首、あごと触れ、耳の付け根に唇を押しつける。逃げるように顔を背けたのを追って耳たぶに歯を立てた。仁王がふるりと震えるのと同時に丸井の腰に手が回る。
「クリスマスに行くとぜってー人多いしさ」
「んー……でもそれ、夜じゃろ」
「そりゃな」
「……寒いのう」
「……あ?」
「わざわざ寒いときに出ていかんでも、学校のそばで派手にライトアップしとお家あるじゃろ」
「……じゃあ聞くが、お前は誕生日にどうしてたい?」
「あー、こたつでみかん」
「……あ、そう」丸井が体を起こし、仁王の手を振り払う。クエスチョンを浮かべる仁王も無視で携帯を手にし、電話をかけた先は幸村だ。
「あ、もしもし?丸井でーっす。なあみんなで東京タワー行かね?4日の夜!そうそう、みんな誘ってさ、ちょっと早いけど忘年会しようぜぃ」
「ちょ、ブンちゃん?」
「仁王?あーいらないいらない、寒いから出たくねえんだと!じゃあ決定な!うん、また計画練ろうぜぃ、じゃあな!」
「あのう、ブン太さん……」
「何?まだいたの?」
「何か気にさわるようなことを言ったでしょうか」
「……遊べない奴に用はねえ」笑顔でさっくり切り込んでやると仁王は正座で硬直した。ようやく思い出したらしい。夏にも一度、同じようなパターンで怒らせたことを。青くなってももう遅い。よくわからせていたはずなのに。
「お出口こちらで〜す」
「……あのう」
「これ以上怒らせる前に帰ってご機嫌の取り方考えな」
「俺が悪かった」
「知らん」
「ブン太!」
「俺が楽しいこととお前の楽しいことが一致しないってだけだろ、じゃあな!」仁王にシャツを投げつけて部屋を出る。その前にストーブの電源を切ることは忘れない。キレたまま台所で水を流し込む。落ち着けば若干後悔していなくもないが、悪いのは仁王だ。どうしようもなく腹が立つ。確かに仁王の誕生日のことだ、丸井が怒ることではない。カッターシャツまではきっちり着込んで、仁王がそばに寄ってくる。それを見ながらもう一度グラスに水を入れ、唇を濡らす。
「ごめん」
「何で謝ってんだよ」
「俺の誕生日、祝ってくれるつもりだったんじゃろ。俺な、4日家空けとんじゃ。みんな追い出して」
「……で?」
「来てくれん?ブンちゃんのご飯食べたい」
「で?」
「泊まっていかん?」
「無理。幸村くんたちと夜景見に行くもん」
「……本気?」
「だって幸村くんに言っちゃったし」
「あー……まあ、それは……」我らがキングは決定項目を覆さない。他の参加者はともかく、言い出した丸井は欠席できないだろう。
「お前も来ればいいじゃん」
「ところで、続きは?」
「……したい?」
「したい。ブンちゃんがほしい」
「でも俺テンション下がっちゃったしな〜」
「ブン太」グラスを奪っていった仁王の手がそれをシンクに置くのを見ながら、黙って抱き締められる。軽く唇を押しつけられて視線を合わせ、もう一度近づけられた唇を避けた。
「ストーブつけねえぞ」
「な、何で?」
「つけるならしない。動けば熱くなるだろ」
「……脱いだら寒いじゃろ」
「帰るか?お前人んちの光熱費なんだと思ってんだよ」
「……いや……今日ぐらいなら!」
「……つまりこれ以上寒くなったら暖房なしでセックスできねーってことかよ」
「縮んでまうわ」
「縮めばいいのに……」
「そんなこと言わんで」改めて触れたキスに大人しく応えてやる。抱き締める力が強くなって、口づけも深くなった。シンクに押し倒す気ではないかと思うほど押さえ込まれて、口からこぼれた唾液が丸井の首を伝う。仁王を引き剥がしてそれを拭いながら手を引かれ、台所よりは暖かい部屋に連れて行かれた。
名残惜しげにストーブを見ている背中を今度はベッドに突き飛ばし、さっき同様のり上がって仁王をまたぐ。せっかく脱がせてやったのに、カッターシャツのボタンを外しかけながら、なぜ自分が脱がしてやらねばいけないのかと我に返った。しかし脱がさなければ脱がないだろう。それは嫌だ。「……ブン太先に脱いで」
「……いいぜ」Tシャツを脱いで背後に投げ、乱れた髪を軽く首を振って直す。ついでにベルトを引き抜いてファスナーまで開けると、確かに仁王の口元が緩んだ。流石に寒い。かすかに震えたのを見逃さず、仁王が毛布を引っ張った。それを手伝って肩まで上げる。
「脱げよ」
「脱がんとダメ?」
「だぁめ」
「あーもう……かわええの」
「布越しに触ったって気持ちよくねえだろ」制服の上から興奮し始めているものを撫でる。仁王の眉が動いた。柔らかい制服の上からあおるように触ってやると溜息と共に手を制された。わかったから、かすれた声に思わず笑みが浮かぶ。
「降参。脱ぐから、ちゃんと触って」
「わがまま」
*
いらっしゃい、と丸井を出迎えて、仁王は途端にがっかりした様子を見せた。いらっとしながら理由を問えば、丸井の身軽な手荷物を指さしふてくされて答える。
「ほんまに泊まらんの?」
「しつこい」
「え〜」
「お前が一緒に来るならいいぜ、そしたら一緒に帰ってきて泊まってやる」
「……嫌じゃ」
「あっそ!俺はいいけど!」買ってきたケーキを押しつけて勝手に入っていく。いい加減仁王も意地になっているのだろう。失敗したなあ、と後悔しても仕方ない。勝手知ったる他人の家だ、台所へ向かって夕食の支度を始める。後から入ってきた仁王も諦めた様子で、冷蔵庫にケーキをしまって買ってきたものを眺めていた。
「何すんのー」
「ホワイトシチュー」
「あっ人参反対!ブロッコリー反対!」
「他に何入れろってんだよ」
「いもで十分じゃろ」
「白ッ!ばっか、料理は五感で楽しむんだぜ、なんだよその気持ち悪いシチュー!」
「入れても食わん」
「食わなきゃ二度とさせねー」
「……ブンちゃんうちの母親よか母親ぜよ」
「あっそ、邪魔すんなら出てけ。あ、チビからのプレゼント入ってんぜ」丸井がさした袋を覗くと、チラシの裏目一杯にクレヨンでどうにか人だとわかるものが描いてある。そばに書いてある文字は、におたん、と解読していいのだろうか。
「……チビ何歳やっけ」
「5歳」
「あー」おそらく仁王が描かれているのだろうとは思うが、髪に黒を使っているので文字がなければわからないだろう。白でないだけましかもしれない。
「うまいだろ〜?ジャッカルのときのを見せてやりたかったぜ……」
「……見物じゃろうな」茶色の塊であることは想像するに難くない。まな板と包丁を取り出して野菜を切る丸井の後ろで仁王が溜息をついた。面倒くさいのでほうっておくことにする。
「……ブーンちゃん。何か忘れとんちゃう」
「んー?ルーはあるだろ?」
「ちゃう」
「……おめでとうは朝言った」
「おまけは?」
「なんでねだられておまけつけなきゃなんねーんだよ」
「ケチ」
「……なんなら今すぐ帰るぜ」
「だめ!」
「めんどくせーなあ」包丁を置いて振り返り、手でちょいと手招きする。ぱっと顔を上げた仁王が近寄ってきたのになんとなく犬を連想した。軽いキスを繰り返し、だんだん仁王がのってきたのがわかって引き剥がす。
「俺は何しに来たんだっけ?」
「……飯作りに」
「よくできました」
「飯いらんからしよう!」
「言うの忘れてたけど、しないから」
「はい?」
「夕方から出かけんのにするわけねーだろ」
「……じゃあ何か、俺はごちそうを前に『待て』か?」
「ごちそうなら作ってやるから遠慮なく食え」
「……俺の誕生日」
「じゃあ一緒に来れば」
「……」あ、やべ。本格的にキレかけたらしい仁王を見て迷いかけるが、意地っ張りなのは丸井だって同じこと。今更引っ込むこともできずに黙って料理に戻った。同様に押し黙ったまま仁王も台所を出ていってしまう。思わず溜息をついて、うっかり人参を小さく切りすぎていたことにも気づいて更にうんざりした。それから時計を見て逆算する。――仕方ない。今日は仁王の誕生日だ。
手を洗って仁王を探す。部屋にいるのかと思えばなぜかリビングで、電源を入れっぱなしのゲーム機のコントローラーを握ったまま転がっていた。スタート画面からオープニングにまた戻っている。
「福山クン!」
「どなた」
「間違えた間違えた。雅治クン、どうしたの」
「恋人が最近冷たいんですけどー」
「マンネリなんじゃねえの?」
「ない」
「よく言い切れるな」
「ブン太に見捨てられたら生きていけん」
「適当なこと言いやがって。飯と俺とどっちがいい?」
「……俺たぶん飯食わんでも生きてけると思うんじゃ」
「んなワケあるか」コントローラーを手放した手が丸井を呼んで、誘われるままにそばに寝転んで腕の中に収まった。どんな顔をしているのか見てやろうと上げた顔を掴まれて、そのまま口を塞がれる。甘やかしてるなあ、自分の弟ならば何が何でも言うことを聞かせているのに。やっぱり始めの教育を甘くしたせいか。他のことを考えているのがバレたのか、唇に歯を立てられる。そのまま入り込んできた舌にお返しのように噛みついた。
「ええの?」
「……ま、どーせお前、早いし?」
「ほう」体を起こした仁王が丸井を床に押さえつけ、挑発するようにそれを見上げる。ギラギラしやがって。にやりと上がる口角に背筋がぞくりとする。これは、期待、だ。
「たっぷり時間かけたろうやないの」
「間に合う程度で頼むぜ。幸村くんに怒られるのだけはごめんだからな」
「俺が怒られちゃるよ」
「言ったな?」
「……いや、待ち合わせ何時?」
「秘密!」
071209