秘すれば花 4
「お疲れっしたー」
「お疲れー」
「仁王先輩ひとりっすか?飯食いに行きません、俺今日晩飯ないんすよ」聞くまでもなくひとりだと知っているくせに近づいてくる切原に、今更怒る気はしなかった。ええよと簡単に答え、冬場だというのに汗ばんだシャツを脱ぐ。 結局仁王の否定に加えて相手の女の正体が出なかったため、仁王の彼女の話題は単なる噂としてうやむやに流れていった。それでも丸井の機嫌がおさまらないのは仁王が何も言わないからだろう。どうすれば丸井にとって一番いいのかわからないまま、ずっと避けてきている。今日も部活が終わればすぐにジャッカルを捕まえて帰っていった。できるだけ嘘をつかない道を選ぼうと思うと隠しごとをすることになってしまう。それを仕方ないと割り切れる問題でもなかった。いたずらに時間ばかりが過ぎていく。
「先輩何がいいですか」
「お前の予算に合わせる」
「えっへへ。じゃあ財布に優しい方の牛とか豚とか」
「ええよ」けらけら笑う後輩と部室を出た。切原部長お疲れ様です、と残っていた部員に挨拶をされ、居心地が悪そうに仁王を見たのでお望み通りにやりと笑ってやる。
「にやにやしないで下さいよ!やらしい!えろい!」
「切原部長意味わからん」
「キー!もー、部長とかいらねーのに……」
「率先して真田に副部長つけて呼んでたやつが何を」切原をからかいながら向かった牛丼屋でかわいらしい愚痴や不安を聞きながら、彼も成長しているのだななどとしみじみ考える。自分があまり成長したことがないのでよくわからないが、身体的なものに限らない成長が少し羨ましい。
「なぁんか、やっぱ違うんすよね。気が抜けたっつーか。中学の間にぜってー倒してやろうと思ったのに、柳先輩から1ゲーム取ったので限界だし」
「頼りがなくなったろ。今度はお前が後輩甘やかす番じゃ」
「しい太以外なら喜んで甘やかします」
「お前の代は大変じゃのう。目立つタレントがおらんから、お前が頼りみたいになりよる」
「それが嫌なんすよね〜……あんたらの代に化け物集まりすぎだったんすよ。類友にもほどがあるっつの」
「それは言えとる。うちの学校だけじゃなかったけんな。怖いのは不動峰じゃのー、メンツがほとんど変わっとらん」
「なんだかんだ言って青学も残ってますけどね。あークソ、越前リョーマ!」
「遠距離恋愛じゃのう。英語覚えて追っかけたらどうじゃ」
「ストーカーじゃないっすか」彼のライバルは遠い地に行ってしまった。同じ年で彼と張り合える選手は彼以外にまだ現れていない。恋愛の図式と変わらない、と思い丸井を思い出す。まだ好きでいいのだろうか。丸井はもう、仁王に愛想を尽かしているかもしれない。
「……ね、誰も聞かないから聞きますけど」
「ん?」ほとんど空にした器に残った米を集めながら、以外と食に関してしつけられているのだと感心する。米ひと粒も残すな、肘をつくな、刺し箸寄せ箸ねぶり箸は禁止、丸井に散々言われた言葉が耳元に蘇ってくる。
「丸井先輩と、どうなんすか」
「……うーん、難しいとこじゃ」
「何それ。丸井先輩ピリピリしてますよ」
「知っとる」
「初めホモとかえーっ!って思ったけど、あんたたち見てるとなんか許せたっつーか呆れたっつーか、ちょっと羨ましいカンジだったんすけど」
「そうけ?」
「すっげー相手大事にしてさ、あの丸井先輩が仁王先輩の前じゃ時々しおらしくなってんだもん。時々だったけど」
「人前では時々だったな」
「またのろけるし。だからさ、俺だって好きな人ぐらいいたりしたけど、あんな風にはなれないからすっげーなって思ってた。できればまたヨリ戻してほしいなって」
「……俺は好きよ、赤也のそういうとこ」
「おッ……俺に告ってどうすんすか!相手違うし!」
「ブン太は赤也と比べものにならないぐらい好き」
「……だったら意地張らないで下さいよ」味噌汁に口をつけてすすりながら切原は眉を寄せる。後輩に恋愛のダメ出しをされてしまった。切原の何倍と計算するのもばからしいほど生きているのに、全く恋愛は人をばかにすると思う。
「……赤也にだけ教えといちゃる」
「へ?」
「絶対、幸村に脅されても言うなよ」
「な、なんすかぁ」
「俺は高等部に行かない」
「……は?嘘っ、なんで!」
「内緒な。特にブン太には」
「なんでっ……」箸を握りしめたまま切原が真っ直ぐ視線を向けてきた。揺らいだ瞳に笑いかけると嘘ではないとわかったのか、うつむいて肩を落とす。こんな姿を見るつもりではなかったが、誰かに知っておいてほしいと思ってしまった。すぐに冗談だとごまかそうとしたが、じゃあ、とうなだれたまま口を開いた切原の言葉を待つ。
「もう8人そろうことはないんっすね」
「……弱肉強食やって赤也も知っとるじゃろ。高等部上がったら外部から越前リョーマみたいなやつが転入しとるかもしれん。そいつが切原のポジションを奪うことだってあるかもしれんよ」
「……そんなこと、考えたことなかった」
「お前はいつまでも2年エースでいられんのじゃ」黙ったまま残りを食べてしまった切原にならって器を空にする。もし切原が誰かに漏らしたらどうなるのだろう。こんなときでも予測しきれない未来がどう変わっていくのかを楽しみにしている自分がいる。
店を出ても大人しい切原だったが、別れ道でふいと顔を上げた。いつでも真っ直ぐに上だけを目指してきた瞳が最近変わっている。今は視野を広げているところで、これからもっと、人間らしくなるのだろう。泥臭く駆けずり回ったり嘘を巧みに使ったり、その瞳で真実を訴え自らの体で力量を見せつけ。生まれ変わりがあるのなら、切原のような性格も悪くないだろうと思った。「仁王先輩、俺誰にも言わないけど、その代わりに丸井先輩と仲直りして下さいよ。このまんまでどっか行かれたらたまんねえや」
「……そうじゃの」ふたりだけの問題ではないか。ふたりでしている恋愛なのに、不思議なものだと思う。わずかな期間ではあるけれどずっと長く丸井を抱きしめていない。柳生やジャッカルどころか真田にまでふたりの仲を心配され、なぜかこんなときばかり眠る本能を呼び起こす女たちからのアプローチは繰り返された。女は隙を逃さない、貪欲な野生動物のようだ。丸井との関係を知るはずがないのに、仁王がひとりだと察知して声をかけてくる。もしかしたら丸井の方にもあるのかもしれない。男女から見て魅力的な男だ。
「うかうかしとったら、赤也にブン太を取られかねん」
「俺は別にいりません、あんなデブ」
「ほう。伝えとく」
「あ……」
「そこがブン太のいいとこじゃ。抱き心地ええぞ」
「……あんたらって、どこまで進んでるんすか」部屋の鍵を渡したままだと思い出した。少し表情を変えて好奇心を見せた切原を見る。
「……ま、仲直りできんかったら教えちゃる」
「やらしいなあ。えろい!」少しひきつっていたが笑みを見せた切原と別れる。もう暗くなった道は知らぬ間に通い慣れてしまった。真っ当に学生生活を送る気はなかったがそれなりに青春を過ごしたようだ。思いがけず感慨深い。明日丸井を捕まえて、情けない姿を見せて懇願しようか。素直に言ってしまうのか嘘で彼を納得させるのかはまだ決めかねるけれど。丸井に鍵を渡してから部屋を施錠したことはない。元より取られるようなものと言えば自分の命ぐらいだ。マンションを借りるのも手間がかかったなと思い出す。騙しに騙し、色んな名と色んな姿を使った。まさか中学生として住むことになるとは思ってもいなかったが、どうしてそうしたのかよく思い出せない。気まぐれに動いてきたことがよくわかる。
階段を上がって、薄暗い廊下の向こう、仁王の部屋の前に誰かがしゃがみ込んでいた。否、誰かじゃない。遠目にだってわかる赤い髪。高いところから下を見下ろしたときのように足がすくんで立ち止まり、頭が真っ白になる。夢を見ているのだろうか。気配に気づいたのか丸井が顔を上げ、仁王を見つけて立ち上がる。着替えて暖かそうな格好をしてはいるが、いつからここにいるのだろう。
「遅かったな」
「なんで……」
「結構寒かったんだけど。中入れて」
「……開いとるじゃろ?」
「……ひとりで中にいたくなかったんだよ」きゅっと拳を握ったのがなぜかはっきり見えて、ぐっとこみ上げてきたものが何かわからないまま丸井に近づいた。迷いのない目が仁王を見上げる。自分はまだ考えているのに、丸井はどんな答えを出したんだろう。
「ブン太」
「俺はお前が好きだ」ストレートに吐き出された言葉に心を奪われる。人間に魅了された原因はこの言葉だ。武器にも甘い菓子にも匹敵する、多種多様な人間のもの。
「仁王が好きだよ。わけわかんないやつだって知ってるし、つき合ってても隠しごとばっかだし、腹立つけど。でも仁王がいい」
「うん」
「うんじゃねーよ!お前も俺が好きだって言いやがれ!」何も言えずに抱きしめてそのままドアを開ける。中に入ってドアを閉めれば中は真っ暗で、柄にもなく世界中に今ふたりしかいないような気になった。肩に顔を埋めたまま丸井の匂いを吸い込む。
「ブン太」
「……うん」震えそうな声で、何を語ればいいのかわからないまま腕の力だけ強くする。丸井の手が背中に回り、そんなことが嬉しい。こんなことで丸井の前から離れることなどできるのだろうか。
「どんだけ考えても、やっぱり全部は言えん。これは俺が墓まで持って行かんと、だめなんじゃ」
「……お前何抱えてんの?」
「一世一代の大ペテンじゃ。タネは教えられんよ」闇でも見える目で丸井の頬に手を添える。見えているのかわからないが丸井もただ仁王を見ていた。
「じゃあ仁王も好きだって言えよ」
「もうブン太しか好きにならん」
「嘘くせえ」ぐいと頭を引き寄せられて、意図を解して唇を落とす。柔らかい唇に歯を当て、開いた透き間から舌を差し込んだ。触れる他人の舌は熱い。久しぶりの口づけを先に止めたのは丸井で、離れた唇が牛丼、と呟いた。思わず吹き出して強く抱きしめる。
「かわいい。好きだよ」
「一言多いんだよお前は……」
「どうして傷つけるのかわからん。大事にしとるのに」
「……そんなもんじゃねえの、恋愛なんか」
「ええなブン太は。俺ブン太になりたかった」
「俺ァ自分にキスしたいほどナルシストじゃねーぞ」
「じゃあ俺としよう」暗い玄関で立ったまま何度も口づけを繰り返し、足下の怪しくなった丸井を靴箱に預けてまだ続ける。言葉は難しい。何を言えばいいのか、なんと言えばいいのか、人間ならわかるのだろうか。熱っぽい呼気に混じって名を呼ぶ声にたまらなくなる。
「ブン太ッ……」
「……もっと」苦しくなる。こんなにも満ちていると感じるのに、抱きしめていても足りない。食べてしまえばひとつになれるのだろうか。
「仁王、お前なんで泣いてんの?」
丸井の手が頬を撫でる。ずっと外にいたせいか冷たくなっていて、その手に手を重ねて自分が泣いていると知った。
「俺がいるんだからしっかりこっち見てろ」
「……男前やの」
「好きだろ」
「好き。でもかわいいとこも見たい」
「……俺、今日、泊まるって言ってきた」
「優秀じゃな」
「んっ」唇を塞いで丸井の腰に手を這わす。裾から手を入れて直接触れて、脚の間に膝を入れた。抱く位置を直しながら舌を吸った。丸井が上着を脱ぎ、背中から抜いて足下に捨てる。その手が仁王のネクタイを掴み取り払い、キスをしたまま器用にシャツのボタンを外していった。膝を上げれば熱を持ち始めたものが触れ、丸井が身震いしたのが伝わってくる。
「ッ……やばい」
「大丈夫?」
「……めっちゃ」興奮してきた。耳元でささやかれてぐっと奥歯を噛む。誘われるままに快感を求めて手を伸ばし、シャツをまくり上げて肌を撫でた。同じように露わにされた仁王の胸元に丸井の唇が落ちて、ちゅっと音を立てて吸いつかれて身震いをする。
「仁王」
「……好きだよ」きっと罰が当たったのだ。今まで散々悪さをしてきた罰が。だから、途中までしか一緒にいられない。彼女たちの最期までそばにいられたことが幸せだったのだと今ならわかる。いたずらに長く生きてきたのに、肝心なところで役に立たない。
「なあ……なんで泣いてんだよ」
「好きすぎる」
「ばかなやつ」そのまま玄関で抱き合って、立っていられなくなった丸井を支えたまま行為をした。どんな意味があるのかわからない行為だと思う。生むためではなく騙すためでもなく、つながらない体をひとつにするように。 行為を終えてぐったりした丸井を布団に運んで顔を覗き込む。荒い息を整えるように繰り返される深呼吸さえ愛しくて、キスで遮ると叩かれた。丸井ののどに食らいつく狐の姿が見えた気がして無理やり笑う。俺はこの人を好きになったのだ、選んだのだ。大切な最後の人。
*
「仲がいいのはいいことですが、ここが公共の場だと言うことをお忘れなく」
「別にちゅーしたりえっちしたりしとるわけじゃなかろうが」食事中の丸井を抱きしめているだけだ。柳生は溜息をついてジャッカルの隣に腰を下ろす。ずっとこんなんだよ、と苦笑するジャッカルに同じような顔で笑い返し、弁当箱を広げる。よく晴れた日ではあるがもう秋も過ぎようとしていて風が冷たい。それでも段々人の減る屋上で昼休みを過ごすのは、名残惜しいからかもしれない。卒業は刻一刻と近づいている。
「ま、仲悪いよりはいい方がいいよ。いつだっけ?前にお前らが喧嘩したとき。もうあんなのはごめんだぜ」
「丸井くんがずっとイライラしてましたからね」
「全部仁王のせいだろぃ」
「もうやめて。思い出したくもないわ」
「結局なんだったんだ?」
「やけん知らん女やって。立海に潜り込んでただけっぽかったし、学校にはおらんよ。特徴言って柳に確認取った」
「何者なんだ柳……」
「大体仁王は隙が多いんだよなー。特に引退した頃からぼーっとしてさ」
「ブンちゃん卵焼きおいしそう」
「おらよ」肩越しに差し出される卵焼きにかぶりつく。お前は小鳥か、とジャッカルに呆れられたのでピヨピヨと鳴いて見せた。柳生もお行儀が悪いですよ、といい顔をしない。 柳生と一緒にダブルスを組んだときの試合は楽しかった。あのときわずかに顔を変えはしたのだが元々似ていて、初めて見たときは驚いたものだ。もっとも、日頃眼鏡を外した柳生の姿を一番よく見ている本人の方がもっと早くに驚いていたことだろう。もしかしたら柳生の家族か、もしくは血筋の人間かにどこかで会っているのかもしれない。変化の参考にしている可能性もある。しかし似ているだけだが他人とは思われず、何かとちょっかいをかけた。実にからかいがいのありそうな男で、機会があれば夜道で化かしてやりたいと思いながら実行できずにいる。
「何だかんだで、お前らが一緒だと安心するよ」
昼食のパンを食べ終えてジャッカルが四肢を伸ばす。そうですね、と相槌を打つ柳生を見て腕の中の丸井が嬉しそうに表情を緩めた。それに罪悪感を感じないわけじゃない。もう少しでこの風景から自分がいなくなるということを誰も想像していなくて、それに傷ついている自分がいささか滑稽だ。
「まー俺がおらんくなっても、ジャッカルがそんだけブンちゃんを愛してくれとったら安心じゃ」
「縁起でもないこと言うなよ」
「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん!」
「呼んでねえよ」
「呼んでねえな」
「呼んどらん」
「呼んでませんね」
「お呼びでない!柳生先輩までのらないで下さいよ」膨れっ面で輪に加わってきたのは切原で、はいどうぞ、と真ん中に差し出したのは可愛らしくラッピングされた包みだ。真っ先に丸井が手を伸ばす。弁当を仁王の手に預けてワイルドに包みを開けていく様子に、思わずご無体な、と代弁した。蹂躙された包みの中身はマドレーヌだ。
「これ手作りじゃね?」
「クラスのー、女子がー、ジャッカル先輩にってー。なんかー、変なのにー、からまれてたとこー、助けてもらったー、お礼だってー」
「俺に渡せよ!あ〜!」切原が喋っている間にふたつが丸井の胃の中に消えた。ジャッカルに奪われてもまだ弁当が残っているせいか、丸井は残しとけよ、とは言ったが大人しく仁王の腕の中に戻る。
「お前はお人好しじゃのう」
「あのときかなあ。俺さあ、こんなんだから結構近づいただけでも追い払えるんだよな」
「「あ〜」」丸井と仁王がユニゾンして、ウザいカップルっすね、と切原が顔をしかめる。あのときの告白を切原は誰にも話していないらしい。数日仁王を避けていた感じはあるが、今は変化なく過ごしている。仁王は聞かないからわからないが、柳ぐらいには話したかもしれない。
「ほんまに役に立つハゲじゃの」
「ハゲ言うな」
「俺のブンちゃんがピンチのときも守ってな」
「誰がブン太の面倒まで見るか」マドレーヌは数があったようで、ジャッカルは切原や柳生にも配っていく。腹は膨れていたが仁王も差し出されたので受け取った。これぐらいなら入るだろう。人の好意だ。
「切原くん?」
「あ、なんでもないっす」柳生に呼ばれて切原は手を振った。何気なく口にした言葉が切原を惑わせてしまったようだ。遠慮がちな視線を受けて、丸井の陰で簡単に手刀を切るようなごめん、のジェスチャーを返す。
「そうでした。切原くん、幸村くんから聞きましたか?」
「今日は会ってないっす」
「そうですか」
「何かあるんすか?」
「今日から3年は部活へ行かないことにしました」
「……え?」
「元々引退しているのです。もう冬ですからそろそろ卒業してもいいでしょう。ずっと入り浸っていては、あなたのためになりませんから」
「……そんな、急に!ずっりー!」
「甘えるなよ。幸村くんはお前が来るなって言うの、待ってたんだぜぃ」
「……だって、そんな……」さっきまで丸井の食欲に呆れていた切原が、だらりと両手を垂らして困惑している。ここにいないのは三強だけ、飛び抜けて化け物級だった彼らは別格だったとして、多くの意味で切磋琢磨してきたメンバーが集まっていたことに気づいた。なんで、と口にした切原の声が震えている。 部活に参加していたとはいえ部長である切原が頼んだときに後輩を見ていた程度で、あとは片隅のネットさえないコートを借りて自主連をしていただけではある。しかし同じ空間にいるだけでも違ったのだろう。珍しく私情を捨てきれないでいた幸村が、後輩たちのためにした決意だ。
「ずりぃよ……」
こらえきれずにこぼれた涙に、泣いた!と指を鳴らした丸井をジャッカルが叩いてたしなめる。もちろん丸井なりのごまかしであるから本気ではない。 かわいらしい後輩だった。群の中で生活をしたことがない仁王から見ればみんなの後輩であるというだけで本当にかわいがっていた存在だ。周りを釘付けにするテニスも、天真爛漫な普段のようすも目を引いて、丸井以外に心残りがあるとすれば彼の今後が見れないことだ。
「赤也、言ったろ。お前はいつまでも2年エースじゃいられんのじゃ」
「でもこんなのって卑怯っすよ〜!」情けない顔でぐずぐずと泣き出した切原を座らせ、柳生がハンカチを差し出している。こっちの方がいいぞ、とジャッカルがポケットティッシュを渡した。仁王の腕の中で、隠れるように小さく丸井が鼻をすする。
「切原くん、君もわかっていたはずですよ。甘やかされていてはいけないと」
「ッう……7人がかりで甘やかしてたのあんたらじゃないっすか〜!わざと負けたり、俺のメニュー組んだり、もー……」ハンカチを目に押しつけて、切原は口を閉じて肩を揺らす。嗚咽を漏らすまいとしているようだが、自分のことで精一杯で迫っていた足音に気づかなかったようだ。
「やだなあ切原部長ってば、泣き虫なんだから」
突然肩を抱かれ、そしてその声にぎょっとして顔を上げた切原の視界に幸村が飛び込む。おや、目が真っ赤だよ。優しく意地悪を言った幸村にいっそう顔を歪め、切原は彼に寄りかかった。
「泣き虫はどっちっすかぁ〜、負けちゃったって泣いてたくせに」
「何のことだろう。真田、知ってる?」
「……いや」
「真田さんが嘘ついた……」切原のつぶやきにくっと拳を握った真田だが、「副部長」の響きがないのを寂しそうに緩く笑った。その隣で柳も笑っている。
――ねえ、生きていれば素敵なことがあるでしょう?戦火に散った彼女が笑う。あんたのお陰で今があるよ。ここを離れたら墓参りに行こうと思った。戦に行きたいと言った仁王をたしなめた声が今、仁王を生かしている。戦地で犬死にしていたらこんな場面を見ることはなかっただろう。「ごめんね赤也。俺もう少し、ここでお前とテニスがしたかったんだ。楽しかったよ」
高等部で待ってるからね、幸村の声に顔を上げた切原と目が合った。唇に笑みを乗せると切原もぎこちなく笑い返す。
「それまでにぜってー強くなって、高等部であんたらを返り討ちにしてやるから」
「お前が成長する分、俺たちも成長することを忘れないようにね」その通りだ。かわいい子たちが強く、己を信じ道を歩めますように。空に祈る。願わくば、狐なんかに騙されぬよう。