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「腹減った」
「マジで?お前最近俺より燃費悪ィのな」
「そりゃブンちゃんが食うからナリ」

ファーストフード店に立ち寄った後で、感じるこの空腹に自分でも戸惑いを覚える。家に何があるのか思い浮かばず、コンビニ寄って帰る、と丸井に告げると彼は首を傾げた。かわいらしい仕草が無意識であるから腹立たしささえ覚える。

「お前いっつも帰ってからも飯食うって言ってなかったか?」
「今日誰もおらんのじゃ。いとこのねーちゃんの結婚式」
「へー、お前居残り?」
「そう。俺だけ呼ばれんかったんじゃ。ま、昔いろいろやらかしたけん」
「……まあ、怖いから聞かねえけど。じゃあお前今日ひとりなんだ」
「そうやのう」
「……泊まりに行っていい?」

世界が泊まった。思わず足を止めてしまい、丸井が顔をしかめたのを見てはっとする。それでも歩き出すのが少し怖くて、拳を握って唐突じゃな、と返した。丸井が溜息をついて足を進めたので、その後ろをゆっくりついていく。なんて残酷なことを言うのだろう。ひと晩ふたりきりでいるなど拷問だ。

「弟と喧嘩してさー、今ちょっと帰りたくねーんだよな。親は一応間に立つけど結局お兄ちゃんなんだから、って片づける気だろうし」
「……ブン太んとこの弟小さくなかったか?」
「8歳」
「8歳と喧嘩すんなよ」
「いーや、あいつには世間の厳しさと兄の偉大さをはっきりわからせなきゃなんねえ」

どうせくだらない理由のだろう。聞こえるように溜息をついてやると丸井がむっとして振り返ったが、すぐに表情を緩めて仁王の腕を取った。媚びる女のように腕を抱き、なあ頼むよー今日だけ!なんて甘えてくる。ぐっと奥歯を噛んだ。たかが兄弟喧嘩のせいで、理性が飛んでこの関係が壊れたらどうしてくれるというのだ。いつまで続くのかわからないこんな関係を、なるべく平穏に過ごしたいのに。

「なー、夜食も朝飯も作ってやるしー、ちゅーだって何回もしてやるからさー」
「だってブンちゃんちゅーしかできんもん」

思わず本音がこぼれた。仁王の返事など聞き入れずぐいぐいと仁王のうちの方へ歩いていた丸井の歩みが少し緩み、腕を掴んだまま見上げてくる。頼むからやめてほしい。どこかきょとんとした目に、失言を後悔した。

「あのさあ、ずっと気になってたんだけど」
「……何」
「お前さあ、好きなやついる?」
「……おらん」
「……や、やっぱいるんだ、んで、何?その好きなやつって俺に似てんの?」

何という想像力だ。空いている手で顔を覆い、ゆっくりではあるが足を止めない丸井に引っ張られていく。何をどうすればそういうことになるのか……考え始めて気がついた。そういうことにしておけばいい。丸井が今後自分を拒否するにしろ、いつまでもこのままではいられなかったはずだ。自分の理性も。

「……ブンちゃん賢いのう」
「だろー?だっておかしいじゃん、俺はさあ、甘いもの食ってるつもりだけど、男相手になんかしなくても仁王だったらキスの相手どころかセフレぐらい見つかるだろぃ」
「ブンちゃんは俺をなんやと思ってんの」
「誉めてんじゃん。それにお前のキス、なんつーか……ねちっこいっつーの?」
「……あ、そ。情熱的と言って」
「あーそれそれ。すっげーマジなんだもん。俺なら落ちるね」
「……そうけ」

落ちてくれるのなら今頃丸井は仁王のものだ。にこにこしている丸井に名探偵の称号を送ってやると更に喜んだ。お前の恋愛相談乗ってやるからさ、などと言って完全に帰ることなど選択肢に残っていない。思わず露骨に溜息をついてしまう。

「……なあ、俺に似てる女って、どんな女?」
「……太ってる」
「デブ専?……いや、つーか俺太ってねえし!」
「太っとる」
「ちっげーよ、お前が痩せすぎなの!そうだ、俺痩せてんだぜマジで。お前の体甘いだけでカロリーねーんだろうな」
「……そりゃ、カロリーあったら俺も太っとるわ」

どうも自分の体は丸井にとってメリットだらけのようだ。自分にとってはどうなのだろう。目の前にいて触れ合うのに手には入らない丸井と、今のままがベストなのかわからない。俺前の彼女に丸井くんといると太るってふられた、などと何度か聞いた愚痴を聞きながら歩くうちに仁王の家に着いてしまって、早く開けろ、と口を尖らせる丸井に負けて腹をくくった。ふたりきりの夜が始まる。

「あ、お前腹減ったっつってたな、何か買いに行く?」
「ええわ、何かあるじゃろ。ブンちゃんも食う?」
「俺どっちかっつーとお前がいい」

靴を脱ぐ間もなく玄関でキスを交わす。道中急いでいたのはやっぱりこのせいか、思いながらも開き直って丸井を抱きしめ、深く口腔を探る。丸井がくずれそうになったのを支えて離れ、ひきつったようににやにやしている丸井を見て顔をしかめた。面白くない。

「何」
「仁王が落とせない俺似の美人ってどんなやつかなーと思って」

黙ったまま先に中に入ると丸井はけらけら笑ってついてくる。足音を聞きながら覚悟を決めた。どうせ我慢できる気はしないから、縛ってでも犯してこの関係を終わらせてやろう。

「何があんの、何か作ってやろーか?」
「ええわ、ラーメンぐらいしかないけん」
「あ、俺も食う!」
「結局食うんかい」

リビングのソファーに鞄を投げ、ブレザーとネクタイも脱ぎ捨ててソファーの背にかけた。部屋に帰るのが面倒だ。薄暗い部屋に丸井が電気をつける。

「作ったるけん適当に待ってて」
「ハーイ。部屋行っていい?漫画読む」
「うん。あ、それ持ってって。鞄と制服」
「しょうがねえなあ」
「それぐらいせいよ」

ふざけて笑う丸井が袖をまくって鍋を出し、インスタントラーメンの袋を出していると溜息が出てくる。どうしてこんな体になったのか知らないが、丸井を自分のものにする最初で最後のきっかけだったに違いない。これをうまく扱えなかっただけのこと、元々発展するような関係ではないのだから高望みした自分がばかなのだ。わかっていても少し苦しい。

初めてこの思いを意識したのはいつだろう。ずっと気になる存在ではあったのだ。入学した頃から目立っていたあの赤っぽい髪は地毛らしいが、何度主張しても検査で引っかかっていたらしい。仁王も違反者として集められたときに初めてまともに会話をしたのではないだろうか。お互いテニス部であると知っていたが、仁王が基本的にひとりであうのに対し丸井の周りにはいつも誰かがいた。そのうち子どもの頃の写真を持ち歩くようにした丸井は違反として引っかからなくなったが、その代わりに部活で話すことが増えたように思う。
ああ、あのときだ。沸騰した湯に乾燥麺を落とした。レギュラー候補と言われながらも結局それが叶うことがなかった2年、慰めてくる周囲から逃げた丸井が仁王を選んだ。初めて仁王のうちに来た日でもある。ふたりで笑いながらバラエティー番組を見て、夕食を一緒に食べて帰っていった。それだけだ。それだけなのに仁王には印象深く、悲しみの最中で笑う丸井の表情や声を覚えている。丸井がいなければ自分も補欠程度で満足していたかもしれない。テニスは楽しいが倒したい相手は部内にばかりいたから、あの頃は公式戦に興味がなかった。

食器を出してきてラーメンを仕上げてしまい、丸井を呼びにいく。ベッドで完全にくつろいでいた彼はすぐ行く、と漫画から目を離さずに言った。ぐす、と鼻を鳴らしているのに、俺ワンピースは何回読んでも泣くと言っていたのを思い出す。見れば仁王のブレザーはハンガーにかけてあり、そんな些細なことが嬉しい。こんな、今の関係が崩れるときは誓いのだろうと思うけれど。区切りをつけたのか丸井は本を閉じ、ベッドを降りたので一緒にリビングへ戻る。

「あっ素だ。何かなかったのかよ、せめてねぎとか」
「あー、卵」
「いる!入れろ!」
「ハイハイ」

生卵を出すついでに冷蔵庫の中に見つけた昨日の残り物を出す。いただきます!と手を合わせた丸井が次の瞬間少し困っていたのを見てから箸を渡した。仁王のささやかな意地悪に気づいたようだが、すぐに視線は炭水化物に奪われる。

「あ、やった。俺仁王んちの肉じゃが好き!」
「おかんの唯一の得意料理じゃ」
「練習したクチ?」
「男落とすのにな」
「かーわいーい」
「肉じゃがしかできんからのう……つーかやる気がないんじゃろうな」
「ま、でもこの肉じゃがでお父さん落としたんだろ?」
「いや、この不器用さはやばい、と思って結婚したらしい」
「おー、愛じゃん。そんなに優しい父を持ちながら仁王は何でこんな性格に……」
「優しいじゃろうが。追い出すぞ」
「あッやっべ、親に言ってねえ」

慌てて丸井が携帯を取り出し、仁王は肉じゃがをつついて溜息をつく。丸井とよく似た彼の母親を思い出した。いっそ彼女に惚れた方がましだったな、なんて考える。どっちにしろ丸井との友情が終わることに代わりはない。電話越しに怒られているらしい丸井は適当に言いくるめて電話を切った。誰が失恋して慰めてやんなきゃなんねー、だ。それはまだ早い上に、慰める役目は丸井にはできない。

「あ、明日部活何時からだっけ。時間変更になってたよな」
「あー、午前中監督おらんのやっけ。もう開き直って幸村に監督譲ったらええのにな」
「言ってやんなよー。1時ぐらいからだった気がする。1時からってことでいいよな、遅刻だったらお前も共犯だし」
「横暴じゃー」
「ゆっくり寝ようぜー一晩中語り合ってさー」
「楽しそうじゃねー」
「うわテキトー」

ラーメンをあっという間にたいらげて、汁まで飲みきってしまった丸井に感心する。最近は仁王も食べれてしまうが、今まではそんなに食べれなかった。食いっぷりをうらやましいと思ったことがあるにはある。肉じゃがに取り掛かりながら丸井がテレビをつけた。傍若無人だ。それでも仁王が食べ終えたのを見て空の器を重ねて台所へ持っていくのは流石だと思う。食にうるさいだけあってしつけは厳しかったようで、仁王は丸井に何度怒られたかわからない。

「洗っちゃうぞー」
「おいといてええよ」
「いえいえお世話になりますから」

水の音が聞こえてきて、仁王はテレビに目をやった。何だか妙な気分だ。これからこの関係を壊そうとしているとは思えない。わずかに気持ちが揺らぐ。丸井から離れる決心はできているのだろうか、今までの我慢を捨てられるのだろうか、と考えはする。食器の音が耳につく。

「……ブンちゃん風呂入る?」
「あー入る入る。パンツ貸して」
「おー、姉貴の貸したる」
「ざけんな。俺明日更衣室で着替えらんねえじゃん」
「かわいいの選んだるよ」
「死ねー」
「湯張らんでもええ?ふたりやし」
「シャワーでいいよ。着替えだけ貸して」

台所を覗くとすでに洗い終えて食器を乾燥機に並べている。これが恋人同士という関係なら幸せな光景なのに。今夜丸井を無理やり抱いて、そこに何が残るのだろう。丸井のことに関しては意思が弱くなる。

「……一緒に入る?」
「ハイ死ねー」
「部屋行って服適当に持っていき、先ドウゾ」
「じゃあ行っちゃう。あ、でも仁王の服サイズ合わねーんだよな」
「ゴムの伸びたスウェットあるけんな」
「死んでマジで。人の肉体的なコンプレックスを刺激するのはよくないと思います!」
「死ねと連発するのもどうかと思います。デブの自覚はあるんか」
「だから仁王がガリガリなだけだって」

眉を吊り上げたまま丸井は台所を出て行った。笑い飛ばして後姿を目で追うが、虚しくなる。自分の体の甘い匂いがした。指先に歯を立ててみるが何度確認しても体は間違いなく人間の体で、食べられないのなら匂いつきの消しゴムと同じだな、と考えてうんざりした。

「仁王、マジでパンツも借りるぜぃ」
「ピンク?黄色?ヒモ?姉貴の派手じゃろ」
「雅治くんのトランクスを借ります」
「ゴム切らんとってな」
「……それ以上言うとマジ殴る」

顔を出した丸井を手を振って見送り、自分は部屋へ戻る。いつもの自室なのに違って見えて、ベッドに腰掛けたが落ち着かなくて正座で座り直した。もし本当に丸井を犯すのなら、このベッドの上で、だろうか。体格差はあるとは言えお互い中学生で、もし本気で抵抗されれば無理やり行為をするなんて可能なんだろうか。縛りつけてしまうにしても一体何で、と部屋を見回すが役に立ちそうなものはネクタイぐらいしかなく、それできつく縛れるのだろうかとどんどん思考を深めていく中で、自分の脳みそもきっと甘くなっているのだろうと溜息をつく。
丸井はほしい。この手に抱きしめて、キスだけじゃなくて自分にしか見せないような姿で仁王を求めてほしい。泣かせたいわけではなくて、笑って受け入れてほしいのだ。トントンと階段を上がってくるリズミカルな足音にびくりとして、臆病になっている自分に気づく。こんな恋は、終わらせてしまいたい。

「おっさきー。……先祖の霊でもいんのか?」
「や、なんでも。お湯出た?」
「始め水かぶっちった。仁王も行ってくれば?」
「うん」
「んでさあ、俺風呂に入った後は家を出ない主義なんだけど、すげーコーラが飲みたいの」
「……うん」
「あとついでに俺財布の中70円で」
「……嫌やーこの子あつかましい」
「コンビニすぐじゃん!今度返すし!」

正座のまま振り返って視界に映る丸井の湿った髪はいつもと雰囲気を変え、それだけで仁王は言葉が詰まる。しゃーないのー、と財布を掴めば行ってらっしゃいと楽しそうな声が言って、どうして丸井が自分のものではないのかとまた溜息をついた。頭も冷やしたかったので丸井のわがままはちょうどいいと思い外に出たが空気は生ぬるい。ドアの外でしゃがんで膝に額を押しつける。
丸井だ好きだと思いながら、どうして傷つけようとしているのだろう。自分も傷つく手段を選ぶのは、デメリットを避ける自分らしくない。いつも面倒ごとからは避けてきた。恋愛関係は特に面倒で、レギュラーに上がってから目立つようになり、何度か告白を受けたことはあるが興味はわかなかった。積極的に関わろうとしないから興味が持てないのかもしれないが、気づけば丸井に囚われていて女を見ている余裕はなかった。好きになるまでは丸井だって他の誰とも変わらないつき合い方をしていたと思うのに。

――だめだ。立ち上がってコンビニへ向かう。足が少ししびれていた。適当に飲み物とお菓子を物色し、さっさと用を済ませる。揺らいでしまうともうだめだ。今夜は自分からは丸井に触れないことにしようと自分の優柔不断さを自覚しながらも決意する。今日は何度丸井とキスをしたのかわからないが、寝るまでにもう一度ぐらいはするかもしれない。考えれば考えるほど怖くなる。隣にいることに慣れすぎた。これは危ない。欲張りになるばかりで、そんなのは仁王雅治ではない。
家に戻るとまだ早い時間だと言うのに丸井は人のベッドで布団もかけずに眠っている。仁王のTシャツとジャージを着てのん気に寝ている丸井に腹が立った。誰のせいでこんなに悩んで言うと思っているのだろう。幸せそうに惰眠を貪る頭の上にコンビニの袋を落としてやると、ペットボトルがぶつかった小気味よい音がして丸井がうめいた。

「っつー……何すんだハゲ!」
「ハゲとるんは別人じゃ」
「いってー」
「人パシりにしといて、優雅じゃのう」
「だってお前の布団いい匂いがすんだ。甘い匂い」
「……そりゃそうじゃろな」
「な、キス!」
「……なんちゅう色気のないねだり方を」

決心が早速揺らいできた。丸井が怖いと感じる。この体をおかしくしたのはきっと丸井だ。体を倒して寝たままの丸井に顔を寄せる。唇を重ねて、風呂上りの温かい体とシャンプーの匂いを感じた。いつものように舌を絡めようと触れたとき軽く押し返され、思わず過剰に離れてしまう。

「あ、や、ごめん」
「何?嫌なん?」
「いや、じゃなくてちょっと思っただけ。聞いてもいい?お前の体ってどこまで甘いの?」
「は?」
「体が甘いのは知ってるよ。でもキスが甘いっつーことはさ、舌だけじゃなくて唾液も甘いんじゃん。じゃあ例えば、お目の汗とか血とかも甘いの?」
「……甘いよ」
「何か違う?」
「……ブンちゃん」

何を言わせたいのかと勘繰ってしまうのは自分がよこしまだからだろうか。ベッドに座ると丸井は体を起こして、隣から仁王を覗き込んだ。ただ好奇心だけの浮かぶ目を見て、存在を信じてもいない神を恨む。

「いいこと教えたる」
「何?」
「一番甘いのは精液」

言葉を受けて丸井がフリーズした。ぎしりと音を立てて倒れそうだ。心臓が鳴る。口先から生まれてきたことを後悔しても、この性格は早々治らない。治す気などなく重宝していたのに、丸井といると後悔するばかりだ。

「え……それ、……舐めた?」
「舐めた」
「マジで?……ど、どんな?」
「知らん。でもわかっとる限り、俺の体で一番甘い」
「へえ……」
「……舐めてみる?」
「はっ!?」
「俺の」

丸井が口を閉じて、かすかにのどを鳴らした。恐らく仁王の顔は真剣で、冗談を言われているのではないとわかるらしく、丸井の緊張が伝わってくる。押し倒してしまおうか。Tシャツから覗く鎖骨に何気なく目を落とす。サイズの合わないTシャツの袖から指先だけが覗いていて、その手がぎゅ、と握られて見えなくなった。

「……マジで言ってんの?」
「マジ」
「えー……それはねえだろ……」
「甘いよ」

口は喋るためのもの、の仁王と違い、口は食べるためのもの、の丸井は揺らいでいる。見上げて食う顔を見返しながらベルトを引き抜けば肩をはねあげ、慌てて体を引いていた。しかしベッドの上の、壁側に逃げては意味がない。丸井が浮かべている表情は複雑だ。

「……に、仁王、お前もしかして溜まってる……?」
「――好きな顔がおって、我慢できる性格でもないんじゃ」
「うっ、え……」

何か言おうとした口をキスでふさいで、逃げようとするのを押さえつけて押し倒す。暴れようとする体に反して甘さに反応した舌にあきらめたようで、抵抗はすぐになくなった。体を離して見下ろせば、顔を赤くして丸井が睨んでくる。これが自分のものなら、この瞬間どれほど幸福なのだろう。

「バッカ、ちょっとは考えろ!好きな女に似てようが俺は男だっつの!」
「よぉっく知っとお」
「ヒッ」

服の上から胸に触れると過剰に反応される。ようやく危機を感じてきたようだが、戸惑いの方が強いようだ。待てよと手を払いながらも語尾が迷っている。

「お、男の胸触ってどうすんだよ」
「あいつも似たようなもんじゃけ一緒じゃ」
「あのなあ!」
「ブン太はちょっと体貸してくれたらええんよ、抜いたら味見さしちゃるけん」
「ふざけんなッオナニーじゃねえか!」
「セックスがええ?」
「え」
「ああ、でも俺ばっかはずるいね。抜きっこようか」

自分は悪くないと思っていても罪悪感に襲われた。いない女を思うふりをしながら触れた丸井の体は温かくて、気を抜くと泣いてしまいそうだった。

 

 

*

 

 

「甘……」
「じゃろ」
「……つーか、お前の体キモい」
「今更じゃろ」

指先をねぶって丸井は溜息をついた。やってしまった、の溜息だろう。強引であってもいざ始めてしまえば丸井も抵抗はしなかった。手の中にある丸井のものを責めてその快感に歪む表情と仁王自身を触る丸井のつたない手つきで、仁王の快感は追い立てられた。ヤバいぐらいに、としか言えない気持ちよさだった。仁王に続くように丸井も達し、息を整えてから好奇心の宿る瞳を見せて汚れた指先を舐めている。

「……お前さー、彼女作れなくね?どーすんの、えっちするとき」

鼻を鳴らして丸井は言う。部屋に漂う甘い匂いは性の気配を感じさせない。彼女でも作ってしまえば楽なのだろうか。

「でもこれはこれでいいのかもな」
「さあ……遠い話ぜよ」
「……仁王の好きなやつって、どんなやつ?学校にはいねえよな」
「どうでもええじゃろ」
「年上?年下?」
「ブンちゃん、とりあえずちんこしまわん?」
「あ、うん」

――拍子抜けしてしまう。触り合っただけとは言えもっと引かれるのではないかと思っていた。元々気持ちいいことは好きであるようだから、こんなこともキスと同じなのかもしれない。ティッシュ箱を渡して、それを受け取った丸井がじっと仁王を見てくる。心中が見透かされそうで、何、と軽く問うがしばらく無言だ。

「ブン太?」
「……お前、イくときすげーエロい顔してた」

今日を境に丸井の目の前から消えてしまいたい。そうして、そのうち丸井がいないことに耐えられずに発狂するのだ。妙なことを思った後、すでに狂っていると考え直す。狂っている。きっと、丸井を好きになってしまったときから。めんどくせーし、と一緒に潜った布団の中は暖かくてなかなか眠れなかった。隣で丸くなっている体を抱きしめていいのかわからなくて、時々なんとなく泣いているような気がして身動きもとれなかった。

ようやくうとうととした朝方に見た夢で、パンになった仁王の体は丸井に食べられてひとかけらも残っていなかった。夢は願望とはよく言ったものだ。寝坊して起きると丸井が目玉焼きを作っていて、勝手に朝食を済ませていた。仁王の分な、と言うだけでテレビを見ている丸井は、昨日のことなど忘れたかのようだ。そうかと思えばもそもそと朝食を口にしている仁王のそばに寄ってきて、嚥下したのを見てからおはようのキス、などとふざけて口づけてきた。ばかやろう、と心中で罵倒する。
好きだと言えばどんな反応をするのか、昨日の決意はひとつも実行できなかった。なんと弱い意志だろう。誰かを好きになっただけで、こんなに脆くなるなんて思ってもいなかった。部活ダリーな、などと言いながらゲームをセットしている丸井の背中に恨みを飛ばす。気づけばいいのに、と思ってずるさに気づいた。言いたくないのに気づかれたい、なんて、ひどいペテンだ。結局何も変わらなかった。何事もなく朝が来て、これから一緒に部活へ行き、日常に組み込まれていく。これは何なのだろう。指に噛みついてもやっぱり指だった。

 

 

 

 

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