災い転じて福と為す 2
翌朝起きたら体が軋んだ。これがロボットならばメンテナンスをするだけの話だが、人間様はそうもいかない。ベッドから起き上がれずにいると様子を見に来たブン太があきれて溜息をついた。
「仕方ない人ですね」
「やけん、ロボットと一緒にすんなって……」
「朝ご飯持ってきましたからどうぞ。掃除を続けますから、何かあったら呼んで下さい」
「待って」
「何ですか」
「体起こして」軽蔑の視線が飛んできた。いつかスクラップにしてやろうと誓いながら、支えられて体を起こす。悲鳴をあげたくなる痛みが足腰を刺激し泣きそうになった。サイドテーブルに朝食を用意し、ブン太は部屋を後にする。並んだ朝食は、もしかして手料理なのだろうか。目玉焼きにナイフを入れると黄身がとろりと溢れた。香ばしく焼けたソーセージ、赤いプチトマトが鮮やかなサラダ。写真でしか見たことながないような朝食に身構えてしまう。生野菜なんて食べたことがない。とはいえ仁王は特殊な方だろう、一般家庭ではまだ手料理だってするはずだ。仁王は単純に、親を知らずに育ったせいもある。丸みを帯びた、関節の目立つロボットが毎日会いに来て、たまにやたらと愛想のいい人間が顔を出す、そんな幼児期だった。
恐る恐る口に運んだトマトは噛むとぷちんと潰れ、酸味が口に広がる。自分の知るトマトソースは連想し難い。ひとまず野菜はさておき、取りかかったメインの皿は仁王の舌を満足させた。あまり食べ物をおいしいと思ったことがなかったが、手料理というだけでこんなに変わるものなのだろうか。残していたサラダのきゅうりやレタスも食べてみたが知らない食感だった。「マスター!」
コーヒーを堪能しているとブン太が部屋に飛び込んでくる。二重人格のようにムラがあるがメイドとしても本分は守り、マスターのプライバシーに関してはきっちりしていたブン太らしくない。否、らしさというのは人間が持つものだ。トラブルでも起きたのだろうか、メンテナンスは柳に聞かねばわからない。そんなことを考えているとマスター!と再び叫び、ブン太は仁王の足元にすがりついてくる。
「どうした、またゴキブリか」
「違ぇよ!」落ち着かせるつもりで頭を撫でてやった仁王の耳に、足音が聞こえてきた。一歩一歩、確かめるようにこの部屋へ向かってくる。
「ブン太」
「ご……ごめんなさい!」
「ったく……入れてやれ」
「でも」
「言ったろ、イカれとるんじゃ」ブン太がこわごわドアを開けた。そこに比呂士が立っている。口端を上げたぎこちない笑顔に笑いかけてやった。
「比呂士、おいで」
「仁王くん」走ることもできない。――おそらくは、逃げることができないようそうされたのだろう。仁王といた頃は走れたのだから。仁王の座るベッドまで来て、そのまま仁王にキスを落とした。ブン太が緊張した面持ちで事を見ている。
「……ブン太、風呂わかしといて」
「あ……はい……」比呂士の手がゆっくりと仁王を脱がせていく。唇は首筋を吸い、露わになった胸へ落ちた。それを求めていたかのように、ぴちゃりと音を立てて舐め始める。
「……マスター……」
「あとで、説明しちゃるよ」かわいそうな親友の話だ。比呂士の眼鏡を外してやるとこっちを見た。その顔は変わらないままなのに、中身は作り替えられてしまった。仁王には謝ることしかできない。比呂士の体が下がっていき、逃げるように出て行ったブン太は急ぐあまりスカートを跳ね上げドロワーズが見えていた。本当に人間のようだと感心する。比呂士を犠牲に生まれたあの『命』を、自分は愛せるだろうか。
「仁王くん」
「うん、気持ちええよ。上手やね」
「ありがとうございます」ああ、そうか。今更気づく。ロボットをロボットだと思えていなかったのは、他でもない自分だった。
*
ベッドに寝かせた比呂士を見て息を吐く。ひと仕事終えて、体が痛い。今、バッテリーを抜いた。これを作る材料は廃盤のようだから、壊してしまえば比呂士は本当に死ぬことになる。人間の心臓よりも小さなバッテリーを持て余し、結局ベッド脇の引き出しにそのまま入れた。
「ブン太!」
遠くで返事がある。恐る恐る入ってきて、比呂士が寝ているのを見てほっとした顔をした。改めて思えば、比呂士があまり表情が豊かではなくてよかったように思う。こんな体で表情がともなえばどうなってしまうのか。
「ちと重いが、こいつを部屋に持ってってくれ」
「あ、はい……」
「バッテリー抜いたけん動かんよ」
「……あの、彼は」
「とりあえず持ってけ。風呂行っとるから聞きたきゃ来い」絶えず痛みを訴える体を引きずって風呂場へ向かう。一番のポンコツは仁王かもしれない。やはり面倒で体を洗わずに湯に入った。それだけで疲れたような気になって深く息を吐き、顔を濡らして汗を流す。
「マスター」
「比呂士を発表したときな、まだ俺は研修生で、今思えば権利を奪われんかっただけましだったんかもな」ドアの向こうに立つブン太を横目に話し出す。けだるい感覚は久しぶりだ。
「医療や救急に役立てるため研究してみたいから貸してくれって言われて、借りもある教授やったから比呂士を行かせた。比呂士にも聞いたけど、まあ、拒否するわけないわなあ……そう作ったん俺やし。なぁんでまじめに、三大原則なんか……」
自分を作るつもりだったのだから、自分に逆らうようなものにするわけにはいかなかった。わかっていても悔やまれる。ガラスにブン太の手が触れていた。ぐっと握った拳。ブン太ぐらい賢ければ、或いは。
「帰ってきたらああなってた。あの狸ども、偉そうなこと言って真っ先にしたんはセックスマシンの研究じゃ。 中枢にパスワードかけとったけど、お構いなしに仕込むから回路イカれて、体は……ありゃ、とっかえてるんやろなあ。比呂士は間接の設計甘くて体かたかったけん」
「それじゃあ」
「……セックスは、うまいよ。せっかく形だけ俺とそっくりのペニスつけたんに、勝手に膣に変えやがって」笑い飛ばしたがブン太に冗談は通じなかった。アンダーグラウンドにではあるが一番早く世に出たのは結局性欲処理の道具で、家事や医療に組み込まれたのはまだ最近だろう。外界の情報は時折訪れる柳からしか入ってこないのでよくわからない。
「……もう、比呂士に構うなよ。やっと休ませてやれたんじゃ」
「……お昼にしましょう。作ってきます」
「ああ、すぐ行く」ざぶっと頭まで浴室に潜った。ちょうどいい温度のお湯は心地よい。あのセックスは、比呂士も気持ちいいのだろうか。怖くて聞いたことがない。 風呂から出ると大量のホットケーキが机に詰まれていた。初めはそれが何なのかわからず、呆然としているとブン太が次々とフルーツや生クリームを運んでくる。こんな食べ物を初めて見た。そばにいるだけで甘い匂いがしてきて、それだけで腹が膨れそうだ。
「マスター、まだ髪が濡れています」
「いや、それはええんじゃ。何これ」
「昼食です」
「……なんか……お前……」
「何か?」
「……このポンコツ」
「なんだとこの野郎!食ってから言え!」無理やり座らされ、皿にホットケーキを2枚ほど乗せられた。シロップ蜂蜜マーガリンに生クリームと数種類のジャム、よりどりみどりと並べられて思わず笑ってしまう。
「何ですか」
「ままごとみたいじゃの」何がなにやらわからないので適当にシロップを広げ、ナイフを手にした。一口食べて甘さに戸惑うが、あたたかくておいしい。焼き色や大きさの違いが、はっきりとレトルトとの違いを見た目から示していた。
「器用じゃの」
「たくさん食べて下さいね」
「お前さんもよう働いたろ。燃料取っとけ。もうそこでいい」
「では、失礼します」同じテーブルを許すとブン太もそばに座った。きれいな姿勢でナイフを使うのはいいが、そのマーガリンとジャムという組み合わせはいかがなものか。おまけに仁王よりよっぽど早いペースでたいららげていく。2枚で早々にあきてしまった仁王はブン太を見ながらみずみずしいフルーツを口にした。乾燥していないとこんな姿なのかと面白い。
「お前さん燃費悪いんじゃのう」
「あきらめて下さい」
「ええけど。誰かが食ってるの見るのもええもんじゃ」
「午後は害虫駆除の専門家を呼びました。支障があればキャンセルしますが」
「……いや、構わん」どう使うのかわからない器具をどっさりと持ってきた駆除の専門家は、できるなら家の外にいてほしいと告げた。家主にうろつかれると邪魔だと言うことらしい。買い物に行きましょうとブン太に引っ張られるままに、仁王は外へ出ることになった。数年ぶりに家を出たと言うとブン太が大げさな、と笑ったが、仁王が本気だと知ると妙な顔をした。信じられない、と言いたげだ。徒歩で町へ向かう間思わず辺りをきょろきょろと眺めてしまう。数年で近所も変わるものだ。
「不健康な生活してたんですね」
「死なんもんじゃろ、人間もしぶとくできとるんじゃ。あー、太陽が痛い……」
「ほら、マーケットが近づいてきましたよ」顔を上げると繁華街の入り口が見えた。比呂士に買い物を教えるのが一番面倒だったことを思い出す。初めは小銭の見分けがつかなくて、途中で教えるのを諦めてブン太のようにカードを渡していたが、いつの間にかどこかで覚えてきていた。
「今夜は何がいいですか?」
「……俺な、食ってみたいもんがあるんじゃ」
「何でしょう」
「茶碗蒸し」
「かしこまりました。銀杏は食べられますか?」
「銀杏って食えるもんなんか」
「ええ」
「知らん、好きにせえ。食えんかったら食わん」マーケットにさしかかると賑やかな声が溢れている。久しぶりの音の洪水はわずらわしさも覚えたが、迷子にならないようにとブン太が仁王の腕を掴んで歩くのが少し愉快だった。数百年も変わっていないというマーケットは道の両側に仕切りもなく小さな店が行列し、よく日焼けした店主が声を張り上げ、その周りをどこから来るのか様々な人種の人間が取り囲んでいる。妙に減りが少ないと思えばブン太は値切りながら買い物をしているようで、そのいきいきとした笑顔にこちらも楽しくなってきた。
「卵もう一声いけんだろぃ!そっちの鶏肉も買ってやるから!」
「ギリギリだって!ったく、厄介な客が来たぜ……」
「ばっか、底値知ってんだよ!観念しねえと痛い目見るぜぃ」
「あーもうわかったよ!持ってけ、これ以上はまからねえ!」
「よっし!マスター、次はエビだ!」振り返ったブン太が笑い転げる仁王を見て眉間にしわを寄せた。人だってそこまでしないと言うのに。
「金ならあるってゆっとろう」
「そういうのは関係ねえの、無駄に儲けさせたっていいことねぇんだぜ!」
「いやいや、楽しそうで何よりじゃ」久しぶりにこんなに笑った。青空を見上げ、上空から入荷される品物の先を追うとロボットが積み卸しをしていた。マーケットに視線を配るとロボットの姿があちこちで見られる。重い荷物を運ぶものや店番として客を集めているもの、様々だ。それらに人工知能が搭載されているかはわからないが、仁王が知っている頃と比べると随分様子が変わった。時代はあらがいようもなく流れていくものなのかもしれない。確かに仁王は時代を変えたひとりになったかもしれないが、仁王本人は何も変わっていないのだから、生きるならば適応するしかないのだ。
一通り夕食の買い物を済ませて家へ向かう。筋肉痛の体にはまた負荷がかかったが、今はかえってその疲労が心地よい。何か正体はわからないが食欲をそそる匂いが漂ってきて、夕食が楽しみになる。食欲を感じたのも久しぶりだ。自分の方がブン太よりよっぽどロボットじみている。
「……あの部屋」
「ン?」
「掃除してしまって、よかったのですか?あそこは……」
「……うん、まあ、比呂士の部屋やったけん」静かに聞いてくるブン太から目をそらして考える。いつでもむっと蒸し暑かったあの部屋は、今頃すっきりしているだろう。元々専門分野ではなかったので研究に手を貸したことはなかったから、何をしていたのか、今更調べてもしょうがない。資料を見たところで仁王には何もわからないのだ。
「ブン太の部屋も、作らんとねえ……」
「返品しないんですね」
「ああ。ちょっと面白くなってきたぜよ」
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