す 3

 

「見ない間に太ったな」
「……やっぱり?ほらブン太、言ったろ!」
「元が細すぎるんですよ、大して食べてないくせに」

ふたりのやり取りに柳が笑った。その前にお茶とお菓子を並べ、ブン太は会釈をして部屋を出ていく。皿に盛られたクッキーを眺めて仁王は苦笑した。

「またカロリーの高そうなもん作ったな」
「さて、どういう風の吹き回しだ?お前が俺を呼ぶなんて初めてじゃないか」
「そうかのう」
「そうだ」
「そうじゃな」

口に運んだ紅茶も甘かったのか、仁王は一度言葉に詰まった。それから柳に向かって笑いかける。昔から変わらない、いたずらをしようとしている顔だ。

「もっぺん、比呂士のボディ作ってくれんか」
「仁王」
「修理してやろうかと思っての……どうせ暇なんじゃ、時間かかるのは構わんし」
「……そうか。ならば引き受けよう。もっとも、俺はお前ほど暇じゃないから待ってもらうがな」
「いつでもええよ。……ブン太みたいに、笑わせられるかのう」
「……あの子は少し特別でな、壊れたら厄介だから気をつけろ。以前は他の家にいたのだが、事情があって手放すことになったんだ。うちにはもう既にひとりいたからな、お前のうちならさぞかし働きがいもあるだろうし」
「そりゃ違いない。……そうか。全部が全部、ああじゃないんじゃな」
「お前がネットに製法を流すから誰にでも作れるんだ」
「アクセスするたびに金入るようにしたろ、深く読めば読むほど高く。残高減らん」

今はこの場にいないブン太を見るように、仁王は頬杖をついて視線を流した。ずいぶん血色がよくなった。仁王とは別の分野であるが、開発者として仕事の絶えない柳が仁王を毎日訪れるようなことはできなくて、来るたびに干からびてはいないか心配だったのだがようやく安心できた。子どものように、ブン太に世話をされている様子が目に浮かぶ。仁王にとってもよかったのかもしれない。あたたかかっただけの体、ぎこちなく笑うことしかできないほとんど無表情だった比呂士が、あれほど仁王の表情を変えた。ブン太はもっといい方に仁王を変えていけると期待している。

「あの子は、知能も体も、愛情で育った恵まれた子だ」
「ふうん……性格は欠陥品みたいなもんじゃけど。仕事も早いが乱暴じゃ。昔のメモリー消しとらんの?」
「……ああ、そうだな。問題あるか?」
「いや。よう働くけん便利じゃ。毎晩風呂に押し込められるのは面倒じゃが」
「はは、思わぬところで効果あったようだ。その髪も、ブン太か」
「……俺はあいつの着せかえ人形よ、人形の人形なんてあほらしくて俺らしいじゃろ」

引きこもり生活の間にただ伸びていただけの髪にはきれいに櫛が通され、首のところで結われている。頭洗わんとバレて風呂に逆もどりじゃ、笑う仁王は少し懐かしい。比呂士は仁王にとって子であり、親友であり、父親だった。その比呂士を再び作ることが仁王にとっていいのかはわからないが、あのままでいるよりはましにちがいない。

「仁王」
「なんじゃ、真面目な顔して」
「比呂士が直ったら、仕事しろ。世間に出て、な」
「嫌じゃ、面倒くさい」
「いいや、お前は出てくるな。俺に仕事の斡旋を頼む確率100%だ」
「なんじゃその自信」
「お前は結局、人を嫌いになりきれないだろ」

きょとんとした顔を見せた後、仁王は舌打ちをして目をそらす。クッキーの山に手を伸ばし、その甘さに更に顔をしかめた。きれいな室内は明るく、清潔なものを着た仁王は不満げに口を尖らせていた。あの頃に戻れるとは思わないが、ひとりぼっちだった彼がもっと人を好きになれればいいと思っている。

がちゃん!
派手な音がしてふたりは顔を見合わせた。仁王が部屋を出るのに柳も続く。ねずみかも、と仁王がつぶやくのにぎょっとした。

「ねずみだと?」
「比呂士の部屋掃除したら出てきたんじゃ」
「ねずみ……この時代に……」

どんな生活をしていたのだろう。仁王がブン太を呼ぶと、ますたぁ、と情けない声が台所から聞こえてくる。

「ブン太?」
「マスター!詐欺だあの野郎!」
「どうした」
「ゴキッ……あー!」

壁を走る黒いものを見てブン太が仁王のそばに飛んでくる。それが何なのかわからずに柳は身構えてしまった。

「あーあ、しぶといのう……業者も言っとったろ、一回じゃ一掃できるかわからんて」
「あー!ない!有り得ない!しかも台所!」
「仁王、何だ今のは」
「ゴキブリ」
「ゴキブリ……初めて見たぞ、今時マーケットにもいない」
「でもうちにはおったんじゃ。ねずみとゴキブリ」
「……手遅れになる前に、お前にメイドを送って正解だったようだ」

先ほどの音は驚いて食器を割ってしまったようで、白い陶器の破片が床に散らばっている。なだめるようにブン太を撫で、掃除機を取ってくるからと柳に預けていった。怯えた表情のブン太がぎゅっと手を握りしめている。

「……ブン太」
「……はい」
「手術が決まった。明日だ」
「わ……わかった」
「どうする?」
「……仁王が信じているなら、騙し通す」
「わかった。伝えよう。ここでの生活はどうだ?」
「……部屋を、もらった」
「ブン太ぁー、掃除機どこしまったー?」
「い、行きます!」

仁王の声に反応してブン太は飛び出す。台所が部屋だったブン太は、ここではどんな生活をしているのだろう。

 

 

*

 

 

一緒に生活をしているとブン太はますます人間にしか見えなくなる。誰が作ったのか知らないが、仁王より頭がいいことは確かだろう。台風が近づいた夜、びくびくしていたブン太があまりにも人間じみていて笑ってしまった。窓ガラスが揺れるのが怖いらしい。家を揺らす雷に悲鳴を上げて、腹を抱えて笑う仁王に腹を立てたようだが面白いものは面白い。

「ははっ、お前作ったやつも何考えてんだか」
「う、うるせえ……」
「役に立つんか立たないんか」

怖がるので仁王が家中にシャッターを下ろして回る。まだ作業に取りかかる準備をしただけの比呂士の部屋もしっかり閉めた。修理前に何か飛び込んできてめちゃくちゃになってはたまらない。比呂士を修理するとは言ったがブランクは思ったよりもでかく、忘れていることが多いのでまた勉強からやり直しだ。
寝室に入ってからも外は騒がしく、ガタガタとシャッターを揺らす音が耳障りだ。しかし驚いて飛び上がったブン太を思い出すと愉快な気持ちになる。 チェックした比呂士の問題点を確認しているとふっと電気が消えた。停電らしい。柳によると仁王のうちは時代錯誤にも幽霊屋敷と噂されていたらしく、国のメンテも受けていないから停電も仕方ないだろう。明日自分で見に行けばいいと今日は眠ることにして机を離れ、手探りでベッドに潜り込む。

「マスター!」
「……ブッ!」
「マスター!マスター!あー!イテッ、マスター!」
「入りんしゃい」

部屋に転がり込んできたブン太は更に転んだようで、ゴツンと音が響く。どこですかマスター!声を頼りに迎えに行ってやり、手が触れるとしがみついてくる。

「マスター!」
「停電じゃな」
「な、直んないんですか」
「雨ん中出るん嫌じゃ」
「うーっ!」
「怖いか」

背中を撫でてやるとびくりと震え、しがみつく力が強くなった。愛しい気持ちがこみ上げる。雷が響くたび声を殺すブン太はあたたかい。目が利かないせいか人間と同じだ。シャッターを開ければ明るさももう少し違うのだろうが、ガラスが割れるのも困る。

「……マスター」
「何」
「風呂サボりましたね」
「……チッ」
「なんでそう……ヒッ!」

一際大きい雷に、ブン太は完全に動かなくなる。蛇に睨まれた蛙、なんて言葉があったことを思い出しながら、ゆるゆると撫でてやると少しずつ落ち着いたようだ。

「一緒に寝るか」
「マスター」
「寝てしまえば怖くないよ」
「でも、一緒になんて」
「ええよ。燃費悪いのに朝まで起きてられたら電池食っていかんぜよ」

引き起こしてベッドに引きずり込む。少しずつ暗い中で目がきいてきた。ベッドの端で縮こまっているブン太を笑い、見えるかわからないが手招きしてやる。そのうち近くに落ちた雷のせいで飛んできた。震える体を布団で包み込んでやる。きゅっと唇を噛んで耐えている様子が愛しく思え、額に唇を当てたがブン太は気づかなかったようだ。

「おやすみ、ブン太。大丈夫じゃ」
「……おやすみなさい」

布団があたたかい。思いがけず心地よく、久しぶりにぐっすり眠ったような気がする。

自然に目が覚めた朝、なのかはよくわからなかったが、相変わらずの闇の中で目を覚ますとまだブン太が抱きついているのがわかった。苦笑しながら腰に回る腕を外し、様子をうかがうとまだ眠っているようだ。明るくなれば起きるのだろう、手探りで窓へ寄ってシャッターを開ける。するすると上がっていくシャッターの向こうは雨もすっかりあがっており、顔を出したばかりの太陽が嵐の残滓を光らせていた。眩しさに目を細めて深呼吸し、とりあえず停電したままなので暗い廊下を抜けて修理をしてきた。

電気が回復したのを確認し、昨夜のことをからかってやろうとベッドまで戻ったが、ブン太はまだ眠っている。仁王が降りたときに布団はめくれ、メイド服ではなくいつぞやのTシャツとショートパンツの姿でブン太は幸せそうに眠っていた。それどころか涎をこぼしている。顔を寄せると規則正しい寝息を立て、……まるで、人間だ。
足元まで布団を払うと仁王はベッドに立ち上がってブン太を見下ろす。軽く爪先でこづいてみても起きる気配はない。それどころか――暗い中で転んだときのものか、膝をすりむいている。乾いた傷口を見て、頭のそばにしゃがんでブン太を叩き起こした。言葉通り、額を叩くとびくりとしてブン太がゆっくり目を開ける。

「おはようさん」
「あ……おはよう、ございます……?」
「寝ぼけとるな」
「……マスター?」
「まあよく考えたら騙された俺が悪いな。ぼけとったとは言え、こんな人間と同等のロボットが仮にできたとしても、簡単に世に流すわけないし。こんだけできりゃあ要人の影武者が作れるのう……」
「何、を……」
「柳もグルか?」
「あっ!」

ようやく何を言われているのかわかったらしく、ブン太の瞳が揺れる。こんな細かい動作まで、たかがメイドロボットに組み込むのはただの無駄だ。英会話でも仕込んだ方がまだ役に立つ。硬直しているブン太をおいてベッドを降りた。軋んだスプリングにブン太が緊張する。

「とりあえず着替えんしゃい。柳のとこ行くけん」
「違うんだよ!柳は関係なくてっ……」
「でも柳も知っとったんじゃろ」
「それはそうだけどっ、でも……俺は別に、お前を騙そうとしたわけじゃ……いや、騙してたんだけど、でも!」

自分が冷たい態度になっているとわかっている。しかしまんまと騙された自分に腹が立ち、気づかなかった自分にも苛立ちを覚えた。こんな調子だから比呂士もあっさりと奪われてしまったのかもしれない。ベッドを飛び降りて引き留めるようにブン太が腕を取ったが、冷ややかな目でそっちを見る。

「だから、柳と一緒に聞くけん」
「……柳は、今日ダメだと思う」
「あ?」
「……幸村の、手術だから」
「幸村……?」
「だから俺からちゃんと話すから、聞いて」

真剣なブン太の瞳が自分を見た。よく考えればブン太が来てからまだ数日、初めは煩わしかったが今では大きな存在になっている。生活も一新し、比呂士と向き合う余裕もできた。別に悪いことがあったわけじゃない。仕草だけでブン太をベッドへ戻し、自分は机に寄りかかる。

「俺は、確かに……ロボットのふりをしてた人間だけど、……知ってるだろ?戸籍がない人間は、屋根のあるとこになんてそう住めないって」
「……お前」
「うん……幸村が拾ってくれたけど、幸村はほんとに身分ある家だから俺なんかを使用人にはできなくて。だから、……ロボットだってことにして使ってもらってた」
「……幸村ってあの幸村か、政治家の」
「うん、まあ俺頭は悪いからよくわかんないんだけど……」
「それで」
「……でも、幸村が原因不明の病気で倒れた。家の中でも俺はあんまりいい顔されてなかったし、幸村の病気は 俺が毒でも持ったんじゃないかって……」

ブン太は言葉を詰まらせてうつむいた。シーツを握りしめ、深く息を吐くのが聞こえる。

「違うんじゃろ」
「当たり前だ!」

赤い髪を揺らしてブン太は両手で顔を覆う。仁王がついた溜息に反応して体を強ばらせる。

「それで」
「……幸村が柳に相談してくれて、隠れ家ならあるってここに……」
「まあなあ、役人も来ん場所やけ」
「……俺……これから……」

体が小さく震えている。捨てられると言う感覚は、仁王にはよくわからない。しかし仁王はたまたま戸籍登録まではされただけで、親に捨てられたのは仁王もブン太と同じことだ。

「……飯」
「え?」
「腹減ったから飯。俺に3食の習慣つけたんお前じゃろ」
「は、はいっ」

パッと部屋を飛び出すブン太を見送る。どんな顔をしているのかは見えなかった。一応柳に連絡してみるが、ブン太の言ったとおり捕まらない。台所へ向かうとメイド服に着替えもせずブン太が動き回っていて、魚を焼き鍋をかき回しと忙しそうだ。よく見ると後頭部に寝癖がついている。それが動くたびにぴょこぴょこと跳ねていて、なんだか笑ってしまった。気づいたブン太が振り返る。

「あっ、も、もうすぐ……」
「ええよ、おって」
「え……」
「ロボットのふりもせんでええよ。でも俺の面倒見かけたんやから最後まできっちり世話してけ。幸村治ったら戻ったらええから」
「う……うん!」

ぱあっと笑った表情は子どものようだ。比呂士と比べるまでもない。

「で、ゴキブリと雷以外に怖いものは?」
「もうねえよ!」

 

 

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080530