※別れます。

1

 

大好きだよ、と、今まで何度ささやいたのだろう。今だって言える、ずっと変わらない気持ちで。

「一度ブン太の部屋行ってみたいんだけどな」
「むりむり、ルームメイトと約束なの、女は入れねーって」
「そのルームメイトってまじめなの?」
「まあな」

手をつなぐと少しは気をよくしたのか、彼女は丸井に笑いかけた。大学でできたかわいい彼女、3年から4年へあがり歳を重ねれば、もう結婚も考えるようになってきた。

「あ、やべ、そろそろ帰るわ。明日遠出すんだ」
「就活?」
「うん」
「頑張ってね」
「お前はいいよな、とっとと決まっちゃって」
「ブン太なんてさっさと決まっちゃいそうだったのに」
「俺に合う会社がなかなかねーんだよ」
「わがままばっか。そんだけ言うならいいとこ就職してよね」

うるせえ、と笑いとばす。彼女のバイト先のファミレスの裏口、最近ここで話をしていることが多い。またデートしようね、と笑って軽くキスをして別れた。細い道を抜けて本通りに戻ると道に落ちているビニール袋にカラスが集まっている。どうも生卵が入っているようだ。
女って苦手だったのにな、思いながらマンションへ向かう。定期を忘れたので徒歩だがふた駅だ。中学高校と6年、みっちりやりこんだテニスの推薦で大学に入った。大学へきてからもテニス三昧で、あまり女を見ている余裕がなかったように思うのに、彼女が出来たことが不思議だ。

歩みに合わせて揺れる前髪を見て溜息をついた。ずっと貫いてきた赤い髪は、大人の事情で黒く染められている。これから先もこうなのかと思うと少し憂鬱だ。大人しく茶髪で満足できる性格じゃない。大人になればもっと楽しいと思っていた。家を出て、自分の時間も増えて、セックスだってこそこそせずにできる。彼女とは時間が合わなくてしばらくしていないが。
マンションへ戻ると部屋の鍵は開いていて、無用心だな、と顔をしかめる。いつまで経ってもあのルームメイトの緩い性格は変わらない。

「二オー!おいコラ、また鍵開いてたぞ!」

電気のついたリビングには誰もいない。風呂にも気配がないので部屋のドアを一応ノックしてみるが反応はなく、ドアを開けるとベッドで丸くなっている仁王がいた。寝てんのか、口にしながら中に入る。 中学高校、同じテニス部の仲間として過ごした。高校で仁王に片思いをして、卒業する前に当たって砕けろと告白したら両思いだったという嘘みたいな話。お互いの大学は違えどそう離れていなかったので近くに部屋を借りて一緒に暮らし始めたのは、大学生活にも慣れてきた夏前だ。それからずっと、一緒にいる。
ベッドに座って顔を見ようとするが、シーツに押しつけられて隠れていた。大学に入って短くした髪をすいて笑う。バンドマンに見られる、としかめっ面をしながらも色を変えないのは自分と同じで、知り合いの会社でバイトをしていてそのまま就職を決めた仁王は就職活動とは無縁だ。

「仁王、おーい。飯食った?」

におう、耳元で呼ぶとわずかに身じろぎした。起きているようだ。いたずらしてやりたい気分になり、するすると腰を撫でてスウェットに手をかける。脱がしかけると頭を叩かれた。

「何しとんの」
「ただいま」
「おかえり」
「なあ、卵買ってきてくれた?親子丼しようぜ」
「すまん忘れた」
「ハァー?意味わかんねー!卵がなきゃ親子丼できねーだろ!」
「ごめんちゃい」

顔を見せずにそのままの姿勢で話す仁王にも腹が立ち、尻を叩いてやる。これだから食に関心の薄いやつは!一緒に暮らして正解だと思っている。ほうっておいたら餓死してるのではないかと思うことがあるほどだ。

「あーもー腹減ったー。鳥どうしよっかなー、あまからーく……」
「ブン太、俺食欲ないけん、ええ」
「えー?……お前もしかしてしんどいの?」
「ちょっと」
「先に言えよ。顔見せろ」
「いやじゃ」
「ばか、いいから」

無理やり体を反転させると疲れた顔がこっちを見た。目元が少し赤い。首筋や額を触ってみるが熱はなさそうだ。

「今日学校行った?」
「バイトも行った」
「昼飯は?食った?」
「食ったよ。ちょっと帰りに、電車に酔っただけじゃ。香水つけすぎの女がおって」
「そうめんとかなら食える?お前夏場食わねえとあっという間に体重減るんだから」
「ブン太」
「何?食いたいもんある?」
「抱っこして」
「……ガキかテメー」

思わず吹き出して、伸びてきた手をからかうようにからめて抱きしめてやる。耳元で繰り返される呼吸はもう慣れたもので、毎年夏バテになる仁王にとってつらい季節がまためぐってきたのだとわかった。

「そうめん茹でてやるよ、梅干添えて。それまで寝てな」
「食ったら一緒に寝てくれる?」
「21にもなって甘えてんじゃねーよ。しょうがねえやつだな」

笑いながら肩を叩いて仁王から離れ、額を撫でて部屋を出る。毎年こうして仁王の世話をするのをひそかに楽しみにしている自分がいる。だから、夏の間は――仁王には彼女のことを話していない。仁王を嫌いになったわけではないし、黙っていればばれないだろうと思っている。ここで過ごすのは快適で、こうして甘やかして甘やかされて生活するのは楽しかったが、将来を見なくてはならなくなったときに少し冷静になった。こんなおままごとがいつまでも続くわけがない。
一応探してみれば額に貼る冷却シートが見つかり、麺を茹でている間に持っていって貼ってやった。ぐったりした顔が少し緩んで、子どもの世話をしている気分になる。

 

「雅治ちゃんもう少し待っててくだちゃいねー」
「ブンちゃん」
「なあに、雅治ちゃん」
「大好き」
「俺もだよ」

仁王も好きだし、 彼女のことも好き。それが悪いと思っていない。男と女の違いはこうして出てくるんだな、と思う。
茹で上がった麺を皿に盛り、つゆも作って用意はできた。少し迷ってから結局部屋まで持っていってやる。

「できたぞー。気分は?」
「ましにはなった。ありがと」
「いえいえ」

手元が不安定なのでつゆは麺にかけてしまい、ベッドに座った仁王に渡す。自分の分も持ってきたのでそばで一緒に食べた。親子丼は明日にしよう、鶏肉はまだ大丈夫だったはずだ。

「今日暑かったもんな。お前長袖だし」
「そうやのー。難しいわ」
「ま、俺は結構好きだけど?弱ってる仁王」
「ドSじゃのう」
「ドMのくせに」
「ひどいわ。……ブンちゃんにしか、許さんよ」

愛されてんね、笑って食べ終えた食器を重ねて床に置く。仁王がそっと手をつないできて、どことなく遠慮がちな動作に笑った。仁王は年々丸くなっているように思う。昔から人当たりが悪かったわけではないが、あまり人をからかうようなことはしなくなった。いつか聞いたら、満たされてるから、なんて笑ったが、なんだかんだで忙しいというだけかもしれない。つないだ手を持ち上げて指先にキスをして、仁王を見るとにやりと笑った。しかしそれだけなのは、まだ体がつらいのだろう。

「シャワー浴びてきちゃえよ。片付ける」
「そうする」

いつかは言わなくてはならないとわかっている。それでもまだ、仁王と別れたくない。悪い男かな、自分で笑う。明日の行き先を確認するためにパソコンを開いた。塾講師の内定はもらっている。いまいち納得ができないので就職活動を続けているが、この先どうなるのだろう。もう夏になってしまったのか。テニスとセックスばかりで勉強した記憶があまりない。地図を印刷して、ここを最後に区切りをつけようと思う。この夏を仁王と過ごして終わろう。精一杯愛して、今までの日々が嘘にならないように。

「お先ー」
「おう」
「な、ブンちゃん、旅行行かん?テスト終わったら」
「旅行?どこにぃ。俺金ねーよ」
「出しちゃるって。海外とかええなー」
「パスポート持ってねー」
「じゃあ沖縄。1ヶ月ぐらい」
「優雅ーッ!お前そんな金持ってんの?」

笑い飛ばすと仁王も笑って、ビールを片手に近づいてきた。ひと口飲んだそれを仁王に差し出すので受け取ってのどを潤す。

「ブン太とふたりで、どっか行きたい」
「そんなんうちでも一緒じゃん」
「いやじゃ。すぐ赤也がおしかけてくるけん」
「旅行ねー、考えとくけど」
「嫌?」
「そうじゃねーけど、いいな、1ヶ月も旅行とかしてみたい」

しかしそうなると彼女にどう言い訳すればいいのだろう。どうせ仁王のいつもの冗談だと聞き流しながら、メールのチェックをする。仁王が隣に座って、一緒に覗き込んだ。ふたりでビールをひと缶空けて、戯れにキスをして、こんな夜が幸せだと思う。楽しかったよ、ずっと。
からかう舌がきっかけで本気のキスになり、気分が乗ってきてどちらからともなく服を脱ぎだして抱きしめあう。舌を絡めて高めあって、セックスが始まる。

「――仁王?」

いつもと違う気がして仁王を見たが、何もわからなかった。

 

 

*

 

 

「うんごめんマジで、今度埋め合わせするわ」
『大丈夫なの?行こうか?』
「いいよ、ルームメイトが看病してくれてる。いつもと逆だから張り切ってんだ」

仁王が部屋に入ってきて少し身構え、じゃあまた連絡するから、と電話を切った。にこにこしている仁王をにらんでやる。

「テメー嬉しそうだな」
「ブンちゃんの気持ちがわかったわ。弱ってるブンちゃんかわいい」
「あーもー夏風邪とか!この俺が!」
「疲れとったんじゃろ」

叫んだ後に咳が出て、ほらほら、と仁王に促されてベッドに潜り込む。まさかの夏風邪だ。大学生活の中で寝込むような風邪は初めてかもしれない。熱が9度まで上がったのも久しぶりだ。予定していた彼女のデートに合わせたかのような風邪に腹を立てても仕方ないが、怒りのやり場がない。

「用事は大丈夫?休めたん?」
「ああ、バイトの集まりだし。どう考えても出れねえしな。だりー」
「今うどん煮とるけん、待っててな」
「うん」
「ふふ、かわええな」

仁王は嬉しそうだ。いつもと立場が逆転しているのが楽しいのかもしれない。少し涼しい日が続き、いつもと同じように窓を全開で寝ていたのが悪かったのだろうか。就活終わっとってよかったね、丸井の髪を撫でながら、穏やかな表情を浮かべている仁王を見て、たまにはこんなこともいいか、と大人しく受け入れた。
台所へ戻る仁王を見送り、息を吐く。正直なところ、まだ仁王に彼女のことを見透かされていないことが不思議だった。知っているような素振りは見せない。気をつけて携帯などは手放さないようにしているが、一緒に出かけることは減り、丸井の帰りも遅くなっている。ペテン師と呼ばれた男を手に入れたときは有頂天だった。かっこいい、理想の男。好きだと囁く声が好きだ。男とセックスをしてしかも受け入れる側に回るなど、仁王相手でなければ考えられない。

「おまたー」

昼食が運ばれてきて思考は中断される。暑い中だが丸井のリクエスト通りのうどんだ。体を起こした丸井の膝にお盆を乗せて、仁王はさっきと同じようにそばに座る。

「いただきます!」
「よう食欲あるね」
「俺から食欲取ったら何が残るんだよ」
「自分で言っとる」

くすくす笑って仁王は食べるのを見ている。教えてやっただしの作り方をちゃんと覚えたのはいつだろう。

「お前は?」
「後で食う」
「お前こそ風邪ひかねーように気をつけろよ、最近またやせたんじゃねえの?」
「夏やけん、いつものことじゃろ。今年いつもより暑いし」

添えられていたかまぼこを差し出してやると大人しく口を開けた。さっさと風邪を治して仁王にまともな食事をさせなくてはならない。ささみでも茹でてさっぱりと仕上げ、肉を食べさせよう。少し値は張るが桃なども出てくる頃だからまた買ってこようか。一緒に暮らすうちに好き嫌いは少しずつ治したが、まだまだ偏食はひどい。

「……何にやにやしてんだよ」
「ブンちゃんがおるのが嬉しい」
「あのなー」
「わかっとるよ、つき合いも大変やね」
「そういや、お前今日バイトは?」
「休みになっとった。新人入って研修しとるけん、調整」
「そっか」

たまにはこんな日もいいか、と思う。仁王とのんびり過ごすのは久しぶりだ。うどんをたいらべると仁王がお盆を受け取り、薬を取って戻ってくる。

「寝る?」
「んー、あんま眠くはねーんだけど」
「添い寝しちゃろか」
「アホか」
「いやいや、うつせば治るって」
「んでお前にうつったら俺が看病するんだろ」
「ええね。わかっとる」
「めんどくせえよ」

笑ってやると仁王も笑う。最近少し弱ってるな、と感じる。遠まわしに甘えてくる。丸井の知らない学校やバイト先で何かあったのかもしれない。あまり相談事をしてくるタイプではないからわからないが、丸井にできるのは望みどおり甘やかしてやることだけだ。しょうがねえなあ、ベッドを開けて仁王を誘い、一緒に潜って丸くなる。仁王をかわいいと思うなんて考えたことがなかった。笑い声をもらして擦り寄ってくる頭を抱きしめて、あたたかさに目を閉じる。
一緒に暮らしだしてすぐの頃、仁王が倒れた日があった。その頃はティッシュ配りだとかそんなバイトをしていて、原因が明らかだったのですぐにやめさせた。あの日もこうして抱きしめて寝たっけ。思いながら仁王の手をとる。

枕元で携帯が鳴り、手を伸ばすと彼女からのメールだ。視線を感じて仁王を見たが、気のせいだったようだ。薬飲んだし大丈夫、とメールを返しているうちに仁王は自分のポジションを作り、どうもおさまりがよくないのか、一度体を起こして丸井の頭を抱くように移動する。冷たい手が丸井の髪をすいた。ふう、と頭の上で息を吐いた仁王を見上げると笑顔が返ってくる。終わった?と丸井の手からそっと携帯を抜き、画面を見ないように閉じてまた元の場所へ戻す。ちょっと機嫌が悪いのかもしれない、何も言わずに仁王を抱き返した。

テニスをやめたとはいえ時々ジムに行く仁王は決してなまったわけではない。丸井も20も過ぎれば子どものような体つきではなくなったが、仁王のようにはならなかった。かたい体と抱き合って4年、長かったような気がするのは知り合ったのは中学の頃で、もう人生のほぼ半分を共にしたからだろうか。そう考えると本当に長い。お互いのことはもうわかりきって、喧嘩をしても仲直りのタイミングも外さず、どうしてほしいかなんて口にしなくても大体わかる。男同士でもセックスは気持ちいい。

……そういえばしばらくしていない気がする。元々丸井よりは仁王から誘ってくることが多く、今のところ彼女で満足している丸井は声をかけることはなかったが、どちらかが言わなくともそういう雰囲気になることはあった。そんな時も仁王に避けられたような気がする。仁王も疲れているのかもしれない。
バイト先が就職先にというのも簡単ではないようで、その小さなデザイン会社の新入社員は仁王だけになるらしい。今から実質勤務が始まっているようなものだ、といつか仁王が言っていた。結局丸井も先に内定をもらっていた会社に決めてしまった。どんな言い訳をしても結局妥協したということになってしまうのだろうか。
彼女にはあまりいい顔をされなかったが、仁王はええんちゃうの、と軽く言った。こんなときは仁王の方がいいような気がするが、結婚という問題が絡めば別何かもしれない。実際にプロポーズをしたわけではないし、強くしたいと思っているわけでもない。それでも、丸井以上に彼女にそのつもりがあるのは確かだ。その理由のひとつが「働きたくない」なのだから、女は勝手だと思う。

「……ブン太」
「何?」
「風邪治ったら、テニス行かん?こないだ幸村に会って、誘われたんじゃ」
「あ、幸村くん帰ってきてるんだっけ。いいな、久しぶりにあの頃のメンバーで集まれたら楽しいのに」
「声かけてみるぜよ。柳生は就活も無縁やし」
「あー、医大は6年か。いいなー」
「なんで?」
「大学生ってまだまだ子どもっつーかさあ、違うじゃんやっぱ、学生と社会人って」
「そうかのう……そうやね」

仁王の手に力がこもった気がしたが身動きが取れなかった。いつまで仁王との生活が続くのだろう。就職するとこの部屋は払い、それぞれ就職先の都合に合わせて住むことになる。それまではいいかな、なんて思ってしまう。ここは心地いい。

「仁王」
「なんか寝っ転がってたら眠くなってきた」
「……お前最近寝てなかったみたいだしな。寝ようぜ」
「うん」
「おやすみ」
「おやすみ、マイハニー」
「なんだそれ」
肩を揺らして笑い、仁王を抱きなおして目を閉じた。

 

 

*

 

 

今日の晩飯はどうしようか。彼女の部屋に作りに行くと約束した今日は、だらだらとした実のない話も切り上げて大学を出た。バイトが終わるころには迎えに行けるように作ろう。テストも近い初夏の日差しに、日焼けを気にする彼女のことを思う。仁王は白いが気にしているわけではなく、単に日差しの厚さを避けているだけだ。夏の間は出不精になる仁王とは家でだらだらしている記憶ばかりだ。

「ブーンちゃん!」
「へ?」

大学前のバス停にいる見慣れた頭は、丸井の人生で彼しか見たことがない。仁王だ。目を疑おうにもそうさせない目立つ髪を揺らし、仁王は近づいてくる。

「えっ……何してんの?」
「バイトでこの辺来とって、終わったら解散になったから迎えに。今日早い日やったしなあと思って」
「あー、うん、なんだびっくりした。メールぐらい入れろよ」
「驚かせたかったんじゃ」

帰ろ、と笑いかける仁王に、悟らせてはいけない。まずはどっちを選ぶか。迷う前に仁王に手を取られて諦める。その手は暑いと振り払い、携帯出して彼女に謝罪のメールを送った。

「お前ね、学校の前なんだから」
「もー今更えーやないの」
「よくねーよ。最後だからこそ、俺は穏便に過ごしてえの」
「そんなもん?」

隣を歩いて家へ向かう。仁王が歩こうというので電車には乗らずにしばらく歩いた。じわりと汗が浮く。

「お前大丈夫か?倒れる前に言えよ」
「うん。しばらくデート、しとらんね」
「そうだな。忙しかったし」
「な、旅行、どこ行く?」
「は?……ああ、え、あれマジだったの?」
「冗談のつもりやったん?さすがに1ヶ月は無理でも、行きたいよ」
「だから俺金ねーって」
「えーよ、出す。俺が、ブン太とどっか行きたいの。手ぇつないで歩けるとこに」
「えー……どこがいいの。北の方がいいんじゃね?」
「……おれの、ばーちゃんち行く?」
「あ?それみんなお前みたいに話すの?」
「そう」
「ははっ、面白そうだな」
「なんもない田舎じゃけど。行く?」
「考えとくよ。テニスもしたいしなー」

空を仰ぐとまっさらに青い。街路樹の陰に隠れながら歩く仁王は何か鼻歌を歌っている。汗をかいたTシャツの背中、猫背の曲線が愛しい。好きな人がふたりいるなんで小学生みたいだな、ポケットでおそらく彼女からの文句を受信した携帯が震えたが、気づかなかったことにした。
だけどこれは、恋なんだろうか。もう昔のドキドキは忘れた。キスをしてセックスもするけど、ただの依存のような気もする。飛び出た根っこにつまづいてよろけた仁王を笑った。仕方なく手を取ってやると額に汗を浮かせて子供みたいな顔を見せる。家族、の方が近いかもしれにあ。手をかけて育ててきたかわいい子。面倒な子だったな、などと思う。

「あかんしんどい」
「アホー、早く言え!スタバ発見」
「もうちょっと頑張る、タリーズ行こ」
「は?好きだっけ?」
「ブン太が」
「……んなこといーんだよ。いいから俺にフラペチーノを奢れ」
「……ははっ、好きよ、そういうとこ」

苦笑しながら店に入った。自動ドアの前で離した手は汗ばんでいる。店内のクーラーがすっと汗を冷やした。仁王が注文している間に携帯を見れば、予想通り今日のキャンセルにお怒りのメールが来ていた。毎年夏は仁王のせいでちょこちょことドタキャンしたが、今年は少し多いかもしれない。仁王も自分も、名残惜しいのかもしれないな、なんて思った。
私とルームメイトどっちが大事なの、なんて冗談めかして言われたことを思い出す。どきりとしたセリフは笑い飛ばしてごまかした。比べられるものではない。品物を受け取った仁王に呼ばれてついていく。旅行も前向きに考えてみてもいいかもしれない。最後の夏なのだから。

 

 

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