※いとしいとしというこころの続き
弱い犬ほどよく吠える
「今度はいつデートすんの」
「……未定だ」
「ふうん。どこ行くの」
「……それも未定だ」
「いっつもどっちが決めんの。あ、何回目?」
「……仁王」最終的にはキスはした?まで続けたかった質問は、短気な男によって阻まれた。真田の隣、柳のロッカーに寄りかかって真田が着替えるのを見ていた仁王は笑う。シャツを脱いだ裸の上半身は汗が浮いていて、むしゃぶりつきたい、と思っていることを真田は知らないのだろう。優越感にも似たような妙な気分だ。
「なぁに」
「聞いてどうする」
「真田がどんなデートするんか、気にならんやつはおらんじゃろ」
「……妙なことはしとらん」
「へえ。どんな話するん?」
「……しつこいな」汗を拭ってインナーを着てカッターシャツを羽織る、一連の動作を眺める。筋肉のついた体は、きっと仁王が同じように鍛えてもこうはならないだろう。隠されてしまったのを残念に思いながら笑う。部室にはふたりきり、わざと作る時間。
ずっと好きだった男に好きな女がいるとわかった。自分が持てない時間を共有している女がいる。なんと狂おしいことか。自分にできるのは、精一杯の虚勢だけなんて。 無骨な指がネクタイを締める。キュッと音がしそうなほどきっちりと、もう帰るだけなのに。真似をしようと自分のネクタイをほどいてみたが全くダメだった。これなら真田を見ていた方が有意義な数秒を過ごせたに違いない。
お前はへたくそだな、乱暴にネクタイを引っ張られて背筋がぞっと冷えた。こうだ、と言われた意味がわからずに、ずっと汗で濡れた前髪を見ていた。へたくそと言う語感が幼児じみていて似合わない。うつむいた視線、首元でネクタイが引かれる感覚、静かな鼻息。このまま息の音を止められたら本望だ。「3年目だというのにいつも長さが揃っとらん。結び目も歪んでいる」
「……興味ないん」顔を上げた真田と目が合って、彼がわずかに怯んだ。人間くさい、この男が好きだ。
「……真田」
「何だ」
「デートしよう」
「何だと?」
「真田とデートしたい。お前さんがどんなデートするんか、俺が判定しちゃるよ」
「……判定?」眉をひそめてわずかに目を細めた。いい顔だ。許嫁という存在を仁王に知られてから、真田は少し扱いやすい。知りたくなかった事実で、どうにか真田を操ろうとしている自分がいる。
「お前さん、どうせ相談相手なんぞおっても頭のカタいじじいばかりじゃろ。俺が、お前が現代の中学生らしくつき合っとるか見てやる」
「ばかばかしい」
「いっつもどっちがリードしとんの」
「……」
「お前のことじゃけん、『任せる』なんて言われたらなんもできんのじゃろ?」図星のようだ。体をそらし、前髪を分けて真田は帽子を被る。いつものキャップ。デートにも被っていた。
「日曜10時に駅前な。真田が来るまでずっと待っててやるから」
「勝手にしろ」真田が仁王の戯れ言につき合うわけがない。鍵をかけるから出ろ、と言われてようやく脱いだジャージを鞄に押し込む。下ろしていればいいのに、ジャージも教書もラケットも、鞄を背負ったまま真田は待っている。
「ほい、お待たせ」
「そういつも遅いようなら今度からお前に当番をさせるぞ」
「やらんよ、そんな面倒な」じゃあな、と昇降口で別れた。時々こうしてする別れの挨拶を、仁王は楽しみにしている。
「またな」
「また」この短いやり取りで、満足しようと思っている。言い聞かせている。これ以上先に進める関係ではないのだから、どこかで区切らなくてはならない。賢く生きなければ損をするのは自分だ。もう、あんな情けない涙を流すのはごめんだ。
だから期待していたわけじゃない。むしろすっきりしてしまいたくて日曜、強引に言い渡した待ち合わせ場所に向かった。以前駅前でぼんやりしていたら女子高生に声をかけられたことがあったのを思い出し、誰か引っかかればそのまま遊べばいいかな、などと思いながら。
だから真田を見つけたときは我が目を疑った。偶然にしては神様も意地が悪い。近寄らないようにと気をつけた仁王の思惑は一瞬で崩れ、仁王を見つけた真田がつかつかと歩み寄ってくる。「遅い」
「……10分遅れやけ、許して」
「お前はいつもそうだな」心臓が高鳴っているのを押さえようとするのに体が許してくれなかった。自分の意志に反して体が動く。するりと手を取ると真田がぎょっとして仁王を見たが、にやりと笑ってやると呆れたように溜息をついた。振り払われなかったことに驚く。
「……どこに連れてってくれるん?」
「俺が決めるのか」
「……と、いきたいとこじゃが普通にデートコース行かれてもたまらん。ゲーセン行こうぜ、バッティング」返事を待たず、手をほどいて先に歩き出す。来るなんて思っていなかったから何も考えていない。ゲーセンに行くような女じゃないんだろうな、考えてしまってうんざりした。開き直って女のことを聞き出し、アドバイスをしてやろうか。真田よりは女の性格がわかるかもしれない。同じ趣味の女だ。
休日のゲームセンターは朝から人が多く、店内に渦巻く音の洪水に真田が顔をしかめた。さっさと通過してバッティングのコーナーの受付をする。「真田」
「赤也がいた」
「ほっといてやりんしゃい」ネットの向こうに押し込んで、説明をして自分は背中から見ておく。仁王の強引さに戸惑いながらも、真田はバットを握った。1球目はタイミングが合わずに外し、構えた姿の気合いが変わる。2球目はかすめて金属音だけ。けたけた笑ってやると振り返ってむっとした顔を見せた。
「久しぶりなんだ」
「いつぶり?」
「授業ではあまり触らなかったからな……小3まではやってたんだが」
「そうなんか?」
「小学校の頃はいろいろやった。テニスを始めてからやめたんだ」3球目は高く飛んだ。隣のブースの客がすげぇ、と声を上げる。自慢げに仁王を振り返る顔が憎らしい。
「今はテニスだけ?」
「たまに居合いをやるぐらいだ」
「ふうん……他に何ができんの」
「弓も少しやった。あと柔道も。これは卒業までしていたな」
「弓」
「……おかしいか」
「お前……いや、武士じゃのう……」
「……お前は?」
「俺?俺は中学でテニス始めただけじゃ。水泳はちこっとやったが、面倒でやめた。クロールができるようになったぐらいかの」
「水泳か。俺もやった」
「1キロぐらい泳げる?」
「さあ……」球を追って声が途切れた。風を切るバットの音が近く、仁王は知らずにネットに貼りついていた自分に気づく。耳をつく金属音に目を閉じた。満足げに息を吐き、真田は振り返る。
「そういえばそれぐらい泳いだな。25メートルコースでやったから、何往復したのかわからなくなって正確には距離は知らんが」
「うわ〜……そりゃえげつない筋肉もできるわ。……彼女とは?そんな話せんの?」
「その頃の話だともうみんな知っている。親たちが話してしまっているからな」
「ふうん……代わって!」仁王の気まぐれに苦い顔をして真田はバットを置いた。入れ替わりにブースに入る。奥歯を噛んで構えた。ふざけるな、なんで女のことなんか。知りたくもないことを聞いた自分にうんざりする。勝手に回る口には困った。
構えてボールを待つ。視界がとらえた球にタイミングを合わせてバットを振った。キィン、て高い音がしたがボールは地面に叩きつけられる。よく見ろ、真田の声がうるさい。くそう、ボールの代わりにあいつの頭を飛ばしてやりたい。乱暴な気持ちになって、思う。適当に何度か代わりながら打ち続け、体があたたまった頃に店を出た。腹が減ったという仁王に思案顔を見せ、いいところがある、と先に歩き出した。小さな定食屋に連れて行かれた。営業してるのかという店構えの定食屋は老夫婦が営んでいて、真田の知り合いのようだった。思いがけずしっかりした昼食だ。
好き嫌いや食べ方に文句を言われながらサラリーマン客が数組という中で騒ぎながらの食事になった。「お前さん、彼女と行ったらええのに」
「あんな店にか」
「あんなって、ひどいのう。いい店やないの」
「それはわかっているが」
「……言っちゃ何だが、こないだ見たお前さんの彼女はあんな店の方が似合うぞ」
「……そうか。まあ、物静かな人だから」
「つうか地味」
「……」
「……かわええな。スカートはいてふわふわしとって」自分はなれない。今隣に立っていても、距離は縮まらない。宛もなく歩くうちに海に着いた。嫌なことばかり思い出す。あんな一瞬だったのに思っていたよりも女の容姿を覚えていた。
風が塩の匂いを運んでくる。臨海公園はなぜか辺りに人影はなく、デートみたいになってしまったことを恨んだ。「……いっつもどんな話すんの」
「……テニスのことばかりになってしまうな。お前ならよく舌が回るんだろうが」
「なんか失礼やね」
「ああ、この間はお前の話をした。出会ったからな」
「俺の?」喜んだ心臓が跳ねる。真田の口から、自分はどう語られたのだろう。悪い評判でもなんでもいい。それだけであの日感じた絶望から少しは救われる。
「俺といてもつまらないだろうな」
「……彼女?」
「大したエスコートもできん」
「……今度こっちに呼んだらええんよ。飯食って、海見て、だらだら昔の話してたらええんじゃ。お前の口でな」
「……仁王」真田が隣に立つ。何も考えず反射的に見上げれば、真摯な瞳がこっちを見ていた。ああ、今その瞳には、俺しか映ってないのに!奪えない心がどうしてもほしい。だだをこねて手に入るなら、どんなみっともない懇願だってしてみせる。
「何?弦一郎さん」
腕を取ってからみつき、真田の動揺が伝わってくるのを笑う。泣きそうだ。外見だけは立派な男になっているふたりで、腕を組んで。
「なんて呼ばれとるん?弦一郎さんで合っとる?」
「……その……なんと言えばいいのか、わからんが」
「どうしたん?」振り払われない腕は少し汗ばんでいる。自分の汗かもしれない。
「……俺のどこがいいんだ?」
「……は?」予想もできない問いは理解できなかった。顔をそらして海を見ながら、真田は困ったように頭をかく。今の問いは、間違いなく仁王に投げかけられたものなのだろうか。混乱していたって何が言いたいのかはわかる。ただ、どうして自分に投げられたのかがわからない。
「その……だから、……お前は」
「何でそんなこと思うん?」震えがばれないように手を離す。こわばった顔を見られないよう背を向けて歩き出す。ありえない。まさか。
「仁王、お前は俺をばかだと思っているだろう。そんなに鈍感ではない」
「……嘘つけ」
「お前がからかうためだけにここまで手間をかけるはずがないからな」
「そんなことないぜよ、騙すなら徹底的に騙し通す」
「……できておらんから言ってるんだ」
「聞こえん」
「仁王」
「聞こえん!」動揺させられている。揺さぶられている。言わせようというのか。どうしてばれたのか、自分ではいつもと変わらない自分を振る舞っていても、ダメだったのだろうか。だから恋は嫌いだ、すぐに頭がおかしくなる。
「……自惚れも大概にせえよ」
「……仁王」
「ふん、ちょっと遊んだら調子に乗って……」もう、だめだ。ひくりと唇が痙攣し、奥歯を噛みしめたが、熱い涙が頬を流れた。肩を揺らして泣き出す自分が嫌だ。こんなのは、格好悪い。自分はこうじゃないはずだ、二度と恋で泣くのはごめんだと、あの日散々泣いたはずなのに。
不器用な男はいつもすべてを台無しにする。隠そうとしているのだから、気づいても知らないふりをするのがマナーじゃないか。そんなことだから学校の女どもには受け入れられないのだ。「仁王」
「ばかやろ……も……頼むから死んでくれ」
「仁王」
「もうお前がおらんくなるしか、俺の逃げ道は残っとらん……」何のつもりか大きなあたたかい手が腰を抱いて、そのぬくもりに反射的にすがりつく。俺は本当にどうしようもないばかやろうだ。
「お前なんか嫌いじゃ。ぶっさいくな女とデートでもセックスでも好きなだけすればええ、俺がおることも忘れて!」
「仁王」
「ほんまに空気読めんアホじゃ、黙って帰れんのか。人がせっかく……」
「仁王」
「……俺の気持ちが知りたい?」
「……聞かせてくれるなら」
「真田とセックスしてそのまま死にたい」絶句した真田の表情は予想通りで、戸惑いとわずかな嫌悪、思わず笑ってしまう。黙って身を翻し、真田から離れた。最初で最後のデートは喧嘩別れで、
(なんつって……)
*
「昨日真田副部長ゲーセンで見たんすよ」
「……おお、俺が連れてった」
「まじすか。俺怒られんのかと思って焦った」
「悪さしてたんかい」
「いや〜してないっすよ〜」へらへらと笑う切原のように脳天気になれれば、なんて失礼なことを思う。話を聞いていたらしい柳がネクタイをほどきながら何気なく振り返った。
「その弦一郎は今日休みだ」
「えっ!あの副部長が!?」
「法事だそうだ」
「ですよねー」こんな気分の時だというのに真田が見れないとわかると体ががっかりしたのがわかった。どうしようもない。
「柳、尋常でないぐらい腹が痛いけん帰るぜよ」
「さっきまで雑巾で野球をしていたのにか」
「今一瞬で痛くなったんじゃ。じゃあな」鞄を肩に引っかけて部室を飛び出す。幸村にとっつかまる前に、と走った。踏み出すたびにラケットが背中を叩く。真っ直ぐ真田の家に向かっている自分が滑稽で仕方なかった。会いたいだけだ──本当に?ずっと、あれほど、抱かれたいと、見てほしいと、思っていたのに?
一度だけ行ったことのある真田の家の周りには黒いスーツ姿が何人か見える。押し掛けてどうしようというのだろう。荒い息を聞きながらそれが自分のものだとしばらくわからなかった。立ち尽くして深呼吸をする。門前に客を見送る真田が見えて息をのんだ。きっちりしめたネクタイ、しわのないブレザー。
客の老人にからかわれでもしたのか、苦笑して車が行くのを見ている。その延長で仁王に気づいた。視線は合ったのに真田はすぐに振り返る。門の内側の誰かと話をしている。その表情だけでわかってしまって、仁王は再び走り出した。
行き先はない。呼吸がうまくできないまま走り続けるので息が続かなくなり、ひゅうとのどを鳴らしてたどり着いた公園で芝生に転がった。海の匂いのない公園で、真田の声がよみがえる。「うっ……」
あんな顔を今まで見せたことがあるだろうか。恥ずかしくなる。あんな真田を見るために走ったんじゃない。そんなことのために好きになったんじゃない。
それならなんのために?こんな苦しい思いをしてまで?
人のものだと思うと尚更欲しくなる。辛いだけなのに思いが深まる。「仁王」
「……追っかけてくんなよ」振り返らなくてもわかる。名前を呼ばれるだけでも体が震えた。泣きそうになっている自分に気づく。
「……俺じゃあかんの」
「仁王」
「何だって、したるのに」
「……俺は仁王を部員以上には考えられん」
「お前が手に入るなら、何だってできるのに……はよ帰れ」
「仁王」
「頼むからほっといて」最悪だ。こんな最低な恋愛、悪い冗談でも笑えない。いくら好きだと叫んでも、届かなければ意味がないのに。
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