※死ぬわけじゃないけどキャラが死ぬような表現があります
アンドロイドは電気羊の夢を見るか 1
「終わったか〜?」
「柳さん早く!!」ブン太が顔を覗かせると赤也は暴れだし、柳が呆れながら計測器を外してやるとすぐにドアへ駆け寄った。お疲れ、と赤也の頭を撫でてやるブン太にへらへらと笑っている。仁王はケーブル類を片づけながらその様子を見ていたが、その眉間にはしわが寄っていた。
「じゃあ、俺赤也送るついでに買い物行ってくる」
「気ィつけて」
「慣れた道だよ」心配そうな顔をした仁王を笑い飛ばし、ブン太は赤也を連れて家を出た。今日の夕食はどうしようか、昨夜は魚を焼いたから今日は肉がいいかもしれない。考えながら歩いていると赤也が手をつないできて、驚いて赤也を見るとにこりと無邪気に笑ってくる。その笑顔に弟がいたらこんな感じなのだろうかとくすぐったさを感じて、ブン太も同じように笑い返した。
赤也は仁王が作った人型のロボットだ。特にその人工知能において権威である仁王が手をかけたものであるから、今研究中の人工知能の中では最も優れているだろうと考えられている。しかしまだ実験段階であり、今日のように定期的にうちにきて検査を受けている。いつもはサンプルとして、町のマーケットの一店で働いていた。仁王の家で家事をするブン太の行きつけの店であることもあり、赤也とはかなり親しくなっている。こうして甘えてくる姿を見ても、これがロボットだなんて考えられない。からかうと拗ねたり教えたことでも失敗したり、まだ不安定なロボットだということが妙に人間味を帯びている。
「俺毎日ブン太さんに会いたいな!」
「なぁに言ってんだよ」自発的にそう考えるのだからすごい。仁王はやはり偉い学者なのだと、こんなときに改めて思う。人工知能を備えた他のロボットをあまり知らないが、それでもここまで人間らしいロボットは見たことがないと柳は言う。
「おっちゃんただいま!」
「おう、帰ったか。早速だけど荷ほどき頼むよ」
「はーい」
「先生なんか言ってたかい」
「ううん、かなり成長したってことぐらい」
「そうだろうな。ここに来たときはでかい赤ん坊だったのに、いつの間にかしっかり働くようになったよ。もう 年だから助かるがな」
「おっちゃんがちゃんと話しかけるからいいんだって。会話パターンも対応プログラムも組み込めるけど、人間と話するのが一番いいんだってさ。子育てと同じだって言ってた」
「子育て、ね」卸業者から届いた荷物を店に並べている赤也を見て、店主は表情を緩めた。つられてブン太も笑う。
「まったくその通りだな。赤也はわしにとっちゃ自分のガキだ。うちは子どもが育てられなかったからよ」
「そうなんだ」そろそろ帰ると声をかけると赤也が慌てて寄ってくる。しゅんとする姿は人間そのもので、妬けるなあと店主が笑うと赤也はおっちゃんも好きだけど、と焦る。
「また、買い物来て下さいね」
「おう、いい子にしてろよ」
「ブン太さんがまた来てくれるなら」
「言うねえ」赤也のくせっ毛をかき乱してやり、最後に軽く頭を叩いて手を振った。大きく手を振り返してくる赤也を笑ってて店を離れる。
以前は忙しいばかりで一緒にいられる時間の短かった仁王は、最近うちでの仕事が多くて嬉しい。ずっとメイドの仕事ばかりしてきたブン太にとっては仁王が生活のほとんどだ。忙しい仁王が体を壊さないように食事メニューを考え、仕事に集中できるように家事の一切を請け負っている。今日の仁王の仕事はこれで終わりで、ゆっくりしていられるのだと思うと自然足取りが軽くなる。メイド服のスカートをひるがえし、上機嫌で買い物を済ませてうちへ帰った。
*
「なんじゃこの数値……」
もう記録は終えていたから見落としそうになった。紙に出力していた赤也のデータの端、一瞬だけ乱れが現れている。今までの記録とも照らし合わせてみたが、こんなデータは今までにない。今回は特に人工知能の成長が見られていたが、それと関係があるのだろうか。
「仁王、俺はそろそろ帰るぞ」
「柳待って、これなんかわかる?」
「どれ、……ああ、ブン太が部屋に入ってきたときだな」
「え」数値を計測した時間を確認して、柳はうなづく。ずっと気になっていたことを柳に聞くのははばかられて、うつむいてデータをにらみつけた。しかし柳のことだ、自分よりも早く察しているかもしれない。
「……柳、赤也は、……ロボットとして成長しとるな。危機回避への反応速度、仕事の正確さ、会話」
「ああ。預ける先もよかったのだろうがな。悲しいというマイナスの感情も理解したようだ」
「……恋をしたと思うか?」
「お前には面白くないだろうが、あの態度ではな。ブン太は気づいていないようだが」
「……バグはないからA.I.の成長か……俺ってやっぱり天才なんじゃのう」
「数値に出て計算できるのがロボットの恋なんだな。嘘がつけない体だ」
「ただいま〜!」思っていたよりも早かったブン太の帰宅に腰を上げ、部屋の外に顔を出すと買い物を済ませたブン太が上機嫌で笑いかける。いい買い物ができたのだろう。金ならあまっていると言っても値引き交渉をやめないブン太が、それを楽しんでいるのだと気づいてからは好きにさせている。仁王が手招きすると嬉しそうに寄ってきた。手を広げて迎えると胸の中に擦り寄ってくる。
「今日はカレーとりんごのサラダにする!」
「期待しとるよ」
「任せろぃ!」
「……赤也、何も言うとらん?」
「赤也?」
「いや、何でもええわ」
「俺は邪魔者のようだから退散するよ。場所を開けてくれないか」
「あ」柳を見つけてブン太が慌てて離れた。飯食ってかない?とのブン太の誘いを丁寧に断り、玄関へ向かう柳を見送りに行くのはブン太ひとりだ。
「うちに何も言ってない。この時間なら食事を用意している頃だ。食べて帰ったらもう一度夕食をとることになりかねん」
「そっかぁ。……ロボットってみんなそうなの?」
「うちのはまだまだ試作で、人間的な知能もさほどないからな。多くはそうだろう」
「楽しいのかな?」
「楽しいか楽しくないのか、わかるのが赤也だ。仁王は天才だよ」
「……ふうん、やっぱよくわかんねえや。じゃあな、気をつけて」柳を見送り、ブン太は荷物を取りに部屋に戻る。研究室のソファーに座ってレポートを見る仁王の表情は真剣で、邪魔をしないように静かに置いてあるポットでお茶を入れた。ソファーもお茶も、仁王がここで過ごす時間が長いので置くことになったものだ。近くへ持っていくとブン太に気づき、レポートを床に落として手招きをする。
「おいで」
「お茶は?」
「その辺置いて」机に置いて近寄ると仁王は自分の膝を示す。それににっこりと笑って見せて、スカートを持ち上げて仁王と向かうようにその膝に座った。額を寄せて唇にキスをもらい、笑い合う。仁王がエプロンをほどいたのを咎めるように手を添えると、首筋に顔を寄せられて息が漏れた。
「ご飯遅くなっちゃう……」
「明日朝遅いからええよ」
「だってお前終わったら寝ちゃうじゃん」
「起こして」
「しょうがねえやつだな」ブン太が強く抵抗しないのを知っている自分をずるいと思いながら、仁王はエプロンを抜いて床に捨てた。ブン太がボタンを外して肩を露にするのを見て、現れた肌に唇を寄せる。仁王のするがままに身を委ねるブン太を抱きながら赤也のことが頭をよぎり、振り払うようにブン太の肌に歯を立てた。
発展しようのない恋だ、気にしたところで何も変わらない。わかっているはずなのに、ぬぐいされないこの不安は何なのだろう。勘なんてものは頼りにしたことがない。ブン太のことを考えながら作ったからそうなったのかもしれない。隠しきれないブン太の悲鳴を聞いて、いっそう強く抱きしめた。
*
電話を切った仁王が深刻な表情を浮かべていて、食事中だったがもしかして急用だろうかと腰をあげる。それに気づいた仁王が戻ってきて、ブン太をまた座らせた。いつもより少し遅い朝、のんびりできるはずだった。
「すまん、ちょっと出る。ブン太はええよ」
「いいよ、見送る」必要最低限のものだけ手にし、玄関へ向かうとブン太もついてくる。しわのないエプロン、きちんとした襟。仁王の面倒を見ながら自分の身の回りのことも怠らない。冷静になろうと軽く頭を振り、ブン太にシャツの裾を直される。
「行ってらっしゃい」
「すまんな」
「仁王を待ってる人がいるんだろ。気をつけて」
「うん」ブン太のキスを頬に受けて家を出る。最悪の結果は避けたい。誰よりも、ブン太のために。
遠ざかる仁王の背中を見送り、ブン太は部屋へ戻った。食べかけの朝食を続けて、今日の予定を考える。ふと日課を忘れていたことを思いだし、朝食を片付けると部屋を移動した。野菜を育てている部屋で水をつぎ、プランターにかけてやる。芽が出たばかりの野菜たちが食べられるようになるのはいつなのだろう、楽しみだ。大きくとった窓からの陽気に嬉しくなる。布団を干そう、と決意して立ち上がった。メイド服のスカートを直す。今日もメイドとしての1日が始まる。帰るかわからない仁王のために、昼食を考えながら部屋を出た。
洗濯を済ませて家中の掃除、時間ができたら勉強をする。簡単な読みは幸村の家で教えてもらっていたから、文字を書く練習だ。一緒に始めた赤也に抜かれてしまったのを思い出して悔しくなった。文字が書ければ、もっと仁王の仕事の部分まで手伝うことができるようになるだろう。
昨日買った食パンでサンドイッチを作る。仁王の戻る時間がわからないがこれならいつでも食べられる。もし急いだ一時帰宅になっても包んで持たせることができるだろう。耳を落としてバターを塗り、薄切りにしたきゅうりとレタス、ハムを挟む。ジャムを挟んだだけのもの、生クリームとみかんやイチゴのフルーツ。ふと自分の好みに偏ったと気づき、エビフライも用意した。今夜巻き寿司をするつもりで下準備していたものだが、夜は別のものにしよう。そうしている間にチャイムが鳴り、急いで手だけ洗って玄関へ走る。「お帰りなさい!」
「あっ、こんにちはー!何?このかわいこちゃん!」
「やかましい……」
「あ……あっ、仁王どうしたんだよ!」見慣れぬ人間に肩を借りて帰ってきた仁王に困惑したが、どこかぐったりした仁王に気づいて慌てて手を貸す。足ひねっただけだよ、とブン太に笑いかけるその人物を見たことがない。明るい笑顔を向けられて戸惑うのは、自分の知る人間とは違うタイプだからだろう。
「初めまして、仁王くんの親友の千石です」
「気持ち悪い嘘ついとらんとはよ帰れ」
「えーっ、それはひどくない!?あのままのたれ死んだほうがよかった?」
「ちっ……仕事場の」
「あ、初めまして」仁王の簡潔な紹介に一応納得して、彼から仁王を受け取った。朝からだるいと言いながらでかけたせいだろうか。
「階段で滑って落ちたんだよ」
「なっ……他に怪我は?」
「ないよ、大丈夫。後で柳に見てもらうけん」
「とりあえず中に」
「ちょ、ブン太待っ、うわっ」仁王を横抱きに抱き上げ、ブン太は部屋へ向かう。勘弁しろよ、頭を抱えた仁王を、千石が後ろで笑っていた。
「お邪魔しま〜す。いやぁ、優秀なメイドだねえ」
「勝手に入るな」
「お茶ぐらい出してよ。昼飯返上して送ってきたってのに」
「昼なら作ってあるけど」ソファーに仁王を降ろして聞いてみる。あまり見たことのないしかめっ面を千石へ向けて、食ったら帰れ、と脅すように言った。じゃあ運んでくる、と先にお茶を出して台所へ戻る。
ブン太の背中を見送ってにやにやしている千石にお茶をを引っかけてやりたくなったがどうにかこらえ、仁王は深く溜息をついた。ただでさえ事態がややこしくなっているのに、よけいなやつに関わってしまった。同期の千石は嫌いではないが、そのテンションの高さは少々面倒だ。
「いやあ、カワイイコだと思ったら、頼もしいね。俺も柳にボディ作ってもらおうかなあ」
「ブン太は人間じゃ」
「え?……マジ?なんだ、そっか。ふうん、ロボット使うよりまだ人件費の方が安上がり?最近迷ってんだよね、忙しくなってきたからひとりで暮らすの限界でさ」
「ブン太は使用人でもないけん」
「えー?……じゃああれか、セックス用」
「違う!」
「じゃあなんなのさ、メイドの格好させてんだから、奥さんじゃないんでしょ。それともあーいうの好きなの?まあ俺も好きだけど、自分の奥さんはな〜」
「ちゃうわ。ちょっとややこしゅうて……」ドアにノック、すぐにドアが開いてサンドイッチの山を持ったブン太が入ってくる。改めて見るとメイド服がよく似合う。あんな長いスカートでよく働くものだと感心してしまうが、……初めて気がついた。どうしてブン太は、メイド服なのだろう。
「すごい量だね。やっぱ家事ロボットいると便利?」
「……?うちにロボットはいませんが」
「じゃあ誰が家のことやってるの?」
「全部私がしています」
「へー、すごいね!仁王くんの話だといまいちよくわかんないんだけど、君は仁王くんにとって何なの?」
「……メイドですよ」見てわからないのか、と言うように口にしたブン太の言葉に仁王が驚き、思わず足をついて痛みが走る。何してんだよ、慌てて寄ってきたブン太が心配そうに仁王を見る。手を取ってブン太を見上げた。無垢な瞳がまっすぐ仁王を見る。
「お前、自分がメイドでここにいると思っとったんか?」
「……違うの?」仁王の問いに迷ったのか、不安げな瞳に慌てて首を振る。話は後だ、千石のいるところで話したくない。
「……仕事の話するけん、ブン太は出とって」
「あ、うん」千石に一礼してブン太は部屋を出た。セックスの次は人間関係を教えなくてはならないのか。頭を抱えてソファーに沈み込む。食べちゃうよ、と返事を待たずに手を伸ばす千石は無視だ。
「……あのさ〜、金も女も思いのままになるんだからさ、恋人に楽させれば?仁王くんいつも身なりきれいにしてるから、5、6台ロボットいると思ってた」
「……参考に聞くが、今ロボットの一般家庭への普及率は?」
「タイプを問わなければ130パーセント。人型ならさすがに70ってとこかな」
「そんなにか」
「今更何を。まあレベルに差はあるけどね。今まで作ったやつどうしてんの?」
「……1台は幸村のとこで秘書。他はさっき見た通りじゃ」
「げっ、あの柳生比呂士がロボットってマジなんだ。俺人間だと思ってたんだよね、プロトタイプにモデルがいたんだと思ってた」
「幸村の教育の成果じゃろ」
「んで、さっきのも仁王くんのか……仁王くんにしてはお粗末な出来だね」
「そうかの」
「まあ賛否あると思うけど、俺はロボットに感情はいらない派だから。やっぱりバグ増えるしね。愛玩用ならいいと思うけど、家事や業務に感情は不要だよ」
「……そうかのう」
「仁王くん、君は人間を作りたいの?」千石の言葉に黙り込む。考えたことがない。何のためのロボットか、なんて。初めて作ったときは自分の身代わりにするためだった。その比呂士を作り直したのは罪悪感から逃れて次へ進むために。赤也は単純な研究として。
「人間が作りたいならさっさとお嫁さんもらいなよ。女の子を、ね」
「……やかましい」いろいろな問題が積み重なる。何から片づけていけばいいのか考えるがはっきりしない。
「あのメイドの子、働きたいならうちに寄越してよ。通いでいいよ。料理上手?」
「やらん」
「だってあの子、仕事ぶりがロボットみたい。かわいい子だけど抱く気にはなんないな」
「勝手なこと言うな」
「あ、おいしーい。生野菜なんて久しぶり」千石がサンドイッチを食べるのを見て手を伸ばす。仁王の仕事が詰まってくるとよく作るのは、片手で仕事をしながら食べられるからだ。ブン太をなくして自分の仕事はスムーズに進むのだろうか。しかし千石の言葉に迷う。確かに、ブン太を人間にすると言ってそばに置いているのだ。それでも以前と何も変わらない。仁王の世話を焼いて、人間らしかったのは前に寂しさに耐えられずに出ていったことぐらいだろうか。他には一切わがままも何も言わず、従順な態度で仁王の要求に答え、あとの仕事がずれこむとわかっていても仁王の手に応じるままに抱かれる。それはすべて、メイドとしての自分の仕事だと思っていたのだろうか。給金を払うわけでもなく、愛を囁くなんて不得意なことをやって精一杯気持ちを伝えてきたつもりなのに。
「さて、お腹もいっぱいだしそろそろ帰ろうかな。仁王くん」
「さっさと帰れ」
「今日のポンコツ、被害出ないうちにリセットなりスクラップなりしちゃいなよ」
「……わかっとる」
「じゃあね」最後に仁王のお茶を飲み干して、千石はようやく帰っていった。静かになった部屋で、ソファーに沈みこんたまま考える。……ブン太にどう説明すればいいのだろう。ブン太が口にしたかわいいわがままは、比呂士の部屋で野菜を育てるということぐらいだ。
「入るぞ」
「仁王、柳がきたぜぃ」ノックもなしに入ってきた客人に顔を上げた。ブン太が少し不安げなのは、仁王のけがの心配だけではないだろう。不用意に問いかけた仁王の問いのせいだ。
「足を見せてみろ。まったく、運動不足が祟ったな」
「普段走らんもん」
「まあそんなにひどくはなさそうだな。……迎えに来てやる、明日も顔を出せ」
「……言われんでも行くわい」
「何かあったのか?」
「ちょっとしたトラブルだ」
「……ブン太、悪いけどまた出とって。昼飯ごちそうさん」
「あ、うん」さっきは千石をブン太に近づけさせたくなかっただけだが、今度は仕事の話だ。誰よりブン太には聞かせたくない、憂鬱な。柳が足の治療をしながら話し始める。
「あの様子じゃ、今以上ひどくなる前に初期化した方がいいかもしれんな」
「リセットしたら原因がわからんままじゃ。また繰り返す」
「今ならまだお前の不注意でのけがで済む。三大原則を忘れるな」
「わかっとる。ったく、次から次へと……」
「他にも何かあるのか」テーピングで固定された足を降ろしてみる。走るのは無理でも歩けそうだ。お茶を入れ直して溜息をつき、簡単にブン太の話をすると次に溜息を漏らしたのは柳だった。
「精市の耳に入ったらどうなるか」
「どうしろって言うんじゃ」
「……ブン太が幸村のうちにいた期間は10年だ。短い時間じゃない。体は成長するしな。それでもブン太がロボットとしてそこにいられたのは、ブン太がロボットらしかったからだ。……違うな、人間らしいがロボットだったからだ。給金は出ない、文句も言わないし逆らわない。何より、精市があまり人と関わらせないようにしていたんだ。だからブン太は、洗濯はできてもドレスをどこで着るのか知らないし、煙草が巻けても味を知らない」
「……」
「もしかしたら、ロボットを人間にする方が簡単かもしれないな。ブン太にはインストールもできないから」ひどく疲れた。仁王の顔つきでそれがわかったのか、柳は明日の時間だけ決めて帰っていく。あとに残されるのは、結局仁王が決断しなければならないことばかりだ。柳を見送ったブン太が部屋に入ってきたとき、そのすがるような目付きに自分を嘲笑う。どんな決意でブン太を幸せにするなんて言ったのだろう。
「仁王、……俺、なんか間違えた?」
「違うよ。ブン太はメイドじゃない」びくりと肩を震わせてうつむいたブン太の手を取って、できるだけ優しく名前を呼ぶ。声にこめる感情を、ブン太はどこまでわかるのだろう。
「ごめんな。気づかんかった俺が悪かった。ブン太に仕事させてばっかりで」
「え……?」
「任せきりはいかんな、ちゃんと家事用のロボットぐらい仕入れるわ。家のことしとったらブン太の時間がないもんな」
「え、え?何が?」
「明日から仕事ばっかりせんでええよ。自分の好きなこと、やりんしゃい」
「……俺は、仁王にとって、何なの?」
「大事な人じゃ」
「俺はどうしてればいいの?」
「ブン太が仕事を気にせんと、のんびり暮らしてくれたらええよ」
「のんびり……」
「おっと、歩ける間に便所行ってこ」部屋を出る仁王の背中を見送り、ブン太はソファーに体を落とした。のんびり、好きなことを?……それは今までと何も変わらない。仁王だって忙しそうに働いているのに、ブン太は何もしなくていいと言う。今まで言いつけられたどんなことよりも難問で、天井を仰いでゆっくり息を吐く。先日蜘蛛の巣を払ったばかりだ。そういえば裏のごみ捨て場、朝行くとねずみの糞らしいものが落ちている。役場に言ってやらなくては。明日にでも……ブン太がしても、いいのだろうか。戻ってきた仁王にもっといろいろ言ってやりたかったが、照れたような笑顔を向けられてとっさに笑い返す。
「意味わかった?」
「んー、俺頭悪いから」
「……俺は、ずっとブン太を大事にするけん、それだけはわかって」
「うん、わかってる。俺も仁王が好きだよ。邪魔にならないようにしてる」仁王が困ったような表情をした気がしたが、すぐに抱き締められてわからなくなる。難しいことはわからないが、ブン太が働くと何か具合の悪いことがあるのかもしれない。明日の予定を立てなくていいのだと気づいたのは夜になってからだった。
081017